13 閑話 ナナ、回想その2
オオカミの鳴き声に、はっと意識を取り戻す。
慌てて体を起こすと腹部に激痛が走った。
苦悶の呻き声を上げつつ、周囲を見回すと、どこかの家の中のようだった。
やけに安っぽいロウソクの灯りの下で、ナナはタオルで処置された体を認識する。
治療されている。
「私、生きてる……」
がさがさに乾いた喉で、そう呟いた。
驚くほど潤沢なタオル。文明を失った地球では布すら貴重だというのに、ナナの治療のために惜しげもなく使ったようだ。
どうやら優しい人が助けてくれたらしい。
その事実だけで安心して、また気を失いそうになりながら、しかし、歯を食いしばって立ち上がる。
オオカミが鳴いた。たしかに鳴いて、その声で起きた。
ならば、ナナがやるべきことは、まだなに一つとして終わっていない。
寝ている場合ではなかった。
気合いで歩いて部屋の扉を開けると、ナナが今までいた場所がロッジの中だとわかる。
変わり果てた景色のせいで今まで気づかなかったけれど、十年以上前に家族と一緒に来たことのある自然公園だと気づいた。
ナナはアヒルボートに乗りたかったけれど、年齢制限があって、まだほんの小さな子供だったナナは乗ることができなかった。
あの時、自分は泣いただろうか。それとも我慢したのだろうか。
思い出せないけれど、結局、もう一度来ることもなく、ナナは学生になって、少しばかり大人びて、そして世界が滅んで、親とはもう二年も会っていない。
生きているのか、死んでいるのか。
ここでナナが死んでしまえば、確認することもできない。
バリケードの外側では、ヒト型の炎がオオカミと取っ組み合いをしていた。
ナナはバリケードにもたれかかりながら、その光景を見た。
信じられない。
――あのヒト、自分からオオカミの口に腕を……。
もしかしたら幻覚かもしれない。
必死に戦う戦士……久々に見る男のヒトだ。
防具と炎のせいで顔はよく見えないけれど、雄たけびを上げながらオオカミの頭目の内臓を握りつぶし絶命させた壮絶な戦闘は、神話の一ページのように気高く見えた。
頭に巻いたタオルの隙間から覗く、凛々しさと優しさを兼ね備えた瞳に月光が反射している。
ああ、やっぱり幻覚なのかも。
――だって、こんなにかっこいい男のヒト、見たことないもん。
だが、ナナの体にきつく巻かれたたくさんのタオルと、体中に広がる耐えがたい痛みと、鼻と喉に通る冷たい春先の空気が、この光景が真実だと教えてくれた。
「――あ」
満身創痍になった男のヒトがよたよたと歩き、オオカミごと湖へと倒れ込んだ。
消火のためだろう。だけど、場所が悪い。まだ終わっていないのに。
取り囲むようにして、生き残りのオオカミたちが再展開。
万事休すだ。あれはもう、自力ではなんともならないだろう。
――なんとかしなきゃ。
ナナはバリケードに手をかけ、ふと指に触れるものに気づく。
妙に手触りの良い木と、ホーンピッグの角らしきもので作られた、簡素な造りの短槍。
バリケード前に落ちているオオカミの死体に刺さっているものと同じものだ。
愛用していた三メートル超の薙刀に比べると、かなり短い。
刃先まで含めて二メートルほどか。
バリケードごとに一つずつ、全く同じ木材で作ったかのようにそっくりな槍が、立てかけられている。
ナナは槍を手に取り、軽く振った。
腕は重たく、意識は遠く、視界は狭い。
失血して冷えた身体は、思った通りに動いてくれそうにないし、得物は短くて頼りない。
だけど。
心は、かつてないほどに、熱い。
ここで恩人を助けられないなんて、そんなのは間違っている。
槍を数本手に取り、走りだす。
敵は八頭。対処できる数を超えている。だけど、こちらに意識が向いていない。
不意打ち気味に数頭倒せれば、そこからなんとかなるだろうか。
いや、なんとかするしかないんだ。
ナナは跳びあがり、最初の一頭の脇腹に短槍を叩き込んだ。
きゃいん、と情けない声を上げてギャングウルフが鳴いた。
無我夢中だった。
だからその先、またしても記憶はないけれど、ナナが再び目覚めたとき、彼女は日の光が差し込むロッジの中に横たわっていた。
自然と涙がこぼれ、頬を伝って落ちた。
生き残ったのだ。
ぼんやりと天井を見上げながら、生の実感を噛みしめる。
生きてるって素晴らしい。
あのヒトに、ヒーローにお礼を言わなければ。
そう思い、体を起こそうとしたところで、なにか生温かい感触が腹部にあると気づいた。
特に大きな傷があった場所だ。
もしかすると、あのヒトが治療をしてくれたのかもしれない。
痛みはほとんどない。
なんて優しいのだろう。
男のヒトなんて、と思っていたけれど、認識を改める必要がありそうだ。
腹部に目をやる。
全裸のヒーローが、ナナのおなかを舐めまわしていた。
ナナはもう一度天井をぼんやりと見上げた。
もしかしたら幻覚かもしれない。
腹を必死に舐め回す戦士……久々に見る男のヒトだ。
なぜか全裸なので顔どころかあらゆるパーツが鮮明に見え、やや童顔ぎみの整った顔立ちが舌を出した表情のせいでさらに子供っぽく歪んでいた。
柔らかな黒髪の下の瞳は真摯そのものだが、窓から差す日の光を浴びながらナナの腹に舌を伸ばす姿は、さながら神話で退治される怪物のようだった。
ああ、やっぱり幻覚なのかも。
というか幻覚であってくれ。お願いだから。
寝起きと失血のせいで、意識がしゃっきりしていないのだ。
二、三回頭を振って眠気を払うと、再度おなかに目をやった。
全裸のヒーローが、ナナのおなかを一心不乱に舐めまわしていた。
いやもう、コレは舐めるというより、舐ると表現した方が良いのではないかと思うくらいの勢いだった。
絶句していると、起きたことに気づいたのだろう。
彼がふと顔を上げ、凛々しく優しい瞳と視線がぶつかる。
柔らかな印象を受ける童顔は、正直、タイプではある。
でも全裸だ。
しかもおなかを舐めている。
混乱が激しい。
ナニコレ、どういう状況なの?
ナナは頭がどうにかなりそうだった。
「おや、起きたんだね! ちょうどいまキミのおなかを舐めまわしてたとこだよ!
あと丸一日舐めまわしたら大丈夫になると思うよ!」
彼は頭がどうにかなっているようだった。
童顔とはいえ明らかに年上っぽい男が、全裸でナナのおなかに舌を伸ばし、さらに丸一日は舐めまわすと犯罪予告をしたのに、なにが大丈夫なんだろうか。
もしかすると『日本は崩壊して民法も刑法もないからナニしても大丈夫!』的なニュアンスだったのだろうか。
だとしたらナナは大丈夫じゃないが。
ナナはいまいちハッキリしない思考でぼんやりとその光景を眺め、数十秒ほどしてからどうするか決めた。
ひとまず大きく息を吸い、準備をする。
うん。よし。
「きゃあああああああああっ!!」
まさか筆頭騎士と称される自分の喉から、こんなにも女の子らしい悲鳴が出るなんて思ってもみなかった。
硬派なファンタジーにふさわしい硬派な展開だなぁ……。
日間総合ランキングに女子高生のおなかを舐めまわす硬派なローファンタジーをぶち上げたいので、下の☆☆☆☆☆から評価ポイントで応援していただけると嬉しいです!!




