18 閑話 カグヤ、農作業とヤカモチと小難しい条約
カグヤは農作業の手を止めて、中天に昇った太陽を見上げた。
時計を見れば、すでに昼時分。
宮跡の広大な芝生を開いて作った農地では、今日もたくさんの人たちが作業に勤しんでいる。
古都を奪還したあと、わざわざ新しい農地を作ったのは『農耕:A』の性質を活かすためだ。
かかわった田畑に補正をかけるスキルだが、開墾を手掛けることで農地そのものに永続的なバフが残るため、元からある農地を改良するより、新たに作ったほうが効率的だった。
しかし、ただひたすら耕すだけならば『ものすごく大変』で済むが、育て続けるとなるとカグヤだけでは無理だ。
――そろそろ、お昼だよぅ。
「ちょっと休憩しよっか、みんな!」
と声をかけると、畑のほうぼうから「はーい」と返事が来る。
カグヤの部下であり、田畑の管理を担当する民部の農作業員たちだ。
頼もしい仲間たちである。
――冬前でも『農耕:A』で開いた畑なら、多少の無茶は通るよぅ。
冬野菜の成長は上々だ。白菜、さつまいもにさといも。ネギなんかもある。
――鍋の季節だよぅ。白菜と豚肉でミルフィーユ風に仕立てて、おだしは……乾燥昆布とかつおぶしをいっくんに増やしてもらお。わ、完璧だ……!
できれば鶏ガラも欲しい。顆粒だしの発掘品があれば、それも増やしてもらおうか。
夢を広げながら畑の脇に赴くと、呆れ顔のヤカモチが弁当の包みを持って待っていた。
ヤカモチは護衛だ。カグヤの専属で、女王を守る近衛兵の隊長でもある。
「カグヤっち、にまにましすぎ。また美味しいもののこと考えているんでしょ」
う、と言葉に詰まる。そんなに顔に出ていたか。
ゆるい顔だとよく言われるが、食いしん坊扱いはさすがに恥ずかしい。
包みを受け取って、発掘したキャンピングチェアに腰かける。
「……ヤカモチちゃん、今日は会議に参加してもよかったんじゃない?」
「いや、アタシは護衛だし。カグヤっちこそ、参加しなくてよかったの?」
「うーん。攻略会議に関しては、私がいても仕方がないよぅ。ほら、古都から出ないもん」
カグヤは、自分こそが『共同体の核』だと知っている。農耕スキルのゴリ押しが、人々の生活を保っているのだ。
つまり、役割分担の問題だ。
「私はプライドを示すと決めたよぅ。これは方針の決定ね。で、あとは『やってね』とお願い――指示をして、あとはレンカちゃんとミワちゃんがうまいことやってくれるの」
「わ。まさに女王様だし」
「でしょ」
へへへ、と笑いあう。
だが、なにも知らないわけではない。決まったことは、逐一報告を受けているし、説明も受けている。
除菌ペーパーで手を拭い、ついでに顔も拭って、ほっと一息。
ヤカモチに、隣に座るように言って、畑を見ながら布包みを開く。簡素なおにぎりが二つと、添え物として野菜の塩漬けが入っていた。
「今日のお弁当、だれが当番だったっけ」
「アタシ。おにぎりの中身は――」
「待って待って! 知らないで食べるほうが楽しいよぅ」
うきうきしながら、はむっ、と勢いよく頬張る。硬めに握った白米が崩れ、咀嚼すると濃い塩味と肉汁が染み出してきた。
ホーンピッグの肉を叩いてミンチにし、刻んだネギとあえて塩で味付けしたネギ塩豚そぼろ。
カグヤ朝廷では定番おかずのひとつだ。汗をかく肉体労働のあとに、ぴったりである。
「おいしい! ヤカモチちゃんはいいお嫁さんになるよぅ」
「えへへ、そうかなぁ。なれるかなぁ、うふ」
「三番目だけど」
「正妻の威圧がすごい」
ともあれ、空腹に任せてもきゅもきゅと食べ終わる。
「美味しかったよぅ。……でも最近、部活やってる中学生のおやつみたいな味付け多いよね。どうして?」
「あー、ほら。大阪以降、夜に汗流すことが多いから、無意識に味付けが濃いめになっているのかも」
カグヤは首を傾げた。ヤカモチが自らそっち方向の話をするとは、珍しい。
「……えっちな話?」
「違うし! 夜、ナナと戦闘訓練してるのっ!」
「ああ、そっちか。二人とも、すごいよね。自主練もして」
「スキルに頼らない実力もすごく大事って、そういう話になったから。可能な限り毎日、いろいろ組手で試していて……」
「それで毎日眠そうなんだね」
「あう。……し、仕事はちゃんとやるから……」
「わかってるよぅ」
苦笑して、カグヤはキャンピングチェアに深く座りなおす。
ナナとヤカモチに、焦りのようなものがあることは、カグヤも気づいていた。
「アダチさん、強かったんだってね。私たちは見なかったけれど、スキルに頼らない体術だけでも、強敵だったって」
「……アタシもそう聞いたし」
カグヤの隣で、ヤカモチは大きなため息を宙に放った。
「アタシね、武術を習っていたの。実は」
「そうなの? なんか、意外だよぅ」
「旧家の生まれっていうのは言ったよね。ルーツをさかのぼると華族、士族になるらしいんだけれど……代々受け継いでいる武術があって。それ以外にも空手とか柔道とか、いろいろやらされたし」
「え。すごいね、ヤカモチちゃん」
すごくないし、とヤカモチは眉をひそめて手を振った。
「格闘技あんまり好きじゃないし、空手も柔道もカポエイラも段位とってすぐにやめちゃった。代々の武術だけはやめられなかったけど」
「めちゃくちゃ格闘技エリートな経歴だよぅ」
「だから褒めないでって。……親に言われた格闘技やめる条件が『段位を取ること』だったから、必死になって取ったの」
格闘技をやめるために、格闘技をやっていたらしい。
「もっとちゃんと続けておけばよかったと、すごく思うし。地力があれば、ナナにも――」
言葉が止まった。
怪訝に思い、カグヤは横を向いてヤカモチの顔を見た。
彼女の横顔に、息がつまりそうになった。
――うん。ついていきたいんだよね。
カグヤにも気持ちはわかる。悔しさとか、羨ましさとか、心配とか、いろいろだ。
親友の力になれたら。横に並んで戦えたら。
――私もおんなじ。湖のほとりで、いっくんに行ってほしくないって言ったもん。
あのときは、ナナがいた。カグヤの代わりに隣に立って、イコマを連れて帰ってくると言ってくれた。
でも、ヤカモチは違う。自分の力で隣に立って、共に戦いたいのだ。
それはきっと、戦士ではないカグヤにはわからないこと。
ヤカモチ自身にしか、超えられない壁があるのだろう。
横顔から目を逸らし、正面を向きなおす。
話題を変えようと、カグヤはわざとらしく伸びをした。
「それにしても、会議のほうはだいじょうぶかなぁ」
「……あー。だいじょうぶでしょ、レンカもいるし。そういえば、アタシよくわかってないんだけどさ、模擬戦争って具体的になにやるの?」
「んんー。そこはまだ決まっていないんだよぅ」
模擬戦争の実施は決まったが、ルールの詰めは攻略組が出発してからだ。
京都の攻略は急務だが、古都の兵士全員が赴くわけではない。
カグヤ朝廷の英雄イコマとナナ、和歌山勢の秘蔵っ子タンバの三人を軸に、兵部の精鋭兵士たちで構成することになる。
――遠征を優先。同時に古都ドウマンでは模擬戦争を執り行う。英雄抜きで、私たちの実力を計るんだよぅ。
あくまで模擬戦争。居残り組の軍事演習に過ぎない。
けれど、重要だ。プライドの視点だけではない。
――私たちは、結局、自己評価以外の軸を持っていないからね。
迎合するでもなく、麾下に入るでもなく、対立の立場からカグヤ朝廷を見た老爺。
他者による評価を下される場は、貴重だろう。
「ねえ、カグヤっち。そもそも、なんで国家として成立していることを示すのに、戦争が必要なわけ? モンテビデオ条約ってやつもよくわかんないし。モンテビデオさんが考えた条約だっていうことはわかるんだけど」
「ヤカモチちゃん、モンテビデオは地名だよ」
と、説明するカグヤも、昨日説明を受けたばかりだが。
レンカの真似をして指を顎に当ててみる。ほんのちょっとだけ思考が冴える……ような気がしなくもない。
「ええとね。国際条約のひとつで、一九三三年にウルグアイの都市モンテビデオで締結された、国家間のルールを決める条約なんだって」
「……もしかして、ややこしい話?」
「ややこしいけれど、でも、そんなに深掘りはしないよ。最初の最初、入り口みたいな話だもん。私でもわかるくらい」
実際、クキが持ち出してきた『国家の要件』は第一条にあたる部分だ。
「国家の要件。当時、国家間の関係を明文化するにあたって、まず国家とはなにか――『国家の定義』をさだめる必要があったんだよぅ。『これらの条件を満たしておけば、少なくとも国際法上は国家として認められる』というものをね」
カグヤは右手の人差し指を上げた。
「ひとつが『永続的住民』。その国の住人として、永続して住む人がいるかどうか」
中指を上げる。
「ふたつめが『明確な領域』。一定の領土、領海、領空に対する排他的な主権を持っているかどうか」
薬指を上げる。
「三つめが『政府』。領域内にて国内法を制定し、秩序の維持ができる統治機関があるかどうか」
最後に小指。
「四つめが『他国と関係を取り結ぶ能力』。外交能力を持ち、それが他国の支配によるものではない独立性を持つこと。すなわち主権をもつかどうか」
カグヤは手を下ろした。
「国家という枠組みが壊れてしまった地球で、未来を夢見る国家を作るならば、過去を納得させる要件くらいは満たしてみせろ――クキさんは、そういうことを言ったの」
「ほえー。……え? で、それがどうして模擬戦争なんて形式になるの?」
――そのあたり、また説明が難しいんだよぅ。
説明とか、特に苦手なタイプなのだ。だが、頑張って説明するとすれば。
「ええとね。一つ目に関しては、私たちはずっと日本で暮らしてきたわけだから、満たしているでしょう? 日本に続く共同体として、朝廷は第一の要件を満たしているんだよぅ」
そのはずだ。
「で、三つ目。これは私たち自身がこの街を運営している政府だから、これもまた、証明できているんだよぅ。四つ目は、外の勢力であるクキさんと交渉ができているから、これもある程度証明できているんだよぅ」
もちろん、かなり都合のいい捉え方をしているが、四分の三はできているのだ。
ゆえに、証明する必要があるのは、二つ目。
「模擬戦争で証明するのは、領土における排他的な主権を行使できるかどうかだよぅ。つまり――」
乱暴に言い換えると、こうだ。
「――他の勢力がぐうの音も出ない自衛力があるか、ってことだよぅ」
うーんこれは硬派! 硬派なローファンタジー!
※モンテビデオ条約は実在の条約ですが、作中の解釈は独自のものですので、ほぼオリジナルの条約として考えてもらえると助かります。解釈に穴があっても突っ込まないでください。えっ、解釈の穴ですって? そんな……いやらしい!




