5 速攻
「危ないですっ!」
張り詰めた声に所長と二人で振り返ると、柵の外に少年が立っていた。
真面目そうな顔立ち。年頃は中学生くらいに見える。
癖の強い栗色の毛と、きらきら光る少年特有の瞳が特徴的だ。
服装はオーソドックスな黒の学ランだけれど、首元にはマフラーを巻きつけ、額には無骨なタクティカルゴーグルがバンダナみたいに装着されている。
そして、警戒すべきてんがひとつ。腰の後ろに、黒塗りの鞘が差してあるのだ。
おそらく、刃渡り五十センチメートルほどの短い日本刀……脇差というやつだろう。
武器だ。武装した少年が、僕らに向かって危険を叫んだ。
「いま助けます!」
はきはきと少年は言った。
「安心してください! 僕はタンバといいます! 正義の味方です!」
助ける? だれを? そして、正義の見方とは? と、疑問する間もなく、少年の姿が掻き消えた。
文字通り、いなくなった――見失った。
「――ッとぉ……!」
少年の速度に反応できたのは、きっと、ドウマンとの戦いがあったからだ。
掻き消えたと錯覚するほどの圧倒的速度。
僕のそばでのんきにしていたホーンピッグめがけて、逆手で振るわれた脇差をぎりぎりで蹴り飛ばせた。
ローファーの底面を刃で削られたけれど、ホーンピッグは無傷だ。
……僕自身がホーンピッグの近くにいたから対応できたけれど、そうでなければ、このモンスターは殺されてしまっていただろう。
「い――いきなりなにするんだ、キミは!」
「え、えっ……? はじ、かれた……? 僕の、速攻が……?」
動揺する少年……タンバくんのまわりから、剣呑な雰囲気を悟ったブタたちがもぞもぞ歩いて餌箱から遠ざかっていく。
ご飯を邪魔されたからか、不機嫌そうにふごふご鳴いている。
その様子を見て、ようやく少年は「あっ」と気づいた。
「あ、あの、その……襲われていたわけでは、ないん……ですか?」
問われた僕は、いまだ混乱中の所長をちらりと見て、うなずく。
僕が対応したほうがいいだろう。
「そうだよ。ここはモンスターを家畜化するための研究施設だからね」
「家畜化……ですか」
少年は少し困惑した様子だった。しかしすぐに口を「へ」の字にする。
「いきなり切りかかったことは謝罪します! ですが、モンスターを飼育するなんて、危険です! 殺処分を要求します!」
とんでもないことを言いだした。目を白黒させていたおじさんも「困るよォ、キミぃ」と呟いている。
動物愛護団体どころか、真逆の過激派が来てしまった。
「あの、ええと……タンバくん? 不安かもしれないけれど、ここはその危険を管理するための研究をだね」
仕入れたばかりの受け売り知識でやんわり応じようとする僕に、タンバくんはさらに目を斜めに尖らせた。
「モンスターは敵性生物、竜の尖兵です。殺さねばならないのです」
「いや、だからね」
「穏やかであろうとなかろうと、モンスターはモンスター、悪は悪です! 殺す以外に道はないんです!」
「僕の話を――」
「あなた、そんなこともわからないのですか!」
聞く耳持たずだ。
そして、たいへん大人げないことだけれど、こちらの話を聞かない態度に、僕はむっとして、とても意地悪な対応を選んでしまった。
「どうして?」
「……え?」
「どうして殺さなければならないの?」
タンバくんはまっすぐ僕の目を見た。凛々しい瞳と、丸っこい顔の輪郭がかわいらしい。小学校高学年か、中学一年生くらいだろうか。ショタといってよい年齢なのは間違いないだろう。
……えちち屋ちゃんみたいな反則的外見でないならば、間違いないだろう。うん。
「危険だからです! 当たり前じゃないですか!」
「危険なの? でも、ここにいるホーンピッグたちは完全にラボの管理化にあるし、こうやって戦闘があっても、攻撃してこない。どこがどう危険なのかな?」
「ホーンピッグというモンスターは、みんな危険です! 体長二メートルにも達する獣は、角がなくとも危険なんですよ!」
うん。それはまあ、そう。
さっき僕自身が連想したように、重々承知している。
「それじゃあ、たとえばホーンピッグじゃなくて、ふつうのイノシシだったとして、キミはそのイノシシを殺すの?」
「……殺しません。イノシシはモンスターではないのですから、当然でしょう」
「どうして? イノシシも、それこそ単なるブタもそうだけれど、体長二メートルくらいに成長するし、人間に危害を加えることだってあったでしょ?」
「モンスターがこれまでいったいどれだけの人間を殺してきたと思っているのですか! モンスターは、野生動物とは別の存在です!」
「人間を殺すのがダメなの?」
「ダメに決まっているじゃないですか!」
ふぅん、と僕は相槌を打ち、意地悪なまぜっかえし論法――つまり悪質な嫌がらせ――を続行した。
「じゃあ人間は?」
「……えっ?」
「歴史上、人類をいちばん殺した生物は蚊で、二番目は人間だよ? 大災害と竜はたしかに人間をたくさん殺した。僕だって許せない。だけど、キミの理屈でいえば、人類もまた人類をたくさん殺した虐殺者だよね? 人間は危険だから、殺さないといけないってことだよね?」
少年は数秒間あっけにとられた顔をして、それから両拳を握りしめた。
きっ、と僕を睨みつける。
「違います! それは論点のすり替えです! 『モンスターは危険だから殺さなければならない』という話をしていて、『危険なモノはすべて殺さなければならない』という話をしているわけではありません!」
「そうだね。危険なモノをすべて殺すって話じゃない。じゃあ元に戻そうか」
ふごふごと唸りながら、畜舎のまわりで寝転がっているホーンピッグたちを指さす。
「あのブタたちをここで殺すべき理由、ほんとうにある?」
「……危険だからです」
否定はしない。たしかに、ホーンピッグの危険性は完全に排除されたわけではないだろう。
けれど。
「なら、僕はブタたちを生かすべき理由を言うよ。ここにいるホーンピッグたちはね、次の世代を生むための種豚になるか、そうならなくて解体されるか、どちらかだ。貴重な資源で、研究材料。人類のエゴのために死ぬさだめの生き物だ。キミは話を聞かなかったけれど……」
言いたくはないけれど、ラボの管理化において、ホーンピッグたちの未来は決まっている。
僕らの未来のため、所長の愛情のもとで、自由意思に関係なく屠畜されるさだめなのだ。
「僕らは、少なくともここにいるホーンピッグを、今日ここで殺されるわけにはいかない。それくらいは、わかってくれたよね?」
「……でも、それじゃ……正義はどこにあるんですか」
「正義? いや、そんなもの、立場と視点によっていくらでも変わるものだし――」
「正義が――変わる? なんですか、そんなわけがない――」
タンバくんが顔を赤くして、さらに言葉を続けようとしたけれど、途中で止められた。
背後から彼の肩に手が乗り、軽く叩いたことで、中断されたのだ。
手をのせた老人の男性は、ゆっくりと口を開いた。
「そこまでにしておけ、タンバ。初対面の相手に失礼をするものではない」
「……ですが、先生」
「礼儀だ、タンバ。道場で教えただろう」
僕からも、その老人が近づいてくるのは見えていた。
枯木のような体躯の、しかし足腰は曲がらずまっすぐした、しかつめらしい表情をぴくりとも動かさない老人。
なんとなく、タンバ少年の関係者……保護者なのだろうな、とは思っていたけれど、親族ではなく先生だったらしい。
彼はタンバくんを鎮めると、僕に目を向けた。深い湖みたいな、年季の入った瞳と視線がかち合う。
「すまないね、お嬢さん。儂の教え子が失礼をした。タンバの攻撃をさばいたあたり、相当な使い手とみるが――名前を聞いてもよいだろうか」
「……マコです」
「そうか。その腕前で、美貌の女戦士……うわさに名高い薙刀の騎士か。古都攻略の鍵となった兵だと。違うかな?」
ふむ。女戦士ではないけれど、いまの格好はマコモードだ。女戦士といって差し支えないはず。
そして、僕の得物はたいがい薙刀だし、兵部の自由騎士卿だから、僕とナナちゃん、ふたりのことで間違いないだろう。
「そうですが……あなたたちは?」
「和歌山から来た。難民申請を――」
「ただの難民ではないですね。強すぎる」
言って、タンバくんをもう一度見やる。
「そうか。あなたがたが――ダンジョン攻略者ですね?」
先ほどの、高速の一撃。ふわっと流してしまっていたけれど、明らかに異常な速度だった。
スピード補正値Bの僕がギリギリで対応できるほどの速度。
人類が出せる速度を軽く超えていた――つまり、伝説級の速度。
タンバくんは、Aランクの『スピード強化』スキルを持っているのだろう。ほかにも、体術系のスキルか、あるいは経験を持っている気がする。
そのタンバくんは「あ……」と目を丸くし、老人は目を細めた。
「和歌山ダンジョンの攻略は、まだラジオでも報じられていないはずだが」
今度は僕が「あ……」と口を丸くする番であった。やっぱり僕、交渉とか向いてないんだろうな。我がことながら、口が軽すぎる。
老人はわずかに笑いをこぼして、うなずいた。
「これが、日本のダンジョン攻略最先端か。さすがの情報力だな。そうだ、儂らが……というより、このタンバが和歌山、那智勝浦迷宮の竜の首をとった」
老人は淡々と僕に告げ、背後を振り返った。おろおろするラボのおじさんのまわりに、たくさんの人影がある。
どれも疲れ切った顔で、汚れた格好で、しかし、明らかにほっとした表情だ。
間違いなく難民。
つまり、驚くことに彼らは、紀伊半島の南部を半縦断し、奈良南部の大自然を抜けてきた――ということになる。
「我ら、総勢八十二名。和歌山那智勝浦から、カグヤ朝廷との提携を求めてこちらに参った。代表者との会談を求めたいのだが――仲介を頼んでもよいだろうか」
どうやら、事態がようやく動き出しそうな気配を帯びてきたらしい。
収穫祭を終えた、秋の終わりごろ。本格的な冬の気配が近づく十一月の空の下で、僕ははじめて自分たち以外のダンジョン攻略者、竜殺しの戦士と出会ったのである。
きっと、この出会いは大きな意味を持つ。
僕はうなずいて、おろおろするおじさんを指さした。
「すいません。僕、今日は働いちゃダメな日なので、続きは所長にお願いします」
「えッ! マコ様ッ?」
だって、働くとレンカちゃんが怒るんだもん。
薙刀を扱う美少女(装)騎士……なにも間違っていないな! うん!




