夢見る堕竜
古都ドウマン近郊に、レンガ造りの建物がある。
それは、明治時代に建てられた刑務所なのだという。
それは、ホテルという形で再利用され、しかし文明崩壊と共に廃墟になり、現在はまた刑務所として使われているのだという。
そしてそれは、今や竜から堕ちた者が棲む場所なのだという。
●
ユウギリはふてくされた顔で、見張りの女兵士に話しかけた。
「なあ、なんとかならんか」
ユウギリは竜だ。堕ちた竜だ。
五メートルはあった体長は縮み、角の生えた女子小学生のような見た目になってしまっている。
竜種の名残は角くらいで、ほかはもうただのロリといって差し支えない程度の力しかない。
だが、それでも竜だ。欲望のまま、欲しいものをほしいままにするのが、竜だ。
だから言う。
「この漫画の続き、読みたいのじゃ。なんとかならんか」
独房の床に山と積んだものは、コミックだ。
軽く数十冊はあるだろう。すべて同一のシリーズで、コミック文化に明るくないものでもタイトルを聞いたことがあるほどの名作冒険漫画である。
「ないです」
冷たく返すのは、独房の鉄扉の前でパイプ椅子に座っている女兵士だ。
都市国家ドウマン、カグヤ朝廷兵部所属の兵士で、ミワが信頼を置く兵士だった。
独房内のユウギリからは顔が見えないが、竜たるユウギリに物おじせず、捕虜たるユウギリにも丁寧に接してくれる、凛とした声の兵士だ。
「どうしてじゃ。どうして、次の漫画を渡してくれぬのじゃ!」
「対価を頂いておりませんので」
「……ぬうう」
ユウギリは唸って、頭を掻きむしった。
「悪魔め! なんということをするのじゃ! こんな生殺しをしおって!」
「私はヒトです。悪魔はむしろ、あなたのほうでしょう」
「ぐむむ……。で、では、どういう情報が欲しいのじゃ?」
「近くのダンジョンの内容を教えていただければ」
「……ダメじゃ。内容までは教えられん。わらわ、こうなっても竜じゃからな。同族は売れん」
ユウギリは口を噤んだ。
なぜならば。
――いやだって、ほかのダンジョンがどうとか、わらわ知らんし。
そうだ。竜にも個性がある。そして、ユウギリの個性はいささか未成熟だった。
他者との関係性は求めず、ただ干渉し、あざ笑う。そういう竜だ。ベーシックな竜だ。
竜としては、まだまだ若い竜だった。
だから、ほかの竜の動向など、大して気にも留めていなかった。
ドウマンが死んだことは、同族として気配で感じ取った。アダチから、諸々の情報も聞いた。裏を返せば、それ以上のことは知らない。
――知らんとは言わんがの。じゃって、舐められたら癪じゃし。
そもそも、イコマの姑息な方策によって、竜格はほぼ無にまで堕ちている。
竜王による『同族を殺してはいけない』縛りは、いまのユウギリに対してほとんど機能していない。
同族殺しそのものならともかく、多少人類に利する程度の情報開示ならば、問題なくおこなえると感覚で理解していた。
「同族を売るほど、わらわは落ちぶれてはおらぬ」
「では、漫画はここまでということで」
「待て待て」
ユウギリは鉄扉に近づき、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「京都はキヨモリ。兵庫はムサシ。どちらも、わらわよりはドウマンに近いタイプじゃ」
「……」
扉の向こうで、かさかさ、かりかりと音がする。
女兵士がノートを開き、メモを書き留めているのだろう。
「……同族は売れないのでは?」
「名前と性格くらいならば、売るとは言えんじゃろ。……漫画、寄越してくれるな?」
「ええ」
がこん、と音がして、鉄扉に取り付けられた細長い窓が開いた。
食事のトレイを中に入れるための、鉄蓋つきの窓から差し入れられたのは、一冊の本だ。
ユウギリは本に飛びつき、嬉しそうに相貌を崩した。
「よいのうよいのう。さて、さっそく――うむ? おい、貴様」
「なんでしょう」
「タイトルが違うではないか。さっきのやつの続きをよこせと言うておるのじゃが」
「ないです、と申し上げました。次の漫画は、そちらのシリーズになります。……前の巻の奥付、見ていないのですね」
言われて、ユウギリは床の山のてっぺんから一冊を手に取り、奥付のページを開いた。
発行日は、二年前の春。
つまり、文明崩壊前に出た、事実上最後の巻だったのだ。
「……ぬ、ぬうううう……っ! 貴様っ、たばかったなっ?」
「竜の自業自得でしょう、それは」
呆れ声で言われると、いっそう悔しくなる。
「文明をちょっと滅ぼしたくらいで、漫画の続きが出んとはなにごとじゃ! 人類め!」
「出るわけないでしょう、文明滅ぼしたんですから。続きを読みたいと思っていた人類は、みんないまのあなたと同じような感情を、竜に対して持ったんですよ?」
「なんじゃと! 許せん! 竜め!」
「自覚がないの、ほんとうにタチ悪いですね、あなた。見た目はかわいいのに」
「美しいといえ! ちくしょうめ!」
ユウギリは床に倒れ込み、冷たいリノリウムの床に頬ずりした。
「ああ……海賊団はどうなってしまうのじゃ……気になりすぎて死にそうじゃ……」
「次の漫画も面白いですよ」
「黙れ! もう貴様らのことなぞ信じぬ! わらわはもう、海賊団のことしか考えられぬのじゃ!」
「そうですか」
「もう二度と、情報もやらんからな!」
ロリ竜はぷんすこ怒ると、ふてくされてそのまま床で寝た。
――次の漫画なぞいらぬ! ぜったいに読むものか!
●
一か月後のことだ。
「……なあ、なんとかならんか?」
「対価を頂ければ、続きはお持ちしますが」
「ぐ、ぐ、ぐぐぐぐぐぐむむむむむむむ……っ!」
ユウギリは歯ぎしりをして、地団太を踏んだ。
「面白いではないか! この漫画もっ! あの漫画もっ! ちくしょう、人類め……っ! ちなみにこのシリーズじゃが、ちゃんと続きはあるのじゃろうな?」
「書店から発掘したものですので、状態はさほどよくありませんが。続刊はまだありますよ」
「読めればよいっ! しかし、情報か……」
この一ヶ月間、それなりの数の名前を渡してきた。
というか、おぼえている範囲ですべての同族の名前を教えた。
これ以上となると、本格的に竜王の逆鱗に触れそうな情報になってしまう。
――そうなると、命がヤバいのじゃ。
死にたくない。ユウギリの根本にあるのは、消滅への恐怖だった。
ある程度の自覚はあったが、漫画を読んでからは恐怖がいっそう強くなった。
――竜として方向性。ヒトと遊ぶか、ヒトで遊ぶか。そこがわらわの問題じゃな。
ユウギリは後者だ。そして、後者には、自分にはある特徴があると気づいた。
――前者は遊びに満足すれば終わる。遊びは終わるものじゃからな。ドウマンめ、すっきりした顔で逝ったことじゃろう。羨ましいのう。じゃが、後者は……ヒトがいる限り、終わらん。
際限がない。人類の創造性が無限である限り、ヒトを『眺める』行為に飽きは来ない。
漫画という創作物を手に取り、没頭し、理解した。
――わらわ、たとえどれだけ生きようと、満足せんじゃろ。
ヒトと遊ぶ竜は、ヒトを知り、理解していたがゆえに、『そうしたほうが面白い』と思ったものだ。
ヒトの文化に詳しい竜だ。ドウマンもそうだったはずだ。あれはゲーム好きだった。
改めて、漫画を通して人類の文明を見返せば、なるほど、そういう楽しみ方にも納得がいく。
――竜格が高いがゆえに気づかず、しかし、堕ちて改めて知る楽しみがあるとはな。
自覚が芽生えれば、付き合い方も見えてくる。
「……情報は、ある。じゃが、言えん。言えば竜王様に殺されてしまうのじゃ」
「では、漫画は今日限りですね」
「頼む! お願いじゃ! 読ませて! ほら、わらわってばか細いロリじゃし! なんなら足とか舐めるぞっ? 足舐めるのは得意なのじゃ、イコマも喜んでおった!」
「高潔なイコマ様がそんな行為で喜ぶはずが――ありますね」
あるのか。あの男、やっぱりやばいやつなのじゃ、とユウギリは恐怖した。
いや、ともかく。
――生き汚くおねだりして生きていく! それがわらわのやり方じゃ!
ユウギリは気づいたのだ。
なんやかんや、人類はユウギリを殺せない。情報を持つ『かもしれない』だけで、ユウギリには生かしておく価値が生まれるのだと。
だったら、その価値を活かし、とにかく下手に出て生き延び、たくさん漫画を読むべきだと。
「頼む、伏して頼む! 後生じゃから! せめて無事に暗黒大陸に到着したかどうかだけでも教えてくれ!」
「そう言われましても」
「む、むううううっ! 泣くぞ! 号泣するぞっ! 見苦しいくらい泣く――あえ?」
言葉の途中で、ユウギリは南の方角を向いた。
「……? どうなさいました?」
「……信じられん。しかし、たしかに……そうじゃ。気配が……」
ユウギリは首をかしげて、女兵士に問いを投げた。
「イコマはこの街にいるのじゃろう? まだ、忙しくしておるのじゃろう?」
「ええ。ちょうど、収穫祭の日ですから、確実にカグヤ様のおそばにいらっしゃるでしょう。あなたのせいで私は参加できませんけれど。あなたのせいで。あなたのせいで」
「ごめんなのじゃ」
下手に出るという打算から素直に謝りつつ、ユウギリは鉄扉に近づいた。
「ところで、なのじゃが」
「なんです?」
「よい情報がひとつ手に入った」
「……手に入った、とは?」
「共感じゃよ。わらわたち真なる竜種は、同族の気配をある程度感じられる。どの方角にだれがいるか、程度じゃが」
竜は人間の想像力を根源にして生まれた概念生物である。
元はひとつの『恐怖』という感情だ。ユウギリたちは根本の部分で繋がりあっている。
だから、わかった。
「漫画をもらうぞ、見張りよ。とっておきの情報じゃ」
「……」
かさかさと音がする。ノートを開き、ペンを持つ音だろう。
だが、メモを取るほど内容のある話ではない。一文で済む。
ユウギリはもったいぶらず、淡々と告げた。
――イコマ以外にも、ようやく勇者が出て来たのじゃな。
「和歌山の竜が、死んだ。たった今じゃ」
ユウギリはリノリウムの床に座り込み、もう一度、南の方角を見た。そちらにあるのは、ただの壁だ。
――あやつめは、さて、満足して逝ったのじゃろうか。
疑問する。答えはない。ただ、間違いなくわかることは。
――わらわよりは、満足したに違いないのう。
それを悔しく思う程度には、ユウギリという竜は堕ちてしまっていた。
そのことを自覚して苦笑し、苦笑する自分に気づいて、ユウギリはいっそう笑みを濃くする。
「イコマを……いや、レンカといったか。国の長に話を通せ。契約を結ぼうぞ」
「……契約、ですか?」
「そうじゃ。わらわの共感性ならば、日本列島の竜くらいはなんとか認識可能じゃ。リアルタイムで竜の生存状況を提供する代わりに、毎日一冊、漫画をよこす。そういう契約を結びたいと伝えよ」
「……しばらくお待ちください」
鉄扉の前に置かれたパイプ椅子が軋んだ。足音が遠ざかっていく。
ユウギリはリノリウムの床に仰向けに寝転がり、だれにも聞かせずぽつりと呟いた。
「わらわも、いつかは満足して逝きたいのう」
かなわぬと知って、しかし、それでも願ってしまうもの。
それは、望みだ。
希望であり、夢である。
恐怖から生まれた竜が想うものではない。
だが、想ってしまった。夢見てしまった。
そのことがなにを意味するか、当のユウギリですら気づいていなかった。
いまは、まだ。
僕が死ぬまでに終わるんでしょうか、海賊の漫画。どんどん伸びていく気がする。
さて、断章はここまで。次回から三章です。
六月中はちょっと厳しいかもですが、七月には確実にアップできるかなというペースで。
ペース上げて仕上げていきたいですね。
ブクマは外さず、もう少々お待ちいただければ幸いです。
【ご報告】
第九回ネット小説大賞、期間中受賞を頂きました!
こんなんなんぼあってもええですからね。
活動報告でも報告させていただいておりましたが、こちらでも報告させていただきますことを報告いたします。
そういうわけで、TOブックス様から書籍化します。
下ネタコント小説だけど正気なのかな、硬派なローファンタジーを自称しすぎて勘違いされちゃったのかな、とか思いましたが、ナナちゃんぺろぺろシーンを読んで打診を決めたそうです。
正気じゃねえや。仲良くなれそう。
受賞できたのは、応援してくださった読者の皆様のおかげです。
がんばって更新していきますので、今後ともよろしくお願いいたします!
★マ!




