10 ギャングウルフ、決戦
僕がバリケードの外に出るなり、一匹のギャングウルフがとびかかってきた。
そいつの顎下にヤソウマキを突き出す。
肉を貫通する鈍い感触があった。
すかさず手首を捻って回転させながら、槍を引き抜く。
細かい返しの付いたホーンピッグの角が、オオカミの喉をずたずたに裂いて絶命させる。
僕が最初の一匹に対処している間に、両横から二匹が迫っていた。
しかも、低い位置から。
僕がとびかかってきた最初の一匹に気を取られている間に、下から攻めて機動力を奪う作戦だろう。
やはりこのモンスターは頭がいいらしい。
一匹を対処できても、もう一匹の噛みつきを許してしまえば、あとはなし崩しに殺されてしまうに違いない。
「おお……!」
もちろん、そうはさせない。
引き抜いた槍の柄の一番下、石突の部分を強く地面に打ち付け、同時に両足で強く跳ぶ。
『パワー強化:C』と『スピード強化:C』の合わせ技により、プロフェッショナルの瞬発力を得た僕は、棒高跳びの要領で直上に三メートルほど跳躍。
オオカミの噛みつきの範囲から逃れた。
勢い余ったオオカミたちがぶつかり、もつれるように地面に転がる。
チャンスだ。
空中でヤソウマキを回転させ、上下を入れ替える。
槍の先端が下を向き、そのまま重力に任せて落下すれば、二頭まとめて頭蓋を突き抜いて地面まで達する。
加えて二頭が絶命。
槍から手を離し、飛びのいてバリケード際まで後退する。
「――っぶはぁ」
息を吐く。
合計三頭。相互の攻撃としては二度。十秒にも満たない時間。
だけど、僕の人生で、これまでのどの瞬間よりも濃密な瞬間の連続。
命の遣り取り。
深く埋まってしまったオリジナルのヤソウマキは諦めよう。
バリケードに立てかけておいたヤソウマキ・レプリカを手に取る。
ギャングウルフたちは僕の挙動をじっと観察しながら、低く唸っている。
アォン、とまた一匹が鳴いた。右耳に大きな傷のある個体だ。
さっき鳴いたのも、コイツだったか。
その鳴き声と同時に、オオカミたちはゆっくり、じりじりとにじり寄ってくる。
ロッジ前のバリケードに陣取る僕を半円で囲み、逃げ場をなくす陣形。
こいつら本当に頭がいいな。やめてくれ。
僕の槍は突く武器で、範囲攻撃ができないことに気づいたらしい。
一匹ずつであれば、あるいは二匹同時でも、オールCランクの僕でもなんとかなる。
しかし、いま僕を取り囲んでいるのは合計八匹。
これはどうしようもない。
一応、奥の手はまだあるけれど、あまり使いたくないタイプの奥の手だし、使えば勝てるというわけでもない。
せめて、こいつらの連携をなんとかして、一対一の戦いに持ち込めれば――いや、そうか。
連携を止められれば、まだワンチャン残るわけか。
少し離れたところから注意深く僕を観察しているのが二匹。
そのうちの一匹が、さっきから二度鳴いた傷有りのオオカミ。
付き添っているもう一匹が護衛オオカミだとすれば、あの傷有りこそがギャングウルフの頭目に違いない。
狙うべきは、アイツだ。
深く息を吸い、呼吸を整える。
左手をポケットに突っ込み、細い棒を取り出す。
奥の手を使って包囲網を切り抜け、その一瞬で頭目オオカミを殺す。
それしかない。
どちらにせよ、このままではじりじり距離を詰められて殺されるだけだ。
だったら、覚悟を決めて前に出るしかない。
「うおお……!」
頭目オオカミがいる方向めがけて突撃を開始。
弾けるように反応した八匹の兵隊オオカミが、僕に噛みつきや引っかき攻撃を繰り出すべく、勢いよく躍りかかってきた。
ここだ。
僕は左手で隠し持っていた細い棒――マッチ棒の頭を太ももの香草バンドにくっつけ、勢いよくこする。
瞬時に僕の体が燃え上がった。
正しく言えば、燃えたのは腕と足に巻いた香草バンドの一番外側の布。
ホーンピッグから採取したラードと溶かしたろうそくを塗り込んだ布は、僕の目論見通り盛大に燃え上がった。
同時に拡散するのは、脂が燃える特徴的な香りと、爆発的な香草の香り。
加熱され蒸発した香草の成分が空気中に飛散。
僕の周囲にいたギャングウルフの鼻孔に入り込み、彼らの感覚を一時的に狂わせる。
きゃうん、と情けない鳴き声を上げて、今にも噛みつこうとしていたオオカミたちが身をよじって地面に転がる。
包囲網が、崩れた。
さらに、町中華の老舗みたいな香りに混乱させられたのは兵隊だけじゃない。
頭目オオカミと護衛オオカミもまた、突然の発火と香りの爆発に驚き、動きを止めてしまっている。
たぶん、これが正真正銘最後のチャンス。
Cランクのスピード。プロの短距離走者並みのスピードで、混乱している頭目オオカミに肉薄。
Cランクのパワー。一流ボディビルダーのごとき膂力でヤソウマキ・レプリカを突き出す。
「食らえぇ!!」
完全に虚を突いた。
取った、と確信していた。
だけど、ラードと香草の焼ける匂いが充満する夜の空気の中で、とっさに動けた個体がいた。
護衛オオカミだ。
頭目オオカミを突き飛ばし、護衛オオカミが僕の前に躍り出た。
力いっぱい突き出したヤソウマキ・レプリカが、護衛オオカミの腹へずぶずぶと深く沈んでいく。
頭目を仕留め損ねた……!!
一瞬の攻防。一瞬の献身。護衛が命を捨てて生み出した、ほんの数秒の余裕。
その一瞬で、頭目オオカミが立て直す。
燃え盛る香草バンドをものともせず、頭目オオカミが大口を開けて僕の右腕に噛みついてきたのだ。
耐えがたい熱と臭気があるはずなのに、一切の迷いなく。
これがボス。コレがギャングウルフを率いるリーダー。
気迫と覚悟が、ひしひしと伝わってくる。
分厚いバンドがあるにもかかわらず、火がついているにもかかわらず、骨が軋むほどの咬合力。
牙は貫通して腕まで到達していそうだけれど、熱さのせいでよくわからない。
ヤソウマキ・レプリカは護衛オオカミの腹に深く刺さり、左手一本では引き抜けそうになかった。
そのまま僕は押し倒され、頭目オオカミと組み合うように地面に転がった。
「――う、おおおおおお……ッ!!」
気迫と覚悟。僕にはそんな上等なモノない。
だけど、夢がある。約束がある。助けたい命だって、ある。
まだキャンピングカーもないし、先輩を迎えに行けてもいないし、ここで僕が倒れたら後ろのロッジの中にいる女の子も死んでしまう。
そんなのは――ダメだ。許せない。
大声で叫び、僕は左手で頭目オオカミの頭を抱えるようにひっつかむ。
噛まれた右腕を突き出し、自ら肩まで頭目オオカミの口の中にぶち込んだ。
牙がバンドを裂き、皮膚を削り、激痛が走る。
だけど、耐えられる。
Cランクのタフネス。最前線の軍人並みの痛みに対する耐性と耐久力が、僕にはある。
分厚い毛皮を持つオオカミに対して、武器を持たない人間の攻撃は通らない。
だけど、口の中に毛皮はない。
体の内側に、毛皮なんてものはない。
そこにあるのは、柔らかい肉の壁だけだ。
膂力と瞬発力と頑強さを頼りに、指を立てて手刀を作り、頭目オオカミの柔らかい肉をぶち抜き抉る。
狙いは臓器。
火事場の馬鹿力とはこのことだろう。文字通り全身火事状態だし。
力任せに食道かどこかの肉を引き裂いた僕の指先が、頭目オオカミの柔らかく、けれど力強く脈打つなんらかの臓器を握りしめた。
「ああああああああッッ!!」
絶叫しながら、力いっぱい握りしめ続ける。
びくんびくんとギャングウルフの体がのたうち、肩に食い込んだ牙が乱れて傷を広げる。
鋭い爪を持つ両前足が、僕を遠くに押しやろうと激しく暴れまわり、香草バンドとジャージをずたずたに引き裂いた。
痛みは感じなかった。
ただ、熱さと必死さだけが、僕の内側と外側の両方を占領していた。
数秒後、頭目オオカミがぱたりと動かなくなった。
僕もだ。
牙が食い込み、動けない。
まずい、このままでは僕が香草で蒸し焼きになる。
急いで口から引き抜こうとするけれど、力が入らない。
そこでようやく、僕と頭目オオカミがもつれて転がっている大地が湿っていることに気づいた。
血だ。
誰の血かなんて、考えるまでもない。
思った以上に牙が食い込み、そして爪が僕の体を引き裂いて、出血しているのだ。
最後の力を振り絞り、僕は頭目オオカミの体を引きずって走る。
飛び込む先は湖。飛び込むというか、倒れ込むというか。
とにかく、冷たい水がバンドの火を消火し、僕は温度差で気を失いそうになりつつも、なんとか必死に意識を繋ぎ止める。
戦場が湖に面していて助かった。
水中に沈みながら、ようやく牙を外すことに成功。
頭目オオカミの口から手を引き抜く。
肩が熱くて、右腕が上がらない。
だけど、勝利は勝利だ――水を吸って重たくなったジャージをうっとうしく感じながら、浅い湖底に立ち上がる。
上半身を湖から出した僕を、残り八匹のギャングウルフたちが岸に半円の陣形を作って待ち構えていた。
「……ああ、クソ。立て直しが早いにもほどがあるでしょ」
香りで混乱していたギャングウルフたちは――けれど、僕が湖に飛び込み火を消したときにはもう、ボスの死すら受け入れて、次の行動に移ったらしい。
つまり、ボスを仕留めた敵を確実に殺すための行動に。
指揮系統が明確なのだろう。きっと、一匹一匹に正確な序列があるのだ。
一番がやられたら、二番が。二番もやられたら、三番が。
順繰りにボスが入れ替わる。だから、こうなった。
右手は上がらないし、武器もない。水を吸った衣類とジャージも重たい。
奥の手のせいでほぼ全身を火傷しているし、興奮状態が落ち着いたからか、激しい痛みが肩やら胴体やらを襲い始めている。
「僕の負けか。カグヤ先輩、ごめん――」
さすがに無理だと諦め、瞳を閉じた。
やるなら一思いにやってくれ。
きゃうん、とギャングウルフが吠えた。
一斉攻撃の合図かな。
それから、地面を踏む柔らかな音が立て続けにあって。
けれど、十秒経っても僕は襲われなかった。
なんだよ、もったいぶるなよ。
そう思って、うっすら目を開けると、ギャングウルフたちが地面に横たわっている。
血を流して倒れるギャングウルフたちの死体には、僕の作ったヤソウマキ・レプリカが深く突き立てられていた。
そして。
「――あ」
全身にタオルを巻きつけた、僕に負けず劣らず満身創痍な少女が。
ロッジ内で寝ていたはずの女子高生が。
右手にだらりと短槍を持って、突っ立っている。
月明かりの下、横顔をかがり火に照らされた少女は、立っているのもやっとに見えたけれど、しかし、なぜか見惚れるほどに美しかった。
少女は苦しそうに少しせき込んだあと、かすれた小さな声で言った。
「……短い」
「え?」
「もっと長い得物を置いといてよ、馬鹿」
それだけ言い残して、傷だらけの少女は地面にぶっ倒れたのである。
知り合いの高校教師が「教師になると女子高生にはぜんぜん興奮しなくなる」って言ってましたけど、きっとうそです。