王女の誓い
光が収まったあと、ようやくお兄様の様子を窺えば、明らかに異変があった。
髪が黒色ではなく、銀色に変わっていたからだ。ほのかに体全体も発光しているみたいに明るかった。
一瞬、別人かと戸惑ったが、服装と顔は先ほどと変わりはなかった。でも、顔つきが明らかに別人のようで、いつもお兄様は素敵だけど、このときは神々しくて神秘的な雰囲気まで感じた。
周囲もお兄様の変化に気づいたらしく、身動きせずに固唾をのんで見守っていた。
「おい、浮いているぞ」
誰かの呟きを聞いてお兄様の足元を見れば、本当にわずかに浮いていた。
「……お兄様、一体どうなさったの?」
わたしの問いかけに反応して、お兄様の視線がこちらを向けられた。
『我が名は、ミルロフィーネ。愛の女神と呼ばれる者なり』
お兄様から発せられた声は、お兄様のものではなかった。明らかに別人で、女性のものだった。
「ひっ!」
わたしを取り押さえていた男たちは、目の前の女神から恐怖を感じたのか、弾けたように後ずさっていく。おかげでわたしの身は自由になった。
「違う、違うんだ! 俺たちはただ命じられただけだ!」
男たちは女神に恐れ慄き、お兄様から離れたところで震えながら土下座をしている。門の近くにいた人なんて、そのまま外に逃げ出していた。
日常で神々の息吹を間近に感じる世界で、神に盾突く行為は自殺に等しい。
突然の女神の登場に王女の配下たちや伯爵は、全面降伏していた。
王女ですら、黙ったまま身動きしなかった。
『聖女クリステル』
「はい」
名前を呼ばれたのでお兄様に近づく。
『愛をもって民に尽くし、愛を用いて国を治めよ。この我が課した言葉は、今も生きている。そなたが選んだこの男と共に為せ』
女神の声には自然と人を従わせるような威厳があった。でも、言われた意味をすぐに理解できなかったので、素直にうなずけなかった。
「恐れながら女神様、それはどういう意味ですか? そのお言葉はまるで国を任されたように聞こえます」
女神は何も答えなかったが、お兄様の体に異変が起きる。瞬く間に格好が変わり、白銀の鎧を身につけていた。
兜は脇に抱えていたので、顔はそのまま晒されている。
この国の民なら一度はどこかで見たであろう、初代聖騎士が身につけていた鎧と同じだ。陽の光を反射して、神々しく輝いていた。
『そなたの言うとおりだ。聖女が選んだ人間と「真実の愛」と「愛の口づけ」と「愛の誓い」を我に捧げたとき、我は国を栄し祝福を授けると、この地で誓ったのだ』
なんですってー!? あの超難関って有名な三愛をこなしていたと言うの?
お兄様の攻略は無理って最初から何もしてなかったのに一体どういうことなの?
「あの、失礼ですが、教えていただけないでしょうか。一体何が女神様の求める愛にその条件に当てはまったんでしょうか?」
気になって、つい尋ねてしまった。
『ほう、意図せず我に愛を捧げたのか。純粋な気持ち、なおのこと喜ばしい。真にこの男を想い、そなたは癒しの力を与え続けたのだな』
はっ! たしかにお疲れのお兄様を癒したくて、せっせと魔力を送っていたわ。
まさかそれでノルマを達成していたとは思わなかった。いつの間にかお兄様は、それが原因で聖騎士の条件となる聖属性の魔力を得ていたのね。
「でも、愛の口づけって……」
そんな女神様のお眼鏡にかなうようなラブラブなキスはしてないはず……。
「はっ、そういえば、一度だけ馬車の中でしていたわ」
『そのとおり。愛に満ちた口づけであった』
すかさず女神様が相槌をうってくれた。あの事故のキスが愛に満ちていると改めて言われると照れるわね。たしかにお兄様大好きって気持ちが、あのとき溢れてたけど!
愛の誓いは、ちょうど今したばかりだったから、本当に三愛の条件をクリアしていたんだ。でも、そこに至るには、他の攻略者たちの信奉値がある程度高くないと無理だったはず……と改めてみんなとの出来事を思い出す。
そういえば、悪女として行動したら、なぜかみんなから感謝されることが多かったわ。
『聖女よ。納得はできたか?』
お兄様に憑依?している女神様が微笑む。状況を理解したわたしは素直にうなずいた。
「お待ちください!」
よく通る王女の声が、会話をいきなり遮った。彼女は一直線に女神様に近づくと、目の前で勢いよく跪いた。
「愛の女神よ。私はこの国の次期施政者として使命と責務を常に持ち、厳しく育てられました。ですので、国民のことを常に気にかけているからこそ、国王として別の者を指名されては国民が混乱する恐れがあると思いました。そのため、聖騎士となったアルトフォードと本来女王となるべきだった私が結婚した方が、問題なく国民に受け入れられると思うのです。慈悲深き女神様なら、国民の安寧がなによりも大事なはず。私たちの結婚をどうか認めてもらえないでしょうか」
女神様に必死に反論する王女にびっくりした。そんな主張が認められたら大変だ。
ところが、相変わらず女神様は王女に対して慈愛の笑みを向けていた。瘴気を用いたお兄様を苦しめた本人なのに。女神様の思惑が分からなかった。
『フェルスタインの末裔か。長きに渡り、誓約を守り、ご苦労であった。これからは家臣として聖騎士と聖女に仕えるが良い。上に倣って家臣たちも従うであろう』
女神は王女の訴えをあっさりとスルーしたので、密かに胸を撫で下ろした。
しかし、これで終わりかと思いきや、王女は慌て、「で、ですが!」と、さらにすごい気迫で女神に迫った。
「聖騎士となったアルトフォードと聖女クリステルは兄妹として育ちました。二人を夫婦とするのは、倫理的にいかがなものでしょうか。周囲が受け入れづらいと存じます! 私なら、私ならアルトフォードの伴侶として相応しいです!」
『ほう、アルトフォードを真実愛していると言うのか。彼のために我に誓えるほどに』
女神は落ち着いた態度で微笑み続けている。なぜ、王女の要求をすぐに拒否してくれないのだろう。だんだんと不安になってくる。
「そのとおりです!」
王女は堂々と答える。お兄様への愛に不安は全くないようだ。
『では、我の前で今すぐに宣誓をしてみせよ』
王女は己の言い分が受け入れられ、歓喜の表情を浮かべる。
「はい、私は愛の女神ミルロフィーネに誓います。アルトフォードを真実愛していると!」
王女が宣誓を口にした途端、彼女の額に愛の女神の紋章が浮かび上がる。それは光り輝き、額に吸い込まれるように消えていく。お兄様と同じだ。宣誓が女神に受け入れられたのだ。
「やったわ!」
王女は満面の笑みを浮かべる。
「そんな……」
お兄様と王女が結婚してしまうの!? わたしも反論しなくちゃ。
そう思ったとき、突然王女に異変が起きた。紋章が消えていった箇所から、ヒビのような白い亀裂が皮膚の上に発生したのだ。あっという間に体全体に広がり、手のひらにまで行き渡る。王女も自分の異常事態に気づいたようで、恐れ慄いた顔で女神を見ていた。
「これは一体、どういうことですか!?」
王女が恐怖の悲鳴を上げても、女神は相変わらず微笑み続けていた。その落ち着きぶりが、今はかえって恐ろしかった。
『そなたの愛は、我が求めるものとは違った。一からやり直して教えてもらうがいい』
女神が優しく答えると、全てを理解した王女の顔が絶望に染まる。
「いやああああ!」
王女が叫んだと同時に亀裂から眩いばかりの光が発生する。耐えきれなくて目を閉じた直後、すぐに発光はおさまり、また何事もなかったかのように元に戻ったが、王女がいたはずの場所には彼女はいなかった。ただ彼女の着ていた服が地面に落ちていて、その衣類の山の中心に赤子が横たわっていた。言葉なく泣き声を上げている様子は、まるで助けを呼んでいるように感じた。




