主従の誓約
エルクがクリステルの屋敷を訪れたのは、たまたま偶然だった。
学院が休みで、一人暮らしの部屋を片付けしていたとき、突然額がじわりと熱を持ったのだ。そのとき、神に誓約した自分の主を思い出していた。
彼女の父親が裁判に負けて、リフォード家は一気に窮地に陥った。兄のアルトフォードを助けると言っていたが、その後どうなったのか常に気にはしていた。だが、いきなり急に彼女に会わなくてはいけないと、なぜか強迫観念のようにエルクを突き動かし始めたのだ。
同じような衝動が過去にもあった。あのときも急に額がムズムズして、主のクリステルを思い出して気になったのだ。翌日、聖女に憧れを抱く事務員のカミーラとの会話の流れで、彼女の屋敷を遠くから見学することになり、運良くクリステルに食事に誘われた経緯があった。
今回も、気づけばクリステルの屋敷に再び足を運んでいた。
「お嬢様は、あいにく外出中でして」
屋敷で対応してくれたのは、以前も会ったことがある女中のマーサだ。いつも愛嬌のある人だったが、今日は明らかに浮かない顔をしていた。
「クリステル様はすぐに戻られますか?」
「いえ、それが」
口ごもる様子は、何か問題でも抱えていそうな雰囲気だった。彼女の身に何かあったのでは。そう不安を覚えるほどだった。
「私はクリステル様のしもべです。彼女の不利になるようなことは口外しませんので、何かお困りでしたらお聞かせいただけませんか?」
そこでエルクはマーサからクリステルがマースン伯爵家に一人で出かけたことを知った。
「門前払いをされると思ったので、すぐに戻ってくると思ったんですけど、まだ戻られていないんです」
「それは心配ですね」
なにしろ相手はアルトフォードを瘴気で洗脳するような非道な相手だ。何をされるか分かったものではない。
「何事もなければいいのですが、警戒は必要だと思います。至急誰か影響力のある方に相談された方がいいでしょう」
エルクの助言を聞いてマーサは何か思い出したようだ。
「本日お嬢様宛に王子殿下からお手紙があったんです。それに返信用の魔法具の手紙が同封されていました」
すぐにレリティール王子を思い出した。クリステルとは同級生で、二人の間に親交があっても不思議ではない。
「魔法具の使い方はご存知ですか?」
「いいえ」
予想どおりマーサは首を振る。
「では、私が殿下にお送りしてもよろしいでしょうか」
「是非よろしくお願いします」
こうして殿下にも気掛かりな状況を知らせることができた。
それからすぐにエルクはマースン伯爵家に向かう。大まかな場所はマーサから教えてもらっていた。クリステルの無事を確認できれば、杞憂だと笑われてもよかった。
馬車ではなく徒歩だったから、目的地の近くまで来たときには汗だくだった。マースン伯爵家を探し始めたとき、立派な屋敷の門前にいた集団に目を留めた。見覚えがあった男の一人は、クリステル宅で会ったウィルフレッドだ。他は彼の部下たちだろうか。みな騎士の制服姿だ。
騎士の一人が門のドアノッカーを叩き、門番を何度も呼び出しているが、応答がないようだ。エルクは彼らに近づき、名乗って挨拶をした。
「お取り込み中、失礼します。こちらにクリステル様がいらっしゃったと聞いて伺ったんですが、彼女を見かけましたか?」
すると、ウィルフレッドの顔色が明らかに変わった。
「レリティールに連絡を寄越したのはお主か。私もクリステル嬢の話を聞き、駆けつけたのだ。だが、反応すらないとは」
「無視はひどいですね」
一般的な良識のある貴族の屋敷では、訪問者を放置するなんて、あり得なかった。使用人なりを雇い、中にいる主人と連絡をつけるようにする。
しかも今回の相手は、伯爵家より格が上の殿下だ。訪問を無視するなんて不敬だった。
「よし、次に無視されたら門を突破しよう。むしろ良い口実を得たな」
ウィルフレッドが不敵に笑ったときだ。
「団長、中から何か声が聞こえます」
騎士の一人が門に直接耳を当てていた。
「誰か言い争っているようです」
不穏な気配を感じてエルクが息をのんだときだ。
扉のわずかな隙間から、強烈な光が差し込んで来た。扉の向こうで何か異常な事態が起きている。そう悟った直後、恐ろしい緊張が全身を駆け巡った。




