勝負のゆくえ
屋敷の中に入り、我が家の食卓にマーサとコックが昼食を配膳してくれる。
そんな中、わたしとお兄様と騎士団長の三人が無言でテーブルに着席している。
なんだろう。和やかな昼の食事のはずなのに、殺伐とした空気が漂っている……。
気のせいよね。気のせいであって欲しい。
そう願いながら、いそいそとナプキンで前掛けをする。
最初に前菜。
甘酢に浸った野菜だ。
ショリショリという軽やかな咀嚼音だけが響く。
ああ、すぐになくなってしまった。
次に本日問題になったニチュパスタが運ばれてくる。
まるで死刑台に上がっていく囚人のような気分だ。
「これがニチュパスタです……」
空気を読んで大人しくなったお兄様が、辛うじて主人代理として接待の仕事をしている。
「ふむ、これがそうか」
騎士団長がギラリと目を輝かせる。もうすでに食べ物を見る目ではない気がする。
わたしのお皿にも、ニチュの黄色味がかったソースであえたパスタがのっている。
香味野菜を油で炒め、ニチュ入りの出汁スープと燻製肉を風味に入れたものだ。
シンプルだからこそ、出汁が決めてとなる。色んな具材を入れて煮込み、濃縮している。そのおかげで味に深みが出る。
前世だと固形スープの素一つで簡単にできちゃうけどね。
「ウィルド様、このニチュパスタは、スプーンとフォークを使って食べるんですわ」
そう説明しながら、わたしは見本として食べ方を示した。
パスタをスプーンの上でフォークを使ってまけば、食べやすくなる。
よほどのことがなければ、ソースは飛ばないだろう。
ここはなんとしても騎士団長に勝って貰わなくてはならない。
だって、この勝負に勝ったら、マズイでしょ?
彼に勝ったら求婚の権利を得ちゃうみたいだし!
そんなのノーサンキューだわ!
コックが作ってくれたパスタは、とても美味しかった。
ああ、麺のモチモチ具合がたまらない。トマトに似たソースもよくできている。
出汁とニチュがよく合い、風味で入れた肉がアクセントとなり、存在感が引き立つ。
うん、すごい美味しい組み合わせよね。
「ふむ、話に聞いていたとおり、大変美味だな」
騎士団長もお気に召したようだ。満足そうに食べている。
そんな彼の様子をセンサーみたいに目視する。
どうやらまだ彼はソースを飛ばしていないようだ。
でも、まだ彼は完食していないので、勝負は終わっていない。まだ気は抜けなかった。
研ぎ澄まされた緊張感の中、食事はゆっくりと進む。
何か言葉や音を不注意で発してしまい、相手の注意を逸らしてしまったら、そのせいでソースが跳ねてしまったら。
そう思うと、静かにせざるをえなかった。
こんなに恐ろしい食事は初めてだった。
しかも、自分ではなく、相手の行動次第で結果が決まってしまうなんて。
ドキドキしながら食べていると、おもむろに騎士団長が「そういえば」と話し出した。
「お主たち兄妹は仲睦まじいのだな。馬車の中ではいきなり驚いたぞ。私の目の前で抱き着こうとするのだから」
騎士団長が言いながらクルクルと器用にパスタを巻いている。
ああ、もっと慎重に!
お願い、集中! 集中して! 騎士団長!
油断したらダメよ!
ハラハラしながら眺めていた。
思わず手が震えてフォークからパスタが皿の上に落ちた。
「そうですね、他の家に比べて仲が良いほうだとは思います。妹は幼いころ、魔力が大きすぎたせいか、制御が不安定だったので、心にまで影響があったようなんです。だから、落ち着かせるために妹をよく抱きしめていたので、それが当たり前になっているんです」
「そうだったのか」
そうそう、お兄様の言うとおりだった。
わたしがよく泣いていたため、家族にいつも抱っこされていた。
だから今でも人の温もりがないと落ち着かなくなっている。
「私には一つ上に姉がいるが、いじめられるばかりで、そういった姉弟の優しさとは無縁だったから、うらやましいものがあるな」
「ウィルド様にはお姉様がいらしたんですか」
「ああ」
そう返事して騎士団長は苦笑する。
「あまりにも不仲だったものだから、フェーリデンの双子のようだと言われたことがあるくらいだ」
神の子フェーリデンの双子は、有名な話だ。
親の愛情を独占するために、双子同士が争い合い、やがて殺し合いにまで発展してしまう悲劇だ。
だからなのか、貴族社会では跡継ぎである長子が双子の場合、生まれて間もなく片方を里子に出すなどの風習がいまだに残っている。
お兄様を見ると、「そうだったんですね」と変わった様子なく相槌をうちながら話を聞いていた。
そういえば、今の話を聞いて気づいたけど、騎士団長からの評価を下げるためにわざとお兄様に甘えたのに、彼の心証を良くしただけだった。
ヤバイ、ヤバイわ。
騎士団長の好感度、どうか上がらないで!
胃をキリキリと痛ませながら黙々と食べていたら、やがて皿は空になった。
わたしが食べ終わるのと同じタイミングで、騎士団長も「御馳走になった」とスプーンとフォークを置いていた。
ハッとして彼のほうに顔を向ける。
じっと服を確認したところ、何もシミはできていなかった。
騎士団長はこちらと目が合った途端、ニヤリとほくそ笑んだ。
「どうだ、シミはあったか?」
「いいえ、ありませんでした」
「ふん、簡単に食べられたぞ」
騎士団長は見るからに勝ち誇った顔をしている。すごくご機嫌だ。
「はい、お客様のお召し物を汚さずに済んでよかったです。余計なお世話でしたわ。大変失礼しました」
頭を下げて従順な態度を示すと、騎士団長は「分かれば良い」と口元をナプキンで拭きながら流してくれた。
ああああああ、よかった!
顔には出さず、心の中でガッツポーズをしていた。
試合に負けて、勝負には勝ったわ!
お兄様も心底ホッとしたような表情を浮かべている。わたしの視線に気づいて、苦笑いした。
あ、目が笑ってない。これは後で説教コースだわ。
ちなみに、わたしのナプキンにはソースのシミが二つあった。食事に集中しなくてはいけなかったのは、どうやらわたしだったらしい。