先生と護衛
家の中でお母様がわたしの帰りを待っていた。
「クリスお疲れ様。アルトはどうだった? 何か話せた?」
期待に満ちたお母様にどのように説明すればいいのか分からなかった。
お兄様が瘴気で操られているなんて、そんな恐ろしい事実を。
言葉を詰まらせた瞬間、お母様はすぐに悟ったらしい。
「そう、駄目だったのね」
お母様は一瞬残念そうにしたけど、すぐに優しげに微笑んだ。
「仕方がないわ。こっそり集まりに参加したんですもの。アルトに近づくのは難しかったんでしょう?」
お母様はそう言ってわたしを優しく抱きしめてくれた。
そのおかげで、少し落ち着くことができた。
「お母様、伯爵家で起きたことをお話しますわ」
わたしの緊張を感じたのか、お母様は驚いたように目を見張り、それから覚悟を決めたようにうなずいた。
ところが、居間に移動しようとしたそのときだ。女中のマーサが来客に気づいて玄関先で対応する。
「クリス様にお客様です。ベナルサス様とエルク様と名乗ってました。クリス様をご心配されていらっしゃったそうです」
マーサからの告げられた名前を聞いて驚いた。
彼らと会う約束をしていなかったからだ。お母様と大事な話があったから、日を改めてもらおうかと考えたけど、ふと思い直した。
エルク先生なら、瘴気による洗脳について詳しくご存じかもしれないと。
「お母様」
「あら、なあに?」
「彼らにも相談したいので、ぜひ同席をお許しください」
「分かったわ。味方は多いほうがいいものね」
お母様は寛容にも提案を受け入れてくれた。マーサに目配せすると、傍にいた彼女はすぐに察してくれたようだ。
「お客様にお会いしますわ。中に案内してもらえるかしら」
それから二人が入室してきた。彼らは鎮痛な面持ちをしている。
居間のソファに着席を勧めて、わたしもお母様と一緒に向かい側に座る。
「お久しぶりです。もしかして当家の噂をお聞きになってお越しくださったんでしょうか?」
彼らの本題に触れると、弾かれたようにベナルサス様が反応する。
「本当なんですか? アルトフォード様がその、リフォード卿を訴えたというのは」
「ええ、本当です。それから父が敗訴して、現在身柄を拘束されております」
嘘を言っても仕方がないので端的に説明すると、二人がますます気まずそうに暗くなった。
「あの家族思いのアルトフォード様がそんなことをするなんて信じられませんが、事実だったんですね……」
「ええ、わたくしも信じられなかったので、先ほどアルメリア様のご協力もあり、お兄様に直接会いに行ったんです。そこで、お兄様が王女様と婚約されたと発表がありました」
「婚約ですって?」
隣にいるお母様が驚いてわたしの手を握ってきた。その手の柔らかさが、とても優しい。
「ええ、本当です。前から想い合っていたそうです」
そう説明した途端、お母様の顔色が変わる。
「そんなはずないわ。あの子は」
「ええ、わたくしも違うと思いました。それに、お兄様のおかしな様子に気づいたんです」
お母様は息をのんだ。
「……どんな様子だったの?」
促されたので、マースン伯爵家での出来事をみんなに詳細に説明した。
「アルトフォード様の体から黒いモヤですか?」
話が終わったとき、真っ先に反応したのはエルク先生だ。
「はい。教室で魔性化した猫を誤って浄化してしまったときと同じように見えました。それでエルク先生にお聞きしたいことがあります。今までは魔物だから瘴気で人間を操れると思っていたんですが、人間でも瘴気を用いれば人を操ることは可能なのでしょうか?」
「それは――」
エルク先生は咄嗟に口ごもる。一瞬迷ったように視線を泳がせたが、すぐに覚悟を決めたように顔を向けてきた。
「本来なら口外は禁じられていますが、可能だと聞いたことがあります。ですが、瘴気の取り扱いは厳重で、使用の際には申請が必要ですし、一定量以上の所持は禁じられているはずです。人に使うなんて、信じられない。魔性化の恐れもあるのに。早く助けなくては」
やはりお兄様は瘴気で操られている状態なんだ。
顔色だってすごく悪かった。あんなに叫んで苦しんでいた。お兄様があんなに辛い目に遭っていたなんて。
あのとき、お兄様のそばにいて、何もできなかった自分がとても歯がゆい。
でも、今は落ち込むよりも冷静になって考えないと。
「アルメリア様のお父様が調査の依頼を出すとおっしゃって下さったんです。だから、きっとすぐにお兄様は助かると思います」
そう言うと、みんな安堵の表情を浮かべていた。
「公爵家からの申し出なら、心強いですね」
「そうですね。助けられてアルトフォード様の洗脳が解ければ、リフォード卿の冤罪も判明するでしょう」
エルク先生の言葉にベナルサス様も同意していた。
マースン伯爵のせいで、一時はピンチに陥ったけど、みんなのお陰ですぐに全て良くなると思っていた。アルメリア様から連絡がくるまでは。




