聖なる力
「先ほどのお話、本当ですか?」
「まさか。以前、お兄様から聞いた話と全然違います」
「でも、なぜアルトフォード様は大人しく従っているんでしょう?」
「それは分かりませんが、見るからに体調が悪そうです。癒しの力で治せればいいのですが」
「それはわたくしに任せて。あなたの正体が周囲にバレたらまずいわ。まずは彼にあなたのことを気づいてもらわなくちゃ。行きましょう」
アルメリア様は即決すると、お兄様の元に近づいていく。わたしも後に続いていった。
お兄様は伯爵と並んで立ち、他の来客の対応している。
「あら、アルトフォード様ごきげんよう」
アルメリア様は堂々とお兄様に話しかけ、会話の主導権を握った。
彼女は公爵家の令嬢。周囲よりも高貴な身分ゆえに許される振る舞いだ。
「これはサルクベルク家のご令嬢ではないですか。今日はお越しくださり、感謝いたします」
挨拶を返したのは、お兄様ではなく、伯爵だった。
「アルトフォード様とは、聖女の仕事を通してお世話になったことがありますの。少し彼をお借りしてもよろしいかしら?」
「いえ、それがアルトフォードは少々調子が悪いので、息子だけでもそろそろ下がらせようと思っていたところです」
「まぁ、そうでしたの。学院にいたときよりも顔色が悪いので、新しい生活に慣れていないのですね。わたくしが聖女の力で癒して差し上げますわ」
アルメリア様が少々強引にお兄様の手を取る。
「お待ちください!」
「まぁマースン卿、遠慮することはございませんわ。集え、聖なる力よ。癒しの風を呼びたまえ。安らぎを与えたまえ」
慌てる伯爵をよそにアルメリア様は全く動じずに目的どおり癒しを施す。
呪文を唱えた途端、彼女の体から白い癒しの光りが発生し、お兄様に向かっていく。そして、触れた瞬間——。
「うわぁ!」
お兄様がアルメリア様の手を振りほどくように慌てて放す。とても痛そうに。
さらに驚くことにお兄様の手からなぜか黒いモヤみたいな煙が一瞬立ち上って消えた。瞬く間の出来事だったから、わたしみたいにジッと注視していなかったら、気づかなかっただろう。
それを認識したとき、見覚えがあったのと同時に体中の血が凍るような想いがした。
だから、急いでお兄様の体に触れた。自分の魔力をたくさん込めた状態で。
「うわあぁ!!」
頭を抱えてお兄様が絶叫した。その表情は苦悶に満ちている。それだけではない。その額には、愛の神の紋章が浮き上がっていた。
全身から毒々しい黒いモヤがどんどん出てくる。その苦しそうな異常な様子に怖くて仕方がなくなる。
「お兄様!」
「アルトフォード!」
駆け寄ってきた伯爵によって突き飛ばされた。
バランスを崩して床に倒れ込んだけど、お兄様が心配で慌てて見上げる。
伯爵はお兄様の両肩を抱きしめ、わたしとアルメリア様を睨みつけていた。
「息子になんてことをするんだ!」
「聖なる力で癒しただけですわ」
アルメリア様は堂々と対応しながら、倒れたわたしに近づいてくる。
「アルトフォード様こそ、一体どうされたんですか? 聖なる力を拒否するなんて、ありえませんわ」
アルメリア様が言いながら差し伸べてくれた手を借りて立ち上がった。
「ですが、現に息子が苦しみだしたではないですか! それにこの娘」
伯爵は鋭い視線をわたしに向けてきた。
「息子をお兄様と呼んでいたな。髪の色は違うが、あの男の娘だろう。なぜこんなところにいるのだ。お前が触れた途端、アルトフォードが苦しみ出したぞ。復讐しにきたのか!?」
伯爵の非難をきっかけに周囲の人間が疑いの目をわたしに向けてくる。
「違います! わたくしも聖魔法を流しただけです!」
「そうですわ。ご様子がおかしいのはアルトフォード様の方でしょう。聖魔法で苦しむなんて」
アルメリア様が庇ってくれたが、伯爵は不快感を露わにしたままだ。
「信じられません。息子を苦しめた人間を黙って連れてくる時点で非常識です。サルクベルク家とのご縁もこれまでですな。もうお帰りください」
マースン伯爵は、ハッキリと絶交を宣言すると、敷地の外に向かって指差した。
「息子を休ませたいので失礼します。皆様はご自由にお過ごしください」
伯爵はそのままお兄様を抱えて、会場から逃げるように去って行ってしまった。
アルメリア様にみなの視線が注目する。友好的とはほど遠い非難と疑惑を多く含んでいる気がした。
「まぁ、罪人のように髪が短いと思ったら、こんな騒ぎを起こされるなんて」
「あの娘が触れた直後に黒いもやが出て苦しみ出したのよ。一体何をしたのかしら。マースン卿のご子息は本当にお可哀想に」
「信じられませんわ」
残念ながら、わたしたちの主張を信じてもらえなかっただけではなく、わたしたちが何かしたように見えてしまったようだ。
「お騒がせして申し訳ございません。先ほども言いましたが、わたくしは癒しの力を使っただけですわ。元々彼に何か問題があったのでしょう。黒い煙が体から出るなんてありえませんもの。では、失礼します」
アルメリア様は優雅に礼をする。それからご両親に目配をして、わたしを連れて会場から去っていく。
お兄様が心配だけど、これ以上は彼女を巻き込んでまで無茶はできなかった。
馬車に乗り込んでから、わたしはアルメリア様ご一家に向けて頭を下げた。
「申し訳ありません、わたくしのせいで伯爵家と不仲になってしまいました。なんとお詫びしたら良いのか」
「いいのよ。想定内のことだわ。それよりもアルトフォード様から出た黒い煙をあなたもご覧になったでしょう?」
アルメリア様の言葉にうなずく。
「ええ、あれはきっと瘴気ですわ。以前魔物学の講義で見たことがあります。魔性化した猫を誤って浄化したときに出てきたものと同じでした」
アルメリア様の表情が急に強張る。
「アルトフォード様が瘴気に汚染されていると?」
「おそらく。前の学院長が魔物に操られていたように、瘴気でお兄様も操られているのかもしれません」
「まぁ! 瘴気でそんな恐ろしいことが可能だったんですね。ひどいですわ。お父様、アルトフォード様を助けるには、どうしたらいいのでしょう?」
アルメリア様が隣にいた彼女の父に顔を向ける。
「相手は貴族だ。基本的によその貴族の家に介入はできない。だが、瘴気の違法所持と使用なら、陛下に調査の要請ならできる。そこで許可が下りれば、貴族相手でも騎士団が動けるはずだ」
「さすがお父様ですわ。もちろん証言ならわたくしがいたしますわ」
親子の頼もしい会話を聞いて、自然と頭が下がっていく。
「アルメリア様、公爵様、ご助力ありがとうございます。本当になんてお礼を言えばいいのか……」
アルメリア様だけではなく、彼女の家族にまで協力してもらえるなんて。感謝で胸がいっぱいになる。
やがて馬車はわたしの家に着いた。
降りる間際、アルメリア様はわたしの手をぎゅっと握る。
「クリステル様、思い詰めないでくださいね。何か進展がありましたら、ご連絡いたしますわ」
こちらを見つめる彼女の知的な瞳は、とても心強かった。
「ここまでしていただいて、アルメリア様には本当に感謝以外の言葉がございません。この御恩は必ずお返ししますわ」
「何をおっしゃってますの。あなたが困っているとき、手助けするのは当然ですわ」
「アルメリア様……」
世間的にはわたしは犯罪者の娘だ。それなのに相変わらずわたしを信じてくれて味方でいてくれるだけで、どれほど心強く頼もしいことか。
「本当にありがとうございます」
目から涙がこぼれそうになるのを何とか堪えながら、わたしは馬車から降りた。




