訪問者
とりあえずマーサが我が家に戻ってきたけど、お母様になんと言えばいいのかしら。
お父様が有罪になって捕まったなんて聞いたらショックだよね。お体に障らなきゃいいけど――。
これからの暮らしぶりよりも、そっちのほうが心配だった。
夕飯どきになって階下に来たお母様は、お父様の姿が見えなくて全てを察したみたい。
覚悟を決めてお話ししたら、言葉を失っていた。でも、お母様はわたしを抱きしめると、「大丈夫よ、心配しないで」と真っ先にわたしの心配をしてくれた。
ああ、やっぱりお母様、大好きだわ。
ぎゅっと優しい温もりを味わうように抱きしめ返した。
「お母様こそ、無理しないでくださいね」
「ええ、それよりもアルトはどうしたのかしら? 一体何があったのかしら? あの子が心配だわ」
「わたしもです。一度直接会ってみたいと考えてます」
「それはできるの?」
「ええ、たぶん」
「無理しないでね。あなたに何かあったら、とても悲しいわ」
「はい」
本当は心の中で不穏なことを考えていたけど、お母様を心配はさせられないから嘘をついた。
神様はわたしの聖女運命値は最強と言っていたわ。今回はそれをたっぷり利用させてもらうわ。
聖女の力すらも悪行に利用するなんて悪女らしいよね。
それからすぐに我が家に駆けつけてくれたのは、なんと騎士団長のウィルフレッド様だった。
「大変なことになったな。リフォード卿がまさか裁判で負けるとは思わなかった」
仕事帰りだったのか私服ではなく騎士団長の格好をしたままだ。
彼に居間のソファを勧めて話を進める。
「わたくしも油断しておりました。まさかお兄様が利用されるなんて思いもしませんでしたから」
「ああ、私もだ。お主の兄は絶対クリステル嬢の味方だと私も思っていたからな。何か弱味でも掴まれたのだろうか」
「そうとしか思えないんですけど、見当がつかないんですよね」
言葉が続かなくて、思わずため息をついてしまう。
「リフォード卿は代わりに科料を払えば実刑を免れるころができる。だが、前科があると、陛下のお傍には仕えられなくなる。職を失うことになるだろう。踏み込んだ発言だが、お主たちの今後はどうするつもりなのだ?」
「それはまだ決まっておりません。お母様は心配ないとおっしゃってますけど」
父か母の実家に身を寄せると思われた。たまに遠方に住む両方の祖父母に会うので、仲は悪くはなかった。
ただ、今までどおりの生活は保てないかもしれない。学院に通い続けられるのかもわからなかった。
「色々と心配があって不安だろう。だが、クリステル嬢は聖女だから国の保護も継続される。申請すれば学資金も給付されるだろう。なにより私がお主の支援者となろう」
「ウィルフレッド様……」
彼の気遣いがとても嬉しかった。
「でも、そこまでお世話になるわけには」
「もちろん条件はある。私の研究に付き合ってもらうことだ」
「わたくしができることなら喜んでお手伝いいたしますが、一体何を研究するんですか?」
「クリステル嬢は聖魔法を物に付与しただろう? 長期保存がきくものを作成してほしいのだ。騎士団が遠征したときに強力な回復薬があれば心強い」
「なるほど。それは面白そうな研究ですね」
「そうだろう」
ウィルフレッド様も見るからに楽しそうに笑っていた。さすが負けず嫌いな彼なだけある。とても強い探究心を感じた。
「本当は、お主に求婚して婚約者の立場で支援しても良かったのだぞ?」
「生活のためとはいえ、もしお受けしたらウィルフレッド様に憧れる淑女たちに恨まれてしまいます」
冗談だと思って笑いながら反応をすると、彼は少し困ったように苦笑していた。
「私は期待させるようなことを冗談でも言わない」
「え……?」
その言い方だと、求婚は本気だってこと?
攻略ルートどおりに進んでいなかったけど、信奉値がそこまで上がっていたの!?
申し訳ないことに全然気付かなかった。ウィルフレッド様のお気持ちに。
動揺はまだ治らないけど、これ以上黙ったままでは失礼だ。
彼はこちらを息を凝らすように見つめている。
相手を緊張させたまま待たせていた。
覚悟を決めて震えそうになる唇をゆっくりと開く。
「申し訳ございません。実は他にお慕いしている方がおります」
彼の視線から逃げずに返事をした。彼もわたしをまっすぐに見つめたままだ。
居心地の悪さを感じて、一瞬の間がとても長く感じた。
「それは誰かと聞いても良いか?」
息をのむ。
でも、ためらいは一瞬だった。
真剣な彼に対して、その場しのぎな発言はしたくないと思った。
「お兄様です」
口にした瞬間、とても緊張した。
目の前にいる彼がどんな反応をするのか怖かった。
驚かれるならいい。軽蔑されたらどうしようって不安があったから。
でも、恐れていたことは起きなかった。
彼は静かに目を伏せると、息を深く吐いていた。
「……そうか」
短い返答だったけど、その言葉はなによりも重く感じられた。
でも、次の瞬間には彼は口元に笑みを浮かべていた。
「予想はしていたから、それほどショックではない」
「予想していたのですか? お兄様のことを?」
その言葉こそわたしにとっては予想外だったので、驚いて聞き返してしまった。
目を丸くしたわたしを見て、彼はさらに笑みを深めた。
「ああ。だから、私のことは気にしなくても良い。変わらず接してくれると助かる」
穏やかに微笑む彼の余裕と大人の対応に今回ばかりは救われた気持ちになった。
「ありがとうございます」
「いや、私もクリステル嬢が大変なときに突然こんなことを言って悪かった。お主に惹かれたことは嘘ではないが、中途半端な気持ちだと気づいたのだ。だから、自分の気持ちに区切りをつけたかっただけなんだ。振られると分かっていても。自分勝手だと思うが、聞いてもらえただけで助かった」
ウィルフレッド様の告白を聞いて、すとんと納得できた。
そうか。そうだったのね。
ゲームの中で聖女とのエンドを迎えなかったウィルフレッド様は、いつも彼の師匠のオルバート夫人と結ばれている。お互いにすれ違っているだけだから。
夫人は家の都合で結婚したとき、魔法具の仕事を亡き夫から理解を得られなくて家庭に専念していた。だから再婚したら再び仕事を辞めさせられる恐れがあるから、再婚する気がなくて黒い喪服を着続けている。
でも、ウィルフレッド様はそれを亡き夫を夫人が深く愛し続けているからだと誤解しているの。
だから、ずっと夫人への気持ちを諦めていたの。
でも、彼はわたしに告白して気持ちの整理をしたと言っていたわ。
中途半端だったと。
だから、彼は告白もせずに諦めてしまった過去の自分の気持ちと向き合うと決心したのかもしれない。
その前向きな彼の姿を見て、とても素敵だと感じた。
それと同時にモヤモヤしていた自分の気持ちも一緒に解決した気がした。
「わたくしもウィルフレッド様を見習って、お兄様に告白しようと思います」
レリティール様のおっしゃったとおりだ。全然わたしらしくなかった。
誰にどう思われようとも、自分の想いを貫くわ。現在お兄様が他の女性を好きなら、振り向かせられるように努力してみよう。
諦めるのは、その後でもいいよね?
「そうか」
わたしの決意を聞いてウィルフレッド様も満足そうに微笑んでいた。
「アルトフォードがあのような裏切りをしたのには、何か理由があるに違いないと思っていたが、クリステル嬢に全く不安がなくて良かった」
そう言った後、彼はすぐに暇を告げた。
遠ざかるウィルフレッド様の馬車を見ながら、ふと思う。
もしかしたら、これから夫人とのイベントが始まるのかもしれないと。
そうだったら、彼の初恋が叶うといいな。
喜ばしい報告をひそかに待ち望み、このときばかりは少し気分が浮上した。




