昼食のメニュー
馬車が止まり、御者が到着を知らせる。
すると、門まで長年我が家に仕える女中のマーサが一人屋敷から出てきた。
わたしはお兄様に支えられて馬車から降り、ふっくらとしたマーサの胸の中にまっすぐ飛び込む。
「ただいま、帰りました」
「お嬢様、お帰りなさいませ」
マーサは当たり前のようにわたしを受け止めて、穏やかに挨拶を返してくれる。皺が深くなった目尻を優しそうに細める。
「今日のご飯はなんですの?」
「今日はクリス様の好物の、ニチュパスタでございます。プリンもありますよ」
「まぁ、本当!? 嬉しいですわ!」
前世を思い出してから、当時の食事が恋しくなり、家人たちにお願いして作ってもらったメニューだ。
頭の中で、ふわふわと食事を思い出しただけで、お腹が鳴りそうになる。
そこへわたしたちの横にお兄様が近づいてきた。
「マーサ、留守の間、ご苦労。母上は?」
「お部屋でお休みになっております」
「そうか」
マーサの返事を聞くと、お兄様はくるりと振り返り、後ろにいた騎士団長と向き合う。
「ウィルド様、申し訳ございません。勤務中の父に代わり母からご挨拶をと思ったんですが、体調が悪く伏せているため、私からお送りいただいたお礼を申し上げます」
お兄様は文句のつけようがない立ち振る舞いをし、流暢な挨拶を口にする。やはり頼り甲斐のある自慢のお兄様だ。
騎士団長はお兄様の丁寧な謝罪とお礼を、特に気にすることなく受け止めてくれた。
「任務で立ち寄ったのだ。気にする必要はない。——ところで、一つ気になったのだが」
騎士団長は、一旦言葉を止めると、視線をわたしとマーサに向ける。
目が合いそうになって、思わず悲鳴が漏れそうになった。
「ニチュパスタとは、聞きなれないメニューみたいだが?」
「はい、妹はかまどの神のご加護も受けているみたいで、新しいレシピを作り出したんです」
「ほう、それは一体どのようなものなのだ?」
彼の視界から早く消えて、攻略ルート消滅を確かなものにしたいのに、彼が面白そうに見下ろしてくる。
「粉をこねて寝かせて伸ばした生地を細く切り、ゆでたものをパスタと言います。それをニチュで作ったスープと頂くのです」
「ほう! 粉を焼くのではなく、ゆでるだと? しかも、あの甘味のあるニチュをスープにだと?」
騎士団長が驚くのも無理はない。
この国の主食はパンだ。穀物を石臼で挽いて粉にして、こねて焼いて食べる。薄く生地を延ばして焼くこともあるけど、それ以外に調理方法はなかった。
暖炉兼かまどの台所事情もあり、主な料理は煮込み料理が主流だ。
それをパン屋で買った硬いパンを浸して頂く。
食べられるだけありがたいのは分かっている。でも、前世のバリエーションのある食事を知っているだけに、毎日同じような料理が続くのは、我慢できなかった。
そのため、母に代わって家の中を取り仕切るマーサにお願いをした。
わたし、パスタが食べたいと。パンと同じ粉が原料なら作ることは可能だと思ったのだ。
前世で自炊しており、しかもパスタは好物だったので、作り方を知っていた。
「ニチュは、完熟のものではなく、未熟なものを使っているので、さっぱりして美味しいんです」
実際に食べたことがあるお兄様が、ニチュパスタの素晴らしさを広めてくれる。けれども、側で聞いているわたしはムンクの叫びのような心境だった。
お兄様、これ以上騎士団長に興味を持たせないでと。
そう心の中で必死に訴えていた。しかしお兄様はエスパーではないので、残念ながら全然伝わっていない。
「味に想像がつかないな……」
「パスタはもちもちとした触感で、口の中でニチュの酸味とスープの出汁がしみて、今までにない味わいだったんですよ」
「ほう……」
それを聞いて騎士団長は感心したような声をもらす。
味はトマトパスタにそっくりだ。
ここのスープは、乳製品系ばかりだったので、根本的な味を変えたかったから。
でもトマトそのものが市場に売っていなかったので、わたしは頑張って似たような食材がないか探してみた。
すると、ニチュという甘い実がトマトの甘味に似ていたことを発見できたのだ。それで、あえて酸味を出すために未熟な実で料理してみたら、トマトっぽい味になって大成功!
それでニチュパスタを作ってみたところ、案外家族に好評だったので、たまに出してもらえるようになった。
「プリンというのも、クリステル嬢が考えたのか?」
「はい、これは卵から作った甘いデザートです。冷やしてから食べるんですよ。プルプルでつるりとした食感で、食の細い母にも食べやすいものなんです」
「卵がプルプルでつるりとしているだと?」
騎士団長は信じられないといった顔をしている。
それもそのはず。甘味の代表は粉を使った焼き菓子で、卵が主体のものはなかった。
なぜなら卵は王都ではなかなか手に入らず貴重だからだ。
比較的裕福な家庭なら、魔法具で調理や冷蔵もできるし、我が家にもあるけど、高価なので小容量な使用しかできない。
「ふむ、とても興味深いな」
彼はしみじみとつぶやくので、本気で味を気にしているようだ。好奇心で目を輝かせている。食べてみたいと顔にはっきりと書いてある。
わたしとしては嬉しいんだけどね。彼が攻略キャラではなければ。
そうなの。この台詞はまずいの。
騎士団長は暗にご相伴に預かりたいとお兄様にお願いしているから。
招かねてもいないのに他人の家の食事を食べたいというのは相手に対して失礼だし、相手を困らせることになる。
だから、「興味があります」とそれとなく気持ちを伝えて、相手の都合を確認している。
それを受けて、全然問題なければ、
「もしよかったら、ご一緒されますか?」
と、お兄様のように答える。
さすがお兄様! 相手の意図を察してお答えになるなんて、受け答えの見本のようですわ! 今は騎士団長に警戒しているからわたしでも気づけたけど、普段のぼんやりしたわたしなら相手のサインを見逃してバイバーイってしちゃいそう。
でも、今回ばかりはお兄様にはスルーして欲しかった。
「いや、それはいきなり申し訳ないだろう」
この騎士団長の台詞も定番のもの。
この後にお兄様が、「いえいえ、ぜひご一緒にどうぞ」といえば、「そこまでおっしゃるなら、ご一緒させていただこう」って流れになる。
こうすると、わたしたちが強引にお客様を誘ったって形になり、相手がわがままを言ったわけではないことになる。
まずい。このままでは、騎士団長と一緒に食事をすることになってしまう!
今後イベントを起こさないためにも、好感度を上げないためにも、それだけは避けなくては。
せっかくニチュパスタとプリンに興味を持ってくれた騎士団長には悪いですけど、悪女伝説のためには、遠慮なく恋愛フラグをへし折らせていただきますわ!
「お兄様、大変ですわ!」
わたしの訴えにお兄様と騎士団長が一斉に注目する。
「ニチュパスタは、食べるときにフォークの扱いが難しくて、慣れないうちはあちこちにソースが飛びまくってしまいます! 残念ながら、初めてのお客様にはフォークの扱いが難しいと存じますので、とてもとても上手にお召し上がることはできないと思いますわ! 恥をかかせてしまう前にお帰りになってもらったほうが良いかと思いますの!」
ふー、ここまで言われてまで食べたいという人はいないだろう。
長台詞に疲れて一息おいたとき、目の前から不穏な気配を感じた。
「ほう、お主は、そのニチュパスタを私が上手く食べれないと申すのか」
騎士団長の目つきが、尋常ではなかった。眉間に皺がより、威圧感が半端ない。
思わず悲鳴が漏れそうになった。
ここで、「そんなことはございませんわ」と否定するのが、きっと一般的な淑女だろう。
でも、わたしは違う。悪女を目指すわたしはあえて性悪なことを言わせていただきますわ!
「ええ、そうですわ。きっとお召しになっている服をシミだらけにしてしまいますわ。無様なほどに。だから、わたくしだって前掛けが必要なんですよ? もし、お客様がお食べになるなら、お召し物が汚れないようにお客様もわたくしのように前掛けをなさいますか? 子供みたいでみっともないですけど」
プププと口元に嘲笑を浮かべて、相手を挑発するのも忘れない。
これで彼は不快になり、こんなところにいられるかと、踵を返すに違いない。
二度とわたしと顔を合わせることもないだろう。
我が家の玄関前は、シーンと静まり返った。
仏頂面の騎士団長の顔をじっと見つめる。彼は無言でわたしを睨みつけていた。眼力だけで人を射殺せそうなくらいに。
わずかな間が、途方もなく長く感じる。気を抜くと、プルプルと手が震えそうだった。
すると、いきなり騎士団長は剣呑な目つきはそのままで、口角を上げてニヤリと笑う。
その予想外の反応にビビって、心臓が口から出そうになる。
「ふっ、面白い」
騎士団長は緑の瞳に闘志の炎を燃やし、わたしを好敵手を見つめるみたいに見据えていた。
彼は両腕を胸の前で組み、仁王のように対峙する。
背後に燃え盛る激しい炎までも見えそうだ。
思わずお兄様の後ろにササっと逃げたくなった。
「そのニチュパスタとやらに私が恥をかかされるとでも? 良かろう、お主の挑戦、受けて立とうではないか!」
彼の気迫で吹き飛ばされそうだ。
もうこれ以上ごねたら決闘でも起きそうな勢いだ。
しかも、お兄様が先ほどからわたしの背中をこっそり突いている。これ以上やらかすなと言いたいらしい。
「わ、わかりましたわ。それではどうぞお入りください」
それしか答えようがなかった。
それにしても、どうしてこうなるの……って、そうだった!
大事なことを思い出した。
そうよ、騎士団長は負けず嫌いだったんだ!
婚期を逃すくらい異常なほどに。
ああ、わたしのバカー! なんでそんな重要なことを忘れるのー!
『騎士団長 あおるな 危険』
そんな戒めを胸に刻みながら、心の中で大号泣した。