密偵開始
聖女の家は、繁華街から少し離れている、静かな住宅街の一角だ。
三階建ての屋敷が、我の正面にある。
敷地の周りは壁で囲まれているので、中の様子はよく分からぬ。黒く頑丈そうな格子門の隙間から、辛うじてアプローチの敷石と屋敷の玄関が見えるくらいだ。
近所にも似たような屋敷が立ち並ぶ。管理はしっかりされており、荒れた様子はない。比較的裕福そうな人間が住んでいそうな雰囲気だ。
噂に聞いたとおりに強い聖女ならば、城や大豪邸みたいな場所に住まわされ、もっと丁重に扱われていると思っていた。
そこに違和感が残る。
聖女が本当にここにいるのだろうか。周囲の人間に聞き込みをしよう。
そのとき、ちょうどこちらに向かって二人の若い男女が近づいて来ていた。
キョロキョロと周囲の屋敷を見ながら歩いている。まるで何かを探しているようなしぐさだ。
なんだろう。様子を窺おう。我は少し離れて物影に隠れた。聞き耳を立てて、二人の会話を盗み聞きする。
「あっ、エルク先生! ここですよ。ここが聖女クリステル様のお住まいですよ」
「カミーラさん、ごく普通のお宅に見えますけど、クリステル様がいらっしゃると思うだけで、とても清らかな場所のように感じますね!」
どうやら眼鏡の二人は、聖女の信奉者らしい。
身なりは小綺麗だが、貴族よりも質素な格好だ。
そうか。我も同じように信奉者に擬態すれば、聖女の家をうろついていても怪しまれまい。
我は気配を殺して彼らに近づいていく。
「あなた方も聖女クリステル様の信奉者なのですね。今日はどのようなご用でいらしたのですか?」
我も人間のような口調で親しげに接すると、二人はやっと我に気づいたのか目を見開いて驚いた顔をしていた。
今日の我の格好は、聖女対策のため貴族のような装いだ。不審には思われまい。
「いえ、クリステル様に用がある訳ではなかったのです。クリステル様のお住まいに興味があったもので……」
エルク先生と呼ばれていた栗毛の男は、はにかみながら答えた。
「奇遇ですね、私もなんですよ。聖女様はどんなところで育ったんだろうって気になりまして」
「おお、そうだったんですね!」
同士と認識されたのか、エルクたちは嬉しそうに微笑んだ。
「もし良かったら、私が知らないクリステル様のことを教えていただけませんか?」
「ええ、喜んで!」
我の願いを二人は疑いもなく快く了承し、興奮気味に聖女のことを話し始める。
宿敵に大事な情報を流しているとは知らずに。
我は失笑を堪えながら笑顔を貼りつかせて聞き入った。
聖女クリステルは学院の一年生で、金髪碧眼の美しい少女であり、とても謙虚で慎みがあるそうだ。
二つ上の兄ととても仲が良く、学院ではいつも一緒らしい。
もう一人の聖女である公爵令嬢とも身分関係なく仲良くしているそうだ。
入学して早々学院に潜んでいた魔物を追い払っただけではなく、城でのお勤めでも呪われたドレスを浄化して聖女として大活躍していると話していた。これは配下から聞いた話と一致する。
なんということだ。完璧な聖女ではないか。
これでは、魔王である我を前回同様に打ち滅ぼしそうだ。
聖女が油断しているうちに殺すしかないか。そう悩み始めたときだ。
「実は私、クリステル様の下僕なんですよ。クリステル様と神様に認められた存在なのです」
エルクは胸に手を当て、口角を上げて自慢げに笑う。
「ほほう、素晴らしいですね」
何気なく聞いていたが、ふと猜疑心が湧いた。この話は本当だろうかと。
なぜこの男は、聖女の家に入らないのだ。下僕なら、主人の側で仕えているはずだ。怪しいぞ。
「では、なぜクリステル様の側に行かれないのですか?」
「そ、それは……!」
エルクは指摘された途端、気まずそうに顔を歪めた。そのとき、屋敷から扉が開く音がした。誰か人が出てくる気配もする。視線を送ると、格子扉越しに金色に輝く髪が見えた。目を見張るくらい可愛らしい少女だ。水色のワンピースの裾が、風に揺れてふわりと舞っている。
少女は後ろに中年の女中らしき女性を連れて、門のほうに近づいていた。
彼女は我たちに気づいたようだ。こちらを見て、美しい青い瞳を大きく見開く。
珍しいことに髪が短く、肩の上で切りそろえられていた。
「あら、エルク先生! どうされたんですか?」
「クリステル様!」
エルクが歓喜の声を上げて格子扉にしがみついた。
あの少女がどうやら御目当ての聖女らしい。我の体に緊張が走る。
にこやかな顔をしたまま、聖女のやりとりに全神経を集中させた。
「わたくしに何かご用ですか?」
「いえ、特に用はないのですが、今日は自宅を遠巻きながら拝見しようとクリステル様を崇拝する同志とともに来たんです」
「はじめまして」
エルクの隣にいたカミーラという女がお辞儀する。
我も二人の仲間のように真似して頭を下げた。
「あら、初めまして!」
聖女が茶髪のカミーラと我を見て笑顔を浮かべる。
どうやら聖女は社交的なタイプのようだ。
そのとき、背後から馬車が近づく音が聞こえてくる。
我が振り向いた直後、女中が門の扉を開けたので、聖女が通りに出てきた。
我の側を通ったとき、彼女からほのかに花のような香りがした。
「あら、ウィルフレッド様がいらしたみたいだわ。本日、彼とお食事会なんです。せっかく来ていただいたんですから、もしよかったら、ご一緒しませんか?」
聖女の提案に二人は困惑しながらも目を輝かせる。
「いきなりご一緒して、ご迷惑ではないですか?」
「そんなことありませんわ。大勢いたほうが楽しいですわ。どうぞ三人ともお入りになって? マーサ、わたくしはウィルフレッド様を出迎えますから、彼らを中に案内してもらえるかしら?」
マーサは聖女の言葉にうなずき、我たちを中に案内する。
エルクたちが入っていくので、我も便乗して入っていく。
聖女は「三人」と言っていたな。どうやら我もエルクの仲間だと誤解されたみたいだぞ。しかも男のほうも聖女と我が顔見知りだと思っているのか何も言ってこない。
しめしめ。
不用心にもほどがある。
内心ほくそ笑みながら玄関を通過したとき、何か肌にざわりと気味の悪い感触がした。
今の感覚は、結界か? 何か試されたようだぞ。ごくわずかな感覚だったから、我でなければ気づかないくらいの精巧なものだったが。
しまった、油断していた。屋敷に入る際に何か罠がないか用心するべきだった。
だが、不幸中の幸いか、特に何も反応がなかったようだ。
一体、何を調べたのだ?
もしや、我が魔王だと、ばれてないだろうな?
警戒を顔に出さないように歩いていると、屋敷の中は狭かったので、すぐに居間に着いた。
使い込まれた味のある調度品が置かれている。
「どうぞ、こちらの席に」
マーサが席を勧めてくる。
ふっ、我が魔王と知らずにもてなすとは。愚かな人間どもだ。
はっ、いかん。
また油断するところだった。最後まで気を抜かないように気を付けねば。
そういえば、下僕と言っていたエルクも普通に客として待遇されているぞ。なぜだ。聖女の手足となって働いていないではないか。
「下僕としてお手伝いしなくてもいいのですか?」
我がエルクに尋ねると、彼はしゅんと落ち込んだ顔をする。
「クリステル様はとても謙虚な方なので、私を使って下さらないのですよ。ご恩があるので、もっとお返しをしたいんですけど」
見るからにしょんぼりしている。
謙虚か。やはり話どおり聖女らしい人格なのか。面倒くさいな。
そんなことを考えているうちにして聖女が新たな客を連れて家の中に入ってきた。
男は成人で、かなり背丈は大きい。まだ少女の聖女にしては、客の年齢層が高いな。
しかも、かなりの美丈夫で、体格もなかなか立派なものだ。剣を嗜んでいるように見える。
「お待たせしました。こちらウィルフレッド様です」
聖女が紹介するので、エルクたちも立ち上がる。私も倣った。
「ウィルフレッド・フェルスタインだ。今日は畏まらずとも良い」
堂々とした立ち振る舞い。しかも素で命令系だ。こやつ、只者ではないぞ。
「お気遣いありがとうございます。私はエルクと申します。若輩者ですが学院で教師をしております。しかし、まさか殿下がいらっしゃるとは」
エルクが緊張した面持ちをしている。
殿下か。
この呟きのおかげでこの男が王族だとすぐに知れた。付き合う相手の身分が高いとは、この聖女がかなり国で認められているということだろう。
ところで、我はまずいことに気がついた。このまま自己紹介に入れば、我がエルクたちと仲間でないことが聖女にバレてしまう。エルクたちにも我と聖女が知り合いでないことがバレれてしまう。
せっかく侵入できたのに追い出されるわけにはいかない。なんとか誤魔化さなくては。
「エルク先生には、魔物学の講義でお世話になっているんですよ。えーと、そちらのお二人は」
「ゲシューと申します。殿下、お会いできて光栄です」
聖女の口から名前を尋ねられる前に我は自分から名乗った。もちろん偽名だがな。
いかにも聖女の知り合いだと言わんばかりの態度で、みんなに頭を下げる。
「カミーラ・ジュンリーです。殿下にお目にかかり、大変光栄です。私は学院で事務をしております」
エルクの横にいる女がお辞儀をして挨拶は終わった。
よし。誰にも怪しまれていないようだぞ。
このまま滞在して情報を探るとしよう。バレそうになったら、すぐに逃げればいい。
我は笑顔を浮かべている聖女に視線を送った。




