事の顛末
それから数日後、僕の隣で髪が短くなったクリスがご機嫌な顔をして学院の廊下を歩いている。
周囲から好奇の視線にさらされても、どこ吹く風って感じだ。
まぁ、変なことを言うやつがいたら、僕が黙っているつもりはなかったけど、今のところそんな失礼な人は現れていなかった。
まぁ、公爵家のアルメリア様だけではなく、王子とも懇意にしている聖女クリスにそんな無謀なことができる人はいないと思うけどね。
リリアン様と王女のトラブルと暴行事件の話のあと、クリスの髪が短くなり、王女が学院をずっと休んでいるから、勘のいい学生は後ろのつながりに気づいたと思う。
元々リリアン様の人となりを知る方は噂を不審に思った者もいただろうし、テラスでの王女の振る舞いを目にした者は、噂の真相に気づいていたかもしれない。
ベナルサス様は予告どおり髪を切ってきた。ところが、クリスに倣ったのは、彼だけではなかった。アルメリア様や彼女のご学友たちも合わせて髪を切った。さらに王女の弟君であるレリティール王子までも、今回の騒動で思うところがあったのか、自ら髪を切っていた。
高貴な身分の者たちがそろったように髪型を変えたので、ベナルサス様の従姉のリリアン様が再び学院に登校しても、何も違和感がなくなっていた。
彼女もクリスに涙を浮かべて感謝していた。
クリスは謙遜していたけど、最初に髪を切って学院に登校するなんて、誰にでも真似できる行為じゃない。
その勇気を分かっているから、クリスを慕い、その敬意を表すために君にならってベナルサス様やアルメリア様たちは髪を切ったんだろう。
マクリーナ王女の処分は、学院の帰りの馬車で会ったウィルフレッド様から話を聞いた。
「王女は学院を一年間体調不良で休学することになった。表向きはな。本当の理由は被害者への配慮だ。王女と同学年だったので、一年ずらすことになった」
彼は続けて説明してくれた。
王女の周囲にいた者たちが、誰一人として彼女を注意しなかったことを陛下は問題視したらしい。陛下は今まで王女の素行について、クリス以外から何も指摘されたこともなく、ずっと報告もせず隠していたことも問題とした。
そのため、王女の教育係を一新して改心を試みることにしたようだ。
暴行したとはいえ、髪を切っただけ。しかも髪はいずれ伸びて元通りになる。
陛下から相手にお詫びもあったようで、相手は示談に応じたようだ。
「廃嫡も考えて悩まれたようだが、その影響は大きい。だから、今回は再教育に望みをかけたようだ」
ウィルフレッド様はそう話していた。
王女の素行の問題だと、親である陛下の評価にも影響が出てしまう。
我が家の一大事だったクリスの養女の話についても、教えてくれた。
「陛下はクリステル嬢の養女迎え入れを先送りにすることにした。どうやら実子を優先されたという指摘が、思いのほか陛下の心に響いたらしい。あとでお主に感謝していたぞ。だから、髪が伸びるまでは待つと仰せだ」
今回の騒動のおかげか、だいぶこちらに譲歩してくれたようだ。
ウィルフレッド様の言葉にクリスはにこりと笑った。
「もしかしたら、伸びが悪くて、かなりお待たせしてしまうかもしれませんね」
クリスは髪に小細工をする気満々だ。
それを聞いてウィルフレッド様は苦笑して肩をすくめていた。
そんな言い分がいつまで通用するんだろう。
まだクリスが幼いから笑って済まされるけど、今でさえ可愛らしい少女が成長して美しい女性になったら、何人もの求婚者がこれから現れるかもしれない。
クリス自身は気づいていないけど、君の魅力でどんどん信奉者たちが増えている。
クリスの言動にはいつもびっくりさせられるけど、今回みたいに思いもよらない結末になって目が離せない。
王女に止めを刺した魔法具だって、呪われたドレスのときにアルメリア様を身を挺して守ったお礼だと思うし、その事実を彼女にあのとき伝えたのは王子だ。
王子から信頼と友好を得ていなければ、彼はあのとき黙っていてわざわざ伝えなかっただろう。
ベナルサス様がすぐに誤解を解いてくれたのも、クリスの純真な性格と今まで培った信頼のおかげだ。
ウィルフレッド様が陛下に口添えして面会する機会を設けてくださったのも、クリスが彼の関心を得て友誼を深めたからだ。
誰がいつクリスに求婚してもおかしくない。でも、僕はそれを指を咥えて眺めることしかできない。
血が繋がっていなくても、僕とクリスは兄妹だから。
あの日の夜、僕は父上に尋ねたんだ。
「父上、正直なところ、教えてほしいんです。僕は父上と母上の本当の子どもなんでしょうか?」
父上は僕の言葉にショックを受けたように驚いた顔をしていた。
かなり沈黙して逡巡していた。だから、僕は追い打ちをかけるように言ったんだ。
「好きなんです。僕は、クリスのことが」
父上は複雑な気持ちだったのだろう。悲しそうに深く眉間に皺を刻んでいた。
でも、それを伝えたおかげか、父上はようやく口を開いてくれた。
「其方は私の息子だ。たとえ、血のつながりはなくとも」
父上は正直に話してくれた。橋の下で捨てられて泣いていた赤子の僕を実子として国に届け出たことを。
「あの日、ミシアは子を死産して打ちひしがれていた。何度も子が流れてやっと授かっても産まれず、ミシアは自分と結婚したせいで私に子が授からぬと追い詰められて離縁するか愛人を持って欲しいと泣いていた。ミシアを愛していたけど、私といることでこんなに苦しめるなら、別れたほうが彼女のためなのかと思い始めていた。そんなとき、橋の下で其方を拾ったのだ。はじめはこんな人気のない夜だったから、死んだり野犬にでも襲われたりしたら大変だと拾っただけだったが、ミシアが予想外に喜んでな。神殿に渡さず私たちの子として迎えいれることにしたんだ。子を産まねばと悩んでいたミシアは、それから重荷がなくなったように笑顔が戻り、それだけではなく、クリスまでも授かることができた。私たち夫婦は其方のおかげで救われたんだ」
僕を養子ではなく、実子として認めてくれたことは、何があっても受け入れるという両親の強い決意と愛情だった。
父上は僕のために泣いていた。
「だから、すまない。戸籍上、実の兄妹では、其方の想いは決して叶わない」
僕は恵まれている。
貴族の子として、十分な衣食と教育を与えられ、優しい両親に育てられた。
本当は橋の下で野犬に襲われたか、飢え死にしたかもしれないのに。
「分かりました、父上」
だから、僕は決めたんだ。
育ててくれた両親のため。そして、自分自身のために。
クリスを愛し守ってくれる相手が見つかるまで、僕の全てをクリスに捧げると。
だから、それまではクリスを想う自分を許すことにした。
クリスの幸せな姿を見たら、きっと諦めがつくだろうと思ったから。
「お兄様、ありがとうございました」
考え込んでいたら、いつの間にかクリスの教室に辿りついていた。
いけない。護衛中なのに注意力が散漫だった。
気をつけないと。
「あ、ああ。頑張ってね」
「うふふ、珍しいですわね。お兄様がぼんやりされているなんて」
生返事だったから、僕が呆けていたことに気付かれてしまったらしい。
クリスは綺麗な青い瞳を細めて笑う。
赤い果実のような瑞々しい唇が、弧を描いていた。
淡い金色の髪先が、可愛らしく彼女の首元で揺れている。お世辞ではなく似合っていた。
からかわれたままで別れるのも嫌だったので、ついいたずら心が顔を出す。
クリスの顎をクイっとつかんで持ち上げ、無防備になった頬に軽く口づけを落とす。
「お、お兄様!」
最近、何をしても恥ずかしそうに頬を染めるクリスが可愛くて、ますますちょっかいをかけてしまう。
「じゃあね」
逃げるようにクリスから離れていく。
「もー、お兄様ったら」
可愛らしくまんざらでもない声が聞こえて、思わず口元が緩んだ。
心が浮き足立ち、どんどん気持ちが溢れていく。
この恋が決して叶わなくても。
身を焦がれるような想いを胸に抱えながら、僕は自分の教室に急いで向かっていった。
第六章が終わりました。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
次回から第七章になります。魔王が出る予定です。
現在執筆中なので、第七章の最後まで書き終わったら投稿を再開したいと思います。のんびりお待ちいただけると嬉しいです。




