悪女の勉強
『アルトフォードは可哀想ですわね。こんな場所を利用しなくてはならないなんて。下級貴族は庶民と同じレベルなのですね』
突然王女の声が聞こえると、みんな目を見開いてびっくりしていた。
当の本人を一斉に見つめるが、王女は自分が話したのではないと、首を慌てて振って否定する。
どこから聞こえるのかと、みんなきょろきょろと辺りを見渡す。
『まぁ、マクリーナ様。会いに来てくださって嬉しいです』
『空いている席にお座りになられては?』
続いて聞こえてきたわたしの声。
みんな、わたしを一斉に見た。
『マクリーナ様にそのような汚い席を勧めるなんて、失礼ですわ』
『そうよ』
『まぁ、私が座るにはあまり相応しくないですわね』
保存された音声が流れ続ける。わたしの手の中にある魔法具から。
アルメリア様からもらったもの。前世でも見かけたことがあるボイスレコーダーだ。
これがあれば、何度でも声を再生できるのよ。
『聖女といえども、所詮あなたは下級貴族。公爵家のアルメリア様とは違うわ。ちょっと魔物に襲われて学院長に気に入られるなんて、どんな媚をお売りになったのかしら』
『マクリーナ様は王女様なの。次期女王よ。不敬は許されないわ!』
『次期女王のマクリーナ様は、印璽に触れる許しまで得たそうよ。逆らうなんてありえないわ!』
この音声を聞きながら、みんな王女を見つめている。
先ほどとは違い、同情ではない疑いの目つきで。
『もし、わたくしがマクリーナ様に背いたら、先日のお茶会の招待客のように神の罰が落ちるんでしょうか?』
『ふふ。あなたも気を付けられたら? 神の罰が落ちないように』
この王女の一言を聞いて、みんな彼女を非難するように見つめた。
王女は凍ったように硬直したままだ。
わたしはここで一旦停止ボタンを押して、再生を中断した。
悪女の勉強をしようと王女との会話をこっそり録音していたけど、まさかこんなところで役に立つとは思いもしなかった。
隠し録りだから証拠として使うことに躊躇があったけど、王女の先ほどの勝ち誇った顔を見たら罪悪感がすっかりなくなった。
反省の色が一つも見えないなら、こっちも遠慮はいらないよね。
「陛下、これは声を録音する魔法具です。学院のテラスでの会話ですけど、何か行き違いが起きるような会話だったでしょうか?」
わたしが陛下を見据えながら尋ねると、彼は王女を憔悴した顔で見つめていた。
「……其方、余を謀ったのか」
「ち、違います! これはほとんど友人が申したのです!」
「痴れ者め! 止めもしないでぬけぬけと! 其方が言わせたのだろう!」
陛下は痛そうに額に手を当てていた。
「暴漢に襲われた女子学生からも話を聞くことにする。其方への処罰は、もう指導や注意では済まないぞ」
「お待ちください、陛下!」
王女が陛下の机の前に素早く移動すると、床に膝をついて平伏する。
「私が調子に乗っていたところがあったかもしれませんが、私は暴行に関与していません! お茶会の帰りに彼女が襲われたのは偶然でございます!」
信じてくださいませ。そう必死に言い募る王女の様子は、良心を激しく揺さぶる真摯なものだった。
美しい双眸には涙が止めどなく溢れ、いわれのない罪に苦しんでいるように見える。
まぁ、わたしは全然信じる気ないけどね。
ツカツカと素早く移動して王女の側に立った。
「あら、マクリーナ王女。ご自分の潔白を証明する良い方法があるではないですか。神に誓いを立てればいいんです」
わたしの提案に王女はギョッとしたような顔をして振り返った。
彼女は膝をついたままわたしを悲痛な顔で見上げる。
「なぜ私がそんな罪人のような扱いを受けなくてはならないのです! 私は暴行には関与していないのに。もし、本当に私が無実なら、あなたどう責任をとってくださるの!?」
「そうですね。無責任に王女に神への誓いを勧めるのも失礼ですよね。それならば、わたくしも何か代償を払いましょう。ソウビ」
「ハイ、マスター」
わたしの手首にいるソウビが返事をする。白いブレスレットが少し動いた気がした。
わたしは自分の長い髪を両手で束ねる。
「この髪を手前から切り落としてちょうだい」
「ハイ、マスター」
ソウビの動きは速かった。髪から衝撃が伝わったと思ったら、あっという間に頭が軽くなった。
周囲から息をのむ音が聞こえた気がした。
わたしの手には切れた髪の束が残っている。短くなった髪先がわたしの肩に当たって、本当に切れたんだと実感した。
「クリス!」
お兄様が悲痛な声を上げて、わたしの側に駆けつけようとしたが、お父様に力づくで止められていた。
お兄様以外は誰も間に入る者はいなかった。みんなわたしの一挙一動を息を凝らして見守っている。
「王女、これがあなたに宣誓を願う代償です」
わたしは金髪の束を座ったままの王女に向かって差し出した。
「さあ、すぐに身の潔白を神に誓ってください! 愛の女神なら、もし嘘を言っても殺さずに済ませてくれるでしょう。赤子に戻るかもしれませんが」
フフフと薄く笑うと、王女の顔は怯えたように恐怖で引きつる。
「そ、そんなことする必要ないわ! 陛下、どうかクリステル嬢の乱心をお止めください!」
王女はわたしと話しても埒があかないと思ったのか、陛下に頭を下げて願い出ていた。
わたしが静かに見守る中、彼はしばらく自分の娘を見つめていたが、チラリとわたしを見て眉をひそめると、再び王女に視線を戻した。
「其方が疑われるのは、其方の振る舞いのせいだ。クリステル嬢は大事な髪まで切ったのだ。マクリーナ、神に誓って身の潔白を証明せよ」
「陛下!」
王女の口から悲鳴が漏れる。絶望が美しい顔に広がっていく。
落胆したように首を下げて、床に手をついて突っ伏した。
彼女は肩を震わせて、ただ泣いていた。
「マクリーナ、早くせよ」
陛下が宣誓を催促するが、マクリーナはうつむいたまま首を駄々をこねるように首を振る。
「……お許しください、陛下」
「何をだ」
「……神への誓いでございます」
「それは、其方が暴行に関与していると認めることになるが、本当に良いのか?」
王女は無言だった。それが彼女の答えだった。
周囲がそう悟った直後だ。
「マクリーナを捕えよ」
陛下のその命が下った途端、周囲の空気が剣呑なものに変わる。
「お前のせいよ! お前さえいなければ!」
王女がいきなり叫んだと思ったら、ものすごい勢いで立ち上がり、わたしに向かってきた。その彼女の振り上げた手元に何か光るものが見えた気がした。
「クリス!」
お兄様の呼び声が聞こえた瞬間、衝撃がわたしにまで伝わってきた。
焼けるような音が目の前から聞こえる。
目の前には白い金網のような盾。
ソウビが変形したおかげで、王女の攻撃はわたしにまで届かなかった。
わたしの手首にいたソウビの白い体から振動が伝わってきたから、かなりの威力だったのだろう。
王女は愕然とした表情をしていた。渾身の一撃だったのかもしれない。
「王女が聖女を攻撃したぞ!」
周囲は騒然として、王女を犯罪者のように取り押さえる。
王女はわたし以外には特に抵抗を見せなかった。そのまま大人しく連行されて行き、この部屋からいなくなった。
陛下を見つめると、彼はずっと椅子に座ったままだった。
「マクリーナの不始末、親として詫びよう。大変申し訳なかった。決まりに従い、処罰したいと思う。まだ聞いていなかった話があったが、このようなありさまだ。日を改めてほしい」
陛下はこの一瞬の出来事だけで、かなり心労が重なったのか、疲れ切った顔をしていた。
わたしたちは陛下に黙礼して、すぐに城から下がった。




