王女の企み
城に帰ったマクリーナ王女はかつてないほど苛立っていた。
今日ヴュンガの練習で起こった出来事が思い出されて、なかなか苛々が治まらない。
部屋の中の小物を壁に向かって投げつけると、側に控えていた侍女が怯えて肩を震わせた。
その態度すら腹立たしく感じる。
「出て行きなさい! 首よ!」
いるだけで不快な存在などいらなかった。
だが、こうして気に入らない者を排除していった結果、王女を恐れて諫める者すらいなくなったことを当の本人は知らない。
王女は鼻息を荒くしながらソファに座り込んだ。
「あらあら、どうされましたか。マクリーナ様」
退室した侍女に代わって入ってきたのは、幼い頃から王女に仕えている乳母だ。
「フスナフ夫人、聞いてちょうだい。ひどいことがあったの」
リフォード卿が聖騎士の兜をみんなの前でバラしてしまった。そのせいで、王女は責められるような視線に晒されてしまった。
卿が言わなければ、王女はチームを勝利に導いた選手として称賛されて終わるはずだった。
王女の愚痴をフスナフ夫人は、うんうんと相槌をうって聞いていた。
そのおかげで、王女の機嫌は少し良くなっていた。
フスナフ夫人は長年王女に仕えているだけあり、彼女の性格を熟知していた。
うっかりご機嫌を損ねて辞めさせられないように。
「リフォード家の連中は、恥知らずばかりね。息子は私の護衛に取り立ててあげると言っているのに断るし、娘は聖女の力を乱用して勝手に学生を治してチヤホヤされてやりたい放題。所詮貴族と言っても男爵だものね。何もわかっていない」
「まぁ、次期女王のマクリーナ様を立てないとは、どういうおつもりでしょうね。何か良からぬことを企んでいるのでは?」
「そうかもしれないわね。だから、私が何か手を打たなくては」
マクリーナは王女で次期女王だ。誰よりも優れていて、上にいなくてはならない。軽んじられたままなんてありえない。
側にいる配下たちも、優秀な者たちでなければならない。
だから、眉目秀麗で成績も優秀なアルトフォードに目をつけ、気にかけてやったのに、当の本人は王女への感謝を忘れて非礼な振る舞いばかりだ。
王女の勧誘を何度も断るなんて、無礼千万。断じて許し難い。
だから、思い知らせてやらなければならない。
「でも、どうすればいいのかしら」
「陛下にお願いすればよいのでは? マクリーナ様の願いなら聞き届けてくれるでしょう」
「そうね。お忙しいところ申し訳ないけどお願いしてみるわ」
フスナフ夫人に頼んで羊皮紙とペンの用意を頼み、書状を用意する。
それから王女はフスナフ夫人を連れて陛下がいる執務室へ向かう。
ところが、部屋に鍵がかかっていて不在のようだった。
「いないみたいね」
「残念でしたね。ご足労をかけますが戻りましょうか」
「いいえ。大丈夫よ」
王女はにやりとほくそ笑んだ。
扉の取っ手に魔力を流すと、カチリと金具が鳴った。
「ここの扉も私の魔力が登録されているのよ」
陛下の執務室にこっそりと入り、勝手知ったる様子で引き出しも魔力で開錠して迷いなく探し物を取り出した。
王女の手には印璽があった。
「大丈夫なのですか?」
フスナフ夫人が不安そうに尋ねてくる。
「ええ」
印璽は許可なく使えないと説明されていたが、黙っていれば絶対にばれないと思った。
陛下のご命令に異議を唱えるなんて、国に逆らうようなものだ。そんな非常識な人間がいるはずもない。
だから、この陛下の印璽が押された命令の書状を渡せば、あの生意気なリフォード家の者たちもやっと王女に従うだろう。
「陛下が私のお願いを却下するはずもないでしょう? だから、陛下のお手を煩わせないで、私が代わりに捺印すればいいのです」
にやりと王女が笑うと、フスナフ夫人も合点して薄く笑みを浮かべた。
聖騎士の兜も「万が一顔に傷でもついたら怖いから貸してほしい」と陛下に訴えたら了解してもらえた。
だから、護衛の件も「次期女王として優秀な人材を傍に置きたい」と訴えれば、陛下も納得してくれるはずだ。
聖女なんて政治に全く関わらないのだから、王女の意見が優先されるべきだ。
そう王女は疑いもなく考えていた。
§
次の日、勤めを終えて帰宅してきたお父様が、とても困った顔をしていた。
お兄様まで呼ばれて、居間で葬式のような暗さでお父様がソファに座って話し始める。
わたしたち兄妹は、立ったままお父様を息を凝らして見つめていた。
「陛下から下知があった。王女から直々に書状を渡されたぞ」
お父様が手にしている書状には、封蝋がされていた。そこには陛下だけが使える印璽が押されている。
「護衛の件だ。アルトフォードを王女の護衛見習いに任命すると」
それを聞いた瞬間、お兄様の表情が驚愕で引きつっていた。
それから苦渋を浮かべて、俯いて拳をきつく握りしめたので、わたしは思わずお兄様の腕にしがみついていた。
「そんな……! こちらの都合を無視してひどいですわ!」
お父様はわたしたちの目の前で書状を開封した。
確かにお兄様を王女の護衛に命ずると書かれている。国王の印璽まで押されている。
一週間の猶予は与えられていたが、突然の命令にめまいを覚えそうだった。
ついに王女は陛下の許可を得ていた。
「まさか、陛下までも王女のわがままを認めるとは思わなかった。そこまで道理のわからない方ではないと思っていたのに残念だ」
ソファに座るお父様の肩ががっくりと下がっている。
「次期女王の意見が、そこまで通るんですね」
陛下は兜の許可を許していたし、王女をそこまで溺愛しているのだろうか。
お父様同様にわたしも呆れ果ててがっかりしていた。
「こんな方が次期女王だなんて、不安でしかない。クリスがレリティール王子と結婚できればよいのだが」
お父様の言葉に驚いて、思わず目を剥いた。
「どうして、そんな話になるんですか? 王子とは結婚したくありません」
アルメリア様が泣いちゃう!
「では、誰ならよいのだ?」
お父様が急に真剣に尋ねてくるから、わたしは戸惑って回答に窮した。
「誰って……」
そんな相手はいない。
ずっとこのまま家族に囲まれて暮らしていければいい。
願いは、ただそれだけだったのに。
返答に困ってしまって、思わず隣にいたお兄様の顔を見上げた。
すると、何かを我慢するように辛そうなお兄様がそこにいた。
唇を噛み締めて、わたしをじっと見つめている。
その思い詰めた表情を見て、息が止まる。
急に落ち着かなくなる。
胸の鼓動がかすかに乱れる。
「お兄様……?」
動揺して思わず呼びかけたら、お兄様の目がことさら大きく見開いた。
そのとき、お父様の咳払いが聞こえて、話の途中だったことを思い出した。
「私が王子との結婚を勧めたのは、其方の立場なら女王の無茶を止められると思ったからだ。陛下の養女になった聖女を不敬だと言って排斥しづらいだろう……。国が女神の御使いだと正式に認めたようなものだからな」
「確かに、そのとおりですが……」
「なんだ?」
わたしは一旦言葉を止めると、覚悟を決めてお父様の青い目を見つめ返した。
わたしの小さな胸の内には、激しい怒りの炎が燃えあがっていた。
「そんな女王の尻拭いの人生なんて嫌ですわ。別に陛下の養女になる必要も、結婚する必要もありません」
だって、わたしは悪女を目指しているんですもの!
それにお兄様をみすみす奪われるわけにはいかない。
お母様とだって、離れたくない。
「陛下に文句を言いに行きます。こんな王女のわがままをとおすなんてダメです」
「陛下に意見するだと!?」
「だって、わたくしを養女にと求めながら文句すら聞いてもらえないなら、そもそも話にすらならないです」
「だが、そのような振る舞いは……」
別に聖女として評価される必要は全然ないから、傍若無人でも構わない。むしろ、わたしには陛下の養女は無理って思ってくれれば好都合だ。
「お兄様はおっしゃっておりました。王族と言えども当家の護衛に口出しされるいわれはないと。これは何か根拠があってのことですよね? お兄様」
お兄様は呆然としていたけど、いきなり話題を振られた直後、スイッチが入ったようにアメジストの瞳にみるみる力が戻る。
いつものように凛々しい眼差しで、わたしを見つめ返した。
「そうだよ。貴族は自分の領地や、家人の采配に対して権限を持っている。しかも、クリスは聖女だから護衛は必要だと国で定められている。だから、護衛として僕が適任だとお父様が判断して選出し、騎士団長はそれを許可して任命したんだ。——そうだよ。護衛の管轄は騎士団だし、そんな決定が二転三転するようなことは通常ならしないはずだ。父上、その書状を見せてもらってもいいでしょうか」
わたしの護衛として騎士団長であるウィルフレッド様がたまに来るのも、あの方が権限を持っているからだ。
お兄様はお父様から書状を受けとると、その筆跡をじっと観察し始めた。
「もしかして、これは王女の字かもしれない。父上は陛下の筆跡を覚えていますか?」
お父様はお兄様に問われると、書状を覗き込んで改めて確認する。
「そういえば、確かに違うな。このように繊細な文字ではない」
「じゃあ、これは王女が書いたものだとすると、印璽も怪しいかもしれない」
「お兄様、どういうことですか?」
「王女は印璽に触れることができる。もしかしたら、勝手に使って押したのかもしれない」
お兄様の説明を聞いて、わたしは思い出した。
王女たちがわたしを脅すときにそのことを口にしていたことを。
「陛下の許可なく使用してもいいんですか?」
わたしが念のために尋ねると、お父様は「ありえない」と首を振って即答した。
「陛下が危篤時でも、宰相や他の長たちの許可が下りないと使用は認められない。持ち主である陛下が王女の魔力を登録していないと、いざというときに印璽が使用できないから、あらかじめ登録してあるだけだ」
「じゃあ、念のため、陛下に確認してみたほうが良いのでは?」
「だが、陛下の下知に反論するなど、不敬だけではなく反逆と言われるような行為だぞ?」
お父様の表情が険しい。常識のある貴族なら、陛下の命令に意見することなど、ありえないのだろう。
でも、わたしは大切なものを守るため、手段は選ばないと決意しているの。
たとえ、悪の道に進んだとしても。
「お父様、わたくしの名前で面会を申し出てください。わたくし、それだけ覚悟をしております」
言葉と同様にわたしは真剣な顔つきでお父様を見つめる。
しばらくお父様は思い悩み、葛藤していたようだが、わたしの揺らぎない決意を分かってくれたのか、深いため息とともにうなずいた。
「分かった。明日の放課後に面会できるように願いを出してみよう」
怪しかった雲行きが、お兄様の機転のおかげで解決の糸口が見えた。
さぁ、これから悪女として頑張らないと!
陛下が会ってくれるといいな。




