誤解の解消
血の気が引いた瞬間、わたしはマシロをすぐさま呼び出していた。
「マシロ、ベナルサス様をこっちに連れてきて! 急いで!」
「ワカッタ」
マシロならベナルサス様と何度か会ったことがあるから、彼のことは知っていた。
命令した直後、マシロは迷いなく彼のほうへ弾丸のように突撃した。
「うわ!」
ベナルサス様はいきなり現れたマシロに驚き、足を止めていた。そんな彼にマシロはじゃれついて、上着の裾に噛みついて指示どおりにわたしのもとへ連れてくる。
「クリステル様、眷属を私にけしかけるなんてひどいですよ」
引っ張られてやってきたベナルサス様は、とても苛立った顔をしていた。
「そうだよ、クリス。彼を驚かしたらダメだろう」
ベナルサス様の非難の目をわたしは咎めるように見つめ返す。
お父様もわたしの突然の行動を理解できず、呆れながらも叱ってきた。
「もちろんベナルサス様を止めるつもりだったのです。何をするつもりだったんですか?」
視線をベナルサス様の手元に向けると、彼はばつの悪そうな顔をして、ナイフを見えないように隠した。
お父様はそれを見て、驚きながら息をのんだ。ようやくわたしの意図に気づいたらしい。
「別に、なんでもありません……。クリステル様には関係ないことです」
ベナルサス様の頑なな態度を見て、彼がお兄様と王女の仲を誤解していることを思い出した。
「あの、ベナルサス様。お兄様は王女とは懇意にしていないそうです。誤解だと言ってました」
「え? それはどういうことですか? 二年連続でパートナーでしたよね?」
彼は目を見開いてわたしを見下ろす。
「断っても諦めてくださらなかったようです。相手の身分もありましたので、揉め事になるのを避けるためにお兄様は引き受けたようですよ」
「……そうだったんですね」
彼はすぐにばつの悪そうな表情を浮かべる。
「噂を鵜呑みにしてしまって、申し訳なかったです。こんなことなら本人にきちんと確認すれば良かった」
どうやら信じてくれたようだ。それどころか、とても悔やんで辛そうな顔をしていた。
「そんなところでどうしたの?」
ちょうど良いタイミングでお兄様のほうから近づいてくれた。
「お兄様! ベナルサス様と仲直りできましたわ!」
「そっか。クリスありがとう」
にこにこと微笑むお兄様に向かってベナルサス様が深く頭を下げていた。
「アルトフォード様、誤解して申し訳なかったです」
「いや、誤解が解けたらいいんだ」
お兄様は顔を上げるベナルサス様ににっこり笑いかける。
「でも、ベナルサス様。一体何があったんですか? わたくしたちはベナルサス様の敵ではありません。だから、ベナルサス様が抱えている問題を教えていただけませんか? 何か力になれると思うんです」
彼は少し迷ったみたいだけど、誤解していた負い目があったのか、「実は……」と話し始めてくれた。
「従姉のリリアン様が王女のお茶会に参加した帰りに暴漢によって髪を切られたんです」
「まぁ! あの噂の被害者は、ベナルサス様の従姉だったんですか」
びっくりしていると、隣にいたお兄様もお父様も「それはひどい話だ」と顔をしかめてとても同情していた。
「クリステル様の耳にも入っていたんですね。あの女、本当にひどいです……」
「ええ、ネックレスを王女が褒めたとき、相手が強請られたと難癖をつけてきたから神の罰が落ちたらしいと噂になってましたけど、実際のところどうだったんですか?」
「そんなことありません!」
ベナルサス様は語気を荒くして説明してくれた。
実際は、王女のほうが魔石のネックレスを譲れと言ってきたらしい。王女である自分のほうが持ち主として相応しいと。だが、従姉は断ったが、帰りに暴漢に襲われて髪を切られたそうだ。
「リリアン様は髪を切られたせいで、傷物になったと婚約破棄までされたんです。彼女はショックのあまり、部屋に閉じこもって出てこなくなりました。ひどいありさまです。あんな髪では学院にも来られないと、ずっと泣いています」
そう説明するベナルサス様まで、死にそうな顔をしていた。
「だから、復讐しようとしたんですか?」
「ええ、王女の髪を同じように切ろうと思いました」
ベナルサス様の顔が憎しみで激しく歪んでいた。
「リリアン様とは幼い頃からの付き合いで大事に思っていたんです。だから、王女が許せませんでした」
「でも、状況的に王女が犯人だと疑わしいですが、残念ですが王女がやったという証拠はないですよね? しかも、ベナルサス様が王女を傷つけて捕まったら、もっと従姉は悲しむと思いますよ。辛い気持ちは分かりますが、早まってはいけないと思います」
わたしの説得にベナルサス様は泣きそうなほど深い悲しみに沈んでいた。
「実はわたくしたちも現在王女に護衛を譲れと迫られているんです」
「クリステル様もですか。まさかリリアン様と同じような目に遭っていたとは。それなのに誤解とはいえ恨んでしまって本当に申し訳なかったです」
「いいえ、すぐに仲直りできて良かったですわ。これからも護衛をお願いできますか?」
「もちろんですとも」
ベナルサス様は胸に手を当てて、頼もしく応えてくれた。
一時はどうなるかと思ったけど、これで一つ問題が解決して一安心だ。
「ところで、アルトフォード様。その手はどうしたんですか?」
「ああ、さっき剣を破壊されたときにちょっと」
ベナルサス様の声が気になり、お兄様の手元をすぐに見た。すると、籠手が取れたお兄様の右手に包帯が巻かれていた。
お兄様が心配で仕方がなくなる。怪我したことに全然気づかなかった。
王女の無茶ぶりのせいで、お兄様が怪我をしてしまったみたい。
「わたくし、治しますわ!」
「ちょっと待って!」
祈ろうとして両手を握った瞬間、お兄様によって制止された。
「クリスは全体魔法をかけるから、どうせなら他の人も治してもらおうと思って」
「なるほど。お兄様さすがですわ」
「僕じゃなくてクリスがすごいんだよ」
お兄様は苦笑しながら学生たちに声を掛けに行った。
怪我した人が周りに集まったあと、わたしは両手を合わせて祈りのポーズをとり、回復の聖魔法を唱える。
「集え、聖なる力よ。癒しの風を呼びたまえ。安らぎを与えたまえ」
以前のように光の球体が空中に発生し、スプリンクラーのように回転しながら選手たちに癒しのシャワーを降らせる。
「すごい! あっという間に傷が治ったよ!」
「さすが聖女だ!」
「ありがとうございます!」
みんなに囲まれてお礼を言われて恐縮していると、「なんの騒ぎ?」と咎めるような女子の声が聞こえた。そのせいで、みんな一斉に静まり返った。
声の主を見れば、仏頂面の王女だった。彼女が近づいてきてわたしを見下ろす。
「聖女の力を軽々しく使ってはなりません。タダで奉仕すれば、次から次へと浅ましい連中によって際限なく利用されてしまいますよ? リフォード卿も見ていてなぜ止めなかったのです?」
お父様はすぐさま王女に頭を下げる。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。娘は兄の怪我を治そうとしただけでございます」
それを聞いて王女は、白銀色の細い眉をひそめた。
「兄の怪我だけではないでしょう。こんなにも沢山の怪我人を治しておいて。そんなに聖女として功績を上げたいのですか?」
「実はクリスは魔力の制御が未熟なので、全体魔法しか使えないのです。そのため、兄を治すついでで良ければと、お誘いしただけなのです」
お父様のお話を聞いて学生たちは、そのとおりだとみんな相槌をうっている。
学生の中には、王女をきつく睨んでいる者もいた。
王女の乱暴な一撃で、お兄様のように怪我したのかもしれない。
「ところで、マクリーナ様。ゲームで使われた兜は城で保管されていた聖騎士の鎧のものでは? 国王陛下はこのことをご存知なのでしょうか?」
お父様の質問を聞いて、周囲にいた学生たちの顔色が変わった。
あの王女の活躍が、装備のおかげだと知らなかったようだ。
「当たり前でしょう。勝手に持ち出すなんてありえませんわ」
平然と王女は答えた。
その余裕ぶりを見ると、本当に陛下から許可をもらってきたようだった。
「そうですか。それなら私がこれ以上口出しすることではありませんな」
お父様はおずおずと引き下がった。ところが、お兄様が「そんなことはございません、父上」と発言してきた。
「陛下にマクリーナ様が学生たちの武器を一人で破壊し尽くして圧勝していたとご報告されてはいかがでしょうか。さぞかし陛下もお喜びになると存じます」
それを聞くや否や、王女の顔色が変わった。明らかに不快そうだった。
王女はお兄様とお父様の双方を交互に睨みつけるように見据える。
「……勝手にすればいいでしょう。でも、その結果、卿に対する私の心証がどうなるのか、よくよくお考えくださいませ」
王女は低い声で厭味ったらしく言い捨てると、用済みと言わんばかりに去っていった。
「お兄様、なぜ王女は不機嫌になられたんですか?」
「多分だけど、怪我を防ぐ口実で陛下は兜の使用を許可したと思ったんだ。あんな風に一人勝ちするために使っては不公平だろう? だから、カマをかけてみたんだけど、あの反応を見る限りでは、当たりだったみたいだね」
「まぁ! お兄様すごいですわ」
「言われっぱなしでは癪だからね」
お兄様は肩をすくめながら苦笑した。
わたしのために言い返してくれたお兄様がとても心強く感じた。
「それにしても、クリスが誰と来ると思えば、父上とだったんだね。他の人は誘わなかったの?」
「ええ。だって、お兄様の応援ですもの。やっぱり家族と一緒のほうがいいですわ」
という理由もあるけど、攻略キャラを誘えなかったことはさすがに言えなかった。
「そっか」
お兄様は涼しげな目元をスッと細めて、とても嬉しそうに笑う。ちょうど日の光が明るく差して、紫の瞳が美しく輝いた気がした。




