養女の命令
いつものように帰るため、お兄様と一緒に馬車乗り場へ向かう。
「ベナルサス様とお会いできましたか?」
「いいや。でも、手紙の返事は来たから、連絡は取れている。辞任の件も、代わりが見つかるまでは待ってくれるようだ」
わたしたちのリフォード家の家紋をつけた馬車を見つけて乗り込む。
すると、護衛騎士にウィルフレッド様が来ていた。
相変わらずの美丈夫の表情が、なぜか今日は暗かった。
彼も何か深刻な問題を抱えているような気がした。
「ウィルフレッド様、どうされたんですか?」
直球でわたしが尋ねると、「そちらこそ暗い顔をしているな。何かあったのか」と逆に心配された。
「実は……」
わたしが事情を説明しようとしたら、お兄様にすぐさま止められた。
「ご心配ありがとうございます。実は、まず父上に相談すべき案件なのです」
お兄様が陰りのある表情で、的確に答えていた。
報告にも順序があるんだね。さすがお兄様、よく分かっているわ。ついうっかり話しそうになるわたしとは大違いだ。
「そうか」
ウィルフレッド様は、お兄様の説明に不満なく納得していた。
馬車が走り出す中、今度はウィルフレッド様が「実は、」と単刀直入で問題を話し出した。
「陛下がクリステル嬢を養女に望んでいるのだ」
「え、わたくしを?」
「クリスを養女にですか?」
びっくりするわたしたちの顔を見つめながら、ウィルフレッド様は真剣な顔でうなずく。
「改めて陛下から話があるだろう。恐らく、披露する時期は一ヶ月後。ちょうど国王の誕生会が開催される。そのときが、一番可能性が高い」
「一ヶ月後。なぜ、そんなに急な話になるんですか? 今まで、そんな素振りもなかったのに」
尋ねてから気づいた。
自分の手首にはまっているブレスレットを。
「もしかして、初代聖女が使っていた呪われたドレスをわたしが浄化したからですか?」
ウィルフレッド様は黙ってうなずいた。
「大変ありがたい話ですが、まだクリスは学院生活に慣れていないのに、生活環境まで変わっては負担が大きすぎます。そうでなくても、クリスは魔力が膨大でまだ体に負担が来ている状態です。その点は、ウィルフレッド様もご存知のはずでしょう」
「うむ、私もそれは急ぐべきではないと、進言したとも。だが、陛下は受け入れて下さらなかった。実家まで近いのだから、いつでも家族に会えると返された。城でも完璧にお世話できるとも言われた。すまない。力になれなくて」
ウィルフレッド様もわたしを気遣って養女の件は歓迎していなかったようだ。
だから、あんなにも深刻な顔をしていたんだ。
「ウィルフレッド様、ありがとうございます。わたくしたちの気持ちを代弁してくださって。——でも、実はもう一つ、気がかりがあるんです」
「それはなんだ?」
「お母様のことです。お母様の体調が悪いとはいえ、辛うじて維持されているのは、わたくしの力もあるかもしれません。それなのに、お母様から離れたら、悪くなるかもしれません。もし、そうなったら、わたしは――陛下を恨まずにはいられません」
「クリス」
不敬を咎めるお兄様の声が聞こえるが、こればかりは譲れない。
なにせ、わたしが家を出たら、お母様は死亡していた。
お母様と離れるのは、とても危険だ。
「だから、お母様から離れて暮らすのは反対です」
「分かった。その点も配慮しよう」
ウィルフレッド様はそう言ってくれたけど、陛下が了承してくれるかどうか不安でたまらない。
「心配なのは分かるが、陛下の決定には従ってもらうしかない。クリステル嬢、お主の功績は大きく、結果的に目立ってしまったんだ。お主と接点を持とうと、色んな貴族がリフォード卿に声を掛けていたぞ。招待状もたくさん届いているのではないか? 貴族は情報社会だ。あっという間に先日のお主の活躍は広まっているぞ」
「そうだったんですね……。それは知りませんでした」
お父様は良くも悪くも根っからの筋肉男だ。
社交辞令があまり得意ではないのに、社交の場に立たされていると思うと、かなり申し訳なくなった。
家に帰宅してからは、自室にこもっていた。
頭から養女の話が離れなくて、学院の復習しなくてはと思うけど、全く集中できなかった。
この家で過ごせる時間があとわずかだと思うと、涙が出そうになって、堪らなくなる。
一人で抱えるのが辛すぎて、お兄様の部屋に向かおうと立ち上がったときだ。
ノック音がしたので、ドアを開けると、会いたかったお兄様がいた。心配そうにわたしを見下ろすきれいな紫の瞳を見た瞬間、気持ちが一気に溢れてしまう。
「お兄様!」
いきなり抱き着いて泣き出しても、お兄様は予想していたみたいで、よしよしと頭を撫でてくれた。
そのままベッドの上に連れられて、お兄様と並んで座った。
「お兄様たちとお別れなんて嫌です……」
「僕も、クリスと離れるのは嫌だな。クリスが王女になったら、こうして気安く触れられない」
お兄様はわたしの肩を抱きしめて、そう暗くつぶやいた。
その未来を想像するだけで、胸が塞ぎそうになる。
「でも、クリスが陛下の養女になっても、僕は実の兄だ。護衛だけは引き続き任命されるように訴えたい」
「……お兄様、ありがとうございます」
わたしを最優先に考えてくれるお兄様に感謝の気持ちでいっぱいになる。
キュッとお兄様にしがみついた。
この優しい温もりも絶対に失いたくなかった。
その日の夜、帰宅してきたお父様まで暗い顔をしていた。
かなり疲れたことがあったようだ。
帰りの馬車でウィルフレッド様から聞いた話を思い出す。そんなに貴族対応が大変だったのだろうか。
玄関までお迎えすると、いつもより力強く抱きしめられた。
「お父様、ずいぶんお疲れですね。もしかして、わたくしのことですか?」
「そうだ。陛下からクリスの養女の内示を受けた。陛下の誕生会のときに披露するらしい。大変栄誉なことだ。ありがたくお受けしたとも」
「お父様」
びっくりして、わたしはお父様を見上げた。あっさりと話を受けたことが信じられなかった。
陛下の養女だなんて、貴族社会ではとても名誉なことかもしれない。
でも、わたしとの生活が終わってしまうのに。
前世で両親に見捨てられた恐怖が、まざまざとよみがえってくる。
「お父様は、わたくしがいなくなっても、構わないんですか?」
そう口にした途端、悲しみのあまりに涙が溢れて止まらなくなった。
お父様は驚いたように目を見開いた。それから膝を折ってわたしと目線を合わせて見つめると、顔をくしゃくしゃにする。わたしの両頬を壊れもののように慎重に両手で挟んだ。
「そんなわけないだろう。何度も流れてやっとの思いで授かった我が子を手放したい親などいない。いいか、クリス。陛下という偉いお方がクリスの後ろ盾になってくださるのだ。其方の味方が増えると考えなさい」
「でも、わたくしは、今のまま幸せに暮らしたいです。みんなとずっと一緒にいたいです!」
やっと得ることができた幸せを手放すなんてできなかった。
なによりも守りたかったものなのに。あっけなくなくなるなんて、身を裂かれるくらい耐えがたかった。
「クリス……」
お父様まで堪えきれず泣き出していた。
「私だって、本心では嫌だ。だが、私の、男爵家の力は、ほんの些末だ。すまない、最後まで守れなくて」
「お父様……!」
お父様とわたしはしっかりと抱きしめ合い、おいおいと声を上げて泣いていた。
世の中には、個人の努力ではどうしようもないことがある。
貴族社会は権力こそものを言う。お父様一人が逆らうなんて無理なことだ。
わたしにだって、できないことなのに。
「お父様、ひどいことを言ってごめんなさい。大好きです」
そう言って頬にチュッとキスすると、お父様からも返ってきて、髭じょりまでしてくれた。
今までは「イヤー!」って悲鳴を上げていたけど、お父様の髭じょりすらもできなくなると思うと、その痛いチクチクも不思議なことに愛おしく感じた。
その日の夕飯は、ちょっとだけしょっぱかった気がした。




