添い寝
「お兄様、今日は一緒に寝ましょう!」
寝間着の格好のわたしは、お兄様を堂々と誘った。
リビングで家族におやすみの挨拶をするときに。
「添い寝は、もうダメだって言われているよね?」
隣にいたお兄様が困惑したように断ってくるが、わたしにはちゃんとした理由があった。
「だって、お兄様は今日ドレスの瘴気にあてられて大変だったでしょう? だから、聖魔法垂れ流しのわたしと一緒になるべくいたほうがいいと思うんです。これは添い寝ではなく、治療なんです!」
うふふ、なんていいアイディアなんでしょう!
思いついたわたし、とっても頭いいですわ!
「ねぇ、お父様、そうですわよね?」
リビングのソファでお父様はお母様と並んで座っているので、話を振って許可を求めてみた。
「ふむ、クリスの言うとおりだな。今日だけはクリスとの共寝を許可しよう。ただし、アルト分かっているな?」
「ほら、お父様の許可が出ましたし、ベッドに行きましょう!」
「う、うん……」
お兄様が浮かない顔をしているので、ふと心配になった。
「もしかして、わたしと寝るのは嫌ですか?」
「いや、そんなことないよ。むしろ毎日クリスと一緒のほうが嬉しいよ」
「まぁ、お兄様ったら」
お兄様の甘やかしに嬉しくてご機嫌になる。
「お父様、お母様、お休みなさい」
二人に抱き着いて頬に親愛のキスをしたあと、お兄様の腕をとって二階に移動していく。
「今日はわたくしが添い寝して差し上げますね」
お兄様の部屋に入り、嬉々としてベッドに潜り込んでいく。
枕からお兄様の匂いがしたので、思わずスンスンと嗅いでいると、恥ずかしそうに止めなさいと怒られた。
「治療ですので、抱きしめて差し上げますね」
照明を落としてベッドに入ってきたお兄様をぎゅっと横から抱きしめると、「はぁ」とため息をつかれた。
「どうしましたか?」
「妹が可愛すぎて、今夜はよく眠れるかな」
「それじゃあ、よく寝れるようにいっぱい聖魔法を送っておきますね。わたくし、ちょっとコツを覚えたんですよ」
「そっか。良かったね。それなら基礎魔法の課題も大丈夫だね」
「はい、お兄様のおかげですわ」
「クリスが頑張ったからだよ」
お互いの額を合わせて、クスクスと忍び笑いを漏らした。
お兄様がわたしの手に触れて、指を組むように握ってきたので、その手に魔力を送ってみた。
照明が落ちて窓から差し込む月明かりだけの暗い中で、わたしの手がぼうっと微かに白く光った。
そのままお兄様の手に吸い込まれるように消えていく。その瞬間、お兄様の体まで輝いた気がした。
「ありがとう。クリスも疲れたでしょ? もうお休み」
お兄様はチュッとわたしの頬にキスをしてくれた。
嬉しくてにっこり笑うと、なぜかお兄様は息を止め、真剣な顔つきで静かにわたしを見つめる。
お兄様の指先がわたしの顔に触れたと思ったら、ゆっくりと撫でていく。頬や鼻、そして、唇を。そこで指が止まったと思ったら、今度は丁寧に上唇からゆっくりとなぞられた。ぞわぞわとした感触がして、下唇を指が這ったとき、堪らずお兄様の指を思わず甘噛みしていた。
「クリス」
名前を呼ぶお兄様の声が、とても張り詰めていた。わずかに開いた唇の奥に濡れた舌が見えた。わたしにゆっくりと顔を近づいてきたと思ったら、また頬にキスされ、鼻、おでこや耳にまでキスしてくれた。
首筋までキスされそうになったとき、くすぐったいだけではなく、恥ずかしくなって思わずお兄様を押し退けた。
「お、お兄様、今日はキスがいっぱいですね」
ドキドキしながら冗談めかして誤魔化しを口にする。
「ごめん。クリスが可愛すぎて」
胸が苦しくて破裂しそう。そうつぶやくお兄様の声が冗談には聞こえないほどの低音で、思い詰めたような気配を感じた。
「お兄様?」
急にお兄様の様子が変わって心配になったわたしの問いに答えず、お兄様はゴロンと寝返りを打って、わたしに背中を向けた。
先ほどのお兄様は、まるで別人のようだった。だからなのか、ますます胸がドキドキして落ち着かなかった。
お兄様に可愛がってもらえるなら、なんでもウェルカムだったはずなのに。
攻略ルートは進んでないはずだから、お兄様の妹大好きレベルが上がっているのかしら。
「他の人の前ではダメですよ?」
「……うん」
お兄様がシスコンだと誤解されたら大変よね。そうでなくても、お見合いの「お」の字もない状態だから。
それにしても、わたしはともかくお兄様にどうして相手がいまだにいないのかしら。
こんなに素敵なのに、不思議だわ。
そんな心配事を一瞬考えたけど、疲れていたのか目をつぶったらすぐに意識が朦朧として眠っていた。
翌朝、目が覚めると、まだ隣でお兄様が眠っていた。
いつもわたしよりも早起きなのに珍しい。
お兄様の寝ている無防備な顔が可愛いすぎる。まつ毛は黒くて長いし、わずかに口が開いている。ちょっと乱れた長い黒髪も色っぽい。
思わず頬にキスしたくなったけど、起こしたら可哀想なので、なんとか理性をフル動員して思い止まった。
そっと静かにベッドを抜け出て部屋を後にした。
朝の身支度を整えてダイニングテーブルに着くと、すでにわたしとお兄様の分の朝食が用意されていた。
他の家族は、すでに済ませてしまったようだ。
お兄様はお寝坊なので、今日は一人きりで食事だ。こんなこと、お兄様が病気で寝込んだとき以来だ。
無言でモグモグ食べていたら、あっという間に皿が空になった。
今日の朝食は、いつもと同じで、パンとスープだ。季節の果物と、牛乳もある。今日はちょっと豪華なので、プラスもう一品になんとソーセージがついていた。しかも大きくて立派だ。こんな極太珍しい。
お兄様がお寝坊なのも珍しいけど、この一品も珍しい。
お兄様の皿にのっているものをじっと見ていたら、よだれが垂れそうになった。
お兄様、寝ているし、残したらもったいないから、食べてもいいんじゃないのかな。
わたしの中の悪女が囁きかけてくる。
ダメよ。すかさずわたしの中のいい子が抗議する。お兄様の分を食べちゃうなんて、そんなひどいことできないわ。
それに対して悪いわたしが鼻で笑う。いつもソーセージがあるわけじゃないし、お兄様には黙っていれば気づかれないわよ。
そうよそうよと、悪いわたしが何人も同調していい子に圧をかける。
そんな悪いことをしていいと思っているの。いい子が負けじと文句を言う。
それに対して悪い子は一言返した。
だって、わたし、悪女だもの。
「いただきまーす」
ブスッとフォークで極太ソーセージを頂戴した。
お兄様のソーセージの本数がいつも多くて、ちょっとズルいと思っていたから、これでおあいこにしてあげるわ。
きっと盗んだおかずの味は、格別のはず。
アーンと口を開けてガブリとかじり、モグモグ味わって食べる。
でも、いつもと変わらないソーセージの味なのに、盗んだおかずは全然美味しいと思えなかった。
むしろ、大好きなお兄様の優しい顔ばかり思い浮かんで、ジワジワと罪悪感が責めてくる。
やっぱり、同じ悪さでも、盗み食いだけは止めよう。
ソーセージ、今度わたしの分をあげて罪滅ぼししなくちゃ。
しょんぼりした気持ちで三分の一ほど食べ終わったとき、上から物音が聞こえてきた。
「あれ? クリス、起きてる?」
なんてこと! こんなタイミングでお兄様が起きてくるなんて。
もうすでに食べてしまったから、お兄様がここまで降りてくる前に証拠隠滅しないと!
急いで咀嚼して無理やり飲み込もうとしたら、慌てたせいか喉で思いっきり詰まってしまった。
く、苦しい……!
何か飲み物を……!
でも、自分の牛乳はすでに飲み干してしまっていた。窒息寸前だから、仕方がない。お兄様のカップを手に取り、グイッと一口もらったら、なんと今度は激しくむせた。
口の中はソーセージでいっぱいだし、喉は詰まるし、気管に牛乳は入るし、もうわたし死ぬかも。
激しく咳き込みながら胸を自分でドンドン叩いていたら、お兄様が一階まで降りてきてしまった。
「どうしたの? って、大丈夫!?」
わたしの惨状を見た瞬間、すぐに状況を察して駆け寄って、背中を勢いよく叩いてくれる。
口の中のソーセージを出したら楽になると思うけど、お兄様に見られたらわたしの悪辣な犯行がバレてしまう。
必死に我慢したら、苦しさあまり、涙で目が霞んで、視界がぼやけてきた。
でも、何度か目の衝撃で、喉の詰まりが取れて、やっと楽になった。
モグモグと食べ物を飲み込んで、やっと口の中が空になった。
やった! わたしは見事にやり切ったわ!
「はぁはぁ、お兄様、助かりましたわ」
「慌てて食べたらダメだよ?」
お兄様はテーブルの上にあった布巾でわたしの顔を拭いてくれる。きっとわたしの顔はひどいことになっていると思うけど、お兄様は慣れた手つきできれいにしてくれる。
ところが、お兄様はテーブルを見て、ピタリと手を止めた。
「え? なんで僕の皿が空になっているの?」
その一言でこの場の空気が凍りついた気がした。
あ、ヤバイ。
皿も片付けないと完全犯罪にならなかった!
「この皿に残った油の跡。ふーん、細長い食べ物だったみたいだね。もしかしてクリス。ソーセージを盗み喰いしたけど、僕が起きてきたから慌てて食べようとして死にそうな目に遭っていたの?」
お兄様、名探偵すぎますわ!
「いえ、あの、その、ごめんなさい」
ばれてしまったからには仕方がない。わたしはしゅんとした様子で正直に謝った。すると、お兄様がそっと両手でわたしの頬を優しく包み込んでくれた。
「そんなもので死にそうになったらダメだよ。そんなにソーセージが欲しいならあげたのに」
「お兄様……!」
なんて優しいのでしょう!
勝手に多い本数を妬んだ自分の狭量さが恥ずかしくなった。
改めてお兄様を見つめると、満面の笑みでこちらを見下ろしていた。
わたしがドジをしても、お兄様は決して見捨てたりしない。そんなお兄様がとても頼もしくて、ぎゅっと抱きしめたくなるくらい愛しく感じる。
そう思ってうっとりしていたけど、すぐにお兄様の表情の違和感に気づいた。
いつもの優しい笑顔ではなかった。嵐の前の静けさのような恐ろしさを秘めていた。
「でも、盗み食いはダメだよね。きちんとお仕置きしなくちゃ」
「ヒィ!」
ぷにっとわたしの柔らかい頬をお兄様は両手で容赦なく引っ張ってつねっていた。
「いだだだだ! ごめんなさい! 許して! お兄様!」
お兄様も怒るときは、とても怖い。




