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止まった涙

「聖女様がドレスを見事浄化させたぞ!」


 文官の男の歓声が聞こえて、ハッと我に返った。


 やだ。お兄様が危険な目にあったからって頭にきちゃって、ついドレスを打ち負かしてしまったみたい。

 これじゃあ、初代聖女みたいだって称賛されてしまう!


 内心焦ったけど、それよりも安堵の気持ちのほうが大きかった。


 とにかく、あの恐ろしいドレスを大人しくできて良かった。

 一時は死ぬかと思ったほどヤバかったもの。


「お兄様は大丈夫ですか?」


 床に倒れたお兄様が気になって、すぐに駆け寄った。

 お父様だけではなく、アルメリア様もそばにいて膝をついて様子を見ているけど、お兄様が動いている気配はなかった。


「お兄様」


 わたしが呼びかけても、お兄様は目を覚さなかった。

 顔色も悪くて、まるで死んだようにピクリともしない。

 嫌な予感がして、悪寒が背筋を通りぬける。


「濃厚な瘴気に包まれたせいで、かなりダメージを受けたようだ」

「先ほどからわたくしの聖魔法で回復させているんですけど、まだ効いていないみたいですの」


 お父様の顔は深刻で、アルメリア様は泣きそうなほど必死な様子だ。

 それを見て、わたしも泣きそうになる。


「わたくしも手伝いますわ」


 予断を許さない状態を知り、ぐっと唇を噛み締めた。


 二人の説明を受けて、わたしも両手を合わせて祈りのポーズをとる。

 神殿で教わった回復の呪文だ。

 お兄様のために残りの力をすべて捧げる。そんな決死の覚悟で。


「集え、聖なる力よ。癒しの風を呼びたまえ。安らぎを与えたまえ」


 わたしの頭上に光の球体が生まれ、回転しながら周囲に癒しの力を与えてくれる。

 お兄様の体にも大量の光が雨のように降り注ぎ、体の中にすっと吸い込まれていくように消えていく。


 その直後、お兄様がうっすらと目を見開いた。


「お兄様!」


 お兄様の顔を覗き込むと、いつもの紫の瞳が弱々しくわたしを見つめていた。


「クリス」


 小さく開いた唇から声を聞いたとき、わたしの中で張り詰めていた緊張が一気に解けた。もう感情が抑えられない。目からぼろぼろと涙が溢れていた。


「お兄様、良かった!」


 お兄様に抱きついてワンワン声を上げて泣き続けた。そんなわたしを慣れたようにお兄様が頭をなでなでしてくれる。


 お兄様が上半身を起こしても、わたしがガシッと抱きついて離れなかったので、お父様に強制的にベリッと引き剥がされた。


「おにーさまぁ!」


 必死に手を伸ばしていたら、お兄様は「大丈夫だよ」とわたしの手をぎゅっと握ってくれる。そのおかげで、ちょっと落ち着くことができた。

 涙がようやく止まってきた。


「アルメリア嬢、其方を狙ったドレスからクリステル嬢が身を挺して守ったのだぞ。礼を言ったほうがいい」


 王子の言葉にアルメリア様は驚いて顔色を変える。


「まぁ! そうでしたのね! クリステル様、あなたは命の恩人ですわ! ありがとうございます!」


 感極まったみたいにアルメリア様はわたしの手を取る。

 彼女のいつもどおりの美しい顔に見つめられて、胸の中がじんわりと温かくなる。


「アルメリア様がご無事で良かったですわ」


 しみじみと微笑みながらつぶやくと、アルメリア様の目にうっすらと涙が浮かんでいた。


 お父様に大人しくハンカチで顔を拭かれていると、「いやぁ、それにしても」と感心したような文官の声が大きく響いた。


「あの呪われたドレスを浄化させるとは、さすがですな!」


 文官の称賛の声を聞いて、その存在を再び思い出した。

 ドレスのことは、このまま忘れたかったのに!


 そのとき、宙に浮いていたドレスが音もなくスススとわたしに近づいてきた。


「アナタガ、マスターデス」


 止めを刺すようにドレスから声まで聞こえてきた。


「ちちちち、違いますってば! こんなウェディングドレスみたいなキラキラきれいな服なんて、わたしには似合いませんわ!」


 慌てて否定すると、ドレスがキランと一際輝いた気がした。


「ウェディングドレス、デスネ。ナマエ、トウロクシマシタ!」

「違うわよ! 勝手に名前つけないでよ!」


 思わず切れてしまった。

 名前がウェディングドレスだなんて、縁起でもない!

 そもそも、結婚する予定もないのに、ウェディングドレスなんて着る予定もない。

 わたしはアルメリア様と友情エンドを迎えて嫁に行かず、実家でこれまでどおり家族と一緒に暮らす予定なのだから。


「名前の修正をお願いします!」

「マスター、リョウカイデス。ソレデハ、ナマエ、オマチシテマス」


 ここでわたしが拒否したら、名前がウェディングドレスのままになってしまう。

 それだけは、なんとしても嫌だった。

 はぁ、結局わたしが主人ってことになっちゃうのね。

 マシロのときもそうだったし。

 疲れていたこともあり、大きなため息をついたあと、早々に観念した。


「そうねぇ。じゃあ、”ソウビ”はどうかしら?」


 ドレスの柄から考えてみた。

 薔薇はバラだけではなくソウビと読み方があると、前世で聞いたことがあった。


「ソウビ、デスネ。トウロクシマシタ」


 諦めて名前を再提案すると、ドレスは素直に聞いてくれた。


「ドレス、キマスカ?」

「いいえ」


 大却下だ。

 すると、ドレスはもっと小さく縮んだと思ったら、すっかりコンパクトになり、わたしの腕に巻きついて腕輪みたいになった。

 薔薇の刺繍が表面に施されていて、とても可愛らしい。

 ドレスなら聖女っぽくなってしまうけど、このくらいなら特に問題はないだろう。


「眷属がまた増えたね」

「そうみたいです」


 お兄様が起き上がってわたしの隣に並んでいた。

 まだちょっと顔色は悪そうだけど、元気になって良かった。


「お兄様、ありがとうございます。お兄様がいなかったら、わたくし死んでいたかもしれません。お兄様を助けたくて頑張ったんですよ」

「僕こそお礼を言わないとね。僕はクリスがいなかったら、死んでいたかもしれない」


 お兄様は身を屈めると、わたしの額にキスをしてくれた。

 柔らかい感触がくすぐったくて、とても幸せな気持ちになれる。


「お兄様、大好きです」


 にこにこしながらお兄様の腕に抱きついていると、静かにウィルフレッド様が近づいてきた。


「クリステル嬢、この度はご苦労であった。あの禍々しいドレスを従えるとはさすがだな」

「お言葉、ありがとうございます。ですが、このドレス、わたくしが城から持ち出してもいいのでしょうか? わたくしはドレスをお返ししても構わないのですが」


 わたしがそう言うと、腕にいたドレスがいきなり「イヤデス! コンナトコロ、イタクナイデス!」とヒステリックに叫びだした。

 ドレスの嫌がる様子から察するに、置いて帰ったら発狂してそうだ。

 暴れたらきっと誰も手に負えないだろう。


「……とりあえずドレスはお主に預けておく。問題があったら、連絡しよう。それから、アルトフォード殿」


 ウィルフレッド様の視線がお兄様に向けられる。先ほどまでの柔らかい顔つきを急に堅いものに改めてお兄様を見つめていた。


「聖女の護衛、見事だった。あの濃厚な瘴気の中、よく動けたな」

「お褒めいただき、ありがとうございます」


 お兄様が恐縮しながら答える。


「今回の件で私はまだ自分の未熟さを痛感した。聖女の傍にいるためには、まだ覚悟が足りなかったようだ。そういうわけで、お主の家には、まだ当分挨拶にはいけそうにない」

「了解しました」


 お兄様は真剣な表情で、ウィルフレッド様の話を伺っていた。

 張り詰めた空気が二人の間に流れ、誰一人として邪魔をしてはいけない雰囲気があった。


 護衛の仕事で、そこまで真剣になれる二人のプロ根性はすごいな。

 わたしも二人を見習って、もっと頑張って悪女を目指さなくっちゃ!


「……」


 そのとき、蚊の鳴くような弱った声が床から聞こえてきて、思わず声の主を探してしまった。

 床の上だ。小さな生き物が閉じられた扉をカリカリ引っ掻いていた。

 近づいてよく見たら、赤い毛をしたコウモリだ。毛色がとても珍しい。


「開けてほしいの?」


 声をかけたら、「ヒィ!」とコウモリは飛び上がるほど驚く。ブルブル震えて怯えていた。


「た、助けて。お願い! もう何もしないから!」


 そう必死に助けを乞うコウモリの目は、金色に輝いていた。

 話しているし、こんな姿だけど魔物のようだ。


 そういえば、ドレスと戦っているとき、ドレスから何か物が落ちていた。もしかして、姿は変わっているけど、この子がドレスを盗もうとした魔物なのかもしれない。


「魔物ではないか! こんなやつ、踏みつぶしてくれるわ!」


 文官が後ろから大きな足音を立てて近づいてくる。


「ひぃ!」


 コウモリの足元に水たまりが出来上がった。ブルブル震えて、ぼろぼろと涙まで零れ落ちている。


 それを見て、とても可哀そうになる。こんな恐ろしい目に誰かを遭わせたくはなかった。

 近づいてくる文官の前に両手を広げて立ちふさがった。


「殺すのは止めてください。この子、ドレスを盗もうとしたけど、ドレスによって懲らしめられたし、城の中にいるってことは誰かを害したりしてはいないと思います」


 魔法具で敵意を持つ人物は弾かれる仕様になっている。魔物の目的は盗みだけだった。


 そしてなにより、魔物は倒さない方が、聖女として評判は上がらないはず!


「それはそうだが、魔物を見逃すなど……」


 文官はとても不満そうだ。顔をしかめている。


「大丈夫です。メリンカさんは約束を守ってくれたから、きっとこの子も守ってくれるはずです。そうですよね?」

「するする! 約束する! もう二度と人間に関わらない!」


 コウモリの姿の魔物は必死に叫ぶので、わたしはうなずいて扉を開けてあげた。

 すると、隙間ができた途端、一目散にコウモリは逃げ出していった。


 こうして呪われたドレスは、無事に解決できた。

 そして、その日の夜——。


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