ドレスの形
「あら、アルメリア様!」
アルメリア様が彼女のお父様と、なんと王子とともに入室してきた。そのあとに側仕えも数人従えている。
王子が付き添ってくれるなんて、あれから二人の仲が順調そうでなによりだわ。
彼女はわたしに気づくと、微笑んでくれた。
今度はアルメリア様のお父様が、わたしたちに挨拶をしてくる。
貴族らしい会話でやりとりをしたあと、アルメリア様がわたしにそっと近づいてくる。
「クリステル様。お会いできてよかったですわ」
アルメリア様は今日も華やかに笑みを浮かべていた。
「アルメリア様、わたくしもです」
さて、いよいよ役者はそろったわ。
問題はどうやってこの呪われた黒いドレスを着るか、なのよね。
金物のワイヤーでできたトルソーに真っ黒なドレスは飾られている。胸元が大きく開いたAラインのウェディングドレスみたいだ。特に後ろの裾がとても長い。スカートの何枚も段違いに重ねられたレースには、バラの花がデザインされていて、とても上品に感じる。
「きれいなドレスなのに、使えないなんてもったいないですよね。あのドレスって、着られないんですか? 是非着てみたいですわ」
期待を込めて尋ねると、周囲にいた人たちが一斉にわたしに視線を向ける。何か異様なものでも見るかのように。
「クリステル様には、あれがきれいなドレスに見えたんですか?」
アルメリア様が目を丸くして驚いたように尋ねてきた。
「ええ、そうですけど……」
みんな、耳を疑っているような顔をしている。
あれ? わたし、なにか変なことを言ったかしら?
「クリスには、ぼろきれのような布には見えなかったの?」
「え? ぼろきれ? あんな立派なドレスがですか?」
お兄様の言葉に逆に驚いた。
どうしてこんなに見え方が違うのかしら。
「なるほど、そうか」
ウィルフレッド様が何か察知したようだ。
「どういうことですか?」
「クリステル嬢には、ドレスの本来の姿が見えているのではないか?」
「本来の姿、ですか?」
「そうだ。だから、もしかしたら、そこまで魔力が振り切れているなら、初代聖女のようにこのドレスの瘴気を抑えて扱えるのではないか?」
「え? 初代聖女がこのドレスを?」
なんてこと! 初代聖女と同じようにドレスを着れちゃったら、またもや聖女として株が上がっちゃう!
そんな大事なこと、早く言ってよー!
それなら、ドレスを着たいなんて言わなかったのに。
「いえいえいえ、初代聖女と同じように瘴気に満ちたドレスを着れるわけないですわ。先ほどの発言は冗談ですの。オホホホ」
笑って誤魔化したけど、ウィルフレッド様は文官たちと私のドレス試着の件で相談を始めてしまった。
ああああああ、どうしよう!?
心の中で滝のような汗を流していたときだ。
「このドレスは私がいただくわ!」
突然大声がしたと思ったら、赤髪の見知らぬ女がどこからともなく現れた。
台の上に並べられていた聖杯が、彼女の攻撃によってガシャンと乱暴な音を立てて全て床に転がり落ちていく。
その途端、むわっとむせ返るような瘴気が部屋中に充満した。
「うっ……!」
思わずわたしも口元を押さえた。生理的に受け付けなくて、急に吐き気に襲われる。
その間に侵入者はドレスを手にしていた。
「やったー! これで私が最強よ!」
女は長い髪を振り乱しながら、ドレスを天井に向かって掲げる。
爛々と目を黄金色で光らせていた。
「あの女、魔物だ!」
聖女に付き添っていた者たちは、それぞれ武器を手にしていた。
だが、あふれ出る瘴気のせいで、顔色や様子は明らかに悪そうだ。
「ふん、今はお前たちと争う気はない!」
女は背中からコウモリみたいな羽を生やすと、ものすごい勢いで羽ばたかせ始める。
足元がふらつくほどの風圧がわたしたちを襲ってきた。
「用が済んだから、おさらばよ!」
そう言って女はこの場から入口に向かって移動し始めた直後だ。
彼女が持っていたドレスに異変が起きた。
ドレスがいきなり変化した。大きく上に膨らんだのだ。
「え?」
女が異変に気付いてドレスを見上げる。そのとき、ドレスがぐにゃりと歪んで大きく花びらのように広がったと思ったら、女を頭からすっぽりと素早く包んでしまう。まるで全身を飲み込んだみたいに。
中から女の苦しそうなくぐもった悲鳴が聞こえる。だが、ドレスがぐっと中身を締め付けるように動いたと思ったら、ぐちゃっと潰れたような嫌な音が響いた。
黒いドレスだったものが動くたびに咀嚼するような音がする。生理的に気持ちの悪い音が続き、中にいるはずの女がどんどん縮んでいく。
背筋が凍るような恐怖が全身を駆け巡る。
あんな化け物、手に負えるわけない。
「いやあああああ!」
若い女の叫び声が上がったと思ったら、アルメリア様だった。
恐ろしいあまりに顔が引きつっていた。
身をひるがえして一目散に扉に向かって逃げていく。
それに続くように側仕えたちも一斉に逃げ出そうとするが、一歩踏み出した途端、辛そうに膝をついた。
きっと聖属性のない人たちには、この瘴気の中では動きにくいんだ。
そんな最中、ドレスがまた動き出す。逃げ出したアルメリア様に向かって、ドレスが触手みたいな紐を勢いよく伸ばしていく。
それを見たとき、わたしの心臓が張り裂けそうになった。
わたしの大事なアルメリア様が危ない!
考える間もなく咄嗟に体が動いていた。
ドレスの触手に向かって体当たりしていた。ぶつかった箇所から、水が蒸発するような衝撃があって、思わず反射的に離れようとした。でも、次の瞬間、何か紐状な黒い物体に体を束縛されていた。
紐によって締め付けられ、胸が圧迫される。ミシッと体の中から嫌な音が聞こえた気がした。
「クリス!」
お兄様の叫び声が聞こえたけど、次の瞬間には目の前が暗くなっていた。
最後に見たのは、わたしを飲み込もうと、頭上で大きく口を開けた真っ黒なドレスだった。
恐ろしさのあまり、体が硬直して、身動きができなくなっていた。
無抵抗のまま、ズボッと頭から布で覆い被されたみたいに包まれたと思ったら、水の中に引き込まれたみたいに息が苦しくなった。
全身をギュッと締め付けられて、わたしをペッチャンコにしようと信じられないほど強烈な力を加えてくる。
気を失いそうなほど苦しい。
しかも、瘴気のせいなのか、猛烈な気持ち悪さが襲ってくる。
もうダメだ。
恐怖と苦しみで、他に何も考えられなくなる。
すぐに自分の死を悟っていた。
そのとき、わたしの耳元で微かに声が聞こえてきた。
まさか、この声は……。
わたしはそのとき自分の壁になっている存在に初めて気づいた。
「……クリス」
死にそうなほどか細いその声を聞いたとき、わたしは泣きそうになった。
お兄様!
お兄様までわたしと一緒に黒いドレスに食べられていた。
きっとわたしを助けようと、お兄様まで駆けつけてきたんだ。だから、一緒にドレスに食べられてしまった。
わたしを庇うために。
お兄様がいる現実に血の気が引いた。
ダメだ。このまま何もしないままではお兄様まで殺されてしまう。
自分を奮い立たせて、黒いドレスに抵抗しようと決意した。
でも、この状況ではマシロを呼び出せない。一緒に締め付けられてしまう。
じゃあ、どうすれば。
そうか。わたしの魔力で攻撃すればいいんだ。
「集え、聖なる力よ。我に授けよ、浄化の炎。邪悪なものをふぎゃ!」
わたしの呪文を察知したのか、ドレスが締めつけ攻撃をしてきて中断させられてしまった。
どうしよう。呪文が唱えられないと魔法が使えない。
でも、呪文に反応して湧き上がった自分の魔力の存在を再び感じることができた。
わたしの中にある魔力は、わたしの認識よりもずっと重くて大きい。
全然想定していた規模が違った。
今までは、小さな手のひらで、滝のように流れてくる膨大な魔力を受け止めようとしていたようなものだった。
それじゃあ、制御が上手くいくはずがない。
それに気づいたとき、わたしは自分の魔力の存在を今までよりも身近に感じた。
今なら使えるかもしれない。
やるしかない。
そんな自信がみなぎり、自分の中の魔力を自分を襲ってくるドレスに向かって放ち始めた。
こんなに密着していたら、わたしの聖属性の魔力で抵抗できるはず!
膨大な魔力の渦をイメージして、それを制御しようとした。それを相手に向かって激しくぶつける。
効果はすぐに表れた。
体を締め付けていた力がみるみる緩み、私から逃げるように離れ始めた。視界が一気に広がり、石造りの暗い部屋が再び見えた。
離れていくドレスの裾を慌ててつかみ、なおも聖魔法で攻め続ける。
「許さない」
ギリッと歯を食いしばって、ドレスをさらに追い詰める。
視界の端で、お兄様が崩れ落ちるように床に倒れたけど、お父様たちが駆け寄って救助してくれている。
お兄様をよくもあんな目に。怒りで胸中は荒れ狂っていた。
黒いドレスは苦しそうにジタバタと暴れながら抵抗するが、魔力を流し続けていくと、だんだんと弱まっていき、黒い色が徐々に薄まっていく。漂白されていくように白い色で浸食されていく。
途中、何かドレスから小さな塊が落ちて床に転がっていった。けれども、ドレスに精一杯で些末なことを気にする余裕はなかった。
やがて、布切れ全体の色が完全に変わったとき、ドレスに変化が起きた。
いきなり空中に浮きあがり、わたしの手を離れたと思ったら、強い光で輝きだしたのだ。姿まで変わっていき、わたしが最初に見たとおり、美しい純白のバラのドレスになっていた。




