ドレスの保管場所
ドレスが保管されている場所は、特別なところらしい。
関係者以外立ち入り禁止っぽい扉を開けて中に進んでいく。
さらに換気口しかない廊下をひたすら道なりに歩くと、行く手を遮るような大きな扉が現れた。
「この扉は、魔力で登録された者しか開けられない」
ウィルフレッド様が説明しながら、両開き扉の取っ手に触れる。
その彼の手元が、一瞬ふわりと何かに包まれた気がしたら、カチリと扉の金具から音が鳴った。
静かに扉が引かれて開け放たれる。廊下と違った重い空気が、部屋から漏れてざらりと肌をかすめる。悪寒が体を走り、嫌な予感がした。
なんとなく怖くて、隣にいたお兄様の手を握ってしまった。チラリと見つめると、安心するような優しい笑みを向けられる。すぐに温かい手で握り返されて、不安な気持ちが一瞬で落ち着いた。
「行くぞ」
ウィルフレッド様に声をかけられ、覚悟を決めて踏み込んだ場所は、広い部屋だった。
石材がむき出しの、無機質な空間。
部屋の周囲に置かれた明かりのおかげで、暗いけど窓がない部屋の様子を窺える。小さな換気口が天井付近にあるくらいだ。
部屋の中央には、石材でできた台があった。四畳半くらいの大きさの台の上に、飾られた黒いドレスと、それを囲むように床に聖杯が五つ置かれている。
このドレスのせいなのか、ここに来てから気分が悪く感じる。
「おお、ウィルフレッド様。よくぞお越しくださいました」
先客の男性が話しかけてきた。彼の他にも男女二人いる。
ウィルフレッド様の姿を目に留めた途端、男二人は畏まって礼をとる。
恐らく文官だろう。二人ともひょろりとしていて、似たような制服みたいな格好をしていた。
熟女風の女性は、にっこりと愛想のよい笑みをウィルフレッド様に浮かべる。
彼女の黒いドレスは、家庭教師のように控えめだ。髪もすっきりと地味にまとめている。
まさか、彼女は。
見覚えのある姿にわたしは息をのんだ。
「うむ、ご苦労。夫人は、今日は聖杯の点検か?」
「ええ、今回依頼を受けたの。ウィルは?」
「今日は聖女の付き添いでやってきたんだ」
「そう」
彼女はわたしに品定めするような視線を向ける。
「紹介しよう。オルバート夫人だ。魔法具の制作で個人的に色々とお世話になっている。今回は聖杯の確認で来たそうだ」
「おお、こちらこそ初めまして」
お父様が代表で挨拶を受け答えしてくれた。わたしたち兄妹の名前を紹介してくれる。
「初めまして。オルバート夫人」
わたしの番になり、淑女らしく一礼すると、オルバート夫人はにっこりと作ったような笑みを浮かべる。
「クリステル様、初めまして。ウィルフレッド様には、よくお世話になっております。以後、お見知りおきを」
はきはきとした口調だ。
「もしかして、先ほどウィルフレッド様がおっしゃっていた魔法具の師というのは、オルバート夫人のことでしたか?」
ウィルフレッド様を見上げながら尋ねると、彼はこちらをにこにこと見下ろしてうなずいた。
「ああ、そうだ」
なんと! ウィルフレッド様のルートでもないのに、師匠であるオルバート夫人が登場したわ!
しかも、ゲームと同じ台詞を言われたわ。
「そうでしたか。それはお会いできて嬉しいですわ。ウィルフレッド様からお話をうかがったとき、是非お話できたらって思ってましたの」
ちょっと個人的な好奇心から。
「あら、私に? どのようなお話がご希望ですか?」
わたしを見る夫人の目つきが、意外そうにこちらを見たと思ったら、次の瞬間には面白いものを見つけたみたいにキラリと輝いて見えた。
夫人に会えたのなら、さっそくオーブンの件を尋ねないと! そう思って口を開いてから気づいてしまった。
もし夫人が親切に教えてくれても、わたしのレベル的に現状では理解は無理だ。
だから、当たり障りのない初歩的な会話から始めることにした。
「えーと、わたくし、基礎魔法の単位取得すら危ないので、どうしたらウィルフレッド様に師と仰がれるくらい優秀になられたのか、お話をお聞かせいただけますか?」
「まあ、そんなお褒めのお言葉をいただいて光栄ですけど、聖女様が基礎魔法の単位取得が危ないなんて、ありえないでしょう」
オルバート夫人が困惑したように首を傾げた。
「魔力が多すぎて制御できていないのです。今日の聖杯ですが、魔力を多く流しても壊れないでしょうか?」
「それは困ります。検査ではそこまで試していないので、器にあった量を流していただきたいです。聖杯は古いので、乱暴に扱えません」
それ以外に答えはない。断言するような口調だった。
「だが、聖杯の容量は結構大きいだろう。壊れるほどはさすがに流さないのではないか?」
ウィルフレッド様が細かい指摘をしてきた。
「魔力計測器では、いつも針が振り切れているんですけど、本当に大丈夫でしょうか?」
わたしの回答にみんなから反応はなかった。
「それではわたくしは、本日は聖杯の仕事には関わらないほうがいいみたいですね」
魔法具の専門家のお墨付きをもらえて、内心よっしゃー!と拳を握っていた。
「残念ですね。せっかくの聖女としての功績を上げる機会でしたのに」
オルバート夫人の口調には、同情のほかに若干の皮肉が混じっているように感じた。
ふと夫人を見上げると、彼女はまるでこちらを見定めるような鋭い目でわたしを観察していた。
でも、こちらとしては何も後ろめたいところはなかったので、夫人の視線に全く動じることなく答えた。
「いえ、わたくし、聖女のお役目が辛かったので、むしろ良かったです」
なにせ悪女を目指しているので。
オルバート夫人に微笑むと、彼女は少し戸惑ったような、怪訝な顔をした。
「あなたは、その、ウィルフレッド様のために頑張るつもりだったのでは?」
「いいえ、違います。今日は陛下からの要請ですよね?」
そう答えると、周囲にいた人たちは、シーンとなった。
どういうことだろう。なぜウィルフレッド様のお名前が出てくるの?
疑問に思って首を傾げると、隣にいたお兄様がそっとささやいてきた。
「ほら、クリスが聖女の名声を上げたら、今回付き添いしてくれたウィルフレッド様の顔が立つでしょ」
ゲームでは聖杯チャレンジに成功したら、パートナーの信奉値が他のキャラよりも上昇していた。
そっか。逆にわたしが失敗すると、ウィルフレッド様の評判まで落ちてしまうんだ。
「ごめんなさい。わたくしのせいで、ウィルフレッド様にまでご迷惑をおかけしてしまうみたいですね」
「いや、大丈夫だ。先は長いのだから、急がず魔力の制御を覚えるがいい」
「ありがとうございます」
そう礼を伝えたときだ。オルバート夫人が「まぁ!」と驚嘆すると、よくとおる華やかな声で笑った。
「クリステル様は、とても純粋な方だったのですね。打算なく王族のウィルフレッド様と仲良くなられたとわかって、とても安心しましたわ」
「そうなのだ。野心などかけらもないのだ。私が護衛騎士であろうと、騎士団長であろうと、関係ないらしい」
「まぁ、人の本質を大事にされる方なのね」
ウィルフレッド様とオルバート夫人がとても楽しそうに会話をしている。
わたしが褒められているけど、今のわたしの発言のどこにそんなポイントがあったの?
ウィルフレッド様に迷惑をかける話じゃなかったのー!?
困ったようにお兄様を見つめると、お兄様がまた耳元で説明してくれた。
「ほら、普通は自分の野心のために王族に近づいて、功績を上げようと躍起になるはずなのに、クリスは謙虚だから、好印象に映ったみたいだよ」
「まぁ!」
なんてこと! またもや誤解されてしまったみたい。
悪女になるという偉大な目標があるだけなのに。
ここはきちんと訂正しないといけないわ。
「実はわたくし、あ」
悪女を目指していると、口を開いたときだ。わたしの視界に新たな入室者たちが現れた。




