アルトと父の心配
僕の隣からクリスの寝息が聞こえ始めていた。
夕方だし、そろそろ昼寝の時間だと思っていた。
僕の肩に頭をもたれかけている。クリスの体の心地よい重さとともに温かさが伝わってくる。
柔らかい癖のある金色の髪は、ふわふわな手触りで、いつも撫でると気持ちが良かった。
今は閉じているけど、瞼の奥の青く透き通った瞳に見つめられると、いつも吸い寄せられるみたいに目が離せなくなる。
白く滑らかな頬は、薄くピンク色に色づいていて、とても可愛らしい。
わずかに開いた唇は、赤い甘美な果実のような色香がある。事故だったとはいえ、あのときの柔らかい感触をたまに思い出すと、今でも胸がドキドキしてしまう。
クリスはまだ恋愛に興味はないみたいだけど、こんなに魅力的な子を周囲が放っておくだろうか。
クリスは謙虚すぎるせいか、自分を過小評価しすぎている気がする。
人の気持ちは変化するものだ。いい意味でも、悪い意味でも。
聖女と結婚する際、相手の男性は愛の女神に誓う必要がある。
そのため、聖女は全く愛のない政略結婚を強いられることはない。
大昔に下心で聖女に近づいた男が、女神の罰を受けて「人生をやり直せ」と赤子に戻された事実があったからだ。
だから、王族との婚姻は、「決まり」ではなく「慣例」となっている。
今のところ、クリスに好意を抱いていると思われる男は四人だ。
王子のレリティール様は、アルメリア様と仲が良くなったとはいえ、今回の件でクリスを再び評価しただろう。王子とクリスの間に身分の差があるとはいえ、これまでのクリスの聖女としての功績を考えると、アルメリア様を差し置いて妃になる可能性もなくはない。
同じ護衛のベナルサス様は、クリスを気に入り可愛がってくれている。
護衛としての立場を忘れず、クリスとお菓子のやり取りで節度ある交流をしている。
身分が同じ男爵家だし、釣り合いもちょうどいい。
エルク先生は、クリスに忠誠を誓うほどの入れ込みようだ。クリスがもう少し大きくなって、ますます魅力的になったら、恋心に変化するのも時間の問題のような気がする。
元は平民でクリスと身分の差がある。彼と結婚すればクリスの身分も平民になるが、彼が助手ではなく教師の身分を得て、当家やクリス自身が気にしなければ問題ない。
ウィルフレッド様は、クリスに気づかれなかったとはいえ、料理の腕前を気に入って求婚済みだ。
あのとき、相手が身分を偽っていて、本当によかった。でなければ、なかったことにできなかった。
でも、一番厄介なのは、王族であることだ。
王子のレリティール様よりは、王位継承順位がかなり低く、彼自身が婚期を逃しているため、身分の差をとやかく言われることもない。
四人の中で、一番危険人物だ。
でも、今はそれを本人に言って悩ませるつもりはなかった。
入学したばかりで環境にも慣れないうちに、それは荷が重いだろうと判断したからだ。
今は勉学に集中してもらいたい。
「ウィルフレッド様からそれとなくクリスの身の回りのことを尋ねられた。誰かすでに相手は決まっているのかと」
父上が悩ましげに僕に相談話を振って来た。
婚約者の有無について直接娘の親に尋ねることは、貴族社会では婚約の打診の前振りに相当する。
ウィルフレッド様はどうやら本気でクリスを手に入れたいようだ。
王族である彼が望めば、クリスや当家は断るすべはない。
「でも、あの方は、愛人をお持ちでは? 愛の女神の遣いとも言われる聖女の伴侶として相応しくないでしょう」
淡々と事実を述べると、父上もそうだと深くうなずいている。
「あの方は、上司として素晴らしいが、その点については私もクリスの相手として難点だと感じている」
父上は母上一筋だ。愛人を抱えるタイプではなかった。
だから、愛人を嗜みとして持つ貴族文化とは合わないようだ。
「じゃあ、それを理由に断ればいいでしょう。せめて身の回りをきれいにしてから求婚すべきだと」
「確かに、そうだな」
父上と二人してため息が漏れた。
クリスには幸せになってほしい。だから、本人の想い人と結ばれてほしかった。
でも、当の本人が誰にも興味を示していなかった。
むしろ、異性よりも食べ物に興味があるかもしれない。クリスらしくて、それは微笑ましいのだけど。
「アルト、其方も難儀だな。王女に目を付けられて、結婚の申し込みすら来ない」
「面倒くさくなくていいんですけどね。クリス以上に可愛いと思える女の子はいないですし」
苦笑しながら軽口を叩いたが、父上は予想に反して一緒に笑ってくれなかった。
王女のダンスの相手に二年連続で指名されたとき、二年目は断ったけど、王女が諦めてくれなかった。でも、相手は次期女王である王女だったので、仕方なく僕が折れて王女の要求を呑んでいた。
しかし、そのせいで、僕が王女と懇意だと周囲に誤解されるようになった。
僕は家柄的に王女と釣り合いがとれない。それに、この国は一夫一妻制なので、次期女王となる王女といえども他に夫は持てない。
だから、将来僕は王女の愛人だと思われるようになった。そんな僕は、若い年頃の女性にとって難がありすぎた。
そんな憂鬱な話をクリスにはしたくなかった。きっとそんなことを知ったら、クリスは我がことのように怒るだろう。
最近のクリスは何をするのか分からないところがある。
特に自分の大事なものを傷つけられたり失いそうになったりしたとき、今日みたいに彼女は予想もしないほど大胆な行動に出る。
とても心配だった。
「アルト、すまない。其方には苦労ばかり掛けている」
「父上のせいではないですよ。僕は今のところ、クリスの護衛生活が気に入っていますし。もし婚約者がいても、そこまで気を回せません」
そう言っても、父上の表情は少しも晴れなかった。
「父上、正直なところ、教えてほしいんです。僕は父上と母上の本当の子どもなんでしょうか?」
まっすぐ目を見て尋ねると、父上は顔を強張らせて息をのんだ。
僕の目だけ両親の特徴を引き継いでいない。
父上は金髪と青い目で、クリスと同じだ。母上は黒髪と黒目で、誰も紫の瞳をしていなかった。
先祖に紫の目の人がいたんだよって父上は説明していたけど、それでもずっと気にはなったいた。
こんなに体が弱い母上が、果たして子供を二人も産めたのかと。
だから、両親の魔力の属性をひそかに調べた。
そうしたら、魔力の属性は僕だけ浮いていた。
父上は土属性で、母上は風属性。
両親は属性の相性の悪さだけではなく、母上の体の弱さも押し切って、相思相愛で結婚していた。
一方で、僕は火属性だ。決して二人から生まれるはずのない組み合わせだった。
両親から愛情を感じないから、不審に思ったのではない。むしろ実の息子のように分け隔てなく大切にされていた。
ただ単に、血がつながらない事実を引け目に感じていたのは僕だ。
僕の横で幸せそうに眠るクリスを見つめながら、父上からの返事を待った。
ここで第四章は終わりです。




