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学院の再開

 爽やかな朝日を浴びながらわたしとお兄様は学院に登校していた。

 今日から学院が再開したからだ。

 馬車から降りて本館に向かっている途中、


「ああ、なんて清々しいんでしょう!」


 わたしは思わず独り言をつぶやいていた。


「どうしたのクリス? すごく嬉しそうだね」


 隣にいたお兄様が不思議そうにわたしを見つめる。


「ええ、カリキュラムの件が解決しましたし」


 それに、わたしの聖女の評判もきっとガタ落ちしたから。

 お前のせいで魔物に学院が狙われたんだと、学生たちから非難轟々に違いない。

 そうしたら、攻略キャラだけではなく、他の男たちも尻尾を巻いて逃げていくわ。


 実は、今週末に王子とのお茶会がある予定だった。

 彼の信奉値を上げたら嫌だなぁって心配していたけど、もしかしたら相手のほうからお断りの連絡が来るかもしれない。これで一安心だ。

 うふふ。これで安心して悪女に向かってまい進することができるわ。


 そう考えながら、本館に入ったときだ。


「クリステル様!」


 誰かに呼ばれたと思ったら、エルク先生だった。

 彼はわたしを見つめて、まっすぐこちらに近づいてきた。


「おはようございます、エルク先生。一体どうしたんですか?」


 こんな朝早くから彼が会いに来るとは思ってもみなかった。


「クリステル様! この度は学院の危機を救って下さり、本当にありがとうございます! おかげで私の恩師が復職でき、学院長に就任することができました!」


 エルク先生は感極まりすぎて興奮気味で、わたしの目の前で突然跪いていた。


 首になった先生が戻ってきたのは良かったけど、エルク先生のこの過剰な反応は完全に予想外だった。


 彼の態度に驚いて目を丸くしていたら、彼によって右手を勝手に握りしめられた。

 エルク先生の手は、お兄様の手よりも大きくて硬さがあった。慣れない感触にドキリと緊張した。


 エルク先生はそんなわたしの動揺に気づかない。眼鏡の奥にある黒い純真な瞳をまっすぐ見上げたままだった。


 彼の癖のある栗毛が、窓から差し込む朝日によって照らされている。


「あと、私はあなた様に謝罪もしなくてはいけません! あなた様に騎士コースを選ぶと言われたときは、なんておかしな子だろうって残念に思い、その選択に激しくがっかりもしました。でも、あなた様は違った。本当は魔物の脅威とカリキュラムの改悪にいち早く気づき、それに立ち向かう覚悟をしていたのに私は愚かなことに誤解をしていました!」


 エルク先生の目は、まるで女神を讃えるようにキラキラと明るく輝いていた。


「いえ、私はそんなことは……」


 騎士コースを選んだら周囲が勝手に騒いだだけだし、魔物の存在なんて全然気がついていなかった。

 エルク先生の誤解を解こうと慌てて否定しようとすると、彼はさらに興奮する。


「ご謙遜なさるとは、なんて慎ましいのでしょう。しかも、魔物にも慈悲を与えて改心させたと聞きました! 現にある地域の魔物たちが大人しくなったそうですよ! あなた様こそ、真の聖女です! これからはクリステル様と呼ばせてください! どうか私からあなた様に敬愛のキスを送らせてください!」

「まあ! 真の聖女だなんて!」


 エルク先生の称賛に思わず絶句した。

 それこそ悪女を目指すわたしにとって忌避すべき事態だ。


「メリンカさんの騒ぎは、元はといえば、わたくしが彼女の仲間を消したことが原因でしたよ?」

「魔物を庇われるなんて、なんとお優しいのでしょう」


 それも魔物に襲われて仕方がなかったと聞いております、と付け加えられる。


「そ、そんな!」


 騒動はわたしのせいだと責められ、聖女株大暴落するはずだったのに。

 予想とは全然違う絶賛な反応が返ってきてショックすぎる。


「わ、わたしは聖女にふさわしくないですわ! それこそアルメリア様のような高貴な方がピッタリだと思います!」


 色々と誤解しているエルク先生から離れようと思い、彼に掴まれている手を引き抜こうとしたけど、すごい力でガッチリと押さえつけられていて無理だった。

 びっくりしてエルク先生を見つめると、彼は思い詰めたような余裕のない目つきをしていた。


 彼の切羽詰まった様子にビビって反射的に逃げたくなる。でも、彼の手によって頑なに阻止されていた。


「クリステル様! 聖女は血筋で選ばれるわけではございません! 我が国の初代国母であり、伝説とされる聖女は、恋人を聖騎士へと導かれました。そのおかげでその聖騎士は、愛の女神によって国を治める王として認められました。その偉大な聖女は、元はただの娘だったと言い伝えられております!」


 エルク先生の視線が上に向けられる。高く開放的な天井近くに一つの肖像画が飾られていた。

 その絵の中に二人仲良く並んでいるのは、初代国王とされる聖騎士と聖女だ。白銀の鎧に身を包んだ美青年と、ドレスを着た美しい女性が前を向いて微笑んでいる。


『愛をもって民に尽くし、愛を用いて国を治める』


 初代国王以降、聖騎士は出現していないが、代々国王の長子が女神の意思を受け継ぎ、王座についている。


「ですので、私はクリステル様が一番聖女にふさわしいと考えております! どうか私の敬愛の口づけをお受けになってください」


 そう言って返事も聞かずにわたしの右手に向かって彼は唇を近づけてくる。緊張のためか、プルプルと震えている。


 お兄様にいつもされている行為だけど、こうやって無理やり手を押さえつけられた状態だし、なんだかとっても嫌だった。胸の奥がざらざらする。


 彼が必死なのは、よく分かるんだけどね!


 それだけではなく、このまま彼の気持ちを受け入れてしまえば、現在でも高そうな彼の信奉値をさらに上げて攻略フラグを満たしそうだ。

 悪女を目指す以上、聖女として認められるわけにはいかない。なんとしても回避しないと!


「ふんぬ!」

「あ!」


 スポンと力づくで彼から手を引き抜いた。

 呆気に取られているエルク先生を見下ろしながら誤魔化し笑いを浮かべる。


「オホホホ。エルク先生、わたくしの返事の前にキスしようだなんて、気が早いですわ」


 エルク先生は呆然といった表情で言葉を失い、ただわたしを見上げていた。ところが、やがて言われた意味を理解できたのか、顔色をサーと勢いよく青くして、泣きそうな顔になっていた。


「すすす、すいません! 必死のあまりにまたやらかしてしまいました。ど、どうかお詫びにやり直しさせてください!」


 まるで虐げられたワンコみたいな様子だ。小動物系には弱いわたしは、咄嗟に可哀想になり、絆されて彼の申し出に思わず頷きそうになった。

 夢中になって、我を忘れることはわたしもよくあるしね。


 それに、ここは学生の出入りの激しい本館入り口。後からやってきた学生たちが、このやりとりは何事かと怪訝な顔をして先ほどから立ち止まり、様子を見ている。

 エルク先生にみんなの前で恥をかかせるわけにはいかなかった。


 でも、受け入れるとわたしの都合が悪いのよね。

 うーん、困ったわ。……はっ、そうだわ!


 迷いは一瞬だった。すぐに最適解がわたしの脳裏に降ってきたから。


 そうよ。わたしが悪女らしく振る舞えば、エルク先生のメンツを潰さず、彼の申し出を断れるじゃない!


 わたしは肩にかかった金髪を振り払い、自信満々に自分の足を持ち上げて、おもむろに彼に向かって差し出した。


「わたくし、愛のある口づけは家族だけで結構ですの。でも、わたくしの寵愛を得たければ、下僕になるなら許してあげなくもなくってよ」


 フフンと冷たく笑みを添えるのも忘れない。


 こんなことを言うなんて、我ながらひどい女よね。

 エルク先生、驚愕のあまりに顎が外れそうな顔をしている。

 後ろで控えているお兄様がわたしの背中を密かに突き出した。


 足の脛への口づけは、服従を意味している。喧嘩を売る行為だし、相手は侮辱と受け取る。


 だから、わたしのひどい悪態のせいで先生が怒っても、先生の評判は少しも落ちない。

 なんてグッドアイディア!


 さぁ、エルク先生、ここはキレどころですよ!

 ふざけるなって、立ち上がって去るべきですわ!

 早くしないと、片足立ちでバランスを崩しそうなの!

 お兄様、これ以上は突くのは止めて! 体幹がブレちゃう!


 なんとか片足で踏ん張っていると、エルク先生は眉をキリリと逆立てて、意を決した顔つきをした。


 これからエルク先生が怒るんだ。


 やっと茶番が終わると思ったら、彼は身を乗り出してわたしの片足をガシッと両手で抱えた。わたしの靴が彼のズボンの上に触れている。


 ヤダ、先生の服が汚れてしまう!


「エ、エルク先生?」


 わたしの予想とは異なる彼の反応に戸惑って彼の顔を窺うと、彼は一変して褒めてと言わんばかりに歓喜の笑顔を浮かべていた。

 尻尾があれば元気に振ってそうな勢いだ。


「分かっています! 私も初めはこの人何言ってんだってびっくりしたんですけど、すぐに気づいたんです。これも前回と同じようにクリステル様にお考えがあってのことだと! あなた様を信じ抜く心が必要なのだと!」

「えええ!?」


 エルク先生、あなたこそ何を言っているの?


 驚きのあまりに言葉なく口をハクハク動かしていると、エルク先生がなおも言葉を続ける。


「私は契約の神エリュシュリンにも誓います! クリステル様の御心に従うことを。あなた様の喜びは私の喜び。あなた様の悲しみは私の悲しみ。常にあなた様に下僕として忠誠を捧げます!」


 なんてこと!

 神々の名前まで出してしまうなんて!


 エルク先生がそう宣言をした直後、光り輝く契約印が彼の額に発生した。すぐに額に吸い込まれるように消え失せたが、これと似たようなものをわたしは見たことがある。

 マシロの額にある眷属の印だ。あれと紋様は違うけど、雰囲気は似ていた。


 神々の名前を出して約束事をしてしまうと、その約束事を破ったとき、その神様が罰を与えてくる。ひどい場合は死の恐れもあるので、普通の人は簡単に神々の名前を口にはしない。しかも、やっぱり約束を破棄したいとなったとき、その名前を出した神から見放されることになる。

 相手に信頼される反面、自分に大変リスクがある。


 だから、神に誓う行為は、相手に本気だと示すには、非常に有効的な手段だ。


「クリステル様、今度こそ私の想いを受け止めてください」


 エルク先生の熱のこもった黒い瞳がうっとりとわたしを見上げる。やがて、彼は視線をわたしの足に向ける。ゆっくりと彼の顔が近づいてくる。


 あ、ヤバイ。このままでは彼に口づけされちゃう。でも、しろって言ったのはわたしだし!


 エルク先生にしっかりと片足を抱えられて身動きが取れない。


「やっ」


 反射的に声を上げた瞬間だった。

 わたしの背後から腕が回されて、急に体を勢いよく後ろに引っ張られた。

 そのおかげで、エルク先生に抱えられていた足がスルリと無事に逃げ出せた。


「先生にこれ以上の恥ずかしい行為はさせられません」


 お兄様にわたしは背中からギュッと抱きしめられていた。


「大変申し訳ないのですが、そろそろ移動しないと時間の余裕がなくなるので、失礼します」


 お兄様の低い声が体越しに伝わってくる。声を抑えているから分かりにくいけど、少し苛立った感じだ。


「ああ、それは気づかず、すみません」

「行こう、クリス」

「はい、お兄様」


 お兄様はわたしの手を握って引っ張るように先に急ぐ。

 先生の姿が見えなくなったとき、わたしはお兄様を呼び止めた。


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