カリキュラム改変騒動の結末
帰りの馬車はなぜか騎士団長と一緒だった。
本来の当番だった護衛騎士と交換したみたい。
なぜだろう。プリンは昨日護衛で会ったときに渡したばかりだから、早く帰りたい用事でもできたのかな。
実家には帰宅が遅れる連絡はしてあったけど、家人たちはだいぶ心配しているはずだ。
苦手なお片付けして心底疲れたし、とても眠かった。瞼が自然と重くなる。
「クリス、我慢せずに寝てもいいよ」
「んー、でも」
チラリと騎士団長を見ると、彼は肩をすくめて苦笑した。
「気にするのは今さらだろう」
確かに。以前彼の目の前で爆睡したことがあった。
「それじゃあ、お言葉に甘えまして」
お兄様の膝の上で眠ろうとして、今日助けてくれたお礼をまだ言っていないことに気がついた。マシロにも後でちゃんと言わないと。
「お兄様、今日は魔物から身を挺して守ってくださってありがとうございました」
「ううん、護衛として当然のことをしただけだよ。クリスに何もなくて本当に良かったよ」
「お兄様も無事で良かったですわ」
お兄様と見つめ合い、お互いに微笑みあった。優しいお兄様の眼差しがとても愛おしく感じて、いつものように頬に親愛の口づけを送ろうと、お兄様に向かって身を乗り出して近づけたとき、ふいに馬車が揺れた。
車輪が道に落ちていた小石でも乗り上げたのか、馬車は大きく傾き、わたしは勢いあまって、不可抗力でお兄様にそのままぶつかってしまった。
わたしの口が、お兄様のお顔の真ん中に。しいていえば、口らへんに。
ぷにっと柔らかい感触がしたと思ったら、すぐに馬車の揺れて、わたしの体はお兄様から離れた。
何事もなかったみたいに馬車の中は静かだけど、お兄様は目を見開いたまま、わたしを見て固まっている。自分の口元を押さえながら。
口にぶつかったと思ったのは、わたしの気のせいではなかったようだ。
「あの、お兄様! ごめんなさい! 今のは事故ですわ!」
「う、うん……」
お兄様はまだ動揺しているのか、馬車の中は暗いのに、それでも分かるくらい顔が真っ赤だ。
そんな反応をされたら、わたしまで恥ずかしくなってくる。
「あの、家族ですから、お気になさらず! 数に入りませんわ!」
「う、うん。そうだね。家族だもんね!」
うんうんとお互いに顔を見合わせて、作った笑顔でうなずき合う。
あー良かった。気まずい感じにならずに済んで!
「家族でも口づけはしないぞ」
騎士団長の突っ込みは、超スルーしたかったけど、どうやら先ほどの事故をばっちりと目撃されてしまったようだ。
おそるおそる騎士団長に視線を送ると、彼はニヤリと意地悪くほくそ笑んでいた。
「口の中に物が入っていれば、何もしゃべれないと思うぞ」
どうやら口止め料に彼に何か食べさせる必要があるようだ。
「分かりました。後日、我が家に招待いたしますわ」
「うむ、楽しみにしている」
今回お世話になったし、何か騎士団長が喜びそうなメニューを考えよう。
そんなことを計画しているうちにトロンと瞼が再び重くなり、あっという間に眠ってしまった。
「意識を失うように寝るとは。聖女とは大変なのだな」
「はい、そうなんです。聖魔法が体に負担になっているとエルク先生がおっしゃっていました」
「そうだったのか。姿を欺くほどの力ある魔物を一撃で倒せる魔力があっても、良いことばかりではないのだな」
そんな二人の心配そうな会話は、寝ているわたしの子守歌になっていた。
§
翌日、講義どころではなくなったためか、学院は臨時休校になった。
今日は大人しくしなさいとお父様に言われたせいで、わたしとお兄様はお昼前からソファに座って静かに読書している。
昨日、あんなことが起きたのが嘘みたいにのんびりと。
向かいに座るお兄様のサラサラな漆黒の髪は艶があって、窓から差し込む光を反射している。鼻筋が通った端正な横顔は、つい見惚れてしまうくらい綺麗だ。唇も血色がよくて果実のような潤いがある。
ページをめくる指先の動きは上品で、妙な色気があった。
うん、いつもながら自慢のお兄様だ。
「僕をそんなに褒めてもおやつは増えないよ」
どうやら口に出ていたみたい。お兄様の耳が少し赤くなっていた。
そんなお兄様が可愛らしくて目を細めて微笑む。
わたしも再び本に視線を戻したとき、突然訪問者が現れた。
誰かと思ったら、珍しく仕事中のお父様だ。しかも、騎士団長とともに。
リビングのソファでお父様が中心になって対応をしてくれる。
どうやら騎士団長は、メリンカさんの騒動の後始末の最中らしい。
我が家に立ち寄ったのは、どうやら関係者であるわたしたちに現状で判明していることを伝えるためだったようだ。
「メリンカは、墓場から死体の眼球を取り出して使用していたようだ。学院の隣にあった墓場が何度か荒らされていたのも、それが原因だったようだ。現在、死体の身元と眼球を照合している」
お父様がわたしに注意していた墓荒らしの犯人は、メリンカさんだったようだ。
「学院長の様子がおかしかったんですけど、大丈夫だったんですか?」
騎士団長はうなずく。
「あのメリンカという魔物が言ったとおり、学院長は彼女に操られていたようだ。医者の話によると、そのうち自然に治るらしいが、意識の混濁がまだあってしばらく療養が必要らしい。なので、高齢という理由もあって学院長は辞任することになった」
「メリンカがめちゃくちゃにしたカリキュラムはどうなるんですか?」
お兄様が騎士団長に学生にとって一番気になる点を質問してくれた。
「変更前のものに戻る。学生たちには申し訳ないが、二年生のフォローのために、首になった先生方に戻ってもらい、講義を増やすなど対応して卒業に支障がないように善処する。いや、してもらわなければ困る」
先生、戻れるんだ。エルク先生もきっと喜ぶよね。良かったね。
事件のお話のあと、騎士団長は我が家でお昼ご飯を食べていくことになった。
もらった卵が数個余っていたから、ふわふわオムレツを特別に彼に作って出してあげたら大好評だった。
「今日は、その、ないのか」
案の定、食後に気まずそうに騎士団長からプリンを催促されたけど、急な訪問だったから用意できていなかった。
我が家にプリンは常備していないんですよ!
「卵は貴重だから、なかなか手に入らないんですよ。しかも、プリンは冷やすのに時間がかかるので、すぐには用意できないんです」
「そうなのか」
「そんなにお好きならレシピを教えますから、ご自分のお屋敷でお作りになったらいかがですか?」
「それは助かる」
騎士団長はレシピをメモ用の魔法具に書き留めて、お父様と一緒に城へいそいそと帰っていった。
もうこれで彼との接点もなくなるだろう。しめしめ。
騎士団長には感謝しかないですけど、これも悪女計画のため。これからは遠くから彼の活躍をお祈りしておりますわ!
再びお兄様とリビングで二人きりになった。ソファに並んで腰をかけて、二人で寛いでいた。
「カリキュラムが変更前に戻るから、またどの講義を受けるか決めなくちゃいけないけど、クリスはどうするつもりなの?」
「お兄様と同じように二つのコースの履修を目指して頑張りたいと考えています」
「そうなんだ。魔法士コースにあまり興味がなさそうだったけど、思い直してくれてよかったよ。せっかく魔力があるから、活かせたほうがいいと思っていたから」
「はい。わたくし、今回あのメリンカと戦って気づいたんです。もっと強くなりたいって」
わたしの最大の武器は、現状では聖魔法の浄化だけだ。
その他はお兄様やマシロに頼らなくては、全然ダメだった。それに浄化は魔物にしか効果がない。その他の敵が現れたときに対処できなかった。
お兄様が、大切な人がピンチのときに、いやピンチにならないように、わたし自身が最強の悪女になろうって決意したの。
すると、お兄様がキュッと横からわたしを優しく抱きしめてくれた。
「僕もクリスに心配かけないくらい強くならないとね」
「お兄様」
肩に回されたお兄様の手に、いつもより力が入っていた。
「お兄様、助けてくれてありがとうございます。でも、無茶はしないでくださいね」
「クリスもだよ。ゾッとしたんだよ? クリスが殺されそうになったとき。クリスこそ、二度と危険な目に遭って欲しくないよ」
どうやらわたしたちが抱えていた気持ちは同じだったようだ。
「じゃあ、お互いに強くなりましょうね」
お兄様の顔を見上げて、そう提案すると、そうだねってお兄様は愛おしそうに目を細めて微笑んだ。
でも、このとき、わたしは何も気づいていなかった。
学院を混乱に陥れた魔物を見事に見破って改心させ、操られていた学院長を救い、学院の先生や学生たちの危機を救った「慈悲深い聖女」として、新学院長に就任した元教授から感謝状を贈られ、みんなから称賛される翌日が来ることを。
悪女への道にさらなる困難が待ち受けているなんて一ミリたりとも思い至らず、わたしはお兄様大好きって抱きついていた。
これにて第三章、完結です。
お読みいただき、ありがとうございました!
現在第四章を執筆中です。
第四章を書き終えたら、投稿を再開しますね!