メリンカの答え
「学院長を放せ! 卑怯だぞ!」
お兄様が悔しそうに叫ぶ。
「オホホホ、なんとでも言うといい」
余裕の笑みを取り戻したメリンカさんが、学院長の首に手を添える。
「さあ、早くなさい! この男の首が落ちるわよ」
「くっ……!」
お兄様が心底無念といった顔つきをして振り返ってきた。わたしの顔色を窺い、メリンカさんに従うしかないと目で訴えてくる。
学院長を見捨てるわけにはいかないと。
わたしはお兄様を迷いのない目で見つめ返し、すぐさま口を開いた。
「いいえお兄様。メリンカさんの指示に従う必要はありませんわ」
「なんですって!? この男がどうなってもいいの!?」
メリンカさんが信じられないといった声で叫んでいた。
「ええ、そうですわ」
あっさりと答えると、お兄様もメリンカさんも唖然として口をポカンと開けっ放しにする。
「お前は聖女だろう! 慈悲深いはずの! なぜそんな薄情なことをするの!? 魔物だって仲間を見捨てたりしないのに!」
「なぜと言われましても。学院長を助けることによって、わたしたちの身に危険があったら、本末転倒ではないですか。そこまで助ける義理はありません」
「なんですって!?」
メリンカさんは愕然とした表情を浮かべた。
確かにメリンカさんの言うとおり慈悲深い聖女なら、学院長の命を救おうと自己犠牲の精神で身を挺してまで助けようとするだろう。
でも、わたしは違う。悪女を目指しているから、自分のことをなによりも優先する。
大切なお兄様を危険にさらすなんて、とんでもない!
「それに学院長はメリンカさんのせいで正気を失っていますし、殺されてもご本人は分からないと思います」
メリンカさんはハッとして、虚ろな目をしている学院長を見つめる。
「こ、これは私の支配が中途半端に抜けかかっているせいですわ。放っておいたら自然に治るわ!」
「それはよかったです。それよりもですね、実はわたしはあなたに謝らなくてはならないことがあります」
「なんですの!?」
メリンカさんは、万事休すな感じで、やけっぱちになってキーキーとヒステリックに怒りまくっている。
わたしは沈痛な面持ちをして姿勢を正すと、彼女に向かって頭を深々と下げた。
すると、他の二人から息をのむ声が聞こえた気がした。
「あなたが大切にしていた魔物を殺してしまって申し訳なかったです。ごめんなさい」
あのとき、魔物に襲い掛かられたから消し去ったけど、魔物を殺されて悲しむ誰かがいるなんて思いもしなかった。
メリンカさんは言っていた。「魔物だって仲間を見捨てたりしない」と。
彼女を凶行に走らせたのは、わたしが原因だったんだ。
「そんな、今さら謝られても遅いわ! あの子の核まで消されて無くなっていたから、もう二度と帰ってこないのに!」
メリンカさんの声が動揺して明らかに震えていた。
驚いて顔を上げたら、ポロポロと彼女は金色の目から大粒の涙を流していた。
わたしはそれを見て、途方もない罪悪感に苛まれた。
でも、彼女が口にしていた「核」は、もしかして――!
思い当たったため、慌てて自分の収納用魔法具から、あのときのドロップアイテムを探そうとした。でも、急ぐあまりになかなか見つからない。それもそうだ。この中に入れたのは、だいぶ前だから。中身をひっくり返すような勢いで探したら、やっと出てきた。
レアアイテムとされる貴重な魔石だ。虹色に輝く宝石のようだった。
それを持ってメリンカさんに差し出した。
「ごめんなさい。これ、その魔物を消したときに現れたものなんです。メリンカさんが言っていた核って、これのことですか?」
メリンカは見た瞬間、息をのんだ。黙ったまま、わたしの顔とわたしの手の平に置かれた魔石を交互に見比べた。
やがて、彼女はゆっくりと警戒しながら手を伸ばして魔石を受け取った。少しずつ窓に向かって後ずさりながら、持っている魔石を胸の前でぎゅっと大事そうに握りしめていた。
「ああ、そうよ。あの子の核だわ。また会えるなんて思わなかった……!」
それからメリンカさんはガラス窓に背を預けると、わたしたちをまっすぐに見た。
まだ涙で目が潤んでいたけど、もうそこには憎しみはなかった。
「……あなたは変わった聖女ね。わたしを殺さないばかりか、謝ってくれて、こうして核を返してくれるなんて」
メリンカさんはちょっと顔をぎこちなくひきつらせていたけど、確かに彼女は微笑んでいた。そして、
「今度この子には――、配下たちには、無闇に人間を襲わないようにしつけるわ」
そう叫ぶと、勢いよく窓をぶち破って逃げ去っていった。
わたしは慌てて窓際に寄り、彼女の後ろ姿を見送る。あっという間に彼女の姿は豆粒みたいに小さくなり、やがて全く見えなくなった。
彼女は許してくれたんだ。
やっと安心することができて、重い肩の荷が下りた気がした。
深くため息をつくと、傍にお兄様が近づいてくる足音がした。
「メリンカさんが魔物だったとはね。でも、殺さなかったのは、どうして?」
「えっ、彼女を殺す必要ありました?」
自分が覚悟した行いならまだしも、意図せず誰かを傷つけたなら、まずは謝るべきだと思ったと説明すると、お兄様はようやく納得してくれたみたいだった。
それに元はと言えば、わたしが原因だったみたいだし。
魔物を倒さなかったし、聖女としての評判はガタ落ち確実ね!
「それにしても、クリスが無事で良かった」
隣にやってきたお兄様が、しみじみと安心したようにつぶやく。
わたしも同じ気持ちだったから、言葉なくお兄様の腕に甘えるように抱きついた。すると、いきなりお兄様にデコピンされて、額にコツンと小さな痛みが走る。
「一体何をするんですか、お兄様!?」
お兄様の心ない振る舞いに驚いて抗議すると、お兄様が凍ったような笑顔を浮かべながら、後ろを指さしていた。
「あれは一体、どういうことかな?」
お兄様が指差しているところには、山があった。
先ほどわたしの収納用魔法具から出てきた過去の負の遺産たちが。
怒り心頭なお兄様によって、それらは容赦なく暴かれる。
「あのさ、これなに? 信じられない! いつのパンなの? ゲッ、カビている! 食べものを入れちゃダメって言っているだろ!?」
ひぃ! お兄様が鬼モードになっている!
「これもありえない。ハンカチをよく失くすと思ったら、一体何枚ここに入れていたの!?」
お兄様、そろそろご勘弁を……。
「これゴミだよね? なぜこんなものをわざわざ入れるのかな!?」
お、お兄様、助けて……。
このあと、お兄様にこってりと絞られながら片づけ始めたら、騒ぎを聞きつけて駆けた先生たちが続々と入室してきたので、それどころではなくなった。
しかも、騎士団長までいた!
彼の格好が護衛のときとは明らかに違う。騎士団長の身分を現す紋章が縫われたマントを身に着けていた。
なぜ彼がウィルドではなく騎士団長として学院内に!?
呆気にとられていたわたしとは違い、お兄様は特に驚いた様子もなく、騎士団長に向かって挨拶をしていた。
二人の訳知り顔の様子を見ると、どうやらどこかで二人は通じていたようである。いつの間に。
騎士団長はカリキュラムの件で学院に用があったようだ。わたしの愚痴を聞いてさっそく行動に移すなんて、さすができる男は違う。
お兄様も事情を聴かれて正直に答えていた。
その間、わたしはというと、お兄様に命じられて、一人でずっと収納用魔法具の中身を整理していた。グスン。
「慈悲の心で魔物の悪行を許し、改心させるとは。さすが聖女だな」
お兄様の話を聞いて騎士団長が何か呟いていたみたいだけど、周囲は他にも人がいっぱいで賑やかだったから、わたしにはよく聞こえなかった。




