魔物学
本日最後の四時限目は、魔物学だ。これも必須科目だ。
お兄様に送ってもらって教室に向かうと、一年生たちのほとんどがすでに席に座っていた。
教卓の上に置かれた動物用のケージが賑やかで、学生たちがじっと観察している。
もしかして、講義で使う魔物の一種だろうか。
好奇心から近づいて中を覗くと、一匹の黒い猫がいた。わたしを見た瞬間、威嚇しはじめた。
「フー!」
毛を逆立てて尻尾まで爆発したみたいに膨らんでいる。
けれども、ケージの外から指を一本差し出すと、猫の習性でクンクンと匂いを嗅ぎ始める。
ふふ、可愛いわね。
濡れた猫の鼻先がわたしの指にちょんと触れた途端、黒いモヤみたいなのが猫の体から抜けて霧散していった。ケージの外まで広がって、すっかり消えてなくなった。
「あら?」
今のは一体何が起こったのだろう。
先ほどまで喧嘩腰だった猫は、すっかり様変わりしていた。甘えた声を出しながら、ごろごろと喉を鳴らして、わたしの手にスリスリしだしている。
可愛いから、まぁいっか。
チャイムが鳴ったので慌てて席に着いたとき、担当の先生が教室に入ってきた。
「はーい、皆さん! 魔物学を担当するエルクです! よろしくお願いします」
すごく若い男性だ。先生になるには早すぎる気がするくらいに。
それもそのはず。彼は本来なら助手で、講義を受け持っていなかったはず。
エルクはゲームの攻略キャラだから覚えていた。
名前といい、栗毛のちょっと硬そうな癖のある髪、眼鏡の奥にある知的そうな黒い瞳も、彼の特長そのもの。人違いではないと思う。
なぜ彼から教わる状況になったのか理解できないけど、今は余計なことを考えずに講義に集中しよう。
「まず、魔物についてですが、この世界ではどういった存在か。みなさんよくご存じかと思います。そう、我々人間の天敵です。残酷なので、たとえ小さな魔物でも存在を許してはいけないものです」
学生のみんなは真剣な顔をして、先生を見つめながら話を聞いている。
「今日は魔性化について説明したいと思います。最近魔王の復活が噂されているので、一番身近な問題だと思ったからです。ところで、魔性化について知っている人、いますか?」
エルク先生が尋ねると、何人かの学生が手を上げた。
「はい、そこの君」
指された学生が立ち上がった。アルメリア様だ。
「魔性化は、瘴気に汚染された状態のことを言います」
「そうです! 素晴らしい! よく予習をしていましたね。瘴気に身を侵食されると、魔性化してしまいます。そうなった生き物はどんな風に変化しますか?」
さらに学生たちが答えようと、手を上げてアピールしている。
「そうだね。次はそこの君!」
「はい、一時的にですが、魔物のような状態になります。目が金色になり、正気を失い、凶暴化します。そのまま放置してしまうと、死んでしまうか、魔物そのものになってしまい、命の危険があります」
「そう、そのとおりです! このクラスは大変優秀ですね。魔性化してしまうと、大変危険なんです。魔物の特徴である金色の目にご注意です。ちなみに、人間も魔性化してしまいます。その際は非常に気をつけてください。姿形で騙されないように敵を見抜きましょう」
答えた学生たちは、フフンと誇らしげに微笑んでいた。貴族の出身の学生は、予習をしっかりしてきているのだろう。
わたしもだいたい内容についていけていた。知っていたけど、目立ちたくないから手を上げずに黙っていた。
「じゃあ、どうやって魔性化を治すか知っていますか?」
「はい!」
「じゃあ、元気よく返事をした君、どうぞ」
「聖水などで浄化します!」
「そう、そのとおりです。聖水もそうだし、この教室にいる聖女二人の浄化の力でも可能です」
エルクがそう言った途端、学生たちの視線がわたしとアルメリア様に集まる。
「へー、その二人がそうなんですね」
エルク先生に気づかれてしまった!
「今日は実際に魔性化された猫を持ってきたんです。えーと、こちら側の列から近くに来て覗いてごらん」
先生に指示され、窓側の席にいる学生たちが立ち上がって観察し始める。
えっ、あの猫って、魔性化していたの?
なんか嫌な予感がする。
「先生! 猫の目が金色ではなく、緑色です!」
「なんだって!?」
学生の指摘を受けて、エルク先生が慌ててケージに駆け寄り、猫を覗き込む。
「本当ですね。浄化されてしまっています。でも、おかしいですね。魔性化の治療は、聖水で全身を浸すくらいの聖属性の魔力が必要なんです。そんな目を離したすきに一瞬で浄化が可能なわけがないのですが……」
エルク先生がブツブツ考え込んでいると、「先生!」と学生が話しかけてきた。
「講義が始まる前にクリステル様が猫に近づいていました!」
「そうそう、そのときに何か黒いモヤがケージから出ていきました!」
ヤダ、みんなして本当のことを言わないで!
正直でいい子すぎるわよ!
「ほほう、クリステル嬢が」
エルク先生がわたしをスッと目を細めて見つめてくる。
先生と目が合った瞬間、ギクリと体が強張った。
もしかして、お仕置きタイムだろうか。申し訳ないとは思うけど、わざと浄化しちゃったわけじゃないのに。
先生は無言のまま、ツカツカと靴の踵を鳴らしてわたしの隣にまで近づいてきた。
「クリステル嬢、答えなさい。あなたはその猫に何をやったんですか?」
エルク先生の丸い眼鏡のレンズがキラリと怪しく光った気がした。
わたしは冷や汗をかきつつも立ちあがり、「はい」と答えた。
「も、申し訳ございません。猫に指の匂いをかがせました。威嚇していたので、慣れてもらおうと思って。あの、魔性化していると知らなかったんです」
「匂いをかがせただけなんですか?」
「はい、猫が近づいてきたので、偶然わたくしの指に猫の鼻先がチョンと触れたんです。そのとき、猫の体から何か黒い煙が出た気がしました」
エルク先生はそれを聞いた途端、残念そうな顔をして頭を押さえていた。
「はー、わかりました。どうやらクリステル嬢は聖魔法を垂れ流し状態のようですね」
垂れ流し!?
「まあ、この話は講義が終わったあとにしましょう。では、残念ながら魔性化した生き物は見せられなくなりましたが、講義を続けます」
そのあと、エルク先生は何事もなく講義を進めてくれた。けれども、わたしはこのあとに居残りが確定してしまい、嫌な予感がして仕方がなかった。
だって、エルク先生は攻略キャラだ。ここで対応を間違えてしまったら、攻略フラグを立ててしまう。
それにしても、こんなイベントはゲームの中でなかった気がするんだけど、どういうことだろう。
まあ、今は講義に集中しないと、テストで赤点をとってしまう!




