剣技の実技
翌日の朝もまた、わたしたちはお父様に馬車で学院まで送ってもらった。
「クリス、学院の隣にある墓場には近づくなよ。墓荒らしがまた出たらしい」
「まあ、お父様! わたくし墓場には用はありませんわ」
心配性なお父様の頬に親愛のキスをしてから馬車を降りた。
扉が閉じられて、お父様を乗せた馬車が来た道を戻っていく。
行きと帰りは、誰かしら護衛の騎士が同行することになっている。
「さあ、行こうか」
「はい、お兄様」
お兄様にエスコートされて、学院の正門をくぐる。
「校舎入り口で、もう一人の護衛の学生と会う約束になっているんだ」
「まぁ、そうでしたの」
と答えて、その人物を知らないふりをする。
この世界の聖女は、いるだけで魔を遠ざける清い存在。
さらに圧倒的な魔力を持つため、貴重な人材である。それを国で保護するのは当たり前なので、護衛がつくのは当然な流れ――らしい。
学院には聖女のわたしだけではなく、王族や貴族も通うので、その身分の高さによって当然護衛が必要になる。
ただ、護衛対象はほとんどを安全な学院で過ごすので、学院内にいる間は在学中の人物に護衛を任されることが慣例となっていた。
そのため、護衛に適した人物が、護衛騎士見習いとして任命される。
アルトお兄様がわたしの護衛の一人に選ばれたのは、当然だった。
ただ、お兄様だけでは大変なので、護衛は最低二人と決まっている。
「初めまして、二年に在籍のベナルサスです。学院内の護衛として、お傍にお仕えします」
赤毛の美少年が、わたしにお辞儀する。目をキラキラさせて純真そうなまなざしでわたしを見ている。
彼も攻略キャラの一人だ。
この人とのカップリングのコンセプトは、主従関係だったかしら?
以前、ゲームをプレイしたときは、彼をパートナーにして順調にイベントを勝ち進むと、勝手に好感度が上がり、気づけば棚ぼた的に攻略してしまったので要注意人物だ。
「クリステルです。ベナルサス様、お勤めお疲れ様ですわ。でも――」
いったん言葉を止めると、相手を挑発するように見上げる。
「わたくしに惚れたら恐ろしい目に遭いますわよ? 覚えておいてくださいね?」
「え?」
ベルナサス様は褐色の目を丸くして、わたしを食い入るように見つめる。
ふふん、そうでしょう。驚いたでしょう。
ふざけるな!って怒ると思って、わざと挑発したのよ。
絶対に好かれるわけにはいかないし、わたし、悪女ですもの。
性格の悪いことを平気で言えちゃうのよ。これで彼とのご縁もこれまでね。
悪女に純愛は不要なのよ。
「……あの、恐ろしい目とは、一体どのようなことですか?」
「えっ?」
その質問は予定外だった。まさか尋ね返してくるとは思わず、内容を何も考えてなくて慌てるはめになった。
「えーと、おやつの時間に楽しみにしていたクッキーをお兄様に全部食べられてしまったり」
そう、あのときは地団駄を踏むくらいショックだったわ。
お兄様ったら食いしん坊だから、厨房にこっそりつまみ食いしに行くのよ。
あれ以来、大事なおやつは自分の名前が書かれた箱に入れてもらって保存している。
悔しい気持ちを思い出しながら話すと、ベルナサス様はまるで残念なものを見る目でお兄様に視線を送る。
「可愛い妹のおやつを食べるとは、それはひどい所業ですね」
「そうでしょう。お兄様のことは大好きですけど、あれだけは許せませんの」
うんうんと深くうなずく。やっぱりベルナサス様もおやつの恨みの恐ろしさには、覚えがあるみたいね。
「で、それだけですか?」
「え?」
なんと! ベルナサス様には、この恐怖が物足りなかったようだ。わたしはまた必死に自分の頭の中にしまわれた恨み帳を引っ張り出す。
「そうですね。お父様の髭じょりの頬擦りなんて、かなり恐ろしいですわよ。それだけではなく、夏場にあの暑苦しいお父様の筋肉に抱きしめられると、さらに苦行ですのよ」
「そ、それは嫌ですね」
ベルナサス様はとても嫌そうな顔で即答だった。やはりお父様は、わたしだけではなく他の男性からも恐れられる存在のようだ。
お父様のことは大好きですけど、あれだけは耐えられないの。
「やっと、ご理解いただけたみたいですね。それではくれぐれもお気をつけくださいね」
「お、覚えておきます」
ベルナサス様は素直に返事をしただけではなく、口元を手で押さえて肩まで震わせている。
恐怖のあまりに震えているみたい。ちょっと脅かしすぎたかしら。
「クリステル様のお情けにすがろうと、思わず両腕でぎゅっと抱きしめたくなります」
わたしを見つめるベナルサス様の褐色の瞳は、怖くて泣きそうなのか少し潤んでいた。さらに、こみ上げる感情を必死に堪えているせいか、心なしか頬が赤い。
「……か、かわ可愛いすぎます」
何か言っていたけど、小さすぎた上に声が震えていて聞き取れなかった。
それにしても、男の人を泣きそうになるほど怯えさせるなんて、我ながら罪なことをしてしまったわ。
悪女を目指すとはいえ、罪悪感のあまりにため息が出そうになる。
とりあえず恋愛フラグを無事に折れて良かった。
「それは良かったわ。では、後ほど」
そう挨拶して可哀想なベナルサス様とは別れた。
「全く、わが妹ながら恐ろしい可愛さだ。また信奉者が増えた気がする」
「お兄様、なにかおっしゃいましたか?」
小さい呟きで聞き取れなかったので尋ねたが、お兄様からは「なんでもない」と首を振られた。
お兄様がそう言うなら、きっと大したことではなかったのね。
一限目から選択した講義を受けに行く。
教室まではこのままお兄様に送ってもらった。基本的に移動の際に護衛なしで動くことは禁じられている。
「今日の二時限のあとの護衛は、ベナルサス様に頼んでいる。僕は用事があるから、あとで中休みに本館二階のテラスで合流しよう」
「はい、わかりましたわ」
お兄様と別れて教室に入った途端、まるで大輪の華やかな花のような存在感が視界に入った。
「おはようございます! アルメリア様!」
教室にいたアルメリア様は、取り巻きたちと共にすでに着席していた。
教室は備え付けの長いテーブルと椅子が設置されている。自由に座ってもいいようだ。
「あら、クリステル様、おはようございます。でも、そんなに大声を出されなくても聞こえますわ」
アルメリア様はわたしを見て、ツンと眉を顰める。すると、彼女の友人たちが同じように冷ややかな視線を向けてきた。
「本当、同じご令嬢とは思えないですわ」
「はしたないですわ」
ああ、この悪役令嬢らしいやり取り、なんて素敵!
朝から元気が出てきたわ!
「申し訳ございません。朝からアルメリア様にお会いできるなんて、幸せすぎて気持ちが抑えきれませんでした!」
「まぁ! あなたっていう人は……」
アルメリア様は驚いたように目を丸くして、口をハクハクさせている。でも、すぐに気持ちを切り替えたのか、いつもどおりのキリッとした顔つきに戻った。
「まあ、いいでしょう。あなたの振る舞いは、同じ聖女であるわたくしの評判にも響きますの。見逃せないので、講義中わたくしのそばにいることを許しますわ」
「まあ! ありがとうございます!」
アルメリア様ったら、一緒に座りましょうって誘うだけなのに、なんて可愛らしい台詞なんでしょう!
「ああ、アルメリア様の側にいられるなんて幸せですわ」
「もう、クリステル様ったら! そんなにわたくしを褒めるだなんて、何か企んでおりますの?」
「アルメリア様とお友達になれたらいいな、くらいしか考えておりませんわ」
すると、アルメリア様の白磁のような頬が赤く染まり、ますます華麗さに磨きがかかる。
「わたくしとお友達になりたいだなんて、本気ですの?」
すると、彼女の友人たちが、クスクスと嘲笑を浮かべる。
「なんて図々しい」
「身のほどを知らないのね」
わたしはすぐに自分の失言に気がついた。アルメリア様はわたしよりも実家の身分が高いので、友達としては釣り合いが取れていなかった。
「あ、ごめんなさい。じゃあ、取り巻きでお願いします」
そう素直に謝ると、アルメリア様は目をまた丸くしてオホホホと鈴が鳴るように軽やかに笑った。
「クリステル様ったら、いやですわ。わたくしはご学友をそのような扱いはしませんわ。ええ、友達でよろしくってよ。同じ聖女ですしね」
「わぁ! とても光栄ですわ!」
やった! アルメリア様とお友達になれたよ!
すると、周囲の人たちが、「素晴らしい」とアルメリア様を褒め称え始める。
「アルメリア様ったら、なんと心がお広いのでしょう」
「優しいお心遣いに感謝するべきですわ」
そう言ってくるので、わたしもうんうんと深く同意した。
「本当ですわね。ありがとうございます」
にこにこと喜んでいると、教室の隅から視線を感じたので思わず振りむいてしまった。すると、王子がこちらを気にしているのか、側近たちに囲まれながらチラチラとこちらを見ていた。
目が合ったので会釈すると、王子はニコっと嬉しそうに笑う。
王子、ちょっと強引なところはあるけど、根は良い人なのよね。
ゲームでは好意をもってグイグイ迫ってくるから、俺様系キャラとして人気だった。
騎士団長の件があったので、すっかり忘れていたけど、王子とのフラグをまだしっかりと折っていなかった。
わたしは悪女を目指し中だから、将来王子と一緒に道を歩むことはない。だから、彼の貴重な時間をとらせるわけにはいかなかった。
いずれフラグをきっちりと折らせていただきますわ!
こうして悪だくみを考えている間に先生が入室して、講義が始まった。
一限目は、基礎語学だった。
腰に下げた収納用魔法具から教科書と石板を取り出す。
貴族っぽい子供たちは、自宅で予習しているのか、問題なく解いているようだ。でも、平民の子は、必死な様子で石板に書き写している。
毎回、講義の最後にテストがあり、全講義終了までに全て合格できないと、単位が取れないようだ。
わたしが使っている石板の魔法具は、ノートみたいに記憶して参照もできる機能を有している。大変高価なものなので、お父様に入学祝に買ってもらっていた。
でも、平民はごく普通の石板を使っている。スペース内を書き切ったら、毎回消さないと次の文字を書けない。
わたしやアルメリア様たちは苦なく合格できたけど、平民っぽい学生の何人かはギリギリ合格だったようだ。
「次は基礎魔法ですわね。教室が違うから、移動しないといけませんわ。クリステル様、行きますわよ」
「アルメリア様、申し訳ございません。わたくし、剣技の実技を受講しますので、ご一緒できませんわ」
「あなた、基礎魔法を受けませんの!?」
「そうなんです。アルメリア様、ごめんなさい、着替えがあるため、急がせていただきますわ。失礼いたします」
体育の授業のようなものだから、動きやすい格好に着替えなくてはならなかった。
教室を出ると、お兄様が廊下で待機していた。
「こっちだ。行くよ」
お兄様に案内されて鍛錬場に向かう。
そこの更衣室で収納用魔法具から運動着を取り出す。
この魔法具は、値段によって性能は変わるけど、基本なんでも入って便利だ。
お父様に七歳の誕生日プレゼントにもらった。
速攻で着替えて、集合場所にたどり着く。お兄様はわたしの姿を確認してから自分の講義に戻っていく。護衛は超忙しい。
運動するから、普段は下ろしている髪をお兄様みたいに束ねてみた。
この国では女性で髪を上げるのは既婚者だけなので、コンパクトにまとめられない。
「クリステル・リフォード。あなたは聖女だろう。なぜ基礎魔法ではなく、剣技の授業にいるのだ?」
剣技の先生が不思議そうに確認してきた。彼は三十代くらいで、がっしりとした体格をしている。
「わたくしが騎士コースを選択したからですわ!」
はっきりと宣言すると、先生だけではなく、ここにいた学生たちからも驚きの声が上がっていた。
「だが、あなたの魔力は、入学前の検査で、学院開校以来、最高値を計測したと聞いているぞ」
「いいえ、違います。先生」
先生の誤解に気づいたので、きちんと訂正をする。
「最高値を計測したのではなく、魔力計測器では、計測不能だったんです」
説明した途端に周囲からどよめきが聞こえてきた。
「計測不能だと……!?」
「どれだけ魔力があるんだ!?」
すると、先生が額を痛そうに手で押さえた。
「クリステル・リフォード。計測できないほど魔力が多かったのは、あなたが初めてだったんだ。あなたほど魔力が多いのに制御の専門的な訓練を受けないと、危険な場合があるんだ。悪いことは言わない。今すぐに魔法士コースを履修するために基礎魔法の講義に向かいたまえ」
「そんな」
まさかの先生からのダメ出しにわたしは絶句した。
ヤバイ。このままではわたしの悪女伝説は早々にとん挫してしまう。
お約束の展開「もはやこれまで」のときに切れのある動きで、ピンチを脱したかったのに。
このままじゃ、ぶった切られて成敗されちゃう!
ここはなんとか先生を説得させないと!
そう決意して、キリっと顔つきを改めて先生に向き直った。
「わたくしの実家は代々騎士として国王陛下にお仕えしているのです。聖女である前に、騎士としての血が、わたくしにも流れているのですわ! どうか先生、そのようなことはおっしゃらないでくださいませ。二年生で基礎魔法は受講しますので」
騎士である前に悪女でもあるけどね。
先生にわたしの真剣な想いは伝わったのか、先生はじっとわたしを見つめたまま、何か思い詰めたように考え込んでいた。
「……そこまで本気で騎士を目指していたのか」
先生はポツリとつぶやいたあと、とても残念そうにわたしを見つめる。
「だが、クリステル・リフォード。聖女をみすみす間違ったコースに進ませるわけにはいかない。現状では、基礎魔法を一年生で受講しないと魔法士コースの履修は完了しないのだ。だが、魔力の多い聖女を魔法士として導けなかったなんて、指導力不足として私が叱責されるかもしれない。最近の学院は、非常に居づらい雰囲気になっている。だから悪く思わないでほしいのだが」
「ええっ!?」
今、この先生は自分の保身のためって言わなかった?
「一体、どういうことなんですか?」
「詳しくは言えないが、今の学院内は非常にピリピリしているんだ。本来なら、自ら学びたいと願う学生の気持ちを踏みにじる真似はしたくないのだが」
何か先生でもどうにもならない事情がありそうだった。
「先生のおっしゃることは、よくわかりました」
言いながら深くうなずいた。
「そうか。それなら急いで基礎魔法の講義に向かうといい」
「いいえ、向かいません」
「どうしてだ!?」
「それは、わたくしがとても悪い子だからです」
自分の胸に手を当てて、堂々と宣言した。
「「「え?」」」
先生だけではなく、こちらの様子を窺っていた学生たちも一斉に同じ表情を浮かべる。
目を点にして、唖然としている。
「先生はわたくしに魔力が多い場合のデメリットを説明してくださり、さらに魔力の多い人は魔法士コースを選ぶようにと指導してくださいました。また、わたくしのために何度も説得をしてくださいました。みなさま、そうですよね!?」
急にわたしに同意を求められた学生たちは、反射的にコクコクとうなずいていた。
「ほら、先生。ここにいる学生たちが証人です。先生は指導者として最大限勤めを果たされました。でも、わたくしは先生の話をきちんと理解しながらも悪い子なので従わなかったのです。だから、わたくしが剣技の実技を受講するのは、全部わたくしの責任なのですわ!」
そう、わたしは悪女を目指しているの!
悪い子なのは、とても誇らしいことなの!
自信をもって言い切ると、先生は言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。
やがて、肩を震わせて、笑い始める。
「全く、あなたほど悪い子は初めてだ。仕方がない。あなたの言うとおり、私の適切な説得は効かなかったことにしよう」
おお、先生の説得に成功したわ!
悪女伝説、一つ作れたね!
そのとき、わたしたちのやりとりを見守っていた男子学生が、「あの」とおそるおそる手を上げて発言の許可を先生に求めていた。
「なんだ?」
「先ほど先生がおっしゃっていたことですけど、一年生で基礎魔法を受講しないと魔法士コースの履修が完了しないって本当ですか? 二年生で基礎魔法を受講しても間に合わないんですか?」
「ああ、そうだ」
先生が答えると、顔色を青くした学生が何人もいた。
「なんだ、知らなかったのか? カリキュラムが去年から変更になったんだ。変更前は両方のコースの基礎を学んでから、騎士か魔法士どちらのコースを専攻するか決めていたが、現在のカリキュラムは最初から選ばないといけない。今からなら間に合うぞ。魔法士コースを目指したいやつは向かうといい」
先生が許可を出すと、学生たちが慌てて鍛錬場から去っていく。
「クリステル様がいなかったら、気づかないままだったかもしれません。ありがとうございます!」
ある学生には礼まで言われてしまった。
いや、別に、そんなつもりでは。
びっくりするくらい学生たちがいなくなり、残ったのは数人だ。男子三人に、女子はわたし一人。
なんてこと! まさかの女子ぼっち!
「あの、先生。騎士コースは剣技を一年生から受講しないと履修は完了しないんですか?」
「ああ、そうだ」
魔法を使えると就職に有利な世の中だから、魔法士コースの人気は仕方がない。とはいえ、この騎士コースの不人気さは将来大丈夫なのかしら?
そのとき、ちょうど授業開始を告げるチャイムが学内に響き渡った。
「これより剣技の実技を始める。参加者は二列に整列しろ!」
残っていた学生たちは慌ただしく動き出した。
準備体操をして身体をほぐしたあと、模擬刀を持って実技が始まる。
「まずは素振りだ。五十回、はじめ!」
このくらいは普段の練習でも行っていたから、特に苦なくこなせた。
「ほう、さすが騎士コースを希望するだけはあるな」
先生がわたしを見て、ニヤリと笑う。
そのあとは、基本的な打ち込みの種類を教わり、ひたすら練習を行った。
終わったあとの両腕は、疲労でパンパンだ。わたし以外にも男子学生も疲れ切っている顔をしていた。わたしだけではなくてよかった。
「今日はここまで! よく頑張った! よく揉んでおくと、あとに残りにくいぞ」
先生の労いの言葉を聞いて、本日の実技は終わった。
はー、疲れたけど、無事についていけてよかった。
騎士コースを希望する人だけあって、わたしより優秀な人が多いと思ったから。
日頃から練習しておいてよかったー。