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悪女的な科目選択

 静まり返った学院長室に二人の男女がいた。

 年老いた学院長と、若く美しい女だ。

 学院長は重厚な椅子に腰かけている。その彼の膝の上に女が横掛けに甘えるように座っている。

 女は学院長の首に両腕をまわし、豊満な胸を相手の体に押し付けていた。


「学院長、わたしの言うとおりにしてくだされば、もっと良いことをして差し上げますわよ?」

「モット、イイコト……?」


 学院長の目はうつろだ。焦点の合わない視線のまま、女の声に反応する。

 女は金色の瞳を妖艶に細める。血のように赤い唇を学院長の耳元に寄せてささやいた。


「そうです。学院長に歯向かう者を全て辞めさせてくだされば――」


 学院長は壊れたラジオみたいに「サカラウモノ、ヤメサセル」と白い髭を蓄えた口から言葉を漏らしている。


 それを見て、女は冷たく薄笑いを浮かべる。


「ふふ、いい子ね」


 あとは私が聖女を殺せば、計画は完璧よ。


 そう女は憎しみを込めて低く独り言つ。


 二人の傍にある机には、密封された瓶が置かれていた。その中は透明な液体で満たされ、不気味な二つの球体が怪しく光を反射しながら浸っていた。



§




 どうやらわたしは寝てしまったみたい。気づいたらリビングのソファで一人横になっていた。

 癖のあるふわふわの金髪が乱れて顔にかかっていたので、慌てて手櫛で直した。


 我が家は、土地代が高い王都暮らしのため、それほど屋敷の広さに余裕はない。だから、リビングはダイニングと部屋続きだ。


 部屋の中にはみんな出払っているのか、とても静かだった。


 上半身を起こしたら、ちょうど誰かが玄関から入り、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。


 出入口を見ると、ちょうどお兄様が入ってきた。


「クリス、起きたのか。そろそろ一時いっときがたつから、ちょうどよかった」

「お兄様は剣のお稽古を?」


 お兄様は動きやすいようにラフな格好をしている。

 布で隠されていない肌は、瑞々しく張りがある。

 さらに顔や首元がうっすらと汗ばんでいた。黒い髪を後ろで束ねた際にできた後れ毛が頬に張りついている。


「まあ、素振りくらいだけどね」


 首にかけたタオルで汗を拭きながら答える。


「わたくしもご一緒したかったですわ」

「寝てしまったんだから仕方がないだろう?」


 お兄様に反論されて、口を少し尖らせた。

 すると、お兄様はアメジストのような綺麗な目を細め、肩をすくめて苦笑する。その際に筋肉質のしっかりとした骨格の線を感じた。

 お兄様はお父様のように騎士を目指しているから、訓練は毎日欠かしていない。

 わたしもお兄様を見習って参加していた。

 まだまだ未熟だと言われっぱなしだけど。

 現役の騎士であるお父様や、年上のお兄様には到底及ばない。


「そういえば、クリスはどの科目を選ぶか決まった? 明日から講義が始まるから、のんびりしていたら単位が取れなくなるよ?」

「だいたい決まっているから大丈夫ですわ」

「じゃあ、一緒に確認しようか。去年からカリキュラムが変わったから、必須な科目を見落として取り損ねたら大変だからね」

「もう、お兄様ったら、お気遣いには感謝ですけど、そこまで心配しなくても大丈夫ですわよ?」


 お兄様はニコっと笑顔を浮かべる。

 これは全く信用されてないようだ。

 わたしはそこまでうっかりではない、……はず。


「まずは、着替えておいで。制服が皺になるよ?」

「はーい」


 お兄様の言うとおりだ。学院から帰宅後にすぐの昼食で、そのあとにお兄様に抱っこされて寝てしまって着替えていなかった。

 慌てて自室へ向かった。



§



「わたしはこの科目を取るつもりなんです」


 リビングに戻ってきて、取得予定の科目をメモした魔法具メモルンをお兄様に渡した。


 わたしたちが通う学院は、騎士または魔法士の専攻コースの科目を受講し、卒業までに必要な単位数を取得する。

 だから、希望するコースに応じて、必須科目と選択科目のそれぞれを選ぶ。余裕があれば、他の科目も受講してもいいらしい。


 それから学年が上がるごとに、さらに専門的なコースを選択できるようになるらしい。


 だから、一年生の時点で、自分がどのコースに進むのか、きちんと考えて決定する。


 ゲームでは、ここまで詳しい学院内の生活描写はなかったから全然知らなかった。


「ああ、やっぱりな。クリスなら剣技をとると思ったよ」


 お兄様がメモを見ながらつぶやいた。


「うふふ、楽しみにしてましたから」


 前世を思い出してから、ずっと思っていたことがあった。

 悪役なら、当然武芸にも秀でていないとダメだと。

 そうでないと、「もはやこれまで」のときにあっさりと返り討ちされてしまう。

 悪役として、自分の欲深い望みを叶えるためには、物理的な強さも当然必要だ。

 魔法や、癒しと浄化をいくら鍛えたって、聖女感が増すだけだ。ほどほどに魔法系ステータスを上げればよいと考えていた。


 野心に満ち溢れた笑顔を浮かべていると、お兄様は気まずそうに首を横に振った。


「残念だけど、これは取れないよ? ほら、基礎魔法の科目とかぶっているでしょ?」

「どういうことですか?」


 お兄様の手にあるのは、授業のパンフレットだ。巻物みたいな魔法具アウトプルンを開くと、一年生で受講できる科目の時間割がそこに表示される。


「カリキュラムが変わったって言ったよね? 騎士コースなら剣技の科目は必須だし、魔法士コースなら基礎魔法の科目が必須だけど、この二つの必須の科目は、同じ時間割で講義が行われるから、どちらかを選べば、必然的にもう片方の科目は選択できなくなるんだよ」

「それじゃあ、騎士コースと魔法士コースの二つとも受講はできないんですか?」

「うん、来年の二年生で基礎魔法は受講できるけど、仮に単位が取れても二年生からでは、魔法士コースの履修は卒業までは不可能らしいよ」


 必須科目の単位が取れないと、これから先で履修できない科目がある。つまり、一年生で基礎魔法の単位が取れないのは、魔法士コースの履修を諦めることになる。


「カリキュラムが変わる前は、両方とも単位は取れたんですよね?」

「そうだよ。今までは両方のコースの基礎を学んでいたんだ。そして三年生から自分の専攻コースを選ぶんだ。すごく大変だけど二つのコースの履修も可能だよ。今のところ、僕は両方狙っている」

「お兄様、さすがですわ! でも、今まで大丈夫だったのにダメになったなんて、すごい改悪じゃないですか!」


 魔法と剣技、どちらも才能がある学生の場合、どちらかを捨てるしかない。そう文句を言うと、お兄様は困った顔をした。


「そうだけど、僕に言われてもね」


 これからは専門的な人材を育てたいという学院の方針らしい。これまでは広く浅くだったけど、変更後は選んだコースを深く学ばせたいようだ。

 お兄様はギリギリ変更前のカリキュラムだったので、一年生のときに基礎魔法は受講できたようだ。


「こういう現状だから、剣技の科目は諦めたほうがいいよ。クリスはせっかく魔力が多いんだから、基礎魔法の科目を選択して、魔法士コースに進んだ方がいいよ」


 魔力は才能の一つだ。みんながあるわけではない。遺伝的な要素は大きいが、必ずしも受け継がれるわけでもない。

 平民だって魔力さえあれば、学院に入学できて卒業後にそれなりの職につける。

 魔法具が便利で必要とされる世の中だから、非常に価値のある能力だ。


「でも……」

「クリス、騎士コースは結構体力的にキツイよ?」


 お兄様はどうやらわたしに魔法士コースに進んでもらいたいらしい。

 わたしが聖女だから、お兄様だけではなく、きっと他の人も同じように考えているはず。

 お兄様が言ったとおり、わたしは魔力に恵まれている。

 真っ当な聖女なら、助言に従うはずよね。

 でも、わたしは悪女を目指すから、ほどほどの魔法でいい。だから、魔法士として認定されないほうが、むしろ好都合だ。魔法を学ぶために二年生で基礎魔法を受講すればいい。


「我が家は代々騎士の家柄ですし、聖女でなければ、本来ならわたしが騎士コースを選んでも何も問題はないですよね? 騎士コースを選ぶ女の子は少ないかもしれませんが、いますよね?」

「うん、そうだけど……」


 どうやらお兄様のときも騎士コースを選んだ女子学生はいたみたいだ。

 でも、お兄様はまだ納得のいかない顔をしている。

 わたしはお兄様に自分の気持ちを分かってほしくて、お兄様の手を握りしめる。それから訴えるようにお兄様の紫の瞳をじっと見つめた。


「わたくし、お父様やお兄様みたいな騎士になりたいんです」

「うっ……!」


 お兄様の息が詰まる。顔に朱が差し、あからさまに動揺していた。

 いきなり視線を逸らされて、お兄様は斜め下の床を見ている。


「そ、そういう理由なら、仕方がないかな……」

「本当ですか? お兄様、分かってくださって嬉しいです!」


 感極まってお兄様に抱き着くと、お兄様から「うぐっ」とうめいたような声が漏れていた。


 そんな変なお兄様も可愛くて、ついお兄様の鎖骨あたりにすりすり頬ずりしてしまう。

 お兄様から汗の匂いもして、ついクンクン嗅いでしまう。


「お兄様、大好きですわ」

「こ、こら! クリス!」


 お兄様が調子に乗るわたしを注意したとき、家の中に何かが侵入してきた。

 白い小鳥みたいな飛行物体だ。ぐるりと部屋の中を一周すると、わたしたちに向かって飛んでくる。


 慌ててお兄様から離れる。すると、お兄様は飛んできたものを手で躊躇なく鷲掴みした。


 白い小鳥はお兄様に掴まれると、ただの封筒になった。あれも魔法具の一種だ。


「早いな。もう調べて返信してくださったのか」

「どうしたんですか?」

「ああ、大丈夫だよ。僕は部屋に戻るね」


 お兄様は手紙を読むためなのか、いそいそと移動して行った。

 そんなに楽しみにしていた手紙らしい。

 相手について何も知らないけど、お兄様が大丈夫と言っていたのだから、特に気にする必要はないだろう。


 それにしても、無事にお兄様を説得できてよかった。

 実はお兄様には言わなかったけど、騎士コースを希望する理由がもう一つあった。

 魔法士コースの助手が、五人いる攻略キャラの、まだ会っていない最後の一人だからだ。

 彼は何も悪くないし、申し訳なく思うけど、絶対関わりたくない存在だった。


「さー、明日の準備をしましょうっと」


 鼻歌交じりに口ずさみながら、自室に戻った。


 まさか、このときのわたしの悪女的な科目選択が、とんでもない事態を引き起こすなんて、思いもせずに。


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