5 再出発
俺はソフィアとともにギルド『癒しの盾』の本部にやってきた。
「ぼろぼろだな……」
俺は建物内を見回し、思わずつぶやく。
「ええ、壁の修繕費も払えないありさまで……」
ソフィアは悲しげだった。
「母が必死に切盛りしていたんですが……何年か前に、強引な引き抜きにあったんです」
「引き抜き?」
嫌な予感がした。
「どこからだ」
「『栄光の剣』です」
ソフィアが言った。
「ギルドマスターは母にご執心だったらしく、かなりしつこく誘っていたようです。私も、あとで知ったのですが……もちろん母は拒絶したのですが、それを逆恨みされたみたいで」
そんなこともしていたのか、あのギルドは。
そんなことをしていたのか、あの男は。
嫌な気分がこみ上げる。
俺に無実の罪をかぶせて『栄光の剣』から追放したギルドマスターのバルツの顔が思い浮かんだ。
彼なら、やりそうなことだ。
ギルドの繁栄のためになりふり構わず、手段を選ばず──。
「ただでさえ人数が少なかったところで、一気にメンバーを引き抜かれて。おまけに母も激務で倒れて、それっきり──私たちのギルドは最低限のクエストをこなすことさえできなくなりました。ギルドの力が弱まれば人が去り、人が去ればまた弱まり──そうして、今は私と職員が一人いるだけです」
「なるほど、な」
「ここがにぎわえば、また戻ってきたり、人が増えるかな……」
つぶやく彼女。
「俺が力を貸す。やれるだけやってみよう」
彼女は、俺だ。
かつて栄光の剣を自分の家庭のように思って過ごしてきた自分自身と、彼女の姿が妙に重なるのだ。
Cランクまで衰えた俺だが、さっきの力があればあるいは──。
「ちょっと、ソフィアさん! 誰ですか、その人!」
ふいに前方から誰かが走ってきた。
「まさか連盟の連中? それとも合併を持ち掛けてきた他のギルドの奴ら?」
十代後半くらいだろうか。
ポニーテールの気が強そうな少女だ。
両手を腰に当て、険しい顔で俺をにらんでいる。
「ソフィアさんに妙な真似をしたら、あたし激おこですからね!」
「違うんです、コレットちゃん。この方は『癒しの盾』に入ってくださるジラルドさんです」
「うちに……入会?」
コレットと呼ばれた少女はうさんくさそうに俺を見ている。
「彼女の母とは昔の知人でな。ギルドの窮状を聞いて、少しでも力添えしたいと思ったんだ」
「ふーん……?」
コレットは警戒心をあらわにしている。
「あたしやソフィアさんが目的じゃないでしょうね? セクハラは厳禁ですよ!」
「コレットちゃん、このギルドではセクハラなんて今までなかったでしょ」
「この人がやらかすかもしれないじゃないですか。ソフィアさん、人を信用しすぎるから心配なんです、あたし。いつか取り返しのつかないことが起きるんじゃないかって──」
「なら、誓おう。君たちに対して、決して卑劣な真似や不誠実な行動はしない、と。冒険者ジラルド・スーザの名に懸けて」
「ジラルド……? どこかで聞いた名前……ですね」
ソフィアが首をかしげ、つぶやく。
邪神大戦は二十年以上も前の話だし、今の若者はあまり知らないかもしれないな。
ソフィアも、俺のことは知らなかったようだし。
まあ、当時の大戦で俺が主に活動していたのが、ここから離れた国々だということもある。
それに、『黒き剣帝』という二つ名は知れ渡っていても、案外本名までは知られていないこともある。
「Cランクだし、どこまで期待に添えられるかは分からない。ただ、俺にできる限りのことはさせてもらう。よろしく頼む、コレット」
「……ふん、ちゃんと働いてくれないと激おこですからね」
コレットはまだ疑わし気に俺を見ている。
彼女に激おこされないよう、がんばらないとな。
冒険者の仕事にはいくつかの種類がある。
モンスターや魔族、使徒などの『討伐』。
貴族や商人などを敵から守る『護衛』。
遺跡やダンジョンの調査や発掘といった『探索』。
さまざまな素材を持ち帰る『採取』。
この中で、もっとも報酬の相場が高く、もっともギルドの実績としてカウントされるのが『討伐』である。
ただし、その代償として──他のクエストとは比較にならないほどの危険度だった。
「──というわけで、Sランクモンスターの討伐クエストを受注してきたぞ」
翌日、俺はさっそくクエストを受けてきた。
クエストは個人が各ギルドに直接依頼することもあるが、主に連盟に依頼されたものを各ギルドが受注する、という形をとることが多い。
今回もそのケースだ。
「ふええええええっ!? いきなり無茶ですよ!」
ソフィアが悲鳴を上げた。
「そんな顔をするな、ソフィア」
俺はニヤリと笑う。
楽しかった。
久々に、冒険者稼業にワクワクとした高揚感を覚えていた。
「今の俺なら、達成できる」
そして、このギルドの実績を上げるんだ。
「Sランクモンスター『魔炎竜』──それが今回の討伐対象だ」
「ま、魔炎竜って単体で大都市を壊滅させるレベルのモンスターですよ……!?」
ソフィアが震え声で言った。
「国境沿いの山脈で活動期に入っているのが確認された。それを討伐すれば、大きな実績になる」
俺は言った。
「Sランクモンスターの討伐クエストなんて常時あるわけじゃない。募集していたら即食いつかないとな」
「危険……なんてレベルじゃないですよ。やめましょうよ~」
「俺の力は見ただろ」
「で、でも……」
まあ、ソフィアが不安になるのも分かる。
普段の俺は年を食って衰えたCランク冒険者に過ぎないのだから。
俺はソフィアとともに魔炎竜が生息する北の山脈にやって来た。
ここまで半日の行程だ。
さっさと倒して、連盟から討伐認定を受けて、『癒しの盾』の実績にしないとな。
次のランキング更新に間に合えば、おそらく『癒しの盾』のギルドランクは一つ上がる。
それほどにSランクモンスター討伐というのは、大きな実績になるのだ。
そしてギルドランクが上がれば、連盟から除名という話はなくなるはずだ。
もともと除名の条件というのは、『最底辺ランクのまま三年経過』だからな。
ちなみに、このルールはあまりにも冒険者ギルドが乱立しすぎたために、連盟が二十年ほど前に設けたルールだ。
質が悪すぎるギルドを淘汰するためのものだった。
そして『癒しの盾』はもう間もなくFランクのまま三年が経過する。
だから、急がないとな。
俺はソフィアとともに山道を進む。
四十歳も半ばの体には、なかなか険しい道のりだ。
進んでいくうちに膝が痛くなってくる。
「大丈夫ですか、ジラルドさん……?」
ソフィアが心配顔で俺を見ていた。
若いだけあって、彼女のほうが体力があるかもしれない。
まだまだ元気な感じだ。
とはいえ、俺の方がへばっていては話にならない。
「問題ない。進むぞ」
「なんだ、お前らも魔炎竜討伐に来たのか」
四人組のパーティが俺たちに声をかけてきた。
剣士二人に魔法使いと僧侶という構成だ。
剣士の一人が男で、あとは全員女だった。
ちょっとしたハーレム構成である。
「ふん、Cランクじゃねーか」
俺が胸に下げているペンダントを見て、男の剣士が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
ペンダントには冒険者ランクを示す意匠が刻まれているのだ。
彼がさげているペンダントを見ると、どうやらAランクらしい。
若いのに優秀だな。
「ちょっと、やめなよ、ロイ」
「そんなおっさんにかかわってる場合じゃないでしょ」
「早く魔炎竜のところまで行かないと」
三人の女性メンバーが剣士の男──ロイをたしなめる。
彼女たちはいずれもBランクだった。
「それもそうだな。こんな雑魚、どうだっていい」
高慢そうに鼻を鳴らすロイ。
「俺たちは魔炎竜を討伐に行く。他のパーティに先を越されないうちに、急ぐとしよう。お前らは邪魔だからゆっくり来ればいいぞ」
「鱗の一枚くらいはおこぼれで上げるわよ」
「年なんだから無理しないでくださいね」
「こういう荒事は若いあたしたちに任せて、おじさんは採集クエスト辺りでもこなしてれば?」
嘲笑とともに、彼らは去っていった。
「……なんですか、あれは。感じ悪いです」
「まあ、冒険者ってのは血気盛んな者が多いからな。仕方ないさ」
憤慨するソフィアを、俺はなだめた。
俺だってまったく腹が立たないわけじゃないが、こういう扱いは慣れている。
「あまり気にするな」
「すみません、気持ちを乱してしまって。ジラルドさんは大人ですね……」
「年を食ってるだけさ」
すまなさそうに謝るソフィアに、俺は苦笑した。
「さあ、俺たちも行こう」
俺とソフィアは山道をさらに進む。
「彼らに先に討伐されてしまうとまずいな……」
ロイたちはAランクである。
魔炎竜は簡単に討伐できるような相手ではないが、不可能というわけでもない。
「彼らも自分たちだけで倒すつもりはないんじゃないでしょうか。私たちの前では虚勢を張っていたんじゃないかと……」
と、ソフィア。
「まあ、そうかもしれないな」
「実際は他のパーティと共闘しつつ、とどめの一番おいしいところを自分たちで取りたい──といった作戦だと思います」
確かに、それは強敵を相手にしたときの冒険者の常道といってもいい。
さすがにギルド経営者だけあって、よく分かっているな。
と──、
「た、助けてくれぇぇぇっ……」
悲鳴とともに、こちらに向かってくる人影があった。
ロイたちだ。
三人の女性メンバーともども、あちこちから血を流し、ボロボロだった。
その背後から巨大なシルエットが現れる。
全長は五十メートルを超えているだろうか。
まさしく山のような巨体。
黒い鱗からは魔力の炎が噴き出し、大気を焼き焦がしている。
Sランクモンスター『魔炎竜』。
間近で見ると、さすがにすさまじい迫力だ。
「に、逃げろ、殺されるぞ……」
ロイが青ざめた顔でうめいた。
「ここまでの化け物だとは思わなかった……こんなの、人間が勝てる相手じゃねぇ……」
「あいつは俺がやる。お前たちは逃げろ」
「Cランクが戦えるような相手じゃねーよ! おっさんも逃げろ!」
ロイが叫んだ。
「こいつを放置したら、いずれ人里まで降りてくる。そうなったら多大な被害が出る」
俺は前に進み出る。
「ここで始末しておくべきだ。それが多くの人命を守ることに直結する」
「勝てるわけねーだろ! いくら大金がもらえるからって、命あっての物種だ! 俺たちは別に正義の味方ってわけじゃない!」
「確かに俺は正義の味方じゃない。英雄って器でも、たぶんない」
ロイに向かって、俺はニヤリと笑った。
「だけど、人を守りたいという気持ちをどうでもいいとは思わない」
それからソフィアに向き直る。
「いくぞ、ソフィア。スキルの準備はいいか」
「──はい!」
ソフィアが凛とした声で答える。
「なら、始めよう」
俺の冒険者としての再出発。
そして──『黒き剣帝』の新たな戦いを。