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ジュブナイル・イクリプス  作者: リル
雫ルート
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48.本当は、知ってる

「ああ~~今日はホントに大変だった~~」

 明後日の午後。

 雫はものすごくだらけた態度で、そんなことを言いながら私の執務室で少女マンガを読んでいた。いつものふかふかな来客用の椅子は、もはや雫の指定席と化している。

「今日はどうした。そこまで情けない声を出しまくって」

「情けないとか言わないでよ~。かわいい彼女の声でしょ?」

 ちなみに、今、雫が手にしているのはもちろん「端末」の読書用のボード

 まあ、今の時代、だいたいのマンガは縦で読みやすくなっているわけだし、そもそも、ただのマンガを読むために、わざわざ重たい紙の束とか、携帯している人はそこまでいないと思う。これも時代の波って言われると、たしかにそうなのかもしれない。

 ともかく、今、重要なことはそっちじゃなくて……。

「だって、授業中にもずっと、柾木のこと考えてたんだもの。どうしても頭から離れなくて」

「そこまですることなのか」

「でも、昨日、顔見てない」

「まったく……」

 どうやら、たった一日だったとはいえ、雫は私の顔がまったく見られなかったのがすごく寂しかったらしい。

 別に、以前にもこのような状況は少々あったはずだけど……やっぱり、ここまで気にしているのは、私の側に秀樹がいるから、かな。

「毎日連絡は取ってたんだろ」

「でも~~。柾木の姿とか見えないから、どう過ごしてるのかわかんないし~~」

「……ビデオ通話でもかければよかったのに」

「だって、それだと柾木とかわたしの都合が合わなかったりするし、手間もかかるから」

 まあ、やっぱりそうなるか。

 そういや、以前「未来になったらみんなビデオ通話ばかりするようになる」みたいな、かなり昔の未来図を目にしたことがあるんだけど、現実ったら、こんなふうに地味なものだ。

 やっぱり、現実は想像みたいに面白くならないっていうか。別にビデオ通話も使われてないわけじゃないけど、みんな、だいたいの用事はメッセージのやり取りや一般電話で済ませているし。


「そういやさ」

「あ?」

 そんなことに思いを巡らしていると、ふと、雫がこっちに向かって話しかけた。

「柾木にだって好きなもの、あるよね。甘いものとか、かわいいものとか」

「あ、ああ……ああ」

 まるで不意を突かれたような気がして、私は戸惑ってしまう。別に、雫の話は何も間違ってない。私と長い時間を過ごしてきて、雫もこっちの好みとかは、だいぶわかるようになってきた。

「そうそう、そういうところ、かわいいんだよね。ここまで真面目で、硬い印象だというのに、ああいうの好きだし。びっくりするほどかわいいお菓子、よく作ったりするし」

「……こっちが照れくさくなるから、そこまでにしてくれないか」

「なのに、わたし、まだまだ柾木の好きなこと、あんまり知らない気がして」

「あ……」

 雫のその話だって、別に間違ってるわけじゃない。

 私にはまだ、雫に恥ずかしくて秘密にしていることが、いくつもある。

 たとえば、いつも家で着ているあの黒ロリ。

 ……こんな「別の姿」だと、あまりにも聞き苦しい言い訳になってしまうから、話す術がなかった。

「たとえば~いつも味気ない私服ばっかり着てるんだけど、好きな服とか、本当にないのかどうかとか~」

「別に、俺、あまり服とか、どうでもいいから」

「んじゃ、いっつもわたしの胸ばかり攻めてるけど、ひょっとして、一人でいる時にもああいうの見るのかとか~」

「……そういうの、なんで聞きたがってるんだ。こっちも恥ずかしいというのに」

「そういや、柾木って、あまり『組織』の外の友だちとか、学園でのこと、話してくれないんだな、とか~」

「それは、そもそも学園にあまり行けないから、話すこと自体がないんだって――」


「っていうか、柾木って橘さんとクラスメイト……つまり、知り合いだったんだよね?」

 まるで、今初めて気がついたような口調で、雫はふと、そんなことを聞いてきた。

「ああ」

「そ、それじゃ、橘さんは、わたしの知らない柾木、たくさん見てきたってこと?」

「そ、そこまででもない。何せ、俺ってそこまで学園に行ったことも……」

「でも、わたしよりは遥かによく見てるじゃない」

「そ、そうかもしれないが……」

 ああ、どうしよう。話がまたややこしくなってしまった。

 雫って、以前からずっと秀樹にヤキモチしていたやけだし、こうなるのもおかしくなかったはずなのに。

「ひょ、ひょっとして、橘さんって、学園でも柾木にしつこくアピールしたりしたの?!」

「いや、あ、あの時には、俺がその、冷たくあしらっていたから……」

「え? でも、今はその、付き合ってるんじゃない。あ、愛人としてだけど」

「それもまあ、話せば長くなるが……」

 ダメだ。話がチグハグになっている。

 雫はあくまで、私を「彼氏」として扱いたがるんだから、どうしてもボロが出てしまうんだ。


「変だな、なんだかおかしい。そもそも柾木って、男の友だちのことも、まったく話してない」

「し、慎治がいるんだろ」

「茨城くんはここで知り合った仲間でしょ? 以前からつるんでた人のこと、あんまり話さないし」

「そ、それは……」

 そんなこと、言えるわけがない。

 私には昔から、異性ところか「同性」の女の子の友だちだって、滅多にいなかったということを。

 それに、「異性」、つまり雫から見ると「同性」に当てはまる男なんか、大ッ嫌いだったことを。

 そんなの、話してしまったら崩れてしまう。

 何もかもが、なくなってしまうんだ。

「おかしいよね。よく考えてみたら、わたし、今までこんなこと、一度も聞いてなかったんだ」

 そんなことを言いながら、雫は苦しそうに、目をそらす。

「あんまり重要じゃなかったからだろ、そういうのは」

「だ、だけど……おかしいなぁ……」

 そんなことを力なき声で言いながらも、雫は、私から一歩も離れようとしない。

 むしろ、いつの間にか読んでいたボードも仕舞って、こっちに近づいたまま、じっとしている。

 ――焦っている。

 今の雫は、秀樹のことを意識しすぎて、焦ってるのが見え見えだ。


 ……心臓が、ドキドキする。

 いい意味でも、悪い意味でも、今の私は、すごく戸惑っていた。

 雫は、私の前では滅多に見せない複雑な顔をしながら、こっちを上目遣いで見つめる。

 どうしよう、逃げることが、できない。

 別に罪悪感とか、そういうわけじゃないけれど、なぜかこのままいると、危なくなりそうな気がした。

 もちろん、襲うとか、そういう話でもない。

 ただ、今までの私たちが積み重ねてきた関係が。

 このまま、崩れ落ちたらどうしようって、不安になった。


「ねえ、柾木」

 その時、雫は予想外の行動に出た。

 いや、これが予想外なのかどうなのかはわからないが……要するに、雫は私の胸板に、自分の顔を埋めた。

 抱きしめた。

 肌がぴったりとくっつくくらい、ぎゅっとこっちに抱かれてきた。

「……雫」

「今はね、難しいことなんか考えずに、ただ、このままでいたいんだよ」

「……」

 雫の体は、あたたかい。

 もう夏の真ん中だというのに、クーラーが効いているからなのか、雫の暖かさが体に染みてきた。

 とても暖かくて、華奢でやわらかな雫の体。

 長くてきれいで、同じ女の子である私すら羨むくらい艶やかな黒髪。

 そこから漂ってくる、あまりにも魅惑的な雫の香り。

 ……だからなのかな、どうしても私は、「今の自分の姿」を意識してしまう。

 今の、自分の「別の姿」。

 どうしても、ここまで密着している雫に対して「欲望」を抱いてしまうこの姿のことを。


「今の柾木、わたしのこと、意識してるんだね」

 埋まった顔のせいで表情はよくわからないけれど、雫は嬉しそうな口調で、そんなことを言ってきた。

 ああ、バレちゃった。

 そりゃ、今の雫は私の胸板に顔を埋めてるわけだから、心臓の音が激しくなったことくらい、すぐわかるはずだけど……。

 でも、あまりにも恥ずかしくて、照れてしまいそうになって。

 私は、今、自分の顔が雫には絶対に見えないということに、思わず感謝してしまう。

 ただ、こうやって抱き合っていたいだけなのに、こんな気持ちにならなきゃいけないって、本当に変だ。


 おかしいな、このような状況は。

 私は心の中で、そんなことを考えてしまう。

 だって、こうして私と雫が「お互いを感じる」だけならば、姿なんて、どうでもいいはずなのに。

 「別の姿」でも、元の姿でも、それだけはきっと変わらないはずなのに。

 どうして、私はこんな姿でしか、雫と触れ合えないんだろう。

 どうして、私は雫と、「異性」でしかいられないんだろう。


 でも、よく考えてみると、これはきっと、今の状況よりおかしな話だ。

 だって、確かに「お互いの存在を感じる」だけならば、姿なんて、体なんてどうでもいいんだろうけれど。

 私は、私たちは、ただの人間に過ぎないんだから。

 それこそ、こうした「体」という形がなければ、決して存在できないはずだから――

 だから、私のこんな考えには、何の意味もない。


 人っていう生き物は、ついつい自分のことを、精神体のようなものだと捉えてしまう。

 精神さえあれば存在できるって、体なんていらないって、そう思い込んでしまう。

 私もただの人間なんだから、ついこの「肉体」という存在を軽視しがちなんだけど、そんなの、所詮人の思い上がりに過ぎないって、わかってるんだ。

 精神と体が切り離せない関係であることくらいは、私だって、何年間の経験と、雫との触れ合いで痛感している。


 雫と私の「この」関係が、初めてから「異性」の間柄じゃなかったら成立してなかったってことくらい。

 それくらい、初めてから私は、わかっていたつもりだった。


「でもね、わたし、知ってるんだ」

 ふと、ささやくような雫の声が、再び耳に届いた。

「今の柾木って、『本当』の姿じゃないんだよね? わたしにはよくわかんないけれど、そうなんだよね?」

「……」

「へんなの。わたしの前には、こんなにちゃんと、本物の柾木がいるのに」

 雫は独り言のように、そんなことをつぶやく。

 私は、どう答えたらいいのか、まったくわからなくなった。

「今のわたしには、ここにいる柾木だけが、全部なのにね」

 私は、思ってしまう。

 でも、やっぱりお互いを「感じる」ためだけならば、姿なんてどうでもいいんじゃないかという、何の意味もないことを。


 もし、私が「本当」の男だったら。

 そうだったとしたら、雫は今より幸せになれたのかな……。

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