第2章
昼下がりから、夕方へと傾きつつある空。水で溶いたように、青は、淡く消えゆく。
「入るぞ。」
ラピスは、町外れの小さな研究所のドアを乱暴に開けた。妙な薬品の匂いが鼻をつくが、彼女は平気な顔をしている。
「やぁ、なんだ、ラピスじゃないか。久しぶり。・・・おや?」
研究所から、若い男が出ていた。細身で、すっきりした服の上にポンチョを羽織っている。硬い茶髪をポマードかなにかで後ろにあげているので、その端麗な顔立ちがはっきり見えた。
左腕は、ない。
彼が、隻腕の賢者と言われるウイニングチルドレンの一人、クルー・・・
「・・・彼は?」
クルーは眉をしかめて、オレをあからさまに警戒した。相容れない、というよりは、何かを恐れているような表情だった。
「私の学友のウイズだ。大丈夫、私たちのことは知っている。」
「そうか。」
クルーは、いくらか表情をなごませた。
「ご存知と思うけれど、僕はクルー=ウィスタリア。今はここで魔術と錬金術の研究をしているんだ。・・・で、ラピス。今回の用件はなんだい?」
ラピスはニッと笑って、オレの背を押してクルーに引き渡した。
「彼、私たちのファンだというのだ。喜んで実験台になってくれると思うぞ。」
「何!?ちょ、ラピスお前・・・?」
「丁度良かった。若返りの薬の試作品、飲んでみるかい?」
「や、やめろ~っ!!」
ラピスとクルーは大笑いしてから、本題に入った。
「冗談だ。依頼が二つある。まず、あの現象についての資料がほしい。」
「ああ、了解。今持ってくる。」
紙でできた鯉みたいなものが、室内を泳いでいく。
クルーの使役する二体の式神が、ひらひらと倉庫に向かったのだ。
「可愛いだろう?文字通り見た通り、片腕として働いてくれるんだ。」
「それはそれとして、聞きたいことがある。ラピス、クルー、さっき“あの現象”って言ったけど、前から知ってたものなのか?」
「・・・。」
ラピスは一瞬困ったように考え込み・・・
「・・・お手洗いを借りるぞ」
逃げた。
「あはは。ごめんよ、かわりに僕が説明する。“あの現象”とは、僕たちがアトラビリスと戦ったときに垣間見た、とある不思議な体験のことなんだ。」
オレは、アトラビリスの名前を聞いて身震いした。
そうだ。ここにいる同い年の男は、とんでもない化け物を・・・オレの両親の仇を打ち倒したあの勇者の一人なのだ。
「あのとき、仲間の1人がアトラビリスに取り憑かれてしまったんだ。そのままでは、邪気にあてられて死んでしまうし、仲間…イリスもろともでは、僕たちも攻撃できない。それでも、助けたい。助かりたい。みんなでそう強く願いながら戦い続けたとき・・・」
オレは、さっきの自分の体験を思い出した。
「イリスは、自分の体からアトラビリスを追い出してしまったんだ。子どもが自分で自分より強い魔を払うなんて、普通ならありえない芸当だ。イリスいわく。“みんなの魔力を感じて、私も戦わなきゃって思った瞬間、戻ってこれたんだ”と・・・そう、何にも置換されないそのままの魔力が、奇跡を起こしたんだ。」
「クルー!!」
オレとクルーは、怒鳴り声に驚いて振り向いた。トイレから戻ってきたラピスだが、なんかすごく怒ってる。
「あのときのことは、口外しないという約束だろう?」
「ん?タブーって、その後の事だけじゃなかったっけ?それに、ウイズは僕たちのことを知っているんだろう?」
「・・・しかし・・・駄目だ・・・」
ラピスはただ怒っているだけじゃなかった。
おかしい。
自分の肩を抱くようにして震えている。何かにおびえたような表情。苦しそうな表情。
こちらまで寒気がした。
(そうだ・・・怒ったときやドキドキヒヤヒヤしたときに肩を触るのは、あいつの癖だったな・・・)
「・・・分かったよ。言わないから、落ち着け。お前がキレたら敵わないだろう。なんせ魔力の桁が違うんだから。」
クルーは息をついて、こちらを見た。
「すまないね、ウイズ。こちらも複雑な立場なんで・・・話したくても話せないんだ。」
「ああ・・・」
でも、分かった。
ウイニングチルドレンには、やはり何かある。タブーとされている、とんでもない秘密が・・・
そこに、クルーの式神が書類を持って戻ってきた。ラピスはそれを受け取ると、苦々しい表情をうかべた。
「・・・私が帝国語を読めないのを知っていての嫌がらせか?」
「あれ。ラピスって社会分野を勉強してるんだろ?」
「私もウイズも専門は歴史だ!」
「そうだったか。じゃあイリスにでも送りつけよう。僕は理系だから翻訳は苦手なんだ。あとで取りに行ってくれ。」
クルーは簡単な依頼書を書き加えると、書類を式神に渡してイリスのもとへ飛ばした。
「では、次の依頼だ。あの教会に、インプが大量におしかけて私達にからんできたんだ。妙だろう?調べを入れてほしい。」
「あ~、誰かの召喚使役の術だろうね。分かった、近いうちにアーグつれて行ってくる。」
「頼むぞ。」
ラピスはそう言うと、オレの手を引っ張って研究所を出た。
「さあ、帰ろう。疲れたな。夕飯をどこかで食べないか?」
「お、いいねえ!」
ラピスの笑顔は、いつも通りだった。
傾き始めた夕日は、その可愛らしい顔を強く照りつけた。
視線のように、強く・・・