第1章
この世界には、空があって大地がある。海があって命がある。
オレたちは、この世界に生かされている。光を受け、生きている。
そして…
足下には影が生まれる。
自然な事だ。人が集まれば争いが起き、王が生まれれば身分の差が生まれるように。
彩り溢れる世界が生み出した、影。悪意、絶望、虚無、
そして、
「災い」が具現化した命。
突如として現れては人に不幸を落としていく異形の怪物、
その名は……アトラビリス。
オレたちの世界は、この強力かつ凶悪な魔物に、おびやかされていた。
どんな勇者も魔導師もサジを投げた怪物を、ある日、消し去った者たちがいた。
なんと、10歳少々の子どもたちだった。
しかし、なぜ倒せたのか、どう倒したのか、何も語られることはなかった。その上、1人たりとも、「私こそが英雄だ」と世間に躍り出る者はおらず、その栄光は、今や都市伝説の類。
人々はただ、世界に平和をもたらした5人の子どもたちを、「災いに勝ちし子どもたち」…ウイニングチルドレンと呼んだ。
その出来事から、5年の月日が経った。
オレの名は、ブッシュ=ウイズダム。
学校のみんなにはウイズと呼ばれている。国立歴史専科学校に通う、自称苦学生だ。
オレは、あのウイニングチルドレンと同い年。オレは彼らにあこがれて、ひたすらその影を追ってきた。
武術や魔法を学んで、大好きな近代史を勉強して。「強さ」という、漠然とした高みを目指してきた。
いつかオレも、人々を守り救う英雄になるんだ。
でも、もうオレたちは17歳…チルドレンがチルドレンじゃなくなる前に、何かを掴みたかった。
そう、何かを…。
空気の澄んだ、ある秋の昼下がり。風は凪、空の色は深く、大海原の様。
オレは、血の色に錆びた門をくぐった。
ここは、ボロボロの廃教会。
ウイニングチルドレンは、まさにここで、アトラビリスを打ち倒したといわれている。教会には、そのときの破壊跡が生々しく残されている。
時を止めたように。とても静かだった。
「なんか、変な場所だよな…」
時を止めたような空間。
無音の叫び。
埃色のステンドグラス。鉄骨が見える程大破した、モノクロ色の壁。
つぼみのまま枯れそうな野薔薇が絡み、音もなく侵食され紅く朽ちつつある鉄の門。
「とらえられている…そう感じる。」
一緒に来ていたララ=インディが神妙につぶやいた。
こいつは学校のダチで、休日もよくこうして一緒に行動している。
編み上げた夜色のお下げが可愛らしい、小柄で童顔な女の子。とても学生には見えないちんちくりんだが、一般論としてはかなりの美少女という部類に入る。
が、見た目に騙されてはいけない。
無骨で、ガサツで、横暴で、ドS。
百年どころか、千年の恋だって冷める程に。
はじめは下心モリモリで声をかけたのだが、つるんでいるうちに中身を知って、がっくりと冷めたものだ。
「ここは、とらえられている。アトラビリスに、そしてウイニングチルドレンの栄光に。がんじがらめにされ、本来の姿を失ってしまっている。」
「ああ…」
オレは頷いた。
荒らされ破壊された教会。礼拝者はなく、見学の歴史学者や魔導師がたまに来るだけ。
ここはもはや教会ではなく、歴史を語るひとつのイコンにすぎない。
壊れたキリスト像、かわりに建てられたウイニングチルドレンのブロンズ像…
中央にいるのはリーダー格だった少女、ラピス。人には操りえないと言われていた、純粋な闇の魔法を使う、生まれつきの天才魔女だ。
彼女の幼馴染みで、ラピスと2人「紅と蒼の双珠」と呼ばれていた少年、ファル。安い銅剣ひとつで何にでも突っ込んでいき、そして勝ってしまう、優秀な剣士だ。
生まれつき左腕を持たなかったが、かわりにあらゆる魔法の才能に恵まれた少年、クルー。
弱視のハンディがありながら、敬虔なキリスト教徒で光の魔導師だった、アーグ。
この地方の伝統芸能「闘舞」の舞姫で、不思議な術にもくわしい美少女、イリス。
この5人が、オレのあこがれの勇者たち…ウイニングチルドレン。今、彼らはどうしているのだろう。どんな若者に育っているんだろう…
「偶像崇拝…か」
「なんだと?」
ララの一言に、カチンときた。
「そうだろう?ここには架空の武勇伝があるだけだ。なぜ追っても追っても、彼らは姿を現さない?」
「そりゃ…」
たしかに、こうも英雄視されながら、彼らはオレたちの前に現れることがない。なぜ彼らは、その知名度と能力を使って各界に出て世渡りをしたりしないのか…
「あまり神聖視し過ぎるな。彼らには、世の中に出てこれない理由があるのではないか?伝承に語られない真実が…」
「ララ!」
オレは、ララの襟首をつかんで唸った。
しかしララは、眉一つ動かさない。
「ウイニングチルドレンに、なんかやましい裏でもあるって言いたいのか?あの英雄たちに、うしろめたいことがあるってか!?撤回しろっ!」
「早まるな、私はただ、理由があるかもしれないと言っただけだぞ。」
「う…」
オレは、手を放してうなだれた。
ウイニングチルドレンが世の中に出てこない理由。
知りたいような、知ったら幻滅してしまいそうな…
「悪ぃ…」
「いいんだ。私が言葉足らずだった。忘れろ。」
ララは笑って言った。
どこか、苦しそうだった。
襟首を掴まれたひょうしに服がはだけて、ララの左肩が露わになる。
「あれ、お前、タトゥーしてたの?」
藍色の、小さなモンスター…?悪魔?の、紋様。
どこかで、見覚えが……
「わかった!ウイニングチルドレンの一人、ラピスのタトゥーだ!」
ブロンズ像のラピスにも、同じ模様が描かれていた。
「ララ、そうかお前…」
ララは、はっと気がついて肩を隠した。
「あ…その…これは…」
「タトゥー真似するほど、ラピスのファンだったのか!」
「阿呆ーっ!鈍すぎるぞお前!本物だ本物っ!」
「へっ!?」
…激しく突っ込んでから、ララはあわてて口をおさえた。
「…って、ついノリで言ってしまった…!」
「…するとお前、まさか…」
オレの胸が、一度だけ大きく音を立てた。
「そうだ…この際言ってしまおう。私こそウイニングチルドレンが一人、ラピスラズリだ。」
両手を「降参」とばかりに挙げて言った、ララ…いや、ラピス。オレは呆然と立ち尽くした。
お前が…2年間ずっと同じ学校にいて、性別の違いすらもはや忘れた悪友のララが…オレのあこがれていたウイニングチルドレン?
なんで今まで隠してた?さっき言ってた通り、何か理由があるのか?
詰まった言葉を、吐き出そうとした、その時。
カラン。
乾いた金属音を聞いて、オレとラピスは振り向いた。
「な…」
「なんだ!?」
信じられない。
いくらボロボロとはいえ、ここは教会。なのに、
たくさんの小悪魔たちが、そこかしこに群れていたのだ!
インプたちは、腹をすかしている様子で、こちらに向かって来た。
「やっべ、よくわからんが、来るぞララ、さっさと出ろ!」
とっさに、いつもの呼び名。
オレはとりあえず、ちょっとかっこつけて、背中の大槍を抜いた。
オレは、小さい頃から習っている大槍さばきと自慢の長い手足がある。リーチなら誰にも負けない自信があった。
「うらぁっ、かかってきやがれ!」
「阿呆!キリがないだろうが!魔法の方が早い!」
…後ろから叱咤されてしまった。しょうがないので、右手で大槍を振り回しながら詠唱をして…
「ファイアーっ!!」
発火の魔法で、一気に大半のインプを黒焦げにする。しかし…
「あっ!」
数匹、彼女の方へ抜けた。
「ララ、逃げろ!」
魔法こそ上手いが、こうも油断しきっているところでは…
間に合わない!助けなければ!そうオレは、やみくもに思って大槍を振るった。
次の瞬間、ララはインプに噛み裂かれ…
てない。
「なんだ…?」
ララがほうけるのも無理はない。
一瞬で、インプたちが跡形なく消えたのだ。
沈黙が、モノクロが、戻ってくる。
まるで、今のが白中夢だったように。
でも、焦げた床は、目にしみる煙は、オレが魔法を使ったことを証明している。
「ウイズ、すごいじゃないか。今のは何の魔法だ?」
「オレ、何もしてねぇぞ?お前の魔法でもないのか?」
「いや、たしかにウイズの魔力を感じたんだが…」
…ん?
魔力は、体の外に出されると「火」や「電気」など、この世界の因果律のなにかのエネルギーに置換される。
「…どうやって魔力そのものを感じろと?」
「……い、いや、何でもない、忘れろ!」
怪しい。
珍しく、ラピスがモゴモゴとテンパってる。
「何だ。何を隠してる。言ってみろ。」
ふざけ半分、肩を掴んでガクガク揺すった。
「言え!吐け!寝れなくなるだろ!」
「分かった!分かったから!!」
何にも置換されないエネルギーそのものの魔力。「跡形なく消し去る」というイレギュラーな現象。
彼女の反応からして、
もしかして、
ウイニングチルドレンの秘密は、そこにあるのだろうか?
「教えてやるから、ついて来い。……会いたいだろう?」
「誰に会いに行くんだよ?」
オレの手を払い、教会を出ようとするラピスを、慌てて追う。
「クルーだ。このての現象について詳しいからな。」
「なんだって!?」
会える。
あこがれの勇者たちに。
オレは泣きそうになった。
ララがラピスだったことには、心臓が止まりそうになるくらい驚いた。けれど…
「そうそう、さっきは助かった。お礼に、あとでラピスラズリの特製サインをあげよう。」
「えっと…ごめん、いらねぇ…」
この笑顔は、いつものララと同じ。
そう…他の勇者たちも、案外身近な存在なのかもしれない。
青い鳥は、すぐ近くにいたのだ。光をまとい、オレの前をゆく。
オレはまだ知らなかった。この小さな鳥の翼には、その体を少しずつ蝕み続ける闇がからみついていること。そのせいで鳥たちは、高く飛ぶことができないことを……