少年は振り返らず
「待って! 待ってよ!行かないでよ!」
小さな手を前に出して精一杯走る。
でも目の前にいる男の子はどんどん遠ざかっていく……
走る足はもつれて転び、顔を上げた頃には前に居た筈の男の子は消えていた。
「……あっ」
後ろから名前を呼ばれた気がして振り返ると、此方を見ていた少女が居た。
立ち上がろうと……近くに行こうとするが、体に鎖が巻き付いて進むことが出来ない。
「アリ…サぁ」
力の限り、唯一動かせる先程より大きくなった右手を前に出して少女の名前を呼ぶ。その思いに答えたのか、少女は少しだけ手を差し出した。
少しずつ…ほんの少しずつだが2人の手は近付いて行く。数センチ…指先が触れそうな距離…やっと届いた少女の手を握る。
だがその感触は無く、握った手は何処にもない。幻を見ていたかのように目の前に居た少女は消えていた…
「っ!」
勇夜は目が覚めた。額から滴る汗を拭い辺りを見渡すと、どうやら馬車の荷台で眠ってしまったようだ。
「目が覚めたのね」
荷台から音がして気付いたのか、今は勇夜と同じく髪色の違うルミルスが、手綱を握りながら振り返って声を掛けてきた。
「すみません。眠ってしまって…」
「いいよ。昨日から寝てないでしょ? 私は大丈夫だからもう少し休んで。それと今私達は"姉弟"だから今のうちに話し方慣れといてね」
「はい………うん、でも大丈夫」
ルミルスの普段を知らないとはいえ、イメージとは違う砕けた話し方に勇夜はまだ慣れていないようだ。ぎこちない話し方だが、慣れるために勇夜は答える。ルミルスは普段の任務から潜入や調査が多いと聞いていた通り、状況への対応や自身の変化、それがとても自然なものであり、誰も疑う者はいないだろう。
現在の時刻は昼過ぎ、そう時間も待たずに日が赤くなる。
勇夜達はセルン王国領内に入る為の関所まで、凡そ数刻程の位置を移動していた。既に朝方に目的の一つである国境付近の村に到着し、不審に思われないよう注意しながら調査をした2人。実際その殆どを勇夜は見ていただけであり、時折話し掛けられたことに相づちを打つだけだった。商人として他愛のない会話をしつつ、目的地であるセルン王国の情報を聞いた。
その中で有力な情報は、2日前の薄暗くなった時間にセルン王国の紋章を付けた馬車がこの村に立ち寄り、セルン王国騎士の証である紋章を付けた男性と、深くフードを被り素顔を見せなかったもう1人が滞在していた事、そしてその男性からこの村に"知らせ"を持ってきたという事だ。
風貌等を聞けば怪しまれる可能性が高く、話題こそ出さなかったがその2人というのは確実にフェーシャ達の事だ。彼らは翌日の昼前には出ていったようで、勇夜達とは約一日と少しの間が空いていた。話を聞いた村人達は親切ではあるが、どういう訳かセルン王国に対してとても明るく話題を振ってきていた。それは持ってきた"知らせ"が理由だった。
その知らせというのは本日から3日後、正確には昨日知らされた日から4日後に、セルン王国で祭事を行うようだ。セルン王国は現国王となってからこのように祭事や祝い事等を時折年に数度執り行っているが、その殆どは他国や周辺の村や町を呼ばぬ国内のみで行っていた。しかしこの祭事は他国こそ介入させないようにしているようだが、領内の村や町、国境付近であるこの村を含め多くの参加が可能だそうだ。
何故この時期なのか…そんな疑問は国民はおろか、殆どの者は疑問すら持たないだろう。何故なら今の国王は"あのセルン王国"を立て直した最大の功労者であり、多くの他国との関係を築き上げ、セルン王国が無くてはならないような存在にした偉大な王、それが今のこの世界で変えようのない事実だと"認識"されているからだ。
その後勇夜達は村を離れ今に至る。今回の件についてルミルスと勇夜は同じ考えだった。カルディーク皇国で起きた出来事からセルン王国での突然の祭事開催、それが無関係の偶然では無いだろう。その真意は分からないが、セルン王国はアリサの……アルセリア・リ・フォーセルンの生存を何らかの形で発するのではないのだろうか…それも証人として多くの民の目の前で_
それが良いことなのかどうかは今の時点で勇夜には判断出来ない。それに本当に今自分達が考えているような事が起きるのかも分からない。だがわざわざ他国に介入し、アリサを連れ去った彼らが何もしないなどあり得ない。何が出来るのかはっきり分からない絶望的な状況なことには変わり無い。それでもただ一つ、勇夜は希望を見出だした。"まだ間に合う"…そんな不確定で小さな願いではあっても、今の勇夜には何よりも大切な希望だったから…
勇夜は少し考え事をしているとルミルスが操る馬車が止まり、どうしたのかと勇夜は顔を出す。どうやら道沿いに数人の男達が、何やらニヤつきながら道を塞ぎ、此方に近付いていた。
「手を出さないように。下手に目立つわけにいかないわ」
どのような目的か…誰が見ても明らかではあるが、動こうとする勇夜にルミルスは釘を指す。
「マジで"あの人"が言った通り、獲物が来やがったぜ」
「セルン王国に来る奴等襲って良いなんてよ」
「おい! 余計な事言うな。下手すれば消されるのは俺らなんだ」
2人に向かってくる男達の言葉は勇夜達には微かにしか聞こえないが、どうやら偶然という訳ではないようだ。
「何の用ですか? 私達はただの商人ですよ」
近付いた男達にルミルスは口を開く。互いにはっきり顔が見える距離で彼らは止まり、ルミルスを見た男が口笛を鳴らす。
「状況見て分からねぇかお嬢ちゃん? 痛い目見たくなかったら大人しくしてれば苦しまずにすむぜ」
代表としてか1人の男が笑いながら答える。
「ここから関所も近いですし、セルン王国の騎士に目立てば只ではすまないと思いますが」
ルミルスは冷静だった。制圧は難しくない。たが先程も言った通り此方は目立つわけにいかない。だからこそ男達に揺さぶりをかけた。しかし男達はその言葉に動揺することもなく、そして笑い出した。
「悪いな嬢ちゃん。助けを待っても誰もきやしねぇよ。"今日ここに騎士にはこねぇ"らしいからな」
口角を上げながら男はそう言った。それは確信を持った事実だと、そう言うように男へ逃げ道を塞ぐ。最早何者かの関与は疑いの無いものとなった。男達は腰の剣に手を掛け威圧し、いつ襲い掛かられてもおかしくない状況となる。勇夜は前に出ようとするが、それを見て男達は威圧の為か、戦う為か剣を抜こうと引っ張る。
「なんだ?!」
静かなこの場所で、何度も男達から音が出される。見れば鞘に入った剣が抜けず何度も引き抜こうとしていたのだ。それも1人や2人ではなく全員だ。何かに邪魔されているのではないかと思う程の"偶然"は、男達を焦らせた。そんな状況を見て勇夜はルミルスを見ると、ルミルスはただ男達を見ていた。恐らく彼女が何か仕掛けをしたのではないか、勇夜はそう考えていた。だがそれだけで今の問題が解決するわけではない。
どうやら男達はこの不可解な状況を偶然で済ますつもりのようだ。剣から手を離し、顔を真っ赤にしたまま勇夜達を見た。
「ちっ! てめぇらさっさと済ませるぞ!」
苛ついた声を出し、男達は拳を握って勇夜達に向かった。所詮商人、体一つでどうにでもなるという事だろう。勇夜は流石にまずいと感じ、戦闘態勢を取ろうとするが、ルミルスは何もしなかった。本当になされるがままなのだろうか…
既に数歩先まで近付く男達…
「何をしている!」
勇夜達の前、少し先から騎士甲冑を纏った2人が、此方に気付いて走ってくるのが見えた。声は若く、見る者が見ればまだまだ未熟な動きをしているが、突然の声と騎士が来たというこの状況は男達を焦らせた。
「何で騎士が来るんだ?!」
「知るかよ! まさか騙されたのか? でも"あの人"に限って…」
「御託はいい! さっさとずらかるぞ! 捕まれば俺達が消される!」
男達は動揺を隠せないが、指示を出す男が声を張り、一目散に男達はこの場から立ち去る。ただの盗賊とは思えないあまりの纏まりの早さと統制された動きに、この場でルミルスだけが更なる不信感を募らせた。
「だ、大丈夫ですか?!」
兜の面を上げ、荒い息と大量の汗を流しながら1人の騎士がルミルスに声を掛ける。見た目は20に満たなそうな青年のようだが、セルン王国の紋章が鎧に付いていることから騎士であることに間違いはないだろう。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
ルミルスは演技しているのか、少しばかり潤んだ瞳で笑顔を作りながら、目の前の騎士にお礼を言う。
「い、いえ! これも騎士として当然のことです! 何もされなかったのでしたら何よりです!」
そんなルミルスを見て頬を赤らめた騎士は、声が上ずりながらも元気よく声を張る。もう1人の騎士も声は出さないが、同様の反応を見せていた。
「こんな所に盗賊が出ることは、よくあるんですか?」
少しの間が空いてルミルスは聞く。騎士達も息が整ったようでルミルスを見るが、その首を横に振った。
「いえ…僕達はまだ新人ではあるんですけど、セルン王国周辺で盗賊みたいなのが居るという報告は聞いたことがないです。ただでさえセルン王国は犯罪には厳しいですし、罪を犯せばその場で処刑されてもおかしくないです。だからこそセルン王国は"あの日"から素晴らしい国になったんです! だから僕達も早く一人前の騎士になって、皆の役に立てる騎士になりたいんです!」
その騎士は嘘を付いているようには見えず、寧ろ屈託無い笑顔で夢を語る少年のようであった。
「でも見回りに来て本当に良かったです。騎士長から祭事が終わるまで見回りしなくていいって言われてたんですよ」
安心したからか胸を撫で下ろしながら、青年騎士がそう言葉を溢した。
「それってどういうことですか?」
前振りもなく出たその言葉にルミルスは反応した。青年騎士は何の含みも無くただ話しただけなようだが、違和感の残る出来事の後でのその言葉は、違和感を確信に変える可能性があった。
「あっすみません! 不安にさせるような事を言ってしまいました。でも大丈夫です。騎士長に無理を言って僕達だけでも見回り出来るように頼み込んだので安心してください! 騎士長は上から指示を受けたらしいので、秘密なんですけどね」
青年騎士は"内緒にしてください"と笑顔で小さく話す。それを聞いてどう感じたのかは分からないが、ルミルスは微笑んで頷いた。
「そうだ。ここまで話して申し訳無いんですが、行き先はセルン王国ですよね?」
「そうです。私達は商人なので、仕事をしに向かっている所です」
青年騎士は真面目な顔になり、ルミルスに質問する。本来色々話す前に聞くべき所ではあったが、しょうがないと言えばしょうがないだろう。ルミルスは質問に答える。
「分かりました。では入られるのはお二方で、武器や危険な物を持ち運んでは無いですよね?」
ルミルスは次の質問に頷き、荷台を開けてそれを見せる。軽く見るだけだが青年騎士は頷いて、ルミルスの前に戻る。
「ありがとうございます。このまま進めばもう少しで関所が見えます。僕達が付き添えればいいんですが、先程の事もあるんで見回りを続けないといけないので……、それと関所ではご存知かもしれないですが、身分や目的等の確認があるので、予め用意していた方が早く済みますよ」
「分かりました。ありがとうございます」
ルミルスは丁寧に説明してくれる彼らにお礼を言い、勇夜を見て馬車を進めようとする。
「すみません! もしお手数じゃなかったら、先程の盗賊について関所で話してくれませんか? 僕の名前は セジア って言うので、そう伝えてくれれば聞いてくれる筈です」
セジアという青年騎士は、馬車が進む前に慌てた様子でそう付け足した。ルミルスは快く承諾し、セジアともう1人騎士はお辞儀したのを見届けた後に、勇夜達は馬車を進めてこの場から離れた。
視界に関所が見え始め、10分もすれば着きそうな距離となる。
「さっきの事で悩んでる?」
勇夜は先程から難しい顔をしているルミルスに聞く。
「そう…ね。正直この件は思ったより深く複雑な事なのかもしれない。祭事、盗賊、騎士、状況や行動…別々に見えて全て繋がっていると思わざるをえないわ」
ルミルスの顔色は優れない。考えれば考えるほど泥沼に入っていくような感覚が、ルミルスを本能的に警戒させる。もしかしたら何かとてつもなく醜い思惑が絡んでいるのかもしれないと、ルミルスだけではなく勇夜自身も思い始めていた。




