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カラスの行水を見た

作者: 圷 啓

 先週のことになる。

 病院からの帰宅路を駅へ向け歩いていた私が脇へ視線をやると、そこには一羽のカラスがいた。

 田んぼの中にそのカラスは移動した。私はその先の行動を観察しようと思った。

 カラスは、子供が初めてするように、ゆっくり足を水につけその感触を確かめていた。すぐさま右の羽根を、ちゃぷんと浸した。くちばしを用いて羽の中へ水がいきわたるようにしたのち、めんどくさくなったのかばしゃばしゃ飛沫を上げ水浴びを始めた。

 ややあって、そのカラスが私を見た。

 が、何事もなく、水浴びを再開した。

 ふと、そのとき、私がカラスを見つめていたことに自身で不思議に思った。

 その理由はすぐに出てきた。ああ、こんな諺がある。

 烏の行水。


 帰宅後に私は靴を脱ぎ捨てると、階段を昇り自室へ向かった。

 しばらく開きもしなかった本棚から、奥のほうにある辞書を見つけると索引から引いた。

 カラスの行水は簡潔な説明が載っている。

 入浴時間の短いこと。

 確かにカラスの入水時間は極めて短い。私が観察していた時間は2分に満たない。

 ただ、それがカラスが汚れていると意味しているわけではないだろう。ただ短いだけ、という話なのだ。だが、その短い水浴びの中に、野生の生物として犬猫とも異なる響きがあるような気がする。それはもしかしたら、そのカラスと目が合ったからなのかもしれないし、違うかもしれない。

 

 ただ、カラスが私を見て、再び水浴びを始めたことは、やけに焼き付いているのだ。

 カラスは賢い。私を見てそれを人間だとは理解できる。だとすれば、あのカラスは私を見て何を思ったのだろう。

 彼らの目はすこぶる優秀で、紫外線まで視認が可能だという。鳥目、という言葉があるが、カラスの目はどうもふくまれないらしい。暗い状態でも彼らの目は良く利く。夜間にゴミを出していたことで荒らされた、という話を耳にした人も多いのではないか。それゆえ、自治体なども夜間にゴミ出しをしないように広報している。

 その目に見られた。

 私はどう映ったのだろう。

 カラスは鳥類の中でも諧謔にあふれている。カラスの行水も、ただ体を清潔な状態にするだけでなく、どうも遊戯の一部のように私には思えた。彼らは人の物まねをしてみたり、道具を使ってみたり、滑り台で遊んでいるのまで確認されているし、私も見たことがある。そんなとき彼らはいつも私を見つめ返す。そして何事もなく飛び去ったものだ。

 あのカラスはまた水浴びを再開した。

 ふと思う。彼らにとって何かを見ることはともかく、対象として認識することは重大なのか。

 溜まり水があれば、そこを覗くことで己の姿を見ることが可能である。鏡像認知と呼ばれる自己像の認識能力を備える生物も多いと聞く。どうも、カラスは鏡像認知をしているらしい。我々からしてみればその分からない表情の違いもあるかもしれない。

 そのカラスは、ただ、田んぼにいる間中、水浴びを続けていたので、自己を確認しているのではないだろう。


 彼はただ、水浴びをしていただけ。


 まあ、それだけの話なんだけれど。

 

 

 

 

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