星と月がさだめとして 参
[星と月がさだめとして]参
陵の腕が瞬速で繰り出された。
受け流そうとした青祥の長棒がその力に負けて、亀裂が入る。
すかさず後退した青祥に変わって士學の双刀が陵に襲いかかる、その一本は陵の尻尾で巻き上げられて空中に飛んだ。
「ぬるい!」
片手が空いたまま士學が苛烈に踏み込むのを、陵の拳が迎え撃つ。
乾いた音を立てて砕け散った木刀に構わず、地面で一転して後方に逃れた士學が落ちてきた木刀で陵の首元に剣先を当てるのと同時に陵の尻尾が士學の足首に巻き付いていた。
「そこまで」
薛太老の声に、陵、士學、青祥が居住まいを正して、互いに一礼する。
時刻は昼すぎ、中院で武芸の稽古をしていたのだ。
今まで陵の相手はもっぱら星游で、それでいて一度も星游に勝てないでいる。
徒手空拳の相手に二対一というのもあまり正式な稽古とは言えないが、三度に一度はいい勝負に持ち込めるのは士學たちの技量ならではであった。
叔玄はというと、少し離れたところで的に弓矢を射ている。とはいえ、中院の一番隅から最も遠い壁に振る下がった手のひらほどの的相手だ。
「陵、そなた尻尾を使うのは反則だと云うておるではないか」
「へっへー、二対一なんだぜ。尻尾だって使っていいだろ」
「ほう、尻尾がないと勝てぬのか」
「なにおう、もっぺんやるか」
士學に口で勝てる者はいないというのに、陵はたいてい無駄に勝負をする。
仲が悪いわけではなく、青祥を言い負かす時などは大概士學と一緒になっているのは、遊び相手が増えて純粋に嬉しいのだ。
星游は紗の付いた傘で目元深く隠して、狩りに出ることも増えて昼間も夜も不在が多い。
ただし叔玄だけが知っているのだが、星游の目的は狩りだけではなく周囲の警備が含まれいる。
士學こと本名、天月はこの冬花国の元皇太子であり、一般には元帥の手で暗殺されたと思われているが、それが真実でないのは呂元帥が誰よりも周知だ。
何時何時暗殺者が侵入しないよう警戒が深くなる。
士學たちが来てもう半年になるが、星游に慢心はなく、そして異変があるまで士學にそれを知らせる必要もないとしていた。
もう少しで十五になる少年はどこか士學に忠誠心のようなものを抱いている。
「稽古はここまでじゃ、次は勉学の時間ぞ」
太老の言葉に、各々が片付けを始まるが舌戦もまた再開された。
「ちぇ、次は尻尾は禁じ手にしてやるよ」
「毎度そう云っては忘れておるではないか。そもそも木刀を折るでない、また夜に削らねばならん」
「作ってるのは青祥じゃんか。誰も困らねえもん」
「それもそうか、折れたものは薪にするだけだからな」
「そこ同意しないでくれますか!?三本作るので既に毎日夜なべしてるの俺ですよ!」
「それでいて何故上達できぬのか、全くわからんな。要領よくやれば夜なべなどしなくて済む話だが」
「だよなー」
「あんまりですよ……俺は職人じゃないのに……なんでこう雑用が増えるのか」
ため息ひとつと、笑い声が二つ。
太老と叔玄の苦笑がその中にかき消される。
その様子を太い大樹の上でそれを視認していた影があった。
軽やかに木の枝の合間を渡ったところでその人物は身を強張らせた。蒼天の髪の少年、星游が気配もなく凝視していたのだ。
だが星游は攻撃する素振りもなく、無言で一礼すると鳥のように空を舞って消えた。
薛子塾を遠くから盗み見していた主もまた、小さく拱手して走り出す。
その人物が人目を忍んで目的地に到着したのは、六日後のことである。
夜半も強行軍で進んだとはいえ常人の速さではない。其処は冬花国首都、安聹であった。
「それで、どうであったかの」
「例の鬼子に監視しているのを見られましたが、挨拶されてしまいました。間諜失格ですな」
笑ったのは魏晋、かつて呂元帥の庭先にも侵入した男。
その魏晋に問うたのは、羅大公。矮躯に白髪まじりの髪には三公の冠が載っている。
「天、月を双つ抱く。暁と蒼天が国に絶つ刻、其の命 維れ新たに誅す……」
呟いたのは、呂元帥が予言されたという禍々しい言葉。
しかし、それだけで魏晋には何が云いたいのかわかったらしい。
「月を双つと云うのは、他の皇族男子が殿下を擁護するという意味かもしれないと思いましたが」
「この国に、今上帝以外、男子はおらん。皇室の血は、帝が世継ぎを持たぬ限り朝廷では只一人のみ」
「恵天帝も無能ではございませんが、天月様が名乗りでてきたところで簡単に天位を譲るほど無欲ではございますまい」
羅大公の手が茶器に伸びた。
二つの湯呑みに冷水で煮出した茶を注ぐ。
魏晋はうやうやしく湯呑みを排すると口をつけた。
湯呑みすら銀製なのは、何も贅沢からだけではない。毒が入っていればすぐに異変が分かるのだ。
「しかし、何故ゆえその鬼子はそなたを見逃したのだ。私の名を出したか?」
「いいえ、私も狗の端くれ。たとえ元帥に捕らえられて拷問されても大公閣下の御名を出すことはありませぬ。かの鬼子、摩訶不思議な力で敵意がないことをことでも見抜いたのかと」
「もしこれがそなたではなく、黒尾であったら大変なことなのじゃが」
羅大公が言行に信なく、忠義の売奴と噂されるのは、一番初めに呂忠国におもねったからだと思われている。
その妻は武天帝の前の文天帝の侍女であり、北英から武天帝に正室として嫁いできた蘭妃にも仕えていた。
薛太老の娘、四嬢を蘭妃に手配したのも羅大公の妻の進言である。
いよいよ元帥が暗殺に動くと気づいた妻は急ぎ帰宅し、皇太子天月を守るよう夫に告げると寝ていた己が息子を一突きに刺殺したのである。
返す刃で自身の腹に突き立てた妻は、竹簡に息子の血で遺言を書いて四嬢と夫へ託すと、元帥の奸臣のふりをするために正妃の側仕えをしている妻子を大公の手で誅したことにしてくれと、血を吐きながらの懇願をした。
彼女は烈女であった、夫は愛をもってその息を止めるほかに手立てはなかった。
そうして遺言を持って後宮に入ったのは当時、侍僮として羅家に居た五歳の魏晋であった。それを読んだ四嬢は魏晋の背負ってきた籠に遺言と赤子を託し、魏晋は後宮を守る宦官の目を逃れて帰宅に成功した。
それをすぐさま別邸に送り出した足で、羅大公は元帥に血のついた官服で叩頭し、皇太子を逃がそうと画策しようとしていたので妻子を自ら殺害したと嘘の告白をして其の名は呂の奸臣として知られることになったのである。
皇子を次々密かに殺害させていた呂忠国でさえ、その言葉を信じた。羅大公の顔に浮かんでいたのは卑しい笑いであった。
羅翦、字を基簫という、この男がこうして大逆の道を歩みだしたのは妻の願いを叶えるため。只それ故である。
何故妻は自身の子を死なせてまで、皇太子を守ったのか。
何故妻は皇太子を見捨てずに、死して忠義を誓ったのか。
其の答えの為に、皇太子を守り続け、隠す為に貧困な家に放り込み、皇子が十になると勉学と剣術を仕込ませた。
元帥には日々贈り物を送り、姿を見ては這いつくばって頭を下げる。かつての大公を知る人々の大半はあまりの阿諛追従ぶりに、縁を切っていった。
「しかし、ひと目だけでも其の目で見られたらよろしいでしょうに。薛老に預ける以前には別宅に匿っていた時節もあったではないですか」
「万が一、殿下の目を見て憎しみを向けなんだ自信がないのだ。妻子の命と引き換えに手に入れたものがもしや銅や真鍮であったらと思うと」
「あの御方には何故か人を惹きつける力がおありなのは確かでしょう。あとは殿下自身が天下を手に入れたいか如何ですが。或いは金や真珠以上になりましょう」
茶器を置いた羅翦は、茶筒を転がした。
螺鈿細工のそれは椛がそっと小さく入っている。
「天、月を双つ抱く。暁と蒼天が国に絶つ刻、其の命 維れ新たに誅す……」
何度もその予言を繰り返す。
その指先にも、静かに老いが迫っていた。
魏晋も、最早口を挟まない。静かに椛のお茶を飲み干すと、奥に消えた。
夫に粛清されたと云われる亡き羅夫人の其の名を紅葉と云う。
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賛否わかれるかと思われる羅夫人。史実なんかだと、親兄弟でももっと悲惨なことがあるので、こうした手段を書きました、もうこれは羅大公の最初から入ってたプロットなので、ようやくか、という感じですが。
お茶と、名前が暗喩になっているのは、いわずもがなですよね。
個人的に、野心とかそういうものが全くない、只ただ愛の人であると思って書いています。