一つ星が瞬いて・参
[ひとつ星が瞬いて]参
絢爛たる玉宝が屋敷の支柱にまで及ぶ、冬花宮城よりも贅沢な家楼は言わずと知れた呂忠国の邸宅である。
主である呂元帥は黒檀の椅子で或る男を待っていた。
影では忠狗と呼ばれる、元帥の手先の中でも一番の手練である”黒尾”の愛称を持つ劉黒鵜が音もなくその前にひれ伏した。
「首尾は?」
低く問われて、間諜の黒鵜は無言で首をふる。
「そうか、やはりあの時に薛めの娘を死なせたのは早計であったか。お主でも生死が掴めないとなると、誰が皇子をその後どこへやったか皆目見当がつかぬな」
十六年前、武天帝の四子を暗殺に呂元帥が向かわせたのは黒鵜であった。
だが、正妃の蘭施の元に赤子の天月は跡形もなく、侍女の四嬢が皇太子の行方は己のみが知っていると云う。
黒鵜が四嬢を捕縛して元帥の元に連れ帰ったが、四嬢は頑として皇太子について黙秘した。口を開けば元帥を非難する言葉のみ。
正妃に関係するもの、薛太老や林撻などの反呂派の自宅にも執拗に間諜が暗殺前から張り付いている、何処にも四子に関する証拠は得られなかった。
拷問に耐え抜く四嬢にさすがの元帥も次の手を考えている間に、事は起きた。
四嬢は抜け落ちた簪を咥え、壁に身を投げ打って、喉を貫いて自害したのだ。女だてらに武芸を極めていた才女は死して秘密を守り抜いた。
出し抜かれた黒鵜は四嬢を侮ったことを恥て、十六年皇太子の行方を探す任務から離脱しない。
「しかし、今の宮中で廃位された皇太子を擁立して元帥閣下に楯突けるようなものがおりましょうか。蘭妃は北英の王族の生まれですが、たとえ北英に生きて逃げ込んで軍を起こそうにも北英は妖魔によって壊滅寸前でとてもそんな力はありますまい」
同盟国として人質同様に来た蘭施は、正妃とはいえ後宮で大きな立場でもなかった。
その北英が魔物の群勢に戦いをしかけ、再三冬花国に援軍を求めても、呂元帥が援助を却下した。結果、北英国は荒廃して人よりも妖魔が多いと聞く。
「お主の云う通りだが、あの呪われた赤毛の子がどうにも不吉でな。占専師にも、警告された」
「閣下が、占専師を?何と云われたのですか」
験担ぎや縁起は国中で盛んであるが、呂は至って現実主義と合理性に基づく男である。
宮廷にも易で年号や命名をする占者がいるが呂はそういった者たちを軽視していた。余人ならいざしらず、黒鵜が不思議に感じたのは無理からぬことだ。
「天、月を双つ抱く。暁と蒼天が国に絶つ刻、其の命 維れ新たに誅す」
「それは……」
黒鵜が絶句した。
天とは神を意味するのと同時に、冬花国の皇子に必ずつけられる名である。そして四子の名は天月。
国は冬花国であり、最後の誅という字は忠と同じ音、すなわち忠国、呂元帥の名になる。絶つと建つも重ねている意図は明白。
まさに皇太子天月が元帥を滅ぼす予言としか受け取れない。
「なんと無礼な占専師!閣下を愚弄するとは生かしておけませぬ。其奴、どこのものですか」
「それが、儂も直接聞いたわけではないのだ。家僮が表で立っている不審な占専師を見かけて詰問した途端、それだけ云うてその場から跡形もなく消えたそうだ」
「さてはたちの悪い人妖でありましょう。確か告死天使とかいう気味の悪い妖魔が居て、万里を視、不吉事を告げるとか」
黒鵜は、益々自分の任務を全うすることを心に念じた。
反元帥派は少ないが、その分隙がない。それに恐怖で今は元帥についていても裏切らないとは限らない。
いざとなれば黒鵜は呂が命じれば、今上帝も弑し祀る覚悟がある。
切れ者の黒鵜だが怒りのあまり窓辺の外の異変に気が付かなかった。名うての暗殺者にあるまじき失態といえよう。
窓の外で盗聴していたぬしは、即座に闇にその身を委ねた。
「ふん、鴉と飼い主はいよいよ畜生道を往くとみた。さて、予言は瑞兆か、夢見事か……」
そう嘯いた不敵のぬしの姓名をここに留める。
魏晋、字を怜蝉。
言行に信なく、忠義の売奴と噂される羅大公の間諜であった。
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この話でこの章はおしまいです。
最後に意味ありげに出てきた魏晋と羅大公は、なにげにお気に入りですが、今は伏線とします。