一つ星が瞬いて・壱
[ひとつ星が瞬いて]壱
冬花国が水北地方。冬花国の中でも都から最も離れた土地で、その地は荒んでいた。
夜の森は今日もざわめいている。
日のあるうちは人の世、陰のはじまる刻は魔物の世とされる世界において、真夜中に外出する人間は存在しない。
家屋のすべては固く閉ざされ、魔物を遠ざける魔除けの香が門戸で烟っている。
青く鈍る月光の中、木々の間を飛び移っていた影がふいに静止した。
威嚇の声を上げる魔鳥が気配に気づいて飛び立とうとする刹那、影が跳躍すると月の光を乱反射させながら一太刀でその首を虚空へ飛ばす。
「こんなものか」
呟いた声は未だ幼い。
雲が流れ、月光が恐るべき早業を放った影に光をあてた。
簡素な袍をまとったその人物は抜き身の大刀をもったきりで、防具のひとつも装飾しておらず、蒼い空色の髪色に、琥珀と白銀の左右の瞳が違う瞳が宝石のように輝いている。
夜更けの華山など常人は誰も近寄れない、単身そこに居る恐れ知らずの少年は十四。姓を李、名を星游という。
「雪虎、此処に」
どこへとも星游が声をかけると、地面の影が大きく収斂して白い虎の姿の妖魔を吐き出した。
『参上致しました』
「死骸を山の奥に運んでおいてくれ」
『承知』
巨大な顎で飛んだ首ごと死骸を咥えた白い魔物が闇の中に溶ける。
その姿を見送ることもなく、星游の体も夜風に跳んだ。
音もなく近くの民家の屋根に着地すると、其処を足場として疾走する。その足取りはおよそ迷いがない。
やがて他より大きな建物の門に到達すると、星游は首をすくめた。
門戸にたちはだかっているのは薛翼、多くの人は薛太老と呼ぶ頑強な体躯の老人であった。
「星游、お主は何処まで行っておった」
老年でも夜目がきく薛太老は、夜の中でも星游が移動しているのが見えたのか腕を組んだまま唸り声で叱咤する。
門から飛び降りた星游は、先刻の剣技の主とも思えぬ様子でうなだれた。
「薛老子ちょっと、華山まで……妖魔を深追いしてたら、つい山頂まで」
「愚か者。何故そんな真似をする。怪我しなかったのは幸いだが、それはお主だからこそ無事だったのだ」
「無害なやつなら放っておくけど、あいつら飢えると子供を襲って食べるだろ、里に被害が出る前にと思って」
ため息をついた薛太老は軽く星游の頭を叩いてから、家の中に入れた。この屋敷を薛子塾と云う。
かつては朝廷で重鎮として扱われた太老は、その座を退いてから都を離れた。
この数十年、魔獣の森華山の側の貧しい里で、大きな家屋を建てて星游を始めとする捨てられた”鬼子”たちを養育している。
人と魔の間に生まれた鬼子と周囲に忌まれて山に捨てられたのは星游だけではない、手足が不自由な子供や口のきけない子など、困っている子供がいれば全て受け入れた。
薛子塾は勉学の場であり教育の場であり、乞われれば銭を持たない旅人も迎え入れる家でもある。
太老の妻、春真と二人で切り盛りしてきた。
「おやまあ、星游何処までいってたの?」
にこやかに洗い物をしていた薛夫人は、太老と長く連れ添ってきただけあって並大抵の神経の持ち主ではない。
夫が朝廷を出て野に下ると云ったときも、顔色ひとつ変えずに荷造りをするほどたくましい。
従って、妖魔の跋扈する真夜中に十四にならない子供が帰ってきても、近所で遊んできたかのように振る舞う。
「人食鳥を、やっつけてきたんだ」
「それじゃあ華山まで?お前はすぐ遠出するのねぇ」
剛毅な薛夫人だが、夫が星游を拾ってすぐ、どこからともなく様々な妖魔が現れては交代で星游の世話をしだした時には流石に言葉を失った。
それまで鬼子を拾い、不思議な力を発動させるのを見たことはあっても、妖魔が半妖とはいえ子供の世話をするのは見たことも聞いたこともない。
妖魔にも格があり、それは大きく七つに分けられるが、星游の中に流れる血は相当に高位なのかもしれぬと夫婦で相談し、余所では妖魔を召喚させないよう必死に教育をした。
星游が喋りだしたのは一歳。二歳にはもう自在に走ることも自分の意思で魔物を呼ぶことも可能となった。
成長が早いのも鬼子の性とはいえ、妖魔を召喚できるのは星游だけの真に不思議な能力の一つである。
それまで何人も、鬼子を見てきた薛夫婦が一番心配がらせ、手をかけたこの少年も、今や薛子塾の最年長であった。
ようやく主人公1がでてきました。名前がどんどん出てきますが、読者さまのお気に召すキャラがいるといいですが。