絶望は一度ならずして 肆
[絶望は一度ならずして]肆
「他に生き残りはいない……」
残念だ、と一言には云えなかった。雪燕の叫びが、あまりにも悲痛すぎて。
陵以上に、叔玄もうちのめされているように見える。
癒与の子として生まれて、人を救えないことは辛いだろう。
「兄者にーー」
知らせないと、と云いかけた陵の体中の毛が逆立った。
あまりに異様な気配、そして金髪に青い光を宿した人物が笑顔で洞窟を覗き込んでいる。
どう説明していいかわからないが、この場を制圧する異常な空気。
陵の中の獣の血が、全身で警告を促す。この人物は敵だと。
「おやおや、全滅って感じかな。北英の鬼子もたいしたことがないなぁ。生き残ってれば俺の手下にしてやってもよかったけど」
どうしてその笑顔は兄の星游に似ている。
端正な美貌は星游に酷似しているのに、とりまく妖気の禍々しいこと。
「あ、君らは星游の兄弟の連中かあ、わざわざ助けにきたの。変わったことするよね、まあ、助けにきた甲斐はなかったようだけど」
「あなたは、何者なんです」
睨みつけた叔玄を、水晶の双眸の主は一瞥した。
「ああ、たかだか癒与の分際で慣れ慣れしくするなよな。俺ってほんとそういう人助けして自己満足してる種族って嫌いなんだよね」
「名乗りなさい、何者です!」
謎の人物が身動ぎすると、おぞましい魔獣が姿を現す。
猿に似て、しかし瘴気の息で生きるものの肺まで腐らせる暗黒猿。
「俺の名前は龍星。けどおぼえなくていいよ、じゃあ、さようなら」
暗黒猿がゆっくりとその口を開ける。
龍星と名乗った青年は身軽に洞窟の外に消えた。
叔玄には攻撃手段はない。
弓で瘴気は防げない、雪燕は友に死なれたばかりであてにはできぬ。
暗黒猿の瘴気を吐かれれば、洞窟に充満して叔玄も雪燕も、陵も死んでしまう。
魔獣を放り出す暇も、もはやなかった。
ーーー死んで堪るか。
瘴気の塊が洞窟に放たれる、その刹那に陵の血が体内で沸騰した。
鉤爪が、耳と尻尾が生えるのを感じた、いつ以来だと思う前に、陵は咆哮をあげる。
その息が熱い、陵の吐いた業火が瘴気ごと暗黒猿を焼き尽くした。
「陵!!」
「俺、業火狼の子だった、んだな」
叔玄が腕を伸ばす、その手に抱かれて陵は意識を手放した。
兄に知らせなければ、あの龍星という人物の存在を。そして、叔玄と雪燕を守れたことを。
それを最後に思って、陵の意識は完全に落ちた。
「陵!!大丈夫か!!」
「雪燕、落ち着いてください。どうやら力を使い切って寝ただけのようです」
叔玄の言葉に、雪燕は取り乱した呼吸を整える。
助けに来てくれた彼らまで死んでいたら、城にいった彼らの仲間にどう詫びよう。
そして雪燕は何度目かの命を救われたのだ。
「雪燕、此処は危険です。人の死骸があれば妖魔も集まってきましょう。先の主がまた来たら僕では守りきれません。皆さんを埋葬しましょう」
ーー国を出たいと願った仲間を此処に葬るのか。
そも此処に埋めても、飢えた妖魔が墓を荒らすこともあるだろう。
それを承知で、それでも埋めようと叔玄が云う好意を無下に出来なかった。
誰だってこの洞窟から今すぐ逃げて身の安全を守ることが第一なのはわかる。
それでも、このまま飢え死にした仲間を放り出さずに埋葬したいという気持ちが、甘い判断を与えてくれるのだ。
雪燕は、荷の一つを空にして洞窟の中に横たわる仲間の遺品を集めた。
緋聯の桃色の髪も、切って束ねて胸にしまう。
「雪燕殿ーー?」
「穴を掘る時間もない、それより土砂でこの洞窟ごと埋めて眠らせてあげたい。せめて仲間だけで」
一人ずつ埋める時間はない、それでも仲間と一緒であればせめて寂しくないと思いたい。
誰もが穴を掘ることより生き残ることを、進めてくれるに違いないのだから。
頷いた叔玄が、眼を開けたまま苦悶の表情で死んでいる鬼子の眼を閉じさせて、小さな装飾品や遺髪を一緒に集め始めた。
集めれば、その総数は十五人ほど。
こんな人数を死なせてしまったのか。
こんな人数しか逃げ出せなかったのか。
「陵、起きなさい!!もう一日寝ていますよ!!」
とんでもない嘘をいって、叔玄が陵を揺さぶって起こす。
「叔玄、無理に起こさなくても」
「いいえ、起きてもらわないと僕らが困ります。城にいって兄上に助けてもらいたいですが、雪燕を城に行かせるわけにはいきません。それに城には僕の力が必要な人もいます。陵と雪燕の二人でひとまず冬花の方へ逃げて貰わなくては」
幸いに陵はしばらくすると目覚めた。おそるべき回復力である。
薪割りがどうとか老子がどうのと云うのは寝言のようだ。
「薛子塾の夢を見てる暇はないんですよ、さっさと起きなさい」
「あれ?さっきここにあった少春の鳥団子汁は……?」
「そんなものは今もさっきもありませんよ、寝起きの悪い愚弟ですね。埋葬をしますから、きちんとお祈りなさい」
辺りを見回してから、陵はきまり悪そうに謝った。
この惨状のなか、自分だけ平和な夢を見ていたのが無神経だと思ったのだろう。
妙に律儀なのは、その塾で教わったことなのだろうか。
三人で、戦場で散った鬼子へ、餓死した鬼子へ、仲間を守るため妖魔に殺された鬼子へ祈りを唱えた。
そして未練の残る中、遺品と荷物を持って洞窟を出ると無言で斜面を登る。
「また、いつか、会えるときまで……」
雪燕が死すときに、皆が出迎えてくれますよう。
其の時にはよく頑張ったと褒められるように、生きてみせる。この地獄から。
雪燕の振るった腕で、洞窟の壁が轟音を立てて崩れていく。
右に左に、衝撃波を打ち込む雪燕の頬に流れた涙を、助けてくれた人たちは見てみないふりをしてくれた。
いつか帰るときまで、此処で眠って待っていて。
もうひとりじゃないから。約束を守るから、今は置いていくことを許して。
土煙が立ち上り、かつて洞窟だった場所は土砂で見えなくなった。
十五の絶望を埋めて、雪燕は振り返った。
「それで、どうする。叔玄は一人で城に戻れるのか?」
「その心配はなさそうです、兄上のおでましですよ」
叔玄が見上げた空には馬の三倍ほどはある大鷲に乗った星游の姿がある。
鷲が旋回しながら下降する間に、星游が地面へ着地した。
「無事だな!?」
何がと問わないのは、龍星という謎の男のことを知っている上での問い。
琥珀と銀糸の双眸異色には強い警戒心が浮かんでいた。
「兄上も、見ましたか。かの男。龍星と名乗りました」
「ああ、どうやらそいつがこの戦争に関係してるようだ。陵、雷鹿に乗って、雪燕と冬花の国境の里へ逃げろ、今はあそこは無人だ。お前に任せる、できるな?」
「出来るぜ、兄者。兄者と公子はどうするんだ?」
「この国にはびこる妖魔を全て一度全滅させる」
雪燕は、息を飲む。しかし兄弟たちからは、まさかもどうやってもきかなかった。
「叔玄は怪我している人間を助けてやってくれ、戦争に巻き込まれた農民や商人も大勢いる」
「わかりました」
「雪燕、士學からの伝言だ。あとで直接云いたいそうだが、北英の愚かな王族に代わって謝罪したい、と。そして愚かで無知で罪深いことを承知の上で、責任を取らせたいからいつか許してやれと、云っていた」
どうして赤毛の公子が、王族のかわりに謝るのかは分からない。
殺しに戻ってやろうと思っていたが、緋聯が許せと約束させたから、もう顔もみるまいと思っていたのに。
他国から助けにきた公子が、緋聯と同じことを頼む。
枯れたはずの涙は、星游の胸に押し付けられてその胸に染み込んで消えた。
もしあの時こうだったら、この国に生まれなかったら、この人達があと一歩早かったら。それは無駄なことだと緋聯が云ったではないか。
もう届かないとわかっていても、緋聯に訴えずにはいられない。
新しい仲間と、その人たちが与えてくれるその言葉を。
「ありがとうーーー」
きっと彼女ならそう云うはず。
風鷲に乗って城塞へ飛ぶ星游と叔玄に、雪燕は頭を下げた。
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チート星游には更に限界リミッター壊れて限界突破してるチーターの龍星を用意。




