絶望は一度ならずして 参
[絶望は一度ならずして]参
星游の指示で二手に分かれた叔玄と陵は、雪燕の案内で鬼子が隠れる洞窟に向かっていた。
「それで、助けてくれたのはありがたいけど、あんたらどういう人なんだ」
雪燕には分からないことだらけであった。
鬼子と、人間の組み合わせ。そして王も民も鬼子も助けると云った紅蓮の髪の主。
「公子はーーああ、紅い髪の方は冬花の、良家の方なんですけど、色々事情があって冬花国を出ることになってしまって。我らはその随従です。と云っても、鬼子だから売買されたわけではないんです。単なる此方の身勝手で麾下に入っただけなんですけど」
「青祥は、下僕みたいなもんだけどな」
「陵、脱線させない。氷を操っていたのが兄の李月牙、名を星游。僕は癒与の鬼子の潘叔玄、そこの粗忽者は趙陵と云います。血は繋がっていませんが、義兄弟です。一番年長で矛を使っていたのが、青祥です。これが全員公子ーー蘭士學様の随従ですよ」
雪燕が感嘆するのは、叔玄が立ち止まらずに走ったまま弓矢を的確に当てる技量。そして雪燕と荷物を抱えたまま自在に魔獣を吹き飛ばす陵の膂力の凄まじさ。
これだけの力の主が雪燕たちの中に居たら、と思わずにいられない。
「お名前をお伺いしても?」
「すまない、先に名乗るべきだった……わたしは宗雪燕、字はない」
「雪燕殿ですか、綺麗なお名前ですね」
「呼び捨ててでいい」
本当の名前は雪燕も忘れてしまった。
捨てられて、長いこと名前を呼んでくれる存在なんて居なかった。それを、出会った時に、緋聯が髪の色から付けてくれた今の名前は気に入っている。
「星游ってひと、なんであの時洞窟に仲間が居るってわかったんだ。国のやつらにも隠してたのに」
「あぁ、兄上は、なんというか特別なんです。鬼子は大抵特殊な能力を一つ持ってるのが限界ですけど、兄上は幾つか能力があるので」
「そうそう、兄者はすげぇんだ。素手で戦っても、俺より強いし」
複数の能力を持つ鬼子など、雪燕は知らない。
そもそも自分の能力が目覚めても、制御ができずに自滅して死んだ鬼子など、何名も見てきた。
叔玄や、陵そして、星游という人物の鮮やかな動きは完全に己の力を統治しているものだけが達せる領域だ。
「どうやって、そんな鍛錬を……」
「同じ塾生なんです、お互いに指摘したり、ひたすら実践したりで。鬼子を拾ってくれる奇特な方がいて、その老子のおかげでもあります」
「冬花はそんな人がいるんだ……」
北英とは全然環境が違う。
まず鬼子は死んで当然の扱いでしかなかった。
「老子や夫人、あとは少春たちだけだよな、んなこといっても。兄者だって里を何度も助けてんのに、何度も逆恨みされてさ!」
陵の怒りで、近づいた妖魔が尻尾で昏倒するまで引きずられて打ち据えられる。
「尻尾ーー!?」
「陵は、妖獣と人の子なんです。未だ未熟で、こういうときにすぐにでるんですよ」
「はっ!うるさいなあ、さすがに手が足らねんだもん」
「公子や青祥が居ることに慣れすぎましたね、兄上と戦ってるつもりでいないと厳しいですよ」
雪燕が唇を噛む。
自分がお荷物なせいで、負担を増やしているのだ。武器を持っていないことや、戦いの仕方で陵本来の武芸は、暴れまわり動き回ることでより発揮されるのだろう。
荷物と雪燕を抱えていなければ本領発揮できるところを無理させているに違いない。
叔玄のほうも、弓筒には数えるほどしかないので、そうそう連射できない状況になっていた。
「我々のことは心配せずに、よかったら北英でなにがあったのか教えてください」
助けにきてくれて、尚気遣ってくれる優しさが、雪燕には嬉しくて切ない。
しかし此処で泣くだけなら、助けてくれている人たちには不甲斐ないだけだ。
雪燕は洞窟に逃げ込むまでの経緯を、感情を押さえながらひたすら語った。
大戦に無理やり前線に押し込まれたこと、逃げ延びたものと逃げられなかった者の末路と、飢餓に苦しむ現状を。
出会ったときに、楊将軍を狙っていたことを。
「ひっでぇな!!勝手に戦争に巻き込んで、放り出すなんて信じらんねえ。俺でもそれは、あいつ殺したくなるぜ」
「非道と云う言葉がぴったりの人たちですねーー可哀想に」
叔玄の妖艶な面に、殺気が彩って余計に壮絶に見える。
癒与の子として生まれた彼が殺気をまとうこと事態が、かなりまれであった。
「今頃、公子に散々にやっつけられていることでしょう。公子は自分にも厳しいですが他者にも厳しい。差別した人らはその自分の狭量に赤面させられてるでしょうね」
「恥じるような立派な心の持ち主かも怪しいけどな」
「兄上のことは、公子が守ってくれるはずです……どちらにしても兄上は矢面に一人で立つつもりで僕らを行かせたのでしょうね」
「兄者はきっとだいじょうぶだ。公子も青祥も、兄者を傷つけるやつに黙ってるわけねえもん」
雪燕にはわからない。鬼子でない者を、そこまで信じられる二人が。
人間とは敵対するものであり、わかりえない存在でしかない。嫌悪と拒絶を一方的に送りつけ、鬼子などは死んで当然だという姿勢しか見せない、大きな隔たり。
「この下……!下に緋聯が!」
「ここか!!」
黒く汚れた大地の斜面を、陵が飛び降り叔玄も続く。
闇と同化するように虚ろな穴の口に飛び込んだ三人の鼻を、激しく刺す死臭と腐臭。
雪燕は、転がり落ちるようにして陵の背中から降りると、まろぶように奥へ駆け出した。
「緋聯、緋聯!!」
ーーここ、ここよ、雪燕。
か細い緋聯の声に、叔玄と陵がとっさにこめかみを押さえる。
「これはーー声?」
「緋聯は、相手の心に直接話せるんだ」
「精神感応能力ですか……それは珍しい」
雪燕が記憶した場所に緋聯は居なかった。
もっと洞窟の手前で、力なく横たわっている。其の桃色の髪には血がこびりついて固まっていた。
陵は生存者が他にいないものかと奥にすすみ、叔玄は緋聯の骨の浮き出た手を取ると、すぐさま癒やしの波動を送り込む。
「緋聯、いますぐ食べるものをーー!」
「雪燕、ごめんね、いつもあなたは人のことを優先して、ずっと頑張って……」
声が出なかったのは、魔物に脾腹を食い破られていたせいであった。
緋聯の着物は、汚れに紛れて既に黒く変色した血の跡が洞窟まで流れている。
「しゃべるな、この人が、叔玄がいますぐ治してくれる、大丈夫、こんな国、出ていこうって話してたろ。もう大丈夫だから、逃げようーー!」
傷のほとんどは叔玄の手で消えゆこうとしていた。それでも叔玄の秀麗な顔が歪んだ。
癒与でも治せるものと治せないものがある。怪我ではない、究極の飢餓が緋聯の生命力を奪おうとしていた。
当てた手のひらで、癒与の力は緋聯の怪我を治そうとも、残された時間が少ないことを知った。
「せつ、えん……約束して、お、願い……」
「何をーーー」
「怨むのは、や、めて。どうしてこの国に、生まれた、のか、とか、どうして、差別され、るのか、って、怨んでは駄目よ……やく、そくして」
何故そんな遺言のような事をいうのだ。せっかく癒与の力の人がきてくれたのに。
すがるように叔玄を見ると、彼は注ぐ力を休めないまま、切ない顔をして首を振る。
「そんな、緋聯、嘘だ、嘘ーー逃げようって、一緒に生きようって云ったのに」
「国を、王族を、恨まないで、あな、たは、もっと広い場所で、生き、ていくのに、そんな感情をもっていたら、辛い、だけでしょう」
死が緋聯の片翼に手を伸ばしているのが、雪燕にもわかった。
もうすぐ絶えてしまうーーーーそれなのに、死にゆく彼女の双眸異色が必死に雪燕を見つめる。
一言ずつに、緋聯がまさに命をかけているのがわかって、どうしてそれを断れるのか。
あんなに王族が、国が憎いのに。消えてしまえばいい、滅んでしまえばいいと云う呪詛を吐いていたのに。
友の死に際のその言葉を、否定できるはずがない。
「やく、そく、できる……?」
「分かったーー」
黒と灰色の瞳が、閉じてしまう。
いつも雪燕をなだめてくれた彼女のその声が好きだった。雪燕に名前を与えてくれた、呼んでくれたその存在に救われてきた。
絶望する仲間に優しく接するその態度が、どんなときも前向きだったその心が、離れていってしまう。
雪燕だけを此処に残して。
「これ、た、べて、ね……あなた、はいつも、人にすぐ譲って、しまうからーーーー」
緋聯の左手から、転げおちたのは野生の無花果の実だった。
飢餓に苦しんで、それでも洞窟の外に出て彼女は雪燕のために、腹を妖魔に喰われようともそれを離さなかったのだ。
「緋聯ーーーーーーー!!!」
離れた時でも、呼べばいつでも心を通わせられた。
今は隣に居るのに、もう雪燕の声が緋聯の心に届くことはない。
切ない絶叫は、けだものの咆哮のように洞窟に虚しく反響した。
彼女は逝ってしまった。誰も怨むなという優しい楔を雪燕に打ち込んで。
ただ雪燕の手の中に転がる無花果だけが、朱く熟れて、かすかに残った体温を最後に伝えて居た。
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叔玄・陵・雪燕パートでした。次回もこの3人のパートになります。実は過去の古い元ネタで唯一名前が残ったのが緋聯で、そっちの作品でも緋聯は死んでるんですよね、何か悲劇のキャラとして作者の中に組み込まれているのであろうか。