絶望は一度ならずして 弐
新たなる敵、出現。
[絶望は一度ならずして]弐
魔獣らに蹂躙された爪痕が、城塞を廃墟のように見せている。
楊将軍らが出たあとに何とか城門だけは閉じたのだろうが、星游が押すと簡単にその門は開いた。
「将軍が戻られた……!」
歓喜の声というにはか細い声が、それでも複数あがって波のように広がる。
士學と青祥には、何者なのかと云う視線が集まっていた。
夜まで戦っていなかったとは云え、返り血が少々あるだけで怪我もなく、身ぎれいなのは北英では既に異常であった。
星游は、反射的に傘を出して目元を隠そうとしたが、士學が其の手を止める。
「云うたであろう、恥じるな、誇れ。私が出した主命を忘れるな」
「……はい、殿下。そうでした」
「ともかくも、先ずは煮炊きせねばな。青祥、米をゆるく炊いて、十分に湯で薄めて重湯を作るぞ。長いこと食べていない腹に、刺激が強いものはならん」
「では士學様、果物はどうしましょう」
「酸味のあるものは後回しにして、柔らかいもの以外はひたすら煮るか、すりおろせ。出来たものはゆっくり食べさせよ、いきなり多量に食べると吐き戻す故」
厨房を探すどころではなく、城内には至る所に腐乱した死体が転がっていた。
飛び越えようにも、着地する場所すらない。死屍累々、正に死者の城は死臭が臭う。
さすがの士學も指示を出しておいて、何処で調理したらよいものか悩む。
「あそこの大広間は未だ隙間がありそうだな、楊牾隻、煮炊きしても良いか」
「御自ら、されますので?」
驚く将軍の目に、訝しげな表情の士學が当然のように答えた。
「動けるものが動けぬものを助く、其れが当たり前であろう。貴賎など問うて間に合うように見ゆるのか?この惨状で動けるものがやらずしてどうするのだ」
「は、申し訳も……」
「詫びる暇も今は惜しい、ともかく生きているものを助けるのだ。話や礼儀はあとにせよ」
星游は告死天使を憑依した目で最低限のものを集め、足らない鍋の代わりに空の水瓶までを代用し、青祥が荷車の中を検分しながら水樽を下ろす。
士學がそれを受け取りながら、米、粟、稗、麦などを放り込み、藁でくるんで運んだ卵を割る。藁は即座に木材の代わりに燃やされた。
腐臭の城の中で、やがて食物の香ばしいかおりが広がっていき、自然、大広間は這ってでも進む人々で満ちていく。
配ろうにも、器が足りない。星游は散らばったままの武器を素手で次々にひしゃげさせ、千切って無理にでも椀状に丸めた。
飢餓の集団は既に鬼子を怖がるどころではない、必死に食べるものを求めて手を差し出してくる。
「急いで食べてはならぬ。一度に食べようとすると腹がおかしくなるぞ、焦る気持ちはわかるが、とにかくゆっくり口の中に浸すように食せ」
重湯と果物を抱いて、よろめきながら楊團が奥へと進んでいくのは、王族に渡すのだろう。
自身も限界がきているとは云え、その道すがら動けないものが声を上げるのを無視して進む将軍に、青祥が哀れみの目を向けた。
「忠誠心、わからないでもないけどねぇ。士學様なら民を先にせよと絶対云うだろうなぁ」
「だからといって、みすみす見殺しには出来ないだろう。士學の血筋の人もいるなら尚更」
「星游は優しいな、助けた相手にあんな目つきをする相手にまで。俺ならずっと根に持つよ」
「俺が怒らなくても、青祥も士學も怒ってくれる、だから俺はそれで良い」
鍋をかき回しながら、合間に果物をすりおろす青祥と、銀製の盾をねじ切って器を作り続ける星游が密やかに話す。
士學は動けないものを見つけては、口を水で湿らせてやり、すりおろしたものを少しずつその口に含めさせるのであちこちを走り回っていた。
「王族が全員動けないですかねえ、自力で貰いにきたっていいんじゃないですか。少なくも一番最優先で今まで食べてただろうに」
「そう冷たいこと云うな、青祥。きっとその辺は士學が説教するさ」
青祥がらしくもなく批判をするのは、星游や、先刻の鬼子の雪燕をかばっての発言ゆえは星游も承知だ。
「ああ、その髪、真に叔母上様の御子なのですね……!天月様」
赤紫の髪をした娘が、士學を見て悲鳴のような声をあげる。其の横には将軍に支えられるようにして立つ痩せきった男。
薄汚れていても、その裳裾といい冠といい、王族なのは歴然であった。北英が公主、華燐と北英国王の紹韓である。
其の目が星游を捉えて、恐怖に縮む。
「まあ、其れが例の食料を奪った鬼子なの!?何故そんなものが許しもなくこの城に入り込んでいるの!楊團!!」
「いえ、公主様、糧食を盗んだ賊ではなく、天月様のお連れになった……」
「嫌よ!!放り出して、何をするかわからないではないの。そんな恐ろしいもの、見たくないわ」
粥をかき混ぜていた青祥の手が止まり、普段温厚な青年の顔が変わった。
士學は何とか食べさせようとしているものの、吐き戻してしまう幼児を抱いてどうにかしようとしていたところであったが、そのまま叫ぶ華燐の頬を張り飛ばす。
「見たところ、北英が王族のようだが、星游に不満あれば其の足で己がでてゆくことだな。命を助けようと駆けつけたが、我らが意図を見ても理解せず拒絶するのであらば、敢えて死にたいのであろう、止めたりはせぬ」
士學の腕の中で、また幼児が咽て吐く。それを、華燐は腰が抜けたまま逃げた。
「汚いーー嫌だわ、どういうことなの。貴方は従兄弟の天月様ではないの?何故鬼子をかばうの?何故そんな汚いものを抱いているのーー?」
「何が汚い。これが必死に生きようともがく姿だ。この終焉のような城の中、そなた何を見て生きてきた。民がために王族は存在するのに、民を知らぬ王族など、どう政道を動かすのだ。そうか、北英が滅ぶとしたら其の無知であろうな。なんとも情けないことよ。北英の民が哀れだ。いかにも予が天月であるが、そなたのような従姉妹が居るとは身内の恥だな」
「な、何を云っているの?王の為に民がいるのよ。高貴な血を守るために存在するの。魔物や鬼子が仇をなすから討伐したのは、立派な父の政道よ!」
「高貴な血など、何の意味もない!!王の王たる資格は民を守り、導く行いをもって尊ぶものである!無策で妖魔に挑み、あたら大事な民草の命を散らすことではない!鬼子を迫害して何の利が出よう、その節穴の目では何も見えてはおらん」
不愉快だ、不愉快だぞ青祥。救済すべき民がいなかったら引き返したいほどだと、士學が苛立って怒鳴り、云われた従者は、俺もそう思いますよと投げやりな返事をする。
それでも不快だからと見捨てるわけにはいかない。公主華燐の言葉でおおよそが知れるというものだ。
星游は差別に今更驚きもない。洞窟に見捨てられたように集まって城内から排除されていた鬼子を憑依の目で視て、差別がないと云えるはずがない。
主君と友が怒ってくれる、それだけで十分恵まれているのだ。
「楊團は尊公が蘭施の子であると云うたが、その証拠はあるのだろうか」
口を開いたのは、国王紹韓だった。
青祥の胸が再び怒気に燃える。普通なら国中に妖魔の群れる中、食べるものを運んでくれることなどあり得ない。
感謝されるいわれはあっても、今この状態で身分の是非を問うている暇があるのか。
死体の中で囲まれて生き残って、出る言葉が其れか。
士學がもしこの環境にあったら、死なせた民の分だけの怒りで憤死しかねない。
星游の力がなく青祥たちだけであったら、途中で力尽きて荷車を諦めることになっていただろう。
士學が節穴だと称したのは正確で、魏晋にはああ云ったがこの国から皇太子として認めてもらっても何の役にたつのか。
「士學様のお顔に蘭妃様の面影がある以外には、今皇太子たる証拠はありませんけど、最低限として此れがありますが」
青祥が懐から出したのは、冬花国後将軍、林撻に与えられた佩玉である。
楊将軍に、その文字を見えるよう渡すと、紹韓が唸った。
「確かにーーーやんごとなき立場、その紅蓮の髪と、面差し、我が甥の天月のようだ」
「そうか、別に詐称しても呂忠国に命を狙われるくらいしか面白みがない名前だが、理解してなによりだ」
嫌味まじりの士學はもう取り合う時間が無駄とわりきって、先程の子供に袖を千切って果実の汁をひたし、それをしゃぶらせていた。
青祥も士學と一緒に生存者探しを始めたので星游が粥をかき回す。
既に飢えた人々は自分の分を食べるとそれを他の人間に手渡して回っていくので、星游は空いた椀に注ぐだけだ。
幾ら調理しても荷車が空にならないのは壺中宙が人目を忍んで、集めたものを足していくおかげである。
「その甥が、北英まで血縁ゆえに助けにきてくれたのか」
「この国の妖魔が冬花国まであぶれて侵入してくる、他人事ではない。それに、一応身内であるゆえ、民も苦しんでいると聞いたから寄ったのだ」
「重ね重ねの無礼を詫びよう……天月殿のお連れの方にも」
紹韓の視線が星游に向く。
父上、と咎める声は公主華燐のもの。
「娘の無礼も詫びよう、どうもお連れの方が妖魔を引き連れてきたものと顔が似ているゆえ、つい感情的になってしもうたのだ」
詫びる前に感謝ぐらいすればいいものを、と青祥は心の中で呟く。
士學はこの矜持の高い血族には、すでにしてそんなものは期待していないのか、紹韓の言葉の意味を聞き返した。
「引き連れたとはどういうことだ。鬼子の偏見ではなかろうな」
「失礼を。あれは、多分鬼子でもないかと思います。私がみたところ、魔物の頭領のような様子でした」
戦場で目撃したのは楊将軍なのだろう、平伏しつつ国王から話を引き継ぐ。
「礼儀はあとだと申したであろう、そこで這いつくばっても邪魔である、動けるなら食べ物を行き渡るようにしつつ、ついでに申せ」
礼儀で腹は膨れないと云うのは士學の持論であり、事実だった。
未だ食べるものが行き渡らずに、悲痛な声が響いている空間で未だそんなことをするほどの価値が何処にあるのか、士學は知りたくもない。
「頭領というのは、なんです?魔獣に云うことを聞かせられるような人間が存在するとでもーー」
問うて、その途中で青祥は思わず言葉を呑んだ。
他ならぬ自分たちも使い魔の雪虎に騎乗しながら、妖狐や雷鹿などに守ってもらって此処にきたのではなかったか。
星游も、思わず手が止まりかけた。自分と同じような能力の鬼子は他に知らぬ。
「しかし、真実妖獣やらを集団で手下のように呼びつけていたのです。他国には我が軍が戦を仕掛けたと思われておりますが、発端はその人妖のようなその者が魔物を引き連れて乗り込んできたのを阻もうと、魔物狩りを始めているうちにそのものはいなくなり、大戦が始まったのです」
「それが事実ならば、何故それが冬花に知られておらんのだ……」
「不意に王城に出現して、宣戦布告してきたのです!そのまま妖魔を連れて軍に突っ込み、軍を半壊させて消えました。そのあと国中に突如魔物が溢れて、軍が足らず鬼子を集めて……」
「戦場に鬼子をぶつけて、そのまま放置したのか!それで楊牾隻と出くわした時、鬼子に襲われておったのだな。しかし……妖魔を操るもの、か」
星游の能力を悪用すれば、同じことができることに士學も青祥もわかっている。
星游も、考えたことのない使い方に何も言う事ができない。
「そのお連れの方ほどの蒼い髪ではなく、金に近い青の髪に、銀の双眼。双眸異色ではござらんかった。あれはおそらく神魔と云われる一番格上の魔物でありましょう」
ここにくる途中、星游は己が召喚魔に他の鬼子の使い魔にもなるのか問いかけて、返答がなかったのは其の存在のことなのか。
北英の大戦のきっかけとなった、その双眸異色ではないものは、星游とどういう関係があるのか、皆目見当がつかなかった。
しかしそれでは、この国が魔物と、その間子の鬼子を激しく憎悪するのも無理もない。
「神魔、か……真偽はわからぬが、其のものを放置はできんな。いずれ冬花で同じことをしない理由もない。見つけ次第捕らえるしかあるまい」
「急いで冬花国に戻る理由もないですし、他国も探ってみますか」
簡単に捕らえると云った士學へ、信じられないという声があがったが、北英城へ着いたときに誰もが無傷であったことが尋常でない力量なのが分かる。
「士學ーー俺はそいつを探したい。何故こんな非道なことを引き起こしたのか、わけを知りたい」
「星游落ち着け、私も同じだ。呂から逃げ隠れしているよりは有意義であろう。我らは同じ道を行こう、そなただけ義憤にかられて先走るでない」
「……分かった」
肩で息をする星游は、かつてない絶望を感じていた。
誰かを守りたい、認めて貰いたい。それ故に使ってきた自身の力。それと似たような能力で悪用する者が居る限り鬼子たちは、忌まれて嫌われるのだ。
この国の悲嘆は、そうした力から生まれてしまった。
「嘆くのは後ぞ、先ずは此処に居る人間全て、全力で救助することに専念しようではないか」
「それも、何時間かかることかわかりませんけどね。叔玄たちはどうしてるやら」
もし、神魔と呼ばれる存在が義兄弟たちに危害を及ぼしていたらーー
星游は告死天使の眼で、彼方の洞窟へを凝らした。
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波乱の展開が始まりました。華燐嫌われるだろうなぁ。ただの無知な姫さまって感じだったのに士學に論破されまくってますね。星游ひとりチートでも困るので、元帥は士學の敵だとしたら星游の宿敵が出て来ると思っていただければ。




