苦難と雖も糧として友とする 肆
戦乱編、乱入。
[苦難と雖も糧として友とする] 肆
唖然として見上げた城壁は、もはや城壁ではなかった。
北英と冬花国との検問所は何処にあったのかも定かではない。
城壁に巨大な大穴が穿たれ、其処から穴が広がって黒くたなびく空と、妖魔が平然とうろついている景色は正に妖魔の国としか云えなかった。
星游ら五人は既に八頭ほど魔物を倒していたが、一頭倒すとその血の匂いにその壁の向こうから、更なる妖魔が押し寄せてくる。
陵が「きりがねえや」とぼやくのも、当然。
里も街も何も見えない、見えるのは魔物の姿ばかり。これでは討伐士が引き上げるのも道理だ。
「これでまだ昼間なのか……」
「これでは人が生きていけるはずもないですよね」
あまりに悲惨な国の様子に、青祥も叔玄も他に言葉がない。
「雪虎」
『はい』
星游の影から白い虎のような妖獣が出現した。
「雷鹿、火鳥、妖狐、風鷲、黄角獣、白貘豹、狛賦戌、業火狼」
影が次々と妖魔を吐き出し、出てきた魔性たちは星游の足元へ集まりだす。
義兄弟である叔玄や陵も、星游が妖魔を招集できることは知っていてもそれを見るのは初めてであった。
妖魔を倒しに一緒に行くようになってからは、人数とその力で星游が表立って召喚したことがない。せいぜい普段憑依させている姿しか知らぬ。
たちまち周囲は城塞跡地が見えなくなるほどの大きな妖魔たちで埋まった。
「どうなっているのだ、星游。まるでそなたを主とするようだな」
思わず矛を握りしめている青祥の横で、士學は剛毅にも召喚された妖魔を触る余裕すらあった。
叔玄ですら触るゆとりはない、士學の度胸に呆れて陵は窮忌と大差ない白貘豹や狛賦戌を眺める。
「どうやってるのか、実は俺もよくわからない。雪虎や雷鹿なんかは赤ん坊の頃からいたし、他のものは華山で倒そうとしたら、自分から影に入ってきて、頼むと助けてくれる」
星游の言葉に、再び士學以外のものは唖然とする。
なにがしか、妖魔を操る術をもっていて、星游はそれを理解して呼び出しているのだと勝手に思っていたのだ。
「告死天使はおらぬな。憑依しておるのか」
「これで全部じゃない、未だ中にいるけどこれだけ居れば大丈夫だろうと思って止めた」
「ほう、未だおるのか。頼もしいな」
「一旦俺の影に入ると、妖獣も言葉を喋る。影に入らなくともしゃべる人妖もいるけど」
先程の雪虎の返答は、実際は星游と叔玄、陵の鬼子しか聞き取れていない。
それでも人語はわかると見てとれるのは星游が呼びかける言葉は、普通の言葉だからだ。
「全員に命ずる、我ら五人を妖魔から守り、人を見つけたら急ぎ守れ」
『承知』
「そうだ、星游。北英は食べ物がない、おぬしの魔物たちに食料を運ばせてはどうだ」
「わかった」
風鷲が舞い上がり、捨てられた荷車を見つけてそれを運び下ろすと、星游の影からまた二、三の妖魔が滑り入でて、荷車に食料を積み上げ始める。
「壺中宙、お前は各地へ飛び、食物を壺に集めてくれ。集まり次第、他のものは呼ばれたらそれを運んでくれ」
『畏まり』
壺を抱えた老人のような姿の人妖が、現れて消えた。
「いやいやいやいや!!!ちょっと待った!星游、お前、妖魔を手下みたいにしてるのに、妖魔を倒してたの!?」
「そうだけど?」
「え、それで使い魔になるやつと、倒す妖魔はどう区別つけるわけだ!?」
青祥の言に、星游は改めて自分が召喚した妖魔を見て、首をかしげた。
士學が雪虎の上によじ登ろうとしているのを叔玄が止めているが、掴まれている雪虎が腰を落としたので士學はそのまま登りきってしまった。
「そういえば、よくわからないな」
「信じられない発言きた!士學様、ちょっと、お願いですから無茶すぎることは止めてください!!」
「青祥って限りなく青祥だよなあ。兄者のやることに間違いはねえから、多分大丈夫だろ」
「多分って云うてるし!!陵まで多分とか云ってるんですよ、そして青祥だからとはなんだ!!」
「あ、兄上!何かその、基準とかがあるのではないですか?害があるとかないとか」
叔玄の必死の取りなしにも、星游は首をひねったまま。
子供のときから当たり前になっていたせいで、深く考えたことはなかったらしい。
「害ならあるだろう、雪虎は強いし雪を吐く。火鳥の尾羽根は火を起こすし、白貘豹は人の思考や心を読んで悪夢を与えるし、馬くらいなら一口で四頭は食える。それから……」
「戦えば、じゃあ窮忌より厄介ということですか?」
「そうなるな」
「兄上が使い魔になれと命じられたとか」
「いや、使い魔にしてくれと云ってきたやつか、襲ってくるだけのやつか……そうだな、しいて言えば知性が高い、のか?それもでも個体によるしな」
士學が雪虎の上で寝転んでいても、召喚魔たちはなんら気にしていない様子だ。
その間に北英から牙をむき出した妖魔が襲いかかってきたが、黄角獣と妖狐が力の違いを見せつけるごとくあっさりと撃墜させる。
その死体を、業火狼が吐き出した炎で一瞬にして灰にした。
「今、襲ってきたやつは妖狐にも見えたけど?」
「妖狐だろう、尻尾が九つあるんだ間違いない」
「妖狐が妖狐を倒すのか!?なんで!?同じ種族なのに??」
疑問が多すぎて、性格が破綻しかけているのは青祥だ。
陵はもはや考えることを放棄している。
「そんなこと云ったら呂元帥と薛老子は同じ人間だけど、相容れないだろ。士學と青祥が違うのと同じで、種族に意味はない。確かに召喚してる妖魔にも名前を上げるべきだったんだろうが、数が多いし子供のときは学がなかったから種族名で呼ぶしかなかったんだ。人間も派閥を作るだろう、それと同じ感じで俺に付くか、付かないかの区別しかない」
「そう云われると、そうかもしれんが……」
「そなたら、何故星游に尽くすのだ」
雪虎に乗ったまま無造作に問いかけたのは士學だ。
『主君である。其れ以外に理由は無い』
「兄上が、主君であると云っています」
「そうか、星游でなくとも鬼子には雪虎の言葉もわかるのか、便利であるな」
「まあ、忌まれるだけでは鬼子とて情けないですからね、少しは特権があって良かったと今思いました」
荷車が使い魔によって完全に食料をくくられた。
それを星游の目の動きだけで火鳥が太い足を荷車にかけて、引き始める。
「何故、俺が主なんだ?他の鬼子の使い魔にはなるのか?」
その星游の問いにはどの召喚魔も返答しない。
士學を乗せた雪虎が歩き出し、陵が青祥の襟を掴んで同じくその背に飛び乗った。
青祥が騒ぐが、不文律によって無視される。
「改めて考えると、意外とよく知らなかったな。少しずつ、聞き出しておけばよかった」
「兄上も完全無欠という訳にはいきませんから、仕方ないですよ」
「優れた武将は仕える相手を選ぶと聞く。星游が私に尽くすように、使い魔は星游の器に尽くすのであろう」
叔玄を抱えて雪虎に飛んだ星游を、士學が呑気に待ち受ける。
大騒ぎをする青祥のうるささに、陵が尻尾をだしてその首に手刀のごとく叩くと青祥は半眼のまま倒れた。
さすがに呆れて叔玄が、意識が飛んだ青祥が落ちないよう体を抑える。
「これで、体力を無駄にしないで済むだろう。北英を横断する間、ずっと戦っているわけにはいかないからな」
「最初から、そのつもりだったのか兄者」
「当たり前だろう。国の広さを考えろ。北英には人間がほとんどいないことは予想範囲だ。ここまでとは思わなかったが、召喚することは想定していた」
「さすがだな、星游」
「やはり兄上がいると、頼りになります」
雪虎が氷柱を吐いて魔物を串刺しにする。雷鹿が角から雷を放ち、魔獣を感電死させる。
悠々と進む集団は、確実に周囲にはびこる魔物を駆逐しながら北英国に乗り込んだ。その後尾には荷物を運ぶ火鳥と、風鷲が火炎かまいたちを巻き起こす。
魏晋がこの場に居合わせたら、星游一人で国が獲れると云ったであろう。
しかし、これはあくまで人が絶えた北英であるからこそ出来るのであって、冬花国でこんなことをすれば星游と連座して太老まで人智を超えた所業として処刑されたに違いない。あくまでも星游らを捕まえることが出来ればの話ではあるが。
この奇妙な集団が、或る人物らと接触することになったのは、その日の夜のことであった。
***
北英の楊将軍の戟が、雪燕を狙った刹那、雪燕は其の手をかざす。
目に見えない波動が轟いて、楊團の長身が後方へ吹き飛んだ。
両者の間には、申し訳程度の食料が積まれた荷台がある。その荷台を運んでいた部下は、既にして雪燕や魔物に殺害されている。
「この怪物が!!」
戟で必死に身を起こすも、将軍ともあろうものが反撃らしい反撃も出来ないでいる。
まともに物を食べていない体で、記憶にあるのはかろうじて前々日飲んだ水くらいのものであった。
それでも楊團にはやらねばならない任務があった。
なんとしても、城へ、今にも絶えてしまいそうな王族の口へ入れんが為に此処まできたのだ。
「五月蝿い、この、人でなしが!!」
雪燕にも怒りがある。
鬼子だからと戦場へ送られて何十という罪もない人々が散った、そして逃げ延びた友が果てていった。
それは全て北英国の上の人間たちが勝手に定めた戦争で。
誰も望んでいなかったのに、何の力がなくとも、国の差別が仲間を殺した。
さぞ無念だっただろう。さぞ苦しかっただろう。
妖魔の牙に、顎に、爪に、足に、蹂躙されて無力に死したひとたち。
そして鬼子らしい能力を持ってかろうじて戦えた人らも、焦土の国で飢え死んだ。
この将軍を見逃せば、また戦争を始めたやつらだけが餓死から逃げ延びる。ならば雪燕がその弔いとして、その手で倒すしかないのだ。
「殺してやるッ!」
「貴様こそ、殺してやる、鬼畜生の外道の子め」
楊團の言葉が更に雪燕の怒りに火を注ぐ。
戟の先で腕を少しもっていかれたが、将軍の心臓に直接衝撃波を叩き込めれば。
雪燕の血が乱れ飛ぶ中、まさにそのがら空きの胴体へ波動を打ち込もうとした瞬間、地面が瞬時に凍りついて雪燕と楊團の体が別方向へ滑った。
いきなり凍てついた地面を見て、雪燕は咄嗟に友ーー桂花を思った、もうこの世にいるはずもない友を。
「何をしているそなたら。人間同士で殺し合っている場合ではなかろう」
闇夜に、煌々と相手の姿が見えるのは、その集団の一人が持つ篝火のせい。
声をかけてきたのは深紅の髪に双剣の青年だった。
未だ人がいたのかーーそのことに驚いたが、その五人組の持つ大きな荷車と、山と積まれた魔物の死骸が目を奪う。
おまけにその人物らは、軽装で衣服が一切乱れておらず汚れもない。
油断した雪燕の目をめがけて楊團の戟が飛んできたが、それは雪燕の前に出現した氷の障壁で弾き飛ばされた。
腕をおろしたのは声をかけた青年の隣、空色の髪に琥珀と銀の双眸異色。
「邪魔だてするな!貴様らは何処のものだ」
戟を折られて激怒した楊團を篝火と矛を持つ青年が抑える。
「冬花国から参った、蘭士學とその随従だ。食料を持ってきたのだが、双方とりあえず落ち着くのだ。事情はわからんが、殺し合いを止めよ。何しろ魔物が押し寄せておる」
「篝火なんて持ってるから、余計狙われるんですよ士學様」
「頭を打ち付けて馬鹿が悪化でもしたのか、青祥、妖魔は夜目がきくのだ。火があっても関係ないぞ、来るのはここの土地が荒れているせいだ」
「呑気に話してる場合かよ!!公子も青祥も倒すの手伝え!!この死体の山から血の匂いで余計呼び込んでんだよっ」
怒鳴った少年は、怪鳥の魔物に飛びつくとその首をやすやすとねじ切った。
空色の髪のぬしは全方向へ氷の弾丸を飛ばして、無言のまま死骸を積み重ねていく。
その背後で弓弦の音が続き、雪燕を牙にかけようとした妖魔がその喉を突き破られた。
「食料、それはもしや宮城へ?」
「それもある」
楊團を丸呑みにしようとした妖獣を、双剣と矛の二人が刺し貫きながら返事をする。
将軍の目に希望の光りが灯り、雪燕は絶望に沈む。
仲間だと、そう思ったのに。双眸異色の鬼子が何故、王族などを助けるのだ。
「だが、鬼子はどうせ城でかくまっておらんのだろう。ははあ、さてはそういう卑劣なことをするから恨まれたのだな。私達はそういうことも危惧して駆けつけたのだ。鬼子とて人の子、なんの罪もない。食料は誰しもに与えるから安心せよ」
篝火で、紅玉の髪の青年の碧の双眼が光る。
この人は鬼子ではない。なにゆえ鬼子と人が、他国に食べ物を運んできたのか。危険で不毛の大地へ。
「兄上、二手に別れるしかありません。ご判断を」
「叔玄、陵、洞窟にいる鬼子をそこの人に案内してもらって助けろ。士學は俺が守る。青祥は好きにしろ」
「城にいくんなら、俺もそっちいくしかないでしょうが。士學様と星游だけで王族の方と交渉するのは無茶ってもんです」
「えらっそうに、青祥のくせに!兄者、あとで連絡よこしてくれ。荷物は適当に持っていく」
「陵、気をつけよ。全く同感だが、そっちに青祥を付けても何の役にもたたぬゆえ、こっちで連れて行くしかあるまい」
「なんです、その要らないものを引き取った体!?いい加減泣きますよ」
「水分を無駄にするでない、愚か者。そこの男を背負え、星游は荷車があるのだぞ」
五人組は勝手に二手に分かれてしまった。
それも手を休めずに魔物を屠りながら。
雪燕は口を開こうとして、いつの間にか自分が座り込んでいることを知った。
楊團を仕留めようと、全力を使い果たしていたのだ。
「さあ、方角だけ教えてください。あとはうちの愚弟が背負いますから」
美しく笑った紫紺の髪の少年の手に触れられると、柔らかな光のような感覚がして、戟で切られた傷が、無数の怪我が染み入るように消え失せた。
その双眸異色に見とれていると、黒髪の少年が片手に大きな荷物を持ったまま軽々と雪燕を担ぎ上げる。
振り向いたその目もまた、赤と黄金の双眸異色。
「どっちだ!」
「あそこの畦を超えて、それから……」
ーー緋聯、助けが、きたよ。どういうひとたちなのか全くもってわからないけど。
心の中で必死に呼ぶ。緋聯を洞窟に置いたままもう二日も経ってしまっていた。
将軍も、王族も、食べ物さえ手に入れて、体力さえ戻れば殺しに戻ってやるから。
だから、待っていろ。生きて、また、その声で雪燕の名を呼んで、笑って。
生きて、一緒にこんな国から出よう。鬼子を葬るこの呪われた国を。
.
星游のチート無双でした、青祥ひとりで突っ込み乙。この先、二手に別れます、士學星游青祥の城パートと叔玄陵雪燕パートとなります。