苦難と雖も糧として友とする 壱
北英戦乱編、開幕。
[苦難と雖も糧として友とする]壱
北英国、それはもうほとんど国という形が崩壊していると云っていい。
国を挙げての妖魔狩りを国の方針としたが、戦略や人海戦術が通用する相手ではなかった。
一頭一匹が大した力のない魔物を討ち取っていた間は良かったが、強大な妖魔が猛威を振るいだすと、軍は瞬殺の低落であった。
急ぎ地方に出した軍を呼び戻すと、地方州がその間に全滅する。
魔物の逆鱗に触れたのか、国に潜む膨大な魔のものが跋扈し、今や昼も夜もなく、妖魔が彷徨きまわっていた。
生き残った人間は王城に逃げ込んだものの、糧食倉はとうに空になっている。
そして、此処に一人双眸異色ゆえ城に逃げ込めることも出来ずにいる少女が居た。
単独行動は許されない、しかし洞窟に逃げ込んで命を細々と接いでいる仲間たちの飢える声を無視することはどうしても出来なかった。
沼地や枯れ果てた木々や、井戸の成れの果てまでさらうようにして、何か食べるものはないか、眼を凝らす。
ようやく、少しの水と、薬草を見つけた少女は硬直した。
背後に、居る。
野生の動物と魔獣の声を間違えるものなどありはしない。まず、北英にはとうに野生の生き物などは絶えたも同然だった。
しかし唸り声はしても、襲ってくる気配はない。少女がそろりと踏み出すと、幹がへし折れる音がして、妖獣も一歩進んでくる。
ーー後を付けられている。
慄然として少女は悟った。魔物たちも飢えている。しかし魔物同士で戦うより、小さな二本足の生き物のほうが捕食するのは簡単だ。
そして、人間はもう外を出歩かない。少女を尾けていけば、他のより多くの人間の元へ行くことを、妖魔も学んでいる。
懸命に力を振り絞っても、黒い地面に微かな霜が降りただけだった。もとより、少女の力では水瓶の表面を凍らせるほどしか威力はない。まして、空腹と疲労の中、魔物を倒すようなことができようはずもなかった。
このまま進めば、むざむざ仲間の元へ、魔物を連れて行くことにしかならない。
倒せないのであれば、せめて。
……ごめんね、緋聯。雪燕。
この胸の中の小さな声は、果たして届いただろうか。
少女は短剣を出すと、己が胸に突き刺した。
熱い血潮が、波打ちながら汚れた大地へ流れいでる音を聞きながら少女は妖獣が近づいてくるのを感じた。
嗚呼、誰かーー私達を、この国を、助けて。
洞窟の中では、飢餓の怨嗟が満ちる中で一人がか細い悲鳴をあげた。
「ああ、桂花、そんな!」
北英国は、また破滅へ向かって崩れていく。
***
「おお、食べ物が来たぞ!」
「それは俺の背中の荷物を見て仰ってるんですか、それとも俺を見て仰ってるんですか、士學様」
「そうだな、よく思案した上で考えるとどちらもだな。すまん、青祥」
「何の謝罪ですか!?今すぐ食べようって意味なんですか!?」
心温まる会話が主従の間で交わされたのは、青祥が薛子塾から暇乞いをして次の日のことである。
魏晋は行商人の格好をして、やはり大きな荷の中に食物を積んでいた。
「公子、青祥の前にこれをみじん切りにしましょう、食べごたえがありますよ」
叔玄が平然と持ち上げたのは、陵の尻尾であった。
「なんってこと云いだしやがんだ!俺の尻尾だぞ!!」
「そうだ、それに陵の尻尾は私の座布団で枕なのだぞ。無体なことを云うでない」
「無体なのはどっちだよっ!全然助けるつもりねーだろ、それ!!」
苦笑いをする魏晋は、布巾で包んだ未だ熱い饅頭を取り出す。
士學、星游、陵、叔玄、青祥の順番にそれを配ると、欠食集団は暫し無言になった。
今頃は、薛太老たちは林将軍の別宅に移動しているはずであった。
将軍たちはそれぞれ帝都の屋敷、担当州地方にひとつ別宅を持ち、州城には戦線指揮を取る一室が最低限ある。
元帥だけが無数に別宅があり、その全部は把握できないほどであるのは言うまでもないが。
「太老たちは無事に保護されました。幾ら反元帥派とはいえ一番庶民に人気があるのは林将軍です。その元にいれば、太老たちはひとまず元帥の手を逃れるでしょう。殿下はどうなされますか」
「春斎国に行くか?多分、恒大が居るはずだ」
「ふむ、夏恒大とも是非とも会ってみたいのだが、ひとまず北英国に行こうと思っておる」
「北英!?」
魏晋は、あやうく淹れたばかりのお茶を落とすところであった。
星游の春斎行きの理屈は分かる。知人が居て、そして春斎では冬花国ほど鬼子は差別を受けない。癒与の叔玄ならば下官くらいの立場も貰えるはずであるし、星游もうまく能力を誤魔化せばやはり仕官は可能であろう。
夏済国は南了と戦乱の最中。
秋可国は一転、冬花国より妖魔粛清の動きが多く、鬼子など見つかれば子供の内に殺されている。
そして、北英国は魔物により国が傾いているのはこの数年、世界中の知るところであった。
「しかし、あそこは妖魔の巣窟ですぞ。行ってどうなさる」
「未だ母方の血筋のものがおれば、助けたい。それに妖魔だらけでは困っている鬼子も居ろう」
「しかし、北英の王族を助け、北英の鬼子をも助けようと仰るのか!?誰も彼もたすけることは不可能です!」
「出来る出来ないではなく、やるのだ」
「ですが……」
魏晋は渋る。折角助けた皇太子の命をむざむざ北英で散らしては羅夫人と子と薛娘の命が無駄になるばかりか、元帥を喜ばせるだけだ。
そして、あの盗み聞いた予言。
羅大公がこだわる予言は一体どうなると云うのだ。
ただの占専師の戯言なのか。
「怜蝉。その方が云いたいことはわかる。だが、今五人で呂忠国をどう打倒せよと云うのだ。いかに星游らが剛勇をもってしても宮城を落とすのは並大抵のことではない。そして暗殺などという手段は呂の好むところ、正しき行いではないではないか」
「御身が暗殺されそうになったことを思えば、厭うことをわかります、ですが正攻法でかの元帥を打倒するのは不可能ではありませんか」
「元帥など殺すことは容易い。だけど、国に元帥の専横がまかり通っていても民意に問えば、士學は簒奪者になる。それでは正当な帝にはならない。そう云いたいんだろう、士學は」
「さすが星游だ。よく我が心を汲んだな」
得たりと士學が笑う。
陵も叔玄も何を云わないのは、全て星游と士學の決めたことに従うことが当然であって、反論などおきようもない。
饅頭を食べながら考え考え、口を挟んだのは青祥である。
「怜蝉殿、たとえ国が危ぶまれても北英の王族を助け、士學様への協力は頼むことは出来るのではありませんか」
「青祥まで、殿下の意見にのるのか。万が一北英の城まで辿り着いたとしても軍はもうないのだ。協力しようにも軍もない国に何も頼めることはない」
「いいえ、ありますよ。すくなくとも蘭妃様の姉君のお血筋の方々が居るはずです、士學様を蘭妃様の御子と認定して頂ければ、北英から冬花国の正当な皇太子として認識はされますでしょう」
魏晋とて考えたことがなかったわけではない。
それでも水北地方から最北へ、北英に向かえば向かうほど強固な魔物が出てきて進行するのは無理と断念せざるを得なかった。
同盟を打ち切った冬花に対して北英がそんなことをしてくれる義務もない、又、仮に元帥と帝を廃することで再度同盟を結ぼうにも北英は無力である。
「いくら窮忌を倒したとて、北英はもっと大物もごろごろいるのだぞ、青祥そなたそれらを倒しきれると云うのか」
「その辺は、星游たちに頑張ってもらうってことで」
「そんな無策な前提で申していたのか……」
呆れ果てた魏晋に代わって、星游らはこともなげに頷いた。
士學も魔物しかいない国といっていい場所へ行くことへは何のためらいもないらしく、青祥に出されたお茶まで飲み干して悠然としている。
叔玄は嘆く青祥や、それぞれにお茶を配ったりと、薛子塾のときに居た時と何ら変わらない様子。
陵は結局士學の座布団にされた尻尾を諦めたらしく、二個目の饅頭を勝手に漁っている。
「心配ならついてきても良いが、徒労であろう。怜蝉には大公へよろしく伝えてくれ」
「はあ」
未だ不明瞭な表情の魏晋は思わず礼儀に欠ける反応をした。
「この蘭士學、大公の妻子に報いる為にも必ずや天帝となり、其の命の忠義を裏ぎらぬと。今しばしは呂の奸臣のふりをさせることを謝っていたと伝えてくれ」
「はっ」
魏晋は姿勢を正した。
「それに北英に皇太子として認めてもらうかはさほど期待はしておらん。周到な大公のこと、予の皇太子たる証拠は既に隠し持っておるであろう」
魏晋の背中に冷や汗が伝う。それは大公と魏晋しか知らざる秘密のはずだった。
またしても星游に心を読まれたのかと、星游を思わず見たが、蒼い髪の鬼子は首を振る。
ーーこれが天月様の器……
無謀でありながら、その眼は頭脳を持って真実を貫く。
自分ごときで推し量れるものではない、と魏晋は平伏した。
.
冒頭から血なまぐさいですね、どんどん悲惨になりますが、ついてきてきていただけると嬉しいです。もう士學と青祥は漫才担当ですね。時折俺様投手と立場弱い捕手バッテリーみたい。もう青祥はそういう担当として書いてるので、多分一生あざなを呼んでもらえないんだろうな。




