其の勇は義によりて尚 肆
薛子塾最後の章。次回より旅立ち。
[其の勇は義によりて尚] 肆
干した蒲団を取り込みながら、青祥は西日に眼を細めた。
このまま日が暮れてしまえば、監国目付勅使も今日は来ないかもしれない。武器を従えて集団でくるかもしれないが、それでも危険な夜間に移動するようなことはないであろう。
甘い匂いに誘われて台所を覗くと、夫人と少春と泉泉が杏を煮詰めたものを作っていた。
「いい匂いだなー」
「皆の大好物よ、日持ちもするから冷めたら瓶に詰めるわ」
砂糖や塩といった調味料は入手が難しい。それを惜しみなく使ってくれることが嬉しい。
「今日は、どうやら無事に済んだようね」
薛夫人の顔はこの数日で窶れていた。其の瞬間、その言葉をあざ笑うように門戸が激しく叩かれる。
全員に緊張が走る、青祥が皆はここに、と云って門戸に向かうと泉泉だけがその手にすがってついてきた。
男手が一挙に減った今、少しでも去った塾生の穴を埋めたいのだろう。青祥は泉泉を連れたまま丸腰で門に走った。
一方太老は、久方ぶりに帯刀して門の傍に詰めていた、青祥に頷くと門を開ける。
すぐさま紫の官服の集団が下馬もせずに、どっと雪崩込んできた。其の数、およそ三十余り。
勅使を除いて、断りもなく散らばって家屋のあちこちへ勝手に土足で入り込んだ。
「監国目付勅使である、頭を下げよ」
隠居したとは云えど薛太老はかつて大将軍であった、たかだが監国目付勅使ごときに下げる立場ではない。だがそれを歯牙にもかけぬ態度は、反元帥派である太老へのあからさまな侮辱だ。
「監国目付勅使様ですか、お役目ご苦労様です」
青祥が膝を付いて頭を低くする。
悔しい顔を懸命に堪えて、泉泉もそれに倣う。
「そちは何者だ。ここのものか」
「青伯明、名を祥と申す、ここの塾生でございます。此処に控える子供は泉泉、未だ十にならず生まれた時よりしゃべれませんゆえご挨拶できぬ無礼をお許しくだい」
「ふん、捨て子か」
幼稚な嘲りは十に満たない泉泉に何ら傷を負わせることもなかった。
未だ幼子であっても、星游らに浴びせられていた罵倒や侮蔑と比較するべくもないと達観している。
「青祥とやら、鬼子はどこじゃ。匿っても無駄ぞ、それとも真逆逃したか?」
「何を仰せなのやら解せませんが、ここは少春という眼の見えぬ少女と、泉泉、私だけが塾生。他にはおりませぬ」
「謀るか!妖獣を倒した騒ぎは、州師軍からも入っておる。そちと、その子供で倒したわけではあるまい。その銀髪以外に蒼い髪と派手な赤毛と黒髪のものが居たと、目撃した者もおるのだ」
「では、その赤毛の主やらが鬼子である証拠は何処にありましょうや」
詰問する監国目付勅使の顔が朱色に染まる。
揚げ足を取られたのは周知であった。
紫紺の髪の主が居たという証言が出なかったのは、叔玄に癒して救われた恩を少しでも感じてくれたのか。叔玄に治してもらったと云われてしまえば鬼子である証拠になるが、出なかったことで青祥は賭にでたのだ。
「しかし、しかし、人間が窮忌を倒せるはずがない!たかがそれも四人で。鬼子でなければ何だというのだ!!」
「人間ですが」
青い双眸が見えるよう、顔をあげて殊更に青祥は不思議そうな顔をする。
「ふざけるでない!そもそも、このふとどきな塾で鬼子を拾っておることは以前から報告されている!そちがいて鬼子は何処にいる」
「御役人様もよくご存知であるかと思いますが、鬼子などは野生の生き物同然でございます。気まぐれで魔獣の森から勝手に塾に入り込むのを、時々老子の情けで食べ物を与えていただけ。とてもとても、人と生活できるはずもありません。ですからわざわざ監国目付勅使様がいらっしゃって危険がないかどうか確認にいらしのでしょう。ご覧の通り、建物の中どこでも捜索なさって結構ですが、鬼子など危険なものはおりませぬ」
「ほんにありがたいことじゃ、華やかな帝都からこんな田舎まで、老骨の身の安全が為にいらっしゃるとは」
太老も青祥の意をくんで、追従する。
その言葉に嫌味が十分含まれているのは云うまでもない。
怒りに顔が赤く膨れ上がった監国目付勅使の手が、馬の鞭を振り上げる。
ここまでか、と太老と泉泉に当たらないように前に飛び出した青祥の眼前、鞭が一刀両断された。
突如、官服の集団を割って入った黒い甲冑の主がその剣技で、鮮やかに切り捨てたのである。
風避けを外したその男は、浅葱色の髪を振った。
「ご無沙汰をいたした、薛老将軍」
「暦徳殿か!」
林撻後将軍、字を暦徳と云う。
監国目付勅使の集団を単騎追っていたのは、この男であった。
「この水北地方が州宰相は確か、それがしの記憶が確かならば自分の部下に当たるはずなのだが、はて一向に薛将軍の塾を家探しするなど報告はきておらん。これはどういうことか」
冬花国の地方州が四つの故、将軍職の四席しか設けられていない。それぞれ、火南州、木西州、金東州、水北州を将軍の統治下とし、帝都は元帥が運営し、宰相が各州の州宰相を将軍の部下として据える習いである。
無論それは建前で、州宰相は元帥の息がかかった奸臣が将軍らを見張っているのだが、表面上は林撻が上であるはずだった。
「我らは監国目付勅使であり、州師勅使ではない!不満があれば宰相閣下に申し開くべきである!」
「その宰相閣下に会ってきたが、かの大将軍薛氏の家宅を何故ゆえ捜索するのか聞いたが鬼子がいたらひっとらえよと申していたが、鬼子は居たのか」
監国目付勅使の顔が今度は固まった。
屋敷のあちこちから顔を出している部下の表情を見れば、何処からも鬼子の存在も形跡も見つけられなかったことは明白であった。
「そも、鬼子が居たとして何の罪になるやら、聞いたこともない。ましてや言い掛かりのような理由も、鬼子がいないのであればこれ以上は無用と見るが」
「いらぬ口出し、のちに後悔しないことだ」
「それこそ無用な言葉だ、元帥に聞かれたら、薛将軍とその夫人、及び塾生の身は不祥この林撻が預かっていると伝えよ。また家探しがしたいならば、いつでも歓迎してやろう」
歯に衣着せぬ直截さで、林撻が誰からの指示なのかを明らかにすると、監国目付勅使の顔が鼻白んだ。
いかに宰相の勅使であっても現職の将軍の家宅捜索など行えば、反逆者扱いも同様、そして何も出なければ責任を問われるのは宰相でも元帥でもなく勅使だけの断罪になるであろう。
旗色が悪いと悟って部下たちも監国目付勅使の元に戻り、顔色を伺った。
「一旦、州師城にーー」
「水北州城に入るのであれば、何か申すことはないのか。それがしはこの土地に貴君らが来たことも、本来知らされはおらぬが」
州城に入るならば、薛太老に頭を下げよと命じたその頭を林撻に垂れろというのだ。
「嫌なら、妖魔の巣食う闇の中、進まれるがよろしかろう。随分暮れているから、州城に入れるかどうかも怪しいが」
「よろしければ塾にお泊りいただいてもよろしいですよ。鬼子がいないこと、十分に確認できると思われますが」
笑顔で提案した青祥を打とうとして、監国目付勅使はその鞭が切られていることを思い出す。
ぎり、と歯噛みしながら頭を下げる様子は太老には良い見ものだったに違いない。
「誠に恐縮なれど、一夜、水北州城に滞在させて頂く」
「次からは、一報されよ。勅使も多忙であろうが、この土地を守護する将軍であるからには無断は以後許さぬ」
容赦のない林撻の一言に押し出されたように、監国目付勅使は蒼白のまま部下を引き連れて薛子塾からから走り出ていった。
最後まで馬を降りないままだったのは、背後で手を引く元帥の威光の意地か。
監国目付勅使が去るなり、青祥は大きく息を吐いた。
最悪の事態に備えて背中に仕込んでいた三節棍は、林撻将軍のお陰で使わずに済んだのだ。
夫人と少春が手を繋いで一礼する。
太老も、抜刀する覚悟はあっただろう。助太刀に現れた林撻の手をとった。
「暦徳殿、かたじけない。真逆尊公が来てくれるとはおもわなんだ」
「やめてください、薛将軍、ただの一存で勝手に尾行して参ったが、まさかこんなところに居られるとは存じませんでした」
「しかし、そこもとは先程宰相に尋ねたと……おお、見事なはったり。わしもうっかり信じてしもうた」
林撻は内政には元来関心はなく、天性の戦上手で将軍の地位に上り詰めている。
宮廷に呼ばれても、会議以外では宰相や元帥とはすれ違うことすら嫌っていたのはかつての薛太老と同じなのである。
「ああは云った手前、とんだあばら家ではあるが、これのちは拙宅においでくだされ。妻も子もおらぬゆえ、部屋ばかりは沢山ある。遠慮してくださいますな」
「そのお言葉に甘えよう。妻と少春、泉泉で掃除くらいは出来よう。しかし今夜は、それこそ粗末な家だが泊まっていかれよ。州城であやつらと顔を合わせることもなかろう」
「ありがたい、薛将軍の近況をお聞きしながら酒でも酌み交わしたいですな」
それにしても、と林撻は汗を拭く青祥を微笑んで眺めた。
「老子の教えが良いのでござろう、腕のたつ生徒がいるのですな」
武才で身をたてた将軍には勅使には見えないものがよく見えていた。
低姿勢のまま、青祥はいつでも監国目付勅使を一撃で倒せる目測を図っていたのだ。
「いや、未熟な教え手であったが、出来のよい生徒には沢山恵まれた。全員、わしの全盛期より見事成長してくれたのう」
言外に、此処にいない者たちを指して、太老は嬉しげに笑う。
「林将軍、お助け頂いて誠にありがとうございました」
青祥が今度こそ本音で頭を下げた。
「老子、二年と少しでありましたが、お世話になりました。泉泉、少春と夫人のこと、頼んだぞ」
泉泉が、小さな手を強く握る。その瞳は任されたことを喜んで輝いていた。
「青伯明、そなたにも最後まで世話になった。息子たちと、御方の身をくれぐれも頼む」
「命に代えましても」
コツンと小さく屋根が鳴る。
それは魏晋からの合図であった。
事情を知らないなりに林撻も察するものがあったのだろう、帯についた見事な佩玉を外して青祥に差し出す。
「薛老のことは責任をもって預かろう。どうもそなたは別の道があるようだ。何か困ったらこれを使うがいい。薛子塾の塾生ならば、使い道を間違うこともなかろう」
装飾のない林撻が唯一身につけているそれは、先の武天帝から武功として与えられた褒賞である。
只の佩玉ではく、貴重な珠に細工文字が彫られたそれは、冬花国で相当の身分を保証をする意味を持つ。
「ありがとうございます、亡き父も林将軍から下されたと知れば草葉の陰で喜びましょう」
立ち上がった青祥の面を、瞬間怪訝に見やった林撻の顔に驚愕が浮かんだ。
「もしや、そなた青広のーー!!」
「はい、遺児でございます。家族皆、元帥の粛清に会いましたが、如何なる奇縁か、こうしてご挨拶できることを嬉しく存じます」
「そうであったか……」
嘆息して天を仰いだ将軍は、かつての部下の息子と宮廷での味方だった探し人とに一堂に会えた奇跡を想う。
元帥の悪事のひとつでも暴けると思ったわけではない。あとで知られれば揉めることを承知で単独、勅使を追ったことで思いがけないものに出会えたのだ。
再度、屋根が小さく鳴る。魏晋が焦れているのは魔物の気配もあるのだろう。
太老が心得顔で、青祥得意の矛を渡すと少春も大きな荷を預ける。先刻煮ていた保存食をまとめていてくれたのだ。
「行って参れ。険しい旅になるであろうが、最年長として皆を助けてやるのだぞ」
「はい、老子」
太老と将軍に深く叩頭すると、青祥は中院に走り、その長身で矛をしならせながら屋根に飛び移った。
見上げた林撻の眼に二つの影が映ったか定かではない。
「話は互いに降り積もろう。だが、最初の一献は子らの幸先を祝おうではないか」
少春と泉泉が台所へと向かい、ふたりの将軍はゆっくりと建物の中に入っていく。
薄闇が忍びよる中、薛夫人だけが青祥の立ち去った方向に祈るようにしていつまでも手を合わせていた。
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青祥のターン、とみせかけての林撻が後半もっていきました。青祥が初登場の回にて父親が林将軍の部下であるとかいておいたのがやっとこ繋がったところです。四つの将軍と地方の説明もやっと出来ました。
次回より旅立ち編となります。正直士學と星游の年から他のキャラの年齢を決めたので、趙陵はもう少し大きくなってからのが良かったんじゃないかと思うのですが、たくましいショタでいてほしいと思います。青祥とは6歳も違うのか・・・




