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『The answer is……』

赤い歯、赤い爪

作者: 雪つむじ

『The answer is……』の前日談(?)となります。

階段状とも言えるし、すり鉢状とも言える。

どうしてこんな形をしているのかというと、単に一番下から見た場合に、一番上までよく見える。

それだけの事だ。

実際に使っている側からの評判はすこぶる悪いらしい。

それに、この部屋で試験をした場合、後ろの席から前の席の回答が見えてしまうという問題をどうやってクリアするのだろうか。

「……で、この場合のローカルなコミュニケーションの在り様というものが……」

板書が終わった後、振り返って部屋中を見回す。

埋まっている席は部屋の三割ほど。

講座の登録人数はイスの数と同等だったはずなので、七割の学生が講義に出ていないということになる。

やる気がない、とも捉えられるし、その程度の価値しかない講座だ、と言われてしまえばそれまでだ。

出席者の中でも、机に突っ伏して寝ている者、マンガ本を読んでいる者、携帯をいじっている者。

さすがに、弁当を食べる者は今日はいなかったが、内容まで聞いているのはほんの一握りだろうか。

チャイムの音が部屋に響く。

「では、本日はここまで。質問があれば、研究室まで来てください」

それが合図であったかのように、ぞろぞろと部屋から学生が出ていく。

寝ている学生を起こさないで出ていくあたりが、何とも淡白さがあって嫌いではない。

「それとも、優しさ、か」

次にこの部屋を使う講座はなかったはずだが、念のため、寝ている学生全員に声をかけてから、教室を後にした。

ホールの時計を見上げると、針は十二時過ぎ。

面倒くさいことは、いつも時間通りにやってくる。

通勤、会議。

食事。

「はぁ」

ため息交じりに立ち寄った食堂は、時間もあってかそれなりにごった返していた。

学生に交じって券売機に並ぶ。

「いつもので」

何にしようか悩んでいたのも最初だけで、押すボタンはもう、毎日決まったものになった。

機械的に手際よく処理されて出てくる食事。

この規模からすれば、とても全員分を賄えるとは思えないキャパシティの食堂なのだから、流れ作業で回転率を上げていくしかないのも仕方のないところだろう。

空いている席を見つけて、そこに座る。

割り箸を割る。

ため息と湯気が混ざる。

「日向先生、ここ、空いてますか」



「ここの食堂のメニュー、知ってますか」

テーブルの上に、トン、とペットボトルが置かれる。

何のラベルもついていない、透明なペットボトル。

「A定食からB、C、D……見たことはないですが、Z定食まであるそうです」

イスを引いて、目の前に座るのは、シャツにジーパン。

「おかしいですよね。どうしてそんなにメニューがあるのか」

ペットボトルの中身は、やや赤い色をして、窓の外から差し込む光が、時々遮られるようなものが浮いていて。

「例えば、ラーメンなんて、上に載っているものと、せいぜいがスープを何種類か用意して。それでメニューをかさ増ししている。結局メインは同じ。ならどうして迷わなければならないんでしょうね」

ワイワイと、トレーを持った学生が歩いている。

「毎日、毎日悩んでいる。必要なものはどれも同じ。入っているものも同じ」

歩いているはずなのに、話声がするはずなのに。

「欲するものも同じ」

僕の周りにはまるで結界でも張られたように、その声が寄ってこない。

隣も、後ろも、誰もいない。

「赤い歯、赤い爪。知ってますか」

キャップを開け、ボトルの中身に口をつける。

「自然、ですね」

なんとか、声が出た。

「その通りです」

口は動いていないのに、そう聞こえた。

飲み込む。

おいしそうだ、と感じた。

「それは、残酷な事ですか」

動くペットボトルに、目を奪われる。

首を振る。

「残酷というのは、後から取って付けられた価値観です」

そう答えると、にっこりとほほ笑んだ。

「いつだって、必要なものは目の前にあります」

そう言うと、目の前に、トン、と、ペットボトルを置いた。

「必要なもの」

そのペットボトルに、視線を移す。

赤い。

赤い水と、赤い、粒子。

「先生には、これが必要ではないのですか」

そう言って、ペットボトルを下げようとする。

僕は、そのペットボトルを奪おうと、手を伸ばした。



気が付くと、目の前には壁があった。

これは壁なのか。

手をついてみると、やにデコボコとしている。

暖かい。

暖かくて。

湿っている。

手に伝わる温もりは。

これは。

きっと、嫌悪だ。

赤い。

赤い嫌悪が、壁から染み出てくる。

掬って、飲み込む。

あぁ。

これだ。



気が付くと、目の前には壁があった。

いつの間にか、自分の研究室に戻ったようだった。

窓の外は暗い。

時計を見る。

八時間ほど過ぎていた。

ゼミ室は隣にあるので、この研究室には誰もいない。

机の上には、まるで子供が遊んだように紙が散らばっている。

床にも。

一面に広がったその紙には、メモの様に何かが殴り書きされていて。

確かにそれを書いた字は見覚えがあるのに、その字がなす内容には全く覚えがない。

壁には見知らぬ特別講演のスケジュール。

既に日程まで決まっている。

テーブルの上には、空になったペットボトルが横倒しになっている。

わずかに。

赤い何かが残っていた。



講演当日まで。

まるで世界が変わったように、精力的な毎日だった。

全てが上手くいく、というわけではない。

相変わらず、学生は寝ているし、講座はガラガラだった。

ゼミの指導も、何かが劇的に変わったわけでもない。

ただ、そんなことは何の障害にもならなかった。

部屋中に散らばっていたメモを、夢中になって読んだ。

その字がなす内容を、覚えようとした。

思い出そうとした。

そう、このメモは僕が書いたものだ。

僕は、このメモを書いた。

このメモは、僕が書いたんだ。

食物の摂取傾向と成長、発達の関係性についての考察。

なぜ人は食物を摂取するのか。なぜ嗜好というものは存在するのか。

なぜ選ぶのか。

選ばなかったらどうなるのか。

何を選べばいいのか。

楽しい。

研究者として、こんな楽しい時間を過ごしたことは、今までになかったかもしれない。

人生で。

今までのものが、人生と呼べるのならば。

講演当日は、今までの人生の中で、まさに最高潮だった。



講堂に入る。

いつもの教室よりも、二回りほど広い。

その座席も、ほぼ埋まっていた。

演台に立つ。

これだけの人を前にすると、緊張する。

緊張で、のどがカラカラになる。

ペットボトルが、用意してあった。

ラベルのない。

透明なペットボトル。

赤い、液体が入っている。

何かが、浮いている。

浮いている?

はっとして、講堂を見回す。

ちょうど出口付近で、目が合った。

シャツに、ジーパン。

笑って、出ていった。

そうか。

わかってしまった。

この中身が、何なのか。

キャップを開け、ボトルの中身に口をつける。

赤い液体が、何かとともに、体の中に落ちていく。

「うまい」

やはり、求めているものはこれだと確信をした。

目を閉じて、深呼吸をした。

「さて、時間になったので、講義を始めます。皆さん、赤い歯、赤い爪。聞いたことがありますか」



気が付くと、目の前には壁があった。

いつの間にか、自分の研究室に戻ったようだった。

窓の外は、暗い。

時計を見ると、時刻は八時を回っていた。

今まで何をしていたんだろう。

壁には、研究の予定が貼ってある。

明日以降の予定はなかった。

しおれたプラタナスが、いつからだろうか、部屋そのものと同化して。

居座っていた。

疲れた。

まるで、何かに取りつかれていたような気がする。

早く、休みたい。

体が重い。

トントン。

ドアがノックされる。

「どうぞ」

返事をする。

「失礼します」

部屋に入ってきたのは、見覚えがあるような、ないような。

「先生は、期待どおりでした。ありがとうございます」

そう言って、手を差し出す。

「あぁ、どうも」

わけもわからず、差し出された手を握る。

シャツに、ジーパンだ。

その部分だけが、目に入った。

チクッと、した。

「ありがとうございます、先生。あとは、もう大丈夫です。ゆっくりとお休みになってください」

握った手がしびれて。

膝から力が抜けて。

床が、壁になって。

自分の体ってものは、意外と軽いものなんだな。

まぶたの裏に、そう書いてある気がした。



ぴちゃぴちゃと音がする。

耳は聞こえないはずなのに。

僕の体はどこだろう。

そこかしこから、聞こえる。

ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ。

そう、これが答えだ。

必要なものは、僕らの体の中にある。

僕らの体は、僕らにとって必要なものでできている。

自然に。

あぁ。

のどが渇いたな。

あの、赤い水は。

僕の体から出ていっただろうか。

少し広げてみました。


ありがとうございました。

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