5 忘我の巨人
1
魔獣は金になる。
それは多くの開拓者が思う、いわゆるところの共通認識というやつである。そしてそれは、概ねの場合、正しい。
魔獣は人を襲うがゆえに、単に討伐をするだけでも報酬はがっぽりと手に入るし、奴らから採取できる肉や毛皮、爪や牙。そういった素材の数々は、好事家やトルメリアの研究者、果ては雑貨屋から鍛冶屋に料理屋に至るまで。欲する者は多いゆえに金になる。
だから、最前線たる〝しるべの街〟には、いつだって命知らずな挑戦者が絶えることはない。
もちろん、簡単なことばかりではない。開拓者の命は軽い。
鼻持ちならない貴族共から、下賤で野蛮な無駄飯食らいの能無しと蔑まれながら捨て駒として扱われるなんて日常茶飯事だし、その上、開拓者にとって一番の上客で、常連は他ならぬ貴族である。人を人とも思わないような、無茶ぶりも良いところの依頼だって珍しくはない。
ゆえに、半年もあれば無能と有能の線引きははっきりとする。何故ならば、身の程知らずの愚かな無能が金目当てに開拓者になった場合、そいつはあっという間に魔獣共の残飯として、汚らしくて無様な死体を晒す羽目になるからだ。
だが、それでも開拓者になろうという者が後を絶つことはないのは、ひとえに彼ら自身が欲深いからに他ならない。
富を求め、名声を欲す。
欲望は開拓者の常であって、強欲であるがゆえにこそ、開拓者足り得ると言ってさえよい。でなくば、見ず知らずの他人のために命を懸けるなど、簡単にできることではない。
そもそも慈善事業など、あくまでも自己満足に過ぎないのだ。もし仮に、そんなモノのために殉ずる、なんて言い出す輩が居るとしたら、ソイツはきっと、稀代の大嘘つきに違いない。
2
エリオ・ノーテラスは開拓者である。
〝名も無き大陸〟の北西部。メリオールの北部、ドズル鉱山を隔てた先にある、ファルエル大河を更に超えた先。大陸の最北端。〝花都〟ミリアーネからやって来た、都会派開拓者。
普段は気の置けぬ仲間二人とパーティを組み、Cランク相当もの魔獣を討伐する手練れなのだが……。
今この時に限っては、命の危機にさえ瀕していた。
「ちっくしょう! 腐れ化け物共がッ、さっさとくたばりやがれってんだよッ!」
ビュンッ、と空を切り裂き、緋色の刃が走った。
苛立ち混じりの怒号と共に振り抜かれたロングソードは、岩を鎧のように着込んだ二足歩行のトカゲ──ロック・リザードの頭部に叩きつけられ、その側頭部を大きくヘコませることに成功した。
「GY……GAAAAAAAA!!!!」
やったか、との思いも束の間。奴が怯んだのはたったの一瞬ばかりで、死に至らせるには、まったく持って力が足りていない。いたずらに敵を煽っただけの結果である。
チッ、と舌打ちを一つ。すぐさま距離を空けようとするエリオに怒りに燃えるまなざしをギョロリと向けると、トカゲは耳をつんざくような咆哮を響かせ、頬をリスのようにプクリと膨らませた。
それはブレスの兆候。予備動作である。
やべえ、と思うエリオだったが、しかし敵はもう既に射出体勢に入り、そして彼のいる位置は奴の目と鼻の先だ。どう考えても、回避が間に合うような状況ではない。
せめて、と思い、付け焼刃とは理解しつつも、手持ちのシールドを掲げ、防御の姿勢をとる。
そして盾を突き出すことひとつ遅れて、ガツンッ、ととんでもない衝撃が彼を襲った。大きく開いたトカゲの口腔から、真っ黒な泥の塊が飛んで来たのだ。
大きさはそれほどでもない。せいぜいが握りこぶしほどの大きさで、しかし受けた衝撃は凄まじい。
彼は数メートルも吹き飛ばされ、無様に地を転がって、倒れ込む。
痛い、と身体をはしる激痛に悶絶する。だが、いつまでも呑気に寝転んでいるわけにもいかない。魔獣共の追撃にさらされるであろうことが明白だったからだ。
「SIYYYYYY……」
「JAAAA……」
「GRUUUUU……」
「KISYAAAA……」
「GAOOOOOOO!!!」
面を上げた先、瞳に映るのは、殺意にぎらつく、赤い複眼。ジャイアント・マンティス。
大カマキリだけではない。
ロック・トード、メタルファング・ボア、ハンマーハンド・ベア、クリスタルヘッド・リザード、フォレストビッグ・ウルフ、ビッグジャベリン・モスキート……。
周りを見渡せば、そこにはドズル鉱山の魔獣にとどまらず、ヴェラールの森林に生息する魔獣をも混じり合った、錚々たる顔ぶれが軍勢を為してメリオールへと押し寄せる光景がある。
それはさながら地獄絵図。幾度も魔獣に攻め込まれたメリオールだが、今この時。未だかつてないほどの規模で、魔獣の侵攻を受けている。
「SYAAAAAAA!!!」
「ぐおッ」
いったいこの先、メリオールはどうなってしまうんだ。そんな絶望感に浸る間もなく、容赦なく振り下ろされる凶刃。ジャイアント・マンティスによる攻撃である。
その一撃を、ロングソードでどうにか受け止めることには成功するエリオだったが、しかしカマキリによって再び地へ転がる羽目になる。倒れ込んだままでは、長く拮抗を保てるものではない。
ガリガリ、と刀身の削れる音がする。こんなことなら盾で受けるべきだったか、と一瞬ばかり後悔したが、いやそもそもシールドはトカゲ野郎が飛ばしてきやがった、あのきったない痰唾のせいで使い物にならないのだった、と思い直す。
「SYAA!!」
やがて、現実逃避気味にそんなことを思うエリオへと、痺れを切らしたらしい大カマキリから追撃の鎌がもう一つ振るわれる。
クソが、と悪態を一つ。
役立たずのベコベコ盾を投げつければ、案の定ギュギュッ、と切れ味の悪そうな音を立てて、奴の鎌がオンボロのそれを切り裂く。
鎌の軌道が逸れたのを見やり、何とかしのげたか、と安心したのも束の間。すぐに現在進行形で奴の一撃を受け止めている方の腕に限界が近づく。元々、両手を使ってようやく保っていた拮抗が、ここに来て崩れ去ったのだ。慌てて両手で支えるが、一度失ってしまった均衡はどうにもならない。
仮になんとかなったとしても、せいぜいが奴の侵攻をほんのちょっぴり遅らせるだけである。ならば、と思っても、そもそも押し倒されているのだから、回避なんか出来そうにない。詰み。人生終了、と短く言葉が彼の脳裏を過ぎ去った。
「トカゲにぶっ飛ばされた先にはでっかいカマキリが待ち構えています。そんでもってそれこそあなたが見る人生最後の光景になるでしょう、かしこ」とは。まったく持って冗談じゃない。
「クソ、クソクソクソッ、ちくしょうがッ! 死ぬかよッ、死んでたまるかよこんなところで!」
刀身から上がる音が変わってきている。ガリガリから、ギチギチへ。今にも折れてしまいそうな、そんな不安を煽る音。いや、ガリガリも十分に不安を煽る音ではあるのだが、とにかく。
「クソ野郎が、死んだら恨んでやるからな、腐れカマキリ野郎! 絶対に化けて出てやるぞちくしょうめッ! ……やめろやめろッ、その物騒なモンをとっとと退けやがれッ、クソ野郎!」
覆いかぶさっているカマキリの鎌が、ロングソードを削りながらエリオに向かってゆっくり着実に近づいて来るのだ。ジリジリと。
目の錯覚に決まっているが、エリオには奴の赤い複眼が笑みの形に歪んだように見えた。
地に突き立った鎌を抜き取り、折れかかりのロングソードへとダメ押しのように押し付け始めたジャイアント・マンティスのやり方に、改めて魔獣という種を理解させられた気分のエリオである。
抵抗という抵抗の手段を失い、あとは死ぬだけ、という獲物に対してすることが一思いに殺す、ではなく嬲る、なのだから、つくづくクソッタレな生き物だ、と彼は心中毒づく。
もちろん、どんなに悔しく思ったところで、彼に為す術などない。カマキリの腕一本だけでもギリギリアウトっぽいのに、ソコへもう一本追加されてしまってはもう駄目なのだ。防ぎようがない。
(ああ、ちくしょう……ッ。よりにもよって最期に見る光景が、こんなイカれカマキリ野郎のニヤニヤヅラだなんてよ……。いくら何でも悪趣味が過ぎるぜ……)
そしてついに、剣が折れる。悲鳴のような甲高い金属音をあげて。いよいよ、奴の一撃を食い止める防波堤は失われてしまった。
絶望を煽るように、ゆっくりジワジワと差し迫り来る嗜虐の鎌を呆然と見やりながら、エリオはついに死を覚悟した。
「SYAAA!?」
そして、悲鳴が上がる。
無情にも振り下ろされる狂気の刃。はたして、そこに残ったのは、切り裂かれ、無惨な死体となったエリオ──では、なかった。
奴の大鎌がエリオに到達しようかという刹那、突然そこへ蒼い輝きが割り込むように入り込む。そして靄のように奴の鎌にまとわりついたかと思えば、あっという間にカマキリの魔獣は最大の武器である両の大鎌を失った。凍り付いてしまったのだ、奴の腕が。
信じられない、といった風に、そんな凍てついた鎌を数秒ばかり凝視したジャイアント・マンティスは、やがて。怒りに咆哮し、まるでエリオのことなど忘れ去ったかのように、彼の背後の何者かに向かって憎悪にたぎる視線を向けると、そこに向かって直進を始めた。
「GIYYY……SYAAAAAAAA!!!」
轢き殺される、とは思わなかった。カマキリ野郎によってかけられていた圧力さえなくなってしまえば、逃げるのは容易いことだったのだ。そもそも奴はデカい。よって動きも鈍い。攻撃は鋭いが、奴自身はノロマもいいところなのである。
そして、カマキリの魔獣とエリオの距離とが十分に離れたころ、それを見計らったかのようなタイミングで、四方八方から氷の槍が殺到し、カマキリを滅多刺しにする。
奴の断末魔は、それはもう生への渇望に満ちたものだった。言葉も通じず、意思も疎通しない。だというのに、ソコに含まれたモノを理解させてしまうのだから、よっぽど死にたくなかったに違いない。
やっぱ魔獣ってクソだな、とエリオは再び毒づいた。
「よお、助かったぜ。アンタのおかげでクソみてえな虫っけらのディナーにならずに済んだわ」
「……っ」
片手をあげ、出来る限りフレンドリーに笑みを浮かべてみせれば、恩人は小さな身体をピクリと震わせた。ちょっとばかし傷付く反応ではあるが、エリオからすれば慣れたものである。この小憎たらしい強面のせいで女子供に敬遠されるなど、今に始まった話ではない。
まあ、それだけが理由の全てというわけでもなかろうが、しかしここはあえて。
「悪い(わりぃ)な。女子供に嫌われる顔立ちは生まれつきなんだ。だがよ、別に取って食ったりしねえから安心してくれや。……ただな、助けてもらった礼くらいは、ちゃあんと言わせてほしいと思っててよ、それくらいは構わねえだろ? 勇敢なお嬢さん」
「! ……い、いえ。気にしないでください。困った時はお互いさま。そうでしょう?」
「ふふん、違いねえな」
気弱そうな顔をして、中々どうして侠気のあることだ、とエリオは見知らぬ蒼晶術師に対して、いくらかの好感を抱いた。世には蒼晶術使いを蒼の忌み子だなんだと言って疎んじる風潮があるが、そんな罵詈雑言の中にあって、こうして彼を助けに入り、それどころか、あんな風に言ってのけるなどめったにできるものではない。
エリオは思わず顔がほころぶのを感じた。
「ひっ……」
「おっと、またビビらせちまったか。悪いな」
「いえ……。こちらこそ、ごめんなさい……」
全く欲望の欠片も見せない少女の在り方に、はて、奇妙なものだ、とエリオはふと思った。
そもそも、彼の価値観によれば、人は欲に従って生きることこそが自然なのであって、人のために、だとか世のために、だとか。そういう言い分というのは、実に胡散臭いもの。
見返りはいらない。慈善事業で人助けをします。そういうことをうそぶく輩を見たことがないわけではない。だが、口では聞こえのいいことを言う輩に限って、その瞳には確かな欲望が蠢ていたものだ。
もちろん、それを否定する気はない。エリオとしてはむしろ正しいとさえ思う。
だって食い物がなくては飢えるし、着るものがなければみっともない。寝る場所がなければ惨めだし、どんなに捻くれた人間だって手放しで持ち上げられたなら、気持ちがいいに決まっている。綺麗言をいくら並べ立ててみたって、結局のところ、それこそが真実なのである。
ゆえにこそ見返りを求めない、というのは、ある意味では歪なものだ。見返りとはつまり欲であって、欲こそが人の原動力であるのだから。
そう断じている。信じてさえいるのだ。
だというのに、奇妙なものだ。普段ならば真っ先に疑ってかかるような類の人間であるはずの彼女をいくら見やっても、蒼晶術使いらしく、俺をだまくらかすつもりかよ、とはちっとも思わないのだ。小娘からは欲望の臭いというやつを嗅ぎ取れない。
いよいよヤキがまわったか、それともこの蒼い小娘が本物のお人好し(バカ)であるからなのか……。
はたしてどちらなのか気にならないわけではなかったが、まあ、どちらでもいいか、と思考を投げつける。答えはもうなんとなく、出てしまっているような気がするのだ。
「……居るところには居るモンなんだな。存外によ」
「ふえ?」
「……どうもありがとうってこった」
こういうお人好しも中には居るものなのだな、と思い知ったような気持ちである。そしてどうやら、お人好しというのは伝染するものらしく、エリオは極めて彼らしくないことに、彼女に対して恩義を感じる自分に気付く。ビジネスライクな利害ではなく、恩という感情。
いい年こいて影響されたか、と思うが、しかし悪い気分ではない。
ふと、そこへ。
どこか弛緩した空気を無理に引き締めるような、血なまぐさい臭いが割って入る。
『エリーナ、北門の方で大きな騒ぎが起きているようだ。……もしかすると、くだんの巨人がいるのやもしれぬ。急いだほうがよいのではないか』
「……でも、ケガ、してるよ。カンナ」
『子細ない。それより今は一大事。急ぎ北門へ向かうべきだろう』
駆け寄ってくるのは、狼である。血濡れの狼。
エリオは少女の名前がエリーナであるのか、と認識するよりも先に、この殺伐とした幼獣がどうやら少女の使い魔であるらしいことに驚いた。二人の持つイメージの色合いは、あまりにもかけ離れている。
このカンナという幼獣。奴のまるで自身を度外視した物言いに違和感を禁じえないエリオである。どこからどう見ても軽傷とは言い難い傷を負っているというのに、まるで気にした素振りをみせない。
開拓者として散々に魔獣を殺してきた彼だから言えることなのだが、一般に周知されるほどに魔獣とは破滅的な生物ではない。むしろ逆。奴らは往生際が悪く、生き汚い。
殺しを好み、戦いを好み、一度戦い始めたならば、決してそれを投げ出さないのが魔獣だが、すなわちそれは生への渇望の裏返しなのではないかとさえエリオは思う。傷付き、死を目前にした魔獣の凶暴さを見るほどに確信は深まる。
しかしこのカンナとかいう狼はどうだ。理性的な口振りでありながら、まとう空気はバトル・ジャンキーのソレだ。見るからに傷だらけな身体でありながら、一刻も早く戦わせろ、と深紅の瞳がエリーナを催促している。この狼は自分の命を何だと思っているのか。
「……んじゃ、俺は一度街に武器を取りに戻るわ。さすがに丸腰のままでいつまでもいるってのは生きた心地がしないからな」
「あ、はいっ。……その、お気をつけて」
「嬢ちゃん達もな」
少し考えて、まあ、そういうこともあるのかもしれないな、と納得しておくことにした。お人好しをやっていると、変な奴に懐かれることもあるのだろう、と。
まさかそんな、と不審に思う気持ちがないわけでもないが、エリオは所詮、他人である。恩義を感じてはいても、積極的に問題へと切り込んで忠告をするほどお節介にはなれない。
ヒラリ、と手を軽く振り、メリオールに向かって駆け出す。
数百は下らないと思われた魔獣の大群は、気付けば随分と数を減らし、防衛に出ていた開拓者もほとんど見えない。あの幼獣が言った通り、戦場が別の場所へと移ったのだろう。
開拓者のなれの果てから、魔獣の死体まで。
ゴロゴロと転がったソレを時折踏みつけながら、駆ける彼は人知れずポツリと呟いた。
「良き名誉の道筋を、と祈っておくぜ。〝蒼いお人好し(聖女)〟さんよ」
3
ブオオッ、と咆哮する。
たったそれだけのことで、彼の周囲に群がっていた無力な者どもは払うように掻き散らされ、無様に地を舐める羽目になる。脆弱な、とは思わなかった。そもそも、そんな塵芥、興味もない。
彼に嗜虐心はなく、優越感もなく、敵意もなく害意だってない。
ただ漠然と、彼はそうしなくてはならない、という使命感めいたモノに突き動かされるままに振る舞うだけだ。
──俺は何だ。誰だ。いったい、どういう存在なのだ。
それは彼を苛む疑問であった。
もちろん、承知はしている。彼は魔獣であり、巨人であり、トロールである。
そう、理解はしている。してはいるのだが……。
まるでもう一人、自分の知らない自分が存在しているかのように、いまいちすっきりとしない違和感が常に付きまとう。魔獣としての自我があり、魔獣として正しく生きているはずなのに、間違っている。とんでもない間違いを犯しているような罪悪感がこびりつく。
自分はもっと別の何かだったのではないか、と根拠もなく妄想する気持ち。
「ゴォオォォオオオォオオオオッッ!!!」
苛立つ。どうしようもなく。
考えてもわからないことがあって、しかもそれが歯間に挟まったカピカピの米粒のごとく気にかかると来れば、その鬱陶しさは一層だ。
鬱憤をぶつけるように腕を振るえば、哀れ、運悪く射程圏内にいた人間共は瞬く間に擦り潰され、ミンチ肉のような体を晒す。
絶え間ない衝動に身を任せ、がむしゃらに腕を振るう姿は、八つ当たりめいた乱雑さがありながらも、どこか答えを欲して足掻くような、求道的な意思も感じさせるものだ。
進め、と何かが囁く。声ではない。意思の塊のようなものだ。
進めばきっと、お前の求める何かがそこにあるだろう、と。
だから、統魔のトロールは命じた。そして彼の意思に応えるように莫大なる霊素が周囲より集まり来て、彼の内に取り込まれ、その力となる。
統魔のトロールは、そうして手に入れた霊力を存分に喚起させると、ゴアアッ、と吼えた。すると、彼の力──統魔の笛によってもたらされた力が魔獣達を従え、霊素を通して伝わった意思が忠実なるしもべと化した魔獣達に指針を与えた。
──殺せ、壊せ、潰せ、侵せ、無くせ。
思い思いの場所へと仕掛けていた魔獣達が集結し、戦場がメリオールから彼自身へと移り変わった時。はたしてソコはこの世の地獄と化した。
それは百鬼夜行であった。
数多の魔獣が暴威を振るう。完全に統御されきったその様は、どこか軍靴の響く音を彷彿とさせるような姿、光景で。
ビッグジャベリン・モスキートの放った槍のような霊素の結晶が開拓者を刺し殺し、メタルファング・ボアの大振りな牙が、また別の開拓者を突き殺す。
まさしく落花狼藉。
北門の付近には、フォレストビッグ・デススパイダーによって鋼糸の橋頭堡が築かれ、そこを足掛かりにリザードやオークの一団が城壁を超え、メリオールに攻め入ってゆく。
ロック・リザードはところかまわずブレスを吐きかけ、クリスタルヘッド・リザードは建物へと強烈な頭突きを見舞う。そしてソルジャー・オーク達が街の防衛に出てきた開拓者へと群がり、粗末な手斧を振るっては槍で追い打ちをかけ、ヘビィ・オークは身の丈ほどもある剣や斧を縦横無尽に振るい、開拓者達を次々に薙ぎ払った。
荘厳な街並みはもはや見る影もなく。無残に崩された瓦礫の山と、打ち捨てられた死体の群れ。
死の化身。憎悪の権化。争いを生み、そして争いに生きるモノ。
魔獣に追い立てられ、逃げ惑っている。女子供、非戦闘員。運よく魔獣と相討つことがかなう開拓者もいれば、戦意を失い、逃げ出す開拓者もいる。
矜持というものか。反骨心を丸出しに魔獣へ立ち向かう開拓者が大半ではあるのだが、実はそれもほんの付け焼刃に過ぎない。統魔の笛によって統制された魔獣は、数も連携も地力も、人間とはまるで違うのだから、ならばソコに巻き起こる出来事など、全く持って決まりきったこと。
哀れとは思わないが……と、魔獣共を通して見た映像を思い、ん? と思った。そもそもどうしてそんなことを俺は思ったのか。人間などどうでもよかろうに、と。
少し考え込み、すぐにどうでもよくなった彼は、街に背を向けて、高みの見物と洒落込むことにした。 魔獣に向けて逐一指示を出しながら、果てない思考を繰り返す。はたしてこれが終わった時、求めていたモノに答えは出るのだろうか、と。
4
フォレストビッグ・ウルフの剃刀のように鋭利な牙が彼を食い殺さんしたその時、目を潰さんばかりの眩い緋色が世界を塗り潰した。
「これ以上は好き勝手自由にやらせませんわ! 超爆炎破壊弾!!」
突如として降り注いだ声はどこか傲慢さすら窺わせるような、そんな自身に満ちたモノ。そして続くように鮮烈に過ぎる緋が轟音を引き連れてやってきた。
いや、正確には魔獣に向かって紅晶術が展開されただけなのだが、ボバン、とかいうド派手な爆発音を あとに噴き上がった弩級の火柱は、夕刻過ぎの薄暗いそこを黄昏時の空のような緩やかな緋で染め上げ、まるで太陽のように照らし出したのだ。
耳を疑うばかりのクソダサいネーミングセンスだな、とは思わなかった。そんなことを思うような余裕はなかったし、何よりも、ソレに目を奪われていたからだ。
圧巻だった。
緋色の霊素が渦を巻き、泡のような形をとったかと思えば破裂して、そして大爆音。蜘蛛野郎が仕掛けた橋頭堡をそこに群がる魔獣もろとも焼き尽くす光景。一方的にやられるばかりであった開拓者達にとって、それは実に素気分爽快なものだった。
しかもちゃっかり城壁を傷付けないように位置が計算されている辺り、どうにも駆けつけてくれた援軍は武力に頼り切っただけの輩というわけではないらしい、と期待する。
あるいはこの状況を打破しうる知恵者が来たのではないかと。
──だが。
「おっほほほほほっ、主人公は忘れたころにやってくる! すなわち、わたくしが来たからにはもう何も心配はいらないということ! さあ、悪鬼外道の魔獣共っ、この絶対最強たるアリシア・ヒュースガルド・バウムライトが相手をしますわ!」
現れた奴はとんでもない馬鹿らしかった。特に言動。黙ってさえいれば、深窓の令嬢とさえ思わせるような清楚で愛らしい容姿をしているというのに、気の強そうな声から紡がれる彼女の発言は、なんというか、馬鹿丸出しだった。
ばーんっ、と。どうやらアリシアとかいうらしい少女は、いかにも格好つけたポージングで大真面目に口上を謳いあげると、突飛な展開に困惑する一同を置き去りにして「くふっふふぅ。やっばー。めっちゃ私かっこいい。今の私超輝いてる。最強じゃ飽き足らず、ヒーロー体質とかもう完全体でしょ。あー。主人公体質すぎて罪悪感オボエチャウナー」とか明らかに頭が沸騰しているようなことを続けてほざく始末。こいつもしかして重度のナルシストか? と、思わず弛緩しかける彼だが、そこへ。
「BUOOOOOOO!!!」
メタルファング・ボアである。ブフー、ブフーと鼻息荒く血走った眼を壁上のアリシアと向けると、怒りに猛り狂った咆哮を一つ。そしてそいつは猛烈な勢いで突進を開始した。
普通に考えて城壁の上に立っている彼女に向かって、地上に位置する猪が特攻を仕掛けてみたところでまったくの無意味に決まっているのだが、奴はそんな常識などお構いなしである。彼女の行いがよほど腹に据えかねたか、あるいはもともと考える頭すらなかったか。
いずれせよ。奴は放っておけば、城壁の付近に張り巡らされた掘割に落っこちて溺れ死ぬだろう。わざわざ手を下すまでもなく、勝手に自滅する。軽率さのツケを命で持って贖うというわけだ。
だというのに、何を思ったか、アリシアは、とうっ、とか言って城壁から飛び降りるなり、空中を無駄にスタイリッシュに転がって、少なくとも本人は華麗だと思っているのだろうポージングと共にふわりと着地する。
そして、
「その意気やよしっ! 気に入りましたわあなた! ……そちらが真っ向勝負を希望するというのならば、わたくしはとことんまで付き合うのみ! ですわ!」
ビシィッ。猪へと指を突き付けて豊満な胸を張ると、どうだこれでもかとばかり自信満々に言い放つ。 それはもう、お前何言ってんだ、という類の言葉である。実に馬鹿馬鹿しい。とても晶霊術師が言うことだとは思えない。
実際に、彼を含めた開拓者たちは、は? 何言ってんだこいつ、と思ったし、しかも。こころなしか、魔獣共の大群の奥に引っ込んでいるトロールさえも呆気にとられているように見える。
晶霊術師は後方支援に徹せ。これは常識であって、鉄則でもある。
当然だ。術式の展開に長大なる時間と、多大なる集中力を要する彼らが前に出るというのは自殺行為以外の何物でもないのだから。絶大なる力を行使できる代わり、前衛によるサポートを不可欠とするのが晶霊術師というものだ。
どんなに手練れた晶霊術師だって、術式の展開を待たずに攻撃されてしまえば無力なのだ。だから絶対に単騎で敵前に身を曝すなどあってはならない。
なのに、あの脳筋馬鹿のとった行動はどうだ。わざわざ安全圏を捨て去って、敵と同じ土俵に立つなどまったく持って正気の沙汰ではない。なにあいつ、頭おかしい……。とは、開拓者達に止まらず、魔獣共でさえも思ったことではなかろうか。……まあ、奴らに考えるだけの頭があればの話だけれども。
「BUMOOOOOOO!!!!」
こうなってしまえば、アリシアの辿り得る結末など決まりきったものとなる。……分厚い筋肉の塊に跳ね飛ばされて轢き殺されるか、それともあの物騒極まりない牙に貫かれて突き殺されるか……。どちらにしても、ロクなものではない。助かる見込みはなく、彼女の死は決定的。
だがそれなのに、けたたましく雄叫びをあげて迫り来る猪を前にしても、その威容を目にしても、アリシアの面貌に絶望の色はない。それどころかむしろ、玩具を前にした子供のような笑みを浮かべ、その瞳には暴力的ですらある確信の光が灯る。
「BUOOOOOOOO!!?」
「残念でしたわね! わたくしの煉獄領域はあらゆる攻撃を無効化しますのよっ! そんな突進なんかじゃあ、無理無茶無謀ってもんですのよねっ!」
そして、やがて。
二つが交錯した時、はたしてソコにあった場景は、惨たらしくズタボロにされた少女の死体ではなく、とぐろを巻くように縛り付ける火炎によって焼かれるメタルファング・ボアの姿であった。
「これぞ絶対最強! 最強無敵の鉄壁バリアーですわ! しかも詠唱破棄によってほとんどタイムラグなしに発動できる上、炎による反撃つき! あーっ、わたくしってなんて最強なのかしらっ。最強すぎるって罪ですわ……。絶対最強でごめんなさいですわーっ!」
まるで謳いあげるように自己陶酔極まりのないことを恥ずかしげもなくのたまう。しかもご丁寧に術式の説明を添えて。やっぱりこいつナルシストだな、と確信するに至る開拓者達である。
「……そしてっ! これこそ猛火滅却の──」
クルクルとステップを刻むアリシアの動きへと追尾するように、彼女が手に持つ大杖からは零れるような緋色の霊素が尾を引いた。どこか貴族の茶会で優雅な微笑みを浮かべる令嬢のような可憐さをうかがわせながらも、その身のこなしの何と艶麗なことか。
「紅蓮大旋風ですわーーーっ!!!」
そして、宣告。燃え盛るような風が駆け抜けていった。
真緋の星屑は幻想的に舞い散り、アリシアの対角線上にひとかたまりとなっていた魔獣達は烈火の 台風の餌食となり、見る間に吹き散らされ、焼き尽くされていく。
圧倒的。ただ圧倒的であった。火力、術式展開、攻撃範囲。晶霊術に詳しくない彼から見ても、圧巻。控えめに言っても超一流の術式である。……それを操る少女が、ネーミングセンス──というか、全体的に変人なのが玉に瑕だが。
絶対最強などと言い出した時には、とんでもない傾奇者が現れたものだと馬鹿にする気持ちもあったのだが、なるほど。伊達や酔狂で嘯い(うそぶ)ているわけではない。
これならば、彼女がいるならば、と。魔獣に蹂躙されるばかりであった彼らは、そんなアリシアの姿に希望を見つけると、剣を握る拳に一層の力を籠めて立ち上がり、我先にと駆け出した。