4 去りし日の憧憬
1
──その剣を美しいと思った。
まだ物心がつくかつかないかという頃。流れの武芸者が道場破りをしているのを見た。
そいつは道場破りなどしているくせに、だけど勇猛さとはまったく無縁と見えて、なんとも穏やかな物腰の男だったと記憶している。
巌のようにたくましい男ばかりの道場にあって、すぐにでも返り討ちに遭ってしまいそうなほど細身。しかし優男は、ひとたび剣を取ってしまえば鬼のごとく強かった。
ごうっ、と。猛然と共に襲い掛かる門下生共を、のらりくらり、するりと躱してみせては、撫でるように剣を振るい、容易く薙ぎ倒していく姿。
それは仮に、刀などまったく握ったこともないような人間が見たとして、それでも一目でこれとわかってしまうほどに非凡な剣であった。実際、それを目撃した彼自身がそう感じたのだから間違いはない。
雑念などはなく、我執とも無縁。ただただ振るうためにのみ存在する剣である。殺すためではなく、活かすためでもない、まったくの虚無。一切合切の感情から切り離された刃はまさしく明鏡止水。
純粋さの極致に在るようなソレを、そうだ。だからこそ、彼はただ美しいと思った。
憧れた。ああなりたい。あんな剣を振るってみたい、と、心底から思った。
だから、剣を志した。
道場に通い、誰よりも鍛錬に打ち込んだ。誰よりも多く、何よりも優先して。
一心不乱になれば、がむしゃらに打ち込みさえすれば、いつかは辿り着けると思っていた。あの頂へ到達することが出来ると信じていた。妄信していたとも言っていい。
──だが。
そうして彼が努力を重ねれば重ねるほどに、理想は遠ざかった。認めぬ、認めるものか、と躍起になればなるほど、彼が求めたカタチ(あの日見た美しき剣)とはまったく違うモノが彼の剣には染みついていった。
何を捨てても、何を奪っても、と意固地になるほどに、綺麗なモノから遠ざかる日々。
だのに、そう理解していても、決して投げ出すことが出来ない。一度抱いた憧憬というのは絶対に消え去ることはなく、常に自身を苛むのだ。怠慢を憧憬が拒む。
エリーナに仕えることを承諾したのも、どこか彼女に自分と似たところを見出したからかもしれぬ、と思うことがある。
自身と同じく、憧憬に呪われたことへの同情か、憐憫か。それとも、自分には叶わないことを成し遂げてくれるように、との希望か、期待か。
はたしてそのどちらかは、今を持ってもカンナ自身にも理解出来てはいない。
2
「聞くところによると、ドグマ鉱山には、AAAランクの超大型魔獣がいるそうじゃありませんの」
「……あのさ、アリシア。話の脈絡って知ってる?」
エリーナとアリシアの決闘から二週間が経ち、すっかりと馴染んだアリシアとミーリャは、エリーナ達と半ば同一のパーティを組んでいるかのようになっていた。
今も丁度一緒にヴェラールの森林にまで行き、魔獣を狩ってきたばかりで。打ち上げと称し、立ち寄った飯処で、さあなにを頼もうかな、と話していたところであって、そこへ唐突かつ前触れなしに、アリシアの先の発言である。心底呆れきったようなミーリャの突っ込みも道理というもので。
それくらい知ってるわよ、とむきになった風に言うアリシアに、化けの皮、と短く言うミーリャ。それ見て、なんかミーリャさんってアリシアさんに対して、結構辛辣だよね、とエリーナは思った。
「化けの皮とか本性とか本体とか、ミーリャは言いますけどね、わたくしが猫をかぶっている、みたいな言い方はやめてくださいましっ。誤解を生みますから。わたくしは裏表のない正直な人間ですのに!」
「別に、私が猫の獣人だからって言ったわけじゃないけど」
「何の話をしてますの!?」
『……つまり、猫だけに猫をかぶる、と……。なるほどな』
「ああ、そういう……」
「……あれ、そんなに上手いこと言ってるかな?」
たはは、と呆れ交じりの苦笑を漏らしながら、エリーナは言う。
それに、我ながら傑作、と無表情をひっそりどや顔に変えて、むふりとミーリャは返す。その手のひらは絶えずにカンナの背中を行ったり来たり。
最初のうちは鬱陶しそうにしていたカンナも、一週間も執拗に撫でくり回されれば、さすがに慣れてしまうようで、今は諦めきったように、ミーリャの膝へとその身を預けている。
「って、違うっ、違いますわ! 話を逸らすのはやめてくださいですの!」
「メンゴ。……でもアリシアって本性あんまし隠せてないし、今さら誤解も何もないよね」
「なァ……っ、ななななな……っ!」
「か、隠せてるよ、ちゃんと! きちんとアリシアさんの激しいところ隠せてるから大丈夫!」
「全然まったくフォローになってませんわ! そもそも、わたくしはお淑やかで楚々とした、か弱い乙女なのですから、激しい部分なんて欠片もありませんのよ!」
「自分で言ってちゃ世話ないよね」
プスー、とミーリャが吹き出す。心外ですわね、とぷんすか、と怒るアリシアを、まあまあと宥め、ため息をついてみせながらも、その実。エリーナの心境としては、満更でもなかった。
長らく人とまともな会話をしてこなかったエリーナにとって、こうしてきちんと人と話せるということは、実に嬉しく、楽しく思えることだ。……例えば、のっぴきならないほどに犬好きらしいミーリャに、このところカンナを独占されてしまっていたとしても、広い心で許してやろうかな、と思ってしまうくらいには、充足していると言っていい。
もちろん、カンナとの二人っきりが不満だったということはない。
けど、やっぱり同世代の女子と話してみたいという気持ちは捨てきれなかったし、もし仮に、恐怖というわだかまりがなかったとしても、カンナはやっぱりどこかズレているので、話し相手としてはあまり優秀ではない。
ともあれ、ひとしきり応酬をすると、けっほん。弛緩しきった場の空気を入れ替えるように、アリシアは咳払いを一つ。おごそかな風を装って言った。
「……なんだか大分話が逸れてしまいましたから、もう一度言いますけど。……メリオールの北の方にあるドグマ鉱山にはAAAランクの魔獣が住み着いているそうじゃありませんの」
『AAAランク魔獣……。確か、災害のごとき力を持つ魔獣のことであったか』
「ん。……亜竜とか、奇獣とかね」
騎士団とか開拓者とかゾロゾロ集まって、やっとなんとかなるような規格外のことなんだけど……、と嫌そうに言うミーリャに、ほほう、としきりに頷いて聞き入るカンナ。明らかな興味の反応に、これはとった、と確信したか、アリシアはえへん、と豊満な胸を張り、
「なんでも、そいつのせいでドグマ鉱山の開拓は遅々として進まないのだとか。……やっつけてやりましょうですわっ!」
依頼書は取ってきて差し上げましたから、と、ピラリ。一枚の紙を取り出した。
そこに記されていたのは、〝求む! 巨人殺しの勇者!〟との文字。詳細を追ってみれば、なんでもトロールとかいうデカブツが鉱山に居座り、こいつの討伐に開拓者達は手間取っているのだという。
メリオールが最前線と呼称されるに至って、もはや十数年。
それほどの期間、幾人もの開拓者が挑み、そしてその数だけ、トロールは勝利を収めてきたのだ。未だ手付かずの鉱山がその証左であり、巨人の強大さの証明である。
エリーナとしては、そんな物騒な化け物と戦うのはあまり気乗りがしない。巨人族といえば、比較的に打倒がしやすい魔獣として認知されるが、聞きかじった情報だけでも、戦いになった場合の勝ち目の薄さを確信させるには十分である。
しかし、アリシアはそういう考えではないらしく、高々と謳いあげるように説く。
「せっかく最前線まで出てきたんですもの。どうせなら大物をやっつけて、ガッツリと手柄を立てなくちゃ損ってもんでしょう!」
「や、でも私達、三人と一匹だし……。まあ、Sランク魔獣混じってるけど、まだ子供だし。……いくらなんでも、無理っぽくない?」
「そんなのやってみなくちゃわかんないでしょ! 物は試しっ、当たって砕けてみましょうよっ!」
や、砕けちゃ駄目でしょ、と呆れた声で返すミーリャであるが、アリシアに聞き入れる様子はない。至ってやる気満々なのである。
はふぅとため息。何を言っても無駄だと察したミーリャは、ん、とだけ呟いて、カンナを撫でることに没頭しだす。
諦めるの早いよ、と心の中で突っ込みを入れたエリーナは、既にもう戦勝ムードを出し始めているアリシアを上目遣いに見つめながら、あの……と、おずおず切り出した。
「ミーリャさんも言ってたけど、無謀なんじゃないかな、アリシアさん。私達、その……。頼れる仲間、とか……この街にいないし」
「問題ありませんの! 何事も、為せば成る、ですわっ。まずはやってみなくっちゃ、待ってるだけじゃ吉報は来ませんし、栄光への道は拓けませんもの!」
もう無茶苦茶である。まったく話が噛み合わない。
エリーナやミーリャも、せめて可能性が五分くらいあれば、アリシアの言うことにだって否はないのだが、どう考えても勝算がない。
そもそも、AAAランクの魔獣を討伐しようと思ったなら、最低でもベテラン開拓者の十人は必要となってくる。これは常識の話であって、むしろ万全を期すならば、二十人いても足りないくらいなのだ。 加えて、鉱山の魔獣には聞き捨てならぬウワサがある。エリーナ達だけでは自殺行為をしているに等しいのではないか。
もちろん、エリーナにだってそんじょそこらの開拓者よりかは優秀だという自負はあるし、アリシアやミーリャ、カンナは超一流といってよいほどに戦闘の実力は高い。それは断言できることだ。だが、それでもたった三人と一匹で、何十人分もの働きをするというのは無理があるというもの。
ゆえにエリーナには、アリシアの語る演説というのが、自殺志願者の戯言に聞こえてならない、はずなのだが……。
しかしそうわかっているというのに、どういうわけか昂揚する自分があることにエリーナは気付く。アリシアの声には暴力的なまでに熱がこもり、言葉にはムダに功名心を煽るというか、そそらせるというか。そういう奇怪な力があった。
「でっ、でも……鉱山には統魔の笛がいるってウワサが──」
「ノーですわ! 断固としてノーですの! そんな意志薄弱じゃ、勝てる戦いも勝てませんわよ!」
いや、そういう問題じゃないし、とは突っ込めなかった。言葉に含まれた、無駄にある説得力に思わず納得してしまいそうになったからだ。
このままではアリシアの勢いに呑まれてしまう、と。何か言わなくては……、とモゴモゴするばかりのエリーナを勢いよく遮って、ビシィッ。アリシアは指を突き付け──。
「チャレンジ精神ですわ!」
と。自信満々に言い放つ。群青色に光を放つ瞳には、いっそ盲目的なまでに希望の色が揺れている。
それはどこまでも直情的であって、直線的な。前方以外のどこも映さないまなこ。まるで猪である。
「何事も、挑戦することこそが大事なのですわっ。精一杯、力いっぱい、ついでに胸いっぱいにやってしまえば、結果なんて後からついてくるものですのっ。不可能だなんて、ただの決めつけですのよ!」
「ウワー……。この人言ってること無茶苦茶だー……」
あまりといえばあまりな言い分に、エリーナが絶句していると、ミーリャがなんとも感情のこもらない棒読みでそんなことを言う。まったく動じた様子がないのは、多分、アリシアのこういう言動に慣れているからなのだろう。
そしてそのミーリャの膝の上で、うむ、と無駄に厳然と頷いて見せるカンナは、どうやらアリシアの言うことを正論とみなしているようで、
『……いや、別段、私はアリシアが無理なことを言っているとは思わぬ。人間、やる気にさえなってしまえば、案外何でも出来てしまうものだからな』
「…………。ま、カンナはアリシアと一緒で脳筋族だしね……」
「の、脳筋族っ!? ひどい罵倒ですわっ!」
「でも事実でしょ」
ミーリャはしれっと言い放つ。それにムキィー、と言い返すアリシアを横目に流し、エリーナは、はふんっ、と深呼吸をする。脳筋族達の言うことはあまりにも価値観が違いすぎて、割りと温室育ちなところがあるエリーナにとっては、だいぶ刺激が強い。
「エリーナ。栄光はいつだって、真っ向きって突貫した先にしかありませんのよ。さあ、この手を取って。レッツ、グローリー・ロード!」
ミーリャとの言い合いをひと段落させたアリシアが、少なくとも本人は華麗だと思っているポージングを決めて、脳筋極まりないことを言う。
常識的に考えたなら、悪魔のささやきを通り越して、もはや死神のささやきですらあるそれ。
先述したことだが、そもそも前提からしておかしいのだ。間違っている。人には精神論でなんとかなる事とならないことがある。
これが例えば、巷を騒がせているちょっと強力な魔獣をやっつけよう、とかならば、よし頑張ろう、となるし、実際やる気になったなら、どうにかなるのだろう。しかし、今回アリシアが挑もうと言っているのは、街で評判になっている、程度の魔獣ではない。
強者猛者集う最前線のメルオールでも、いまだ攻略されていない、出来ていない。そんな怪物なのだ。まるで命をドブに捨てるような行い。
だが、性質の悪いことに、もう否定の感情は出てこない。恐ろしく説得力のこもったアリシアの言葉に、気持ちが押し負けてしまったのだ。
「さあさあ、イーッツ、バウムラ~イト・フレ~ンズ♪」と、、妙な音頭をつけて勇むように言うアリシアを前に、エリーナはもう頷くしかない。
「よっしよし、そうと決まれば善は急げ! いざ進発ですわ!」
「ご飯食べてからね」
もしかして、と。
ミーリャがマイペースに思えるのは、アリシアの扱いに慣れてるとかじゃなくて、彼女自身の性格に由来するところが大きいのかもしれない。エリーナは密かにそう思った。
3
メリオールを北上し、なだらかなる丘陵地帯を超えた先に、ドズル鉱山はそびえ立つ。
そこはまさしく、神秘的であって、退廃的な美しさが支配する、ファンタジックな世界であった。浮かび上がるようにして、宙を漂泊する色とりどりの光の粒は、その全てが霊素である。
虹色の蛍光が無骨な鉱山を色めかせる風景は、ただ美しいとしか言い表しようがない。
そこかしこに転がる石ころや岩の一つをとってみてもそうだ。
さすが、開拓のあかつきには、晶霊技術が大きく進むとトルメリアの学者連中に言わしめるだけのことはあり、晶霊石の原石がそこら中に転がっているのだ。石ころ一つとっても、晶霊石。
申し訳程度に群生する植物や、獣達の霊力が無差別に霊素へと変換し続けるその光景を一目でも目にしたなら、そこが途方もなく晶霊石を含有した鉱山であることなど世間知らずのもの知らずにだってわかるというものだ。
ドズル鉱山に生息する魔獣には、他に比べて強力な個体が多いというが、なるほど。ならば、それは確かに道理であることなのかもしれない。というのも、魔獣にとっての生命の源というのは、すなわち霊素であるからだ。
手のひらほどの石ころが赤から黄、緑、青、と明滅しながら色を変転させる奇妙な光景を横目に、自身の身に起きている変化を鑑みて、カンナはそんなことを思った。
『なんとも……。いや、なんと言ったらいいかわからぬが……、なんというか、面妖なものよな』
「カンナ?」
不思議そうに首を傾げるエリーナに、聞くのと感じるのとでは随分と違うものだな、とかぶりを振ると、
『……今日の私は実に調子がよい。働きぶりには期待してもらって構わぬぞ』
そうカンナはのたまった。彼にしては珍しいことに、どやっ、と擬音がつきそうなくらいに得意そうな様子で。いきなり何、とエリーナが戸惑うところに、ちょっと待って、とアリシアが横槍を入れる。
「体調ならわたくしだってすこぶるいいですわ! 今日だって朝からメタルファング・ビッグミートパイを三つも食べてきましたし!」
「何その変な張り合いかた。アリシアのおデブ事情なんて、みんな興味ないよ」
「デブじゃないわよ! ぽっちゃり! 人よりちょっといっぱいご飯を食べちゃうだけから! 断じて太ってるわけじゃないんだからねっ!」
「ま、まあまあ。ミーリャさんも悪気があったわけじゃないだろうし……」
「むしろ悪気がなくておデブなんて言葉出てくるかしらっ!?」
アリシアの抗議に、たはは、と笑って誤魔化すエリーナ。
アリシアがのたまって、ミーリャが煽って、エリーナがたしなめる。
そんな光景も、随分とお決まりになってきたな、と微笑ましいような思いを抱くカンナである。
アリシアがエリーナに決闘を言い渡した時などは、どうなる事かと思ったものだが、なんだかんだ、楽しそうに笑うエリーナを見やるに、そう悪い方向にことが運んだわけでもないらしい。
ふっ、とため息のようなものを一つ落として、カンナはミーリャの腕の中から飛びだす。その際、名残惜しそうな声が聞こえはしたが、気にしない。
『……晶霊術は効き難く、しかして真っ向からやり合うには分が悪い、剛腕無双の異類異形。……ふふん。なんとも心躍る話であるな』
相も変わらずトチ狂った独り言をポツリとこぼす幼獣の、淀みなき深紅の瞳を直視したエリーナは、ピクリ、と肩を震わせる。
腹を空かせた猛獣よりも獰猛な、殺意の深紅。期待に揺れる光は、狂気が支配している。しかして、エリーナと同じように、彼の真っ赤な瞳を見たアリシアに気にした様子はない。だがきっと、彼に対して抱く印象は、エリーナとそう変わらないはずだ。
至って魔獣的な在り方なのだと。野蛮で野卑で、暴力的かつ破滅的な在り方なのだと。そういう印象。ただ、エリーナと決定的に違うのは、そこに私情が含まれているか否か。それだけである。
そもそも世の認識として、魔獣とは獰猛で野蛮な動物とされる。そうなれば、カンナの狂気めいて好戦的な在り方というのも、まあそういうものかと受け入れてしまえるものだ。要は気持ちの問題。割り切れるかどうか。
そのあたり、もとより開拓者のミーリャは心得ているし、アリシアとて然りだ。
ともに行動するようになった二週間。幾度もあったことなのだが、どちらかといえば割り切れない性分にカテゴライズされるだろうエリーナに、二人が苦言を呈する、という場面。
結局のところ、突き詰めてしまえば開拓者なんていうのは、傭兵となんら変わりがない。
めったにあることでもないが、依頼次第では自分以外の誰か(同族)を傷付け殺して、報酬(飯の種)とすることだってしかしまったく持ってないとも言い切れない。開拓者とはつまり、深く物事を考える癖がつくほどに生き辛くなって、剣が鈍ってしまうものである。
ならば、人のために、だとか、もしかしたら、だなんて考えはどこか頭の隅っこにフワフワ漂わせておくに留めるのが最善であって、どこかしらで自分を正当化する言い訳を用意しておかねばならない。
開拓者のもとに舞い込む依頼のほとんどは、魔獣の討伐を願い出るものであるとはいえ、アイツ腹立つから暗殺しろよ、だとか、あの村生意気だから滅ぼせ、だとか。貴族からはそういうことを命じられることもあるという。無論、拒否権はなしである。あいつ使える。そう思われてしまったなら、つまりはそれが運の尽き。
ゆえに、心がけだけはいつだってしておかねばならぬ、とアリシアやミーリャは語るのである。
エリーナとて自身の甘さが、どういう結果を招くことになるのか、なんてことはわかっているのだろうが、しかし。それでも捨てることができない。
友として、エリーナを案じるほどに非情な言葉をかけねばならぬアリシア、ミーリャと、二人の想いを知ってもなお自分を変えることができないエリーナ。ジレンマ、すれ違いというもの。
ふと、そんな事情が頭に浮かび、カンナは、ままならぬこともあるものよな、と思った。
やがて山の中腹辺りに差し掛かったころ、休憩しよ、とミーリャが言った。
そこに至るまでに、幾度か魔獣と遭遇し、その度に戦いになってきたエリーナ達は、随分と疲労困憊な様子で、腰掛けるのに適した岩を見つけると、もたれかかるようにして座り込む。
しかしそれも無理からぬことか、と他人事のようにカンナは思う。
たったの数度。されど数度。
「ロック・トードの盾に、クレイジー・マッシュルーム痺れ胞子、ノイジー・バットの音波攻撃……。極めつけはクリスタルヘッド・リザードの体当たりとは……。まったく、イヤになるほど、鬱陶しいコンビネーションでしたわね……」
はひー、と、親父臭い仕草で吐息したアリシアが言う。
出会った魔獣はいずれもCランクを超え、特にクリスタルヘッド・リザードなどはBランクの魔獣であった。
ただでさえ強力なそいつらが、何らかの強烈な力に率いられるかのように統率されて襲い掛かって来る、というのは想像以上に厄介なもので。
確かにこれは開拓が難航するのも無理はない、と思わず納得させるものがあった。
徒党を組んだ魔獣を、晶霊術による強化があるとはいえども、脆弱な人間が討伐できるのは、ひとえに奴らが何の考えもなしに突撃を繰り返すような軽薄であるからに他ならない。魔獣が連携という概念を持ち合わせない野蛮な連中であるがゆえだ。
そもそも、開拓者は馴れ合わない。固定のパーティを組む者など、ほんの一握りしかいない。甘さが命取りになりかねないことを知っているからだ。
だが、それがゆえにチームワークなどはないに等しい。つまり、そこを突かれてしまえば、なるほど。個々人の武力に頼りきった者達などはひとたまりもなかろう。
百戦錬磨の猛者達とて、上手く連携のとれないところに、統率のとれた猛獣から襲い掛かられてしまえばどうしようもない。
「……それにしても。ここの魔獣って、なんだかすごく飼い慣らされてる感じ、するよね?」
ポツリ、と、エリーナが呈す。それはこの場の誰もが思っていたことである。
魔獣が誰かに従うということはない。常識である。そもそも、奴らにそこまでの知性はないのだ。目に映る同種族以外は全て敵、全て獲物。そういう生き物なのである。
カンナのように、辛うじて理性が残った個体もいるにはいるが、概ねのところ、魔獣というのは好戦的で、理不尽で、クレイジーな。デンジャラス極まりのない乱暴者であって、だからこそ、ゆえに。誰かにかしずくことということは決してない。
二つ、例外を除いて。
うちの一つは、洗脳をしてしまうことだ。身も蓋もない言い方をしてしまえば、魔獣という存在を人形にしてしまうこと。マインド・コントロールというのは恐ろしいもので、いかに好戦的な魔獣といえども、自意識を書き換えられてしまってはどうしようもない。
もっとも、金が掛かり、労力がかかり、時間がかかり、何より命がかかることである。金の有り余った貴族の道楽以外は、好んでやってやろうという者は皆無といってさえよい。
そしてもう一つ。それは──。
「……これってやっぱり、ウワサ通りってことなのかな? 統魔の笛がいるっていう……」
「十中八九、ってところですわね。でなくては、ああもメリオールに魔獣の侵攻が多発することの説明がつきませんもの」
不安げに呟くエリーナとは対照的に、こともなげな様子で同意するアリシアである。
魔獣が人を襲う、というのは確かにありふれた光景ではあるが、同じ場所をひたすら執拗に、というのは、実のところ珍しい。何故ならば、奴らに計画性はなく、しかも飽きっぽいからだ。
しかし、例外がないということもない。
それこそがまさしく。二通りある、魔獣を従える手段。統魔の笛である。
統魔の笛とは、ごく一部高ランクの魔獣だけがまれに持ちえる、能力の一種である。
本能のままに力を振るうしかない魔獣を統率のとれた精鋭へと変化させ、いっそ狂信的とさえいえるような、忠義を持った軍隊へと作り変えてしまう。埒外の力。
これだけを聞いてみれば、人が魔獣に施す契約術式と大差ないように思えてしまうが、大いに違う。意識を書き換えるようなものでなく、また、晶霊術の類というわけでもない。
言ってしまえば、先天的に生まれ持った、カリスマとでも呼ぶべきもの。呪いじみて、魔獣達へと絶大なる影響を及ぼす、カリスマ性。それこそが、統魔の笛の正体である。
しつこいようだが、上手いこと連携をしてくる魔獣というのは非常に厄介なもの。
あの〝英雄〟バリオンバーグですらも、一度は統魔の笛を持った魔獣を相手に敗走してしまったというのだから、その脅威というのは推して知るべし、というものだろう。
巨人族は身体が大きく、力が強く、そして頭が鈍い、というのは定説だが、そんなウスノロだって統魔の笛を持っているとなれば話は別となる。
つまりは、そう。鉱山のトロールとやらは単なるウスラトンカチではなさそうだ、と認識を改めねばならない、ということで。
「……っ」
『……震えているのか、エリーナ』
「……覚悟だけは決めてきたつもりだったんだけど……。いざ、統魔の笛を相手にすると思うと……っ。……ごめんね、カンナ……っ」
エリーナの濡れた声に、カンナは何と返せばいいのかわからなくなってしまった。
本当なら、ここで何か気の利いた優しい言葉でもかけるのが正解なのだろうが、そもそも彼にはそんなこと、思いつきもしない。ただ、戸惑い、困惑しきるばかりだ。
何か故事やことわざで場を濁そうという考えが浮かびはするが、しかしこんな時、どんなことを言えばいいのかまるでわからない。
やがて、たっぷり三十秒も間を空けて、やっとこさ出てきたのは、気にするな、おぬしは何も悪くない、と。……そんなぶっきらぼうで、冷たい声だけ。
情けないのは、私の方だ、とカンナは口惜しく思うものだが、それ以上に言葉は出てこない
そしておちる沈黙のとばり。
「ああもうっ。湿っぽい空気はノーサンキューですわ! ダウナー禁止法だから! はい終わりもう終わりっ。これからは明るく楽しく能天気に、いきましょうっ!」
パチンッ。ふと、拍子を打つ音が、暗い空気を吹き散らすように割り込む。続けて痺れを切らしたように、アリシアが能天気そうな声で言い、畳みかけるように、さん、はいっと音頭をとるなり、ふんふんふふふ~んと調子外れな鼻歌を歌い出す。
突然のことに、マジかこいつ、と困惑しきる二人にミーリャが静かに歩み寄り、カンナを抱き上げて言った。
「どんまい」
4
ビュオッ。
空を切り裂く甲高い音がした。次いで、一陣の風が突き抜ける。
白い影が猛速度で通り過ぎ、空白の間を一つ置いたそこに、翠緑の兜が空高く跳ね飛んだ。
それは水晶のようであって、トカゲの生首のようでもある。クリスタルヘッド・リザードの頭部。
一拍遅れることに、首なしの胴体が、まるで思い出したかのように倒れ伏すのを、つまらなそうに一瞥したカンナは、ふんっ、と鼻を鳴らして、どことなく不満そうにボソリともらした。
『……魔獣の巣窟というからには、押し潰されてしまうほどの物量を想像したものだが……。襲い来る輩というのは、存外に少ないものだな』
「相手しきれないほどの団体で来られても困るでしょ。……ただでさえ、高ランクの魔獣を相手にしようっていうんだし。変なとこで道草くってらんないと思うけど」
「ふふんっ。腰が引けていますわね、ミーリャ! 例え、どんな魔獣がどれだけ出て来たって、問題はまったくありませんのよ! 何故ならばっ、わたくしの手にかかれば、どんな魔獣の集団だって、たちまち無力と化してしまうからですわ! まさにっ、ぜったいっ、最強っ! あー……っ。最強すぎて、まことごめんなさいですわーっ!」
おっほほほほほほ! と高笑いのアリシア。左手を腰に手を当て、右手を頬に添える姿は様になっているようで、しかし彼女の本性を知っている身としては、むしろ違和感しかない。
能天気この上のない彼女のナルシズムめいた発言に、ミーリャは、はふぅ、と呆れたようにため息をつくと、
「無理でしょ、どんな堅牢な障壁を持ってたって。……エリーナとの決闘、忘れたの?」
数に押されてしまっては、その分だけ霊力の消耗が激しくなる……。そんな図星を突かれたアリシアは、うぐぐぅっ、と言葉を詰まらせはするが、しかし。すぐに持ち直して、豊満な胸に手を当てたかと思えば、むふー、と鼻息荒く言い切ってみせるのだ。
「最強は、どんな逆境だってショォオウ・タイムにしてしまうものですのよ。ましてそれが絶対最強ならば、これってもう独壇場でしょ! 心配ないから、全部任せておきなさいってば!」
その自信はいったいどこから沸いてくるんだ、とミーリャが嫌そうにかぶりを振るが、アリシアはまるで気にも留めない。むしろ、「突入突撃突貫ですわーっ!」と一声あげて、トタタッと走り去る。
もう一度ため息をついて、かぶりを振るミーリャである。
「……すごいよね、アリシアさんって」
そこに、エリーナがポツリとこぼす。
いつしか、俯かせていた顔を上げて。アリシアの背に送る瞳には、どこか憧憬めいた光が揺れる。
何言ってんだこいつ、との驚愕を胸に秘めつつも、ミーリャは至って冷静に返す。
「……そうかな」
「うん。……これから戦うトロールのこと、怖くないはずないのに、あんな風にみんなのこと引っ張ってけて。私、すごいって思うよ」
別にアレ、ただの考えなしなだけなんじゃない? と言いかけたものの、ミーリャは寸でのところで呑み込んだ。せっかくエリーナの気分が回復してきたのだから、余計なことを言って水を差すのは、いかがなものだろうか、と思ったのだ。
さらに数十分ほど進んで行くと、やがて開けた場所に出る。
そこは草原のようになっていて、広大なるそこには、背の高い草や色とりどりの花々が立ち並び、巨大な水場が覗き、ゴツゴツとした大振りの晶霊石があちらこちらと転がって、強い光を放っていた。
この場所は、ドズル鉱山にあって、いっそうに霊素が濃いようだ。
『……あれは』
周囲を物珍しそうに眺めていたカンナが、何かに気が付いたように、突如走り出す。
そして、仔犬とはとても思えないような健脚で駆ける幼獣を追うこと十数分ほど。
そこには、はたして。巨大な洞穴があった。縦幅、六メートルほどもある巨大な洞窟。これを見てしまえば、くだんの巨人族と関連づけてしまわずにはいられない。
「……調べてみましょうか」
アリシアの声は硬い。
さしもの脳筋お嬢さまも、この奥に巨人がいると思っては、緊張せずにはいられないようだ。
しかし、先頭を切って進むその足取りに迷いはなく、群青の瞳に恐れはない。
洞窟の中は思いの外、随分と明るかった。
晶霊石や霊素の煌めきが灯となって、真っ暗なあなぐらを照らしだす。
色味の混じりあった不思議な光に照明されて、妙に生活感のある光景が広がった。
そこには、岩を積み上げて造られた、かまどらしきものがあり、大型の魔獣からはぎ取ったと思しき毛皮で出来た寝床があり、粗雑な造りながらも、辛うじてソレとわかる机があり……。
巨人族が文明を解するとは聞いたこともない話なのだが、洞窟内に点在する家具の一つ一つを見やれば、それぞれ埒外の大きさであって。その事実とは、つまり。ここが巨人の住処であるということの明々たる証拠であり、くだんの巨人が持つ、知性の証明でさえある。
はたして、巨人の全てが知性を持つのか、それとも、この鉱山のトロールがたまたま特別であったというだけなのか……。時が来たらば、否が応にも知れるというものか、とカンナは好奇心の思考を脇に置いておく。
ところで、はて。ここが巨人の巣穴に相違ないとすれば、実に奇妙なことなのだが、どこを見渡してみてもソレらしき姿がまるで見当たらぬ。がらんどうのもぬけの殻。
住処を移したか、それとも行き違いになったか、と思念するカンナのところに、もしかして……と、どこか歯切れの悪い、エリーナの声。
「私の考えてることが正しいとしたら……。急いでメリオールに戻った方がいいかも」
「ん? どうしてメリオールですの? 撤収にはまだ早くてよ」
「……多分、だけど。トロールはもう、山にはいないと思う。……あれ見て」
そうして、エリーナの指し示す先には、武具を立て掛けるためと思しき、巨大な取っ付きがあった。今そこには何も引っかかってはいないが、おそらく。本来、そこには鎧や何らかの武器の類があったのだろう。
「おかしいって思ってたんだ、ずっと。……だって魔獣の根拠にしては……。なんていうか、あんまりにも簡単すぎるでしょう?」
「……ん? どういうことですの? わたくしが最強すぎる、とかそういう話?」
「自画自賛もここまで来ると、なんか清々しいね」
と、突っ込みを入れるのはミーリャである。やれやれ、と呆れたようにかぶりを振ってため息をつくなり、魔獣のことでしょ、と続けて言った。
『……言われてみれば、確かに、と。同意が出来る話よ。……なにせ、難攻不落などというわりに、鉱山に出会う妖魔の群は数えるほどでしかない。これではいかに錬度が高くとも、金城鉄壁の守りとはいくまいよ』
いつの間にやら抱き上げられていたカンナが、ミーリャの腕の中で、執拗に撫でまわしてくるその手に鬱陶しげな顔をしながらも、クールぶって思念を飛ばす。
なるほど、と頷いてみせるアリシアも、そこで思い至ったようで。もったいつけるように人差し指を立てると、つまりこういうことですわね、と。
「肝心の巨人は留守で、大勢いるはずの魔獣は、けれども小勢。……ゆえに彼らは今、メリオールに攻め込んでいるのでは、と。そう、エリーナは言いたいわけですわね?」
「うん。……間違いないと思うよ。だって、ちょっと出かけようってだけで、鎧なんかつけてかないだろうし、山を手薄にする必要はないでしょ?」
むむむ……、と思案の様子を見せるアリシアである。
幾らかの考えが彼女の脳裏をかすめていたようなのだが、やがて。
「突貫ですわ!」
「いきなり何を言い出すの」
「突貫と言いましたのよ、ミーリャっ。こんなところでいくら考えたって、しょうがないことに気が付きましたの! だから、賛成しますわ、エリーナに!」
うがーっ、と声を張り上げたかと思えば、態度を急転換、戻りましょう、さあ戻りましょうと急かし始めるアリシアである。
それに、たはは……、と苦笑を漏らすと、エリーナはミーリャとカンナに向き直った。
「ミーリャさんは、それでいいかな?」
「いいよ、別に。……私もエリーナの言ってること、正しいかも、って思ったし」
「ありがと。……カンナもいい?」
『……右におなじだ。構わぬ』
神妙な様子で頷くカンナの耳には、置いて行ってしまいますわよーっ、と、張り切ったアリシアの声がどこか遠く、聞こえた。