3 緋の焦熱と、蒼の霊光
幕間 ゼッタイサイキョーのバウムライト
「霊力の固定化が難しいし、霊素への変換も不安定だ。この術式はいまだ実用段階にはないな」→「霊素の固定化が難しいし、霊力の変換効率も不安定だ。この術式はいまだ実用段階にはないな」へ変更
1
紅いひとみ。
狂喜のくれないに染め上げられた、魔性の色。固まりかけの血を思わせる、黒くて、紅くて、ドロリと粘つく、妖魔の色彩。
銀の光が幾重も走って血飛沫が舞い、残骸となった命達がバラバラに引き裂かれては乱雑に散らばり、愉悦に満ちた含み笑いが不気味に反響する。
世界が廻り、自分が廻る。
歪んだ世界は、白いキャンパスを汚すように紅く染め上げられ、殺す、殺してやる、という情念にのみ支配された狂気の箱庭と化す。
この場所では、ただ暴力のみが真理であって、道理。傷付けることこそが善良で、殺すことが正義。住まう者は鬼や阿修羅の類で、皆一様にまともな精神状態をしていない。狂人こそが常人。
繰り返される惨劇。残響するように耳朶を打つ狂笑。絶え間なく鼻孔をつく鉄錆のにおい。
紅く染まる。赤く染まる。あかくそまる。
悲鳴が聞こえる。絶叫が聞こえる。喚声が聞こえる。叫声が聞こえる。阿鼻叫喚。
肉が地に落ちる、粘ついた音。刃で突き立て、生物を殺す水気を帯びた音。
ひとみが見える。血まみれの狼と目が合っている。
そこにある感情は、愉悦、狂喜、快楽、陶酔。覗き込む者、もろともに狂気の淵に引きずり込む、破滅的で絶望的な、壊れた深紅。
振り上げた杖剣の透き通った刃に、もはや輝きはない。
そして今、悪意の刃が振り下ろされて──。
2
「──ッ! はぁーッ、はッ……」
どこか高い場所から突き落とされるような浮遊感。
唐突に意識が浮き上がるのを感じて、エリーナは目を覚ます。
「……また、あの夢……」
ぼそりと呟く。
ホゼの村にゴブリンを討伐に行ってから、一週間が経つ。それからというもの、エリーナは毎晩のように悪夢にうなされていた。血塗れの狂った狼に惨殺される夢である。
最初は怖いモノを見て、気が滅入っているから、こんな夢を見るんだ、と自分を誤魔化そうとしたものだが、こうも続けざまだと、さすがにそんな誤魔化しも効かなくなってくる。目を背けていた、認めたくない事実というものが嫌でも気になってきてしまうのだ。
原因なんてわかりきっている。
あの恐ろしい光景……。傷を恐れず、死に酔う。まるで眼前の敵以外に何も見えず、それを殺すことしか考えられないような、そんな在り方を見せつけられたあの戦い。カンナの秘された場所。本性。
いかにも魔獣らしい、だけど魔獣とはどこか一線を画するような苛烈さ。
カンナは優しい、とか、所詮は夢なんだから、とか。思い込んでしまおうと思うほどに悪夢はエリーナをいっそうに苛む。カンナのあの鮮血色の瞳を見ると、否応なしに悪夢の内容を思い出してしまって、恐怖の感情が沸き上がる。
嫌だった。カンナを恐れている自分を認めたくはなかったのだ。
「のど、かわいた……」
集まるように、沸くように。考えたくのないことはエリーナの脳裏を過ぎ去っていく。どっかいけ、と嫌なモノを振り払うように言葉を出し、かぶりを振った。
備え付けの水差しからコップに水を注ぎ、一息に飲み干す。冷たい感覚が喉元を通り過ぎ、火照った身体が、少々の落ち着きを取り戻す。
部屋の隅を見やれば、布を敷き詰めた底の浅いカゴにカンナは寝ている。
最初は一緒のベッドに寝ようと提案してみたのだが、男女が同衾するのも良くはあるまい、とやたら渋い思念の声で断られてしまったのだ。
いや、性別以前に種族違うし問題なくない? と思わなくもないのだが、カンナは頑として譲らなかった。存外に、照れ屋な性格なのだろうかと邪推めいた考えも浮かんだものだが……。
閑話休題。
「……ねえ、カンナ」
囁くような呼びかけに、答える声はない。
ただ、煩わしそうに耳がぴくりと動いただけだ。
「カンナはどうして、私の使い魔になってくれたの……?」
答える声はない。けど、答えはわかりきっている。
何のことはない。契約を交わしたあの日、カンナが言っていた、『見返りは剣で良い』。それが理由の全てなのだろう。他ならぬ彼自身が言っていたことだ。
わかっていたし、知っていた。理解していたし、納得だってしていたのだ。
けど、今は違う。
もっと確とした理由が欲しかった。エリーナのことが気に入ったからだとか、人類のために力を使いたかったからだとか。そういう、わかりやすい〝善〟の感情が欲しかった。
魔獣としての本能を凌駕するほどの信念が、カンナにはある、と。そう思ってしまえる理由付けが欲しかった。殺すだけじゃない。傷付けるだけじゃない。守ることだって出来るんだと。この胸をうずまく恐怖心に言い訳をして、誤魔化してしまえる明確な理由付けが、ただ欲しかった。
3
メリオールより北、ドグマ鉱山付近の丘陵地帯にて。
バシャア、と緑の液体がまき散らされる。
やや遅れて、ドシャッ、と頭を失った巨体が倒れ伏し、無惨な残骸を晒した。
「GYYYYYYYYY!!!!!」
同胞を殺され、怒り狂ったジャイアント・マンティスは、ノコギリのようなギザギザ鋭い鎌を振り回し、複眼を真っ赤に染め上げて、雄叫びをあげた。
『オオ、なんたる剣圧……拳圧? いや、鎌圧か。……危うく首を刎ね飛ばされるところであった』
そして振るわれる、死神の一太刀である。
それを危ういところでなんとか回避したカンナが飄然とそんなことを言い放つ。まるで他人事のような口振り。
何を呑気なことを、とか、もう少しで死んじゃうかもしれなかったのに、とか。エリーナは思うが、カンナにとってはそもそも、当たっても当たらなくても大した差はないのだろう。その結果にまるで興味を持っていない。
「GISYAAAAA!!!」
ますます憎悪に猛るジャイアント・マンティス。両の鎌を振り乱し振り回し、六本の鉄剣のような足で地団太を踏み、口元の鋏をガチンガチンと打ち鳴らす。
それだけで心臓の弱い人などは恐怖で倒れ込んでしまいそうな光景なのだが、しかしカンナは怯まない。幼き狼の魔獣は全く持って気にしない。
むしろ深紅の瞳に喜悦の色を浮かばせて、なんと心地よき時間よ、などと的外れかつトチ狂ったことを抜かす始末。一歩引いた場所で傍観するしかないエリーナにだってわかってしまうくらいにはイカれた発言。狂った在り様である。
『……名残惜しいが、そう長々と続けるのも良いことではない』
ギラリ、とカンナの瞳に殺意が灯った。
直後、たんっ、と足音を残し、刃の嵐の中へ真っ向から飛び込んだカンナは、寸分も違わず無慈悲な刃をカマキリへと一閃し、その頭部を刎ね飛ばした。
かかる噴血。緑の噴水。ドチャ、ベチャ、と粘ついた水音のあと、ドズン、とカマキリはグロテスク極まりのない、悪趣味なオブジェと化した。
それを見届けたカンナは、嘆息するようにはふぅと一息ついて、エリーナの方へ向き直る。
『……どうやら、さっきので頭打ちだったようだな』
「……ん。そうだね……。……お疲れさま、カンナ」
『うむ。……しかし、早いところ、街に戻って水浴びをしたいものだ。……あのカマキリ共の体液ときたら、まったく。生臭くてかなわん』
エリーナは抱きすくめるようにして、カンナを持ち上げた。……確かに彼が言う通り、ジャイアント・マンティスの血液が掛かって緑色に汚れた毛皮からは何とも言えない異臭が漂っている。
「……そう、だね。今のカンナ、ちょっと臭うしね」
『無理に抱かずとも良いぞ。……臭いが移ってしまっては嫌だろう』
彼にしては珍しい、ムスッとした声。本人としては冷静を装って、気遣っている風に言っているつもりなのだろうが、きちんと声音に出てしまっていた。
案外子供っぽいところがあるんだな、と意外な一面を発見した気になり、同時に。やっぱり戦うことしか考えていないわけじゃないんだ、と僅かばかりに安堵する。
(ちゃんと怒ったり、拗ねたり。そういう感情を持ってるってことは、少なくとも、殺すことばっかりのジェノサイド・マシーンじゃないってことだもんね……)
そうだ、カンナだっていつも殺伐としていたわけじゃない。むしろ普段はぶっきらぼうだけど優しくて、大人ぶってるけど、どこか子供っぽくて。すごく紳士的な狼なのだ。
良かったそうだったと思う気持ちはある。だけど、どうしてもやっぱり恐怖感は拭いきれなくて。
複雑怪奇な内心を誤魔化すように強くかぶりを振ると、エリーナは努めて明るい声で言った。
「早く帰ってお風呂入ろう、カンナっ」
『……男女七歳にして席を同じうせず。……何度でも言うがな、年頃の娘が男と風呂を共にするのは問題だぞ、エリーナ。もう少し恥じらいを持つべきだと私は思うが』
「でも、カンナだけじゃ身体洗えないでしょ?」
『いや、そういう問題ではなく──』
抱きしめてやる。
エリーナの薄い胸に押し付けられて、カンナはむぎゅう、と苦しげな声をあげた。
強引が過ぎる、とか、とりあえず抱きしめておけばこいつ黙るだろとか思ってるだろ、とか。やがて形勢を整えたカンナから、送られてくる抗議の思念は右から左に。
帰ろっか、と短く言って、エリーナはメリオールに足を向けた。
4
メリオールの大通りを行く雑多な人混みを眺めながら、彼は思案していた。
実のところ、エリーナの態度がおかしいことには、カンナだって気付いている。
エリーナ自身、普段通りに振る舞おうとしてはいるものの、ここ最近になって急増したスキンシップが、かえって不自然さを助長していた。……一緒にお風呂入ろうと言ってきたりとか、妙に身体的な接触を望んできたりとか。そういうのだ。
仕方のないことではあろうが、とカンナは思う。
殺すのも殺されるのも特に好きなわけではない、とのたまうカンナだが、目の前に敵がいると思うと、どうしようもなく歯止めが利かなくなる。昂揚する気分を抑えられなくなるのだ。
殺したい、傷付けたい、という思いに支配されて、それ以外の何もかもが目に入らなくなる。傷付けられても、戦いの昂揚が、痛覚を甘美なモノとしてしまう。
矛盾である。傷付けるのも傷付けられるのも好きではないと言いながら、その実、どちらも謳歌し、満喫し、堪能する。肉を切り裂き、骨を叩き折り、血を浴びて、悲鳴に酔いしれる。
戦いの最中に与えられる痛みは蕩けるように甘く愛おしく、死を身近なものとして実感させる感覚は彼を興奮させて止まない。
……本当は、彼にだって自覚はあった。
剣に没頭するにしても、殺しをする必要はなかったのだということ。すなわち、本性。
活かすための剣があった。命を賭さずとも、剣の腕を高められる、彼が生きていたのは、そういう時代であったはずだ。
果たして、それが真に強き剣へと続く道かはともかくとしておいても、少なくとも人殺しの必要はなかった。そうしなくとも、剣が振るえる時代だった。農民が剣を取るのだ。殺しのための剣など、そうしようと思って振るう以外にあるわけがない。
そうだ。つまりはそれ。結局のところはそこに尽きる。
天下泰平の時代にあって、殊更に命のやり取りを尊び、人を斬ることこそ剣の道、などと嘯いていたのは、結局のところ、彼自身、彼という人斬りが、人殺しを愉しんでいたからに他ならない。
ふと。我に返った時に突きつけられる、そんな自身の救いようがなく醜い正体。暴かれ、自覚するほどに、〝剣の道〟というきらびやかな言葉で誤魔化し、暴力的な本性を紳士的な仮面で覆い、目を背けてきた。好きでやっていることではない、より高みにのぼり詰めるためには仕方ないのだと、自分自身に言い訳をして目を逸らし続けてきたのだ。
そういう自覚があるからこそに、カンナは尚のこと、エリーナにかける言葉を失う。彼女に対して、情が無いわけでは決してない。
カンナという個人。カンナという魔獣は悪である、と自覚するがゆえに、エリーナの視線に含まれる恐れの感情を妥当なものと受け止める。彼女に対して自分が何を言えるものか、と。何を言っても人殺しの戯言に過ぎまい、と思うのだ。
きっと、倫理観がないわけではないのだ、とカンナは思う。人情は美しく、道徳は素晴らしい。それは声を大にしてすら断言できることなのだ。
しかし、ならば、〝人殺しは悪である〟。〝誰かを傷付けるなんて最低だ〟。そんな当り前が理解出来ないはずがない。そこが矛盾。
そう、矛盾している。理解しているのだが、それとこれとはまったくの別問題、という気持ちがあるのも事実。軽率かつ極端な言い方をしてしまえば、殺しは別腹、とまで思う。
エリーナのように、誰か困っている人を助けたい、と思う気持ちが、全く持ってまるで一欠片もカンナの心中には存在していない、というわけではない。実のところ、そういう人情味に富んだ在り方は彼にとって、好ましくさえあった。
ほんの一時だけのことではあるが、カンナにだって、正義の人でありたいと願うような青臭い時期があったのだ。……今となっては、進んでそう在ろうと思う気持ちなんてなくなってしまったが、しかし青臭い野郎を応援しようかな、と思う程度には、情けがなくなりきったわけではない。
結局のところ、である。散々に理由をつけて言い訳を重ねてみても、結局のところ、カンナは殺し合いを愉しんでいる。愉悦を感じてしまっているのだ。その事実こそが全て物語っているのではないか。
ならば、今になって、主を得た、と忠臣ぶってみても、哀れなお人好し(エリーナ)を憐れんでみても、そこは決して変わらず、覆ることはないのだろう。
清く正しく、理性的で潔い……。そんな理想的な武士でありたいと願うが、それはあくまでも願っているだけだ。本性はきっと、もっと別の場所にある。
まるで道化よな、と。かぶりを振って、カンナは嘆息を一つ落とした。
彼にだって、時たま訪れる賢者タイムというものに、ナーバスな気分になってしまうこともある。
どんなに狂った哲学のもとに生きる奴だって、感情があるのなら迷いを持つだろうし、苦悩だってするだろう。ただ、それを引きずるか否かでソイツがどういう人間かが分かたれるのだ。
カンナが当てはまるのは、もっぱら後者であって。彼は迷いを持ち、悩んでしまうこともあるが、大抵の場合、長続きすることはない。
そもそも彼は頭で何かを考えるのが得意なタイプではないのだ。直感で生きているタイプ。大概は考えるよりも先にまず身体が動く。モヤモヤしたならば、身体を動かして発散がゆえに、悩みが長続きがしない、とも言い換えられる。
ゆえに、剣を振ろう、と、当然のように思い立った彼は、密かに剣の修練場所として使っている場所に向かったのだった。
5
「もーっ! ぜんっぜん! まったくっ! 見つからないじゃありませんの!」
誰ですのっ、すぐ見つかるよ目立つから、とか言った嘘つき野郎は! と癇癪を起こす女性をカンナは目にした。修練の帰りである。
身体を動かして、すっかりスッキリしたカンナは、気まぐれに彼らが宿泊する施設へのルートを遠回りに歩いていたのだ。
すると、巨大な蛇を串刺しにして看板前に掲示している物騒な飲食店から、そんな声と共に燃えるような赤毛をした少女が、獣の耳を生やした少女を伴って出てきた。
「……焦りは禁物。まだ捜査を始めて三日しか経ってないんだし、妥当でしょ。……捜査の基本は足でかせぐものって〝ぐうたら騎士の迷推理〟のジミー騎士も言ってる」
「何よその胡散臭い騎士。第一まず、ぐうたらなのか地味なのかはっきりしなさいよ」
っていうかデカって何よ、と鋭く突っ込みを入れる赤毛の少女は、おしとやかで優しそうな顔立ちをしている割に、随分と熱くなりやすく、激しい性格をしているようだ。
「アリシア。正体が出ちゃってるよ」
「ごふんっ。……正体とか言わないでくださいまし」
「でも、事実でしょ」
「事実無根ですわっ!」
まったく悪びれない猫耳少女の方は随分とクールな性格をしている様子。
キーキーと猛抗議をする、アリシアというらしい赤毛の少女をまあまあと宥めると、気怠そうな表情をひっつけた顔立ちを更に気怠そうにさせて、ともかく、と仕切り直すように言う。
「この街にいるのは間違いないんだし、適当に活動してればそのうち会えるでしょ。……いちおう、有名人みたいだし。焦らなくてもいいんじゃない?」
「ダメ! 今すぐ会いたいですの! 時間は有限、人間やれる時に徹底してやらなくちゃ、あとで後悔する羽目になってしまいますわ!」
続く応酬。
彼女達のやり取りを聞き、人探しか、と察したカンナが、どうやら実入りのある話をしているわけではなさそうだと断じて、その場を立ち去ろうとした、その時だった。
「……ん、犬だ」
(む……)
猫耳の少女に抱き上げられる。
エリーナのまな板のような胸とは違う、程よく肉のついた胸元に、カンナはつい煩悩が顔を覗かせそうになるのを感じるが、強くかぶりを振って追い払う。平常心を保たねば。
「首輪してるし、誰かの飼い犬かな? ……!」
そう言ってカンナの瞳を覗き込んだ猫耳少女は、信じられないものを見た、とばかりにその目を大きく見開く。
「……? どうしましたの、ミーリャ」
普段から飄然とした態度を崩すことの少ない彼女が見せた珍しい反応に、首を傾げたアリシアが不思議そうに問いかけを投げた。
それにミーリャは、ハッと我に返ったみたいに吐息を一つ落とすと、静かに、
「……この子、魔獣みたい」
「使い魔ってことですの?」
それがどうした、と言わんばかりのアリシアの口調である。
確かに使い魔は珍しいが、全然まったく見かけない、というほどのものではない。おおかた、どこぞの金持ちの道楽が放し飼いにしている個体なのだろう、と。
しかし、神妙な顔つきでそれに頭を振って応えると、ミーリャは無言でカンナをアリシアに見せた。
「せ、鮮血色の瞳……っ。Sランク魔獣ですの……っ? 信じられませんわ……!」
「……アリシア。ホゼの村の人から聞いたこと、覚えてる?」
聞き覚えのある名前だ、とカンナは思った。
彼女達の探し人はあの村と縁がある人物なのだろうか。
「え、ええ……。確か、白い狼の魔獣を連れてたって……って、まさか!」
「多分ね。……まさかハティの幼体を見ることになるなんて思わなかったけど」
「おっほほほほほほほっ。さすがわたくしですわっ。実力だけでなく、運まで最強だなんてっ!」
天に愛されまくりでごめんなさいですわーっ、とのぼせたことを大声で言うアリシアに、さっさと黙らないと周りから馬鹿だと思われるよ、とさらりと毒を放つミーリャである。
シリアスな顔をして、シリアスな声音で。アリシアとやり取りをするミーリャだが、その手は絶えずにカンナを優しく撫でている。
「狼さん。一つ、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
『……見ず知らずの相手に答えることはない……と言いたいところだが、義を見てせざるは勇無きなり。……何か困ったことがあるのなら、渋々ながら手助けしよう』
「可愛い見た目して、中々辛辣なことを言う狼ですわね……」
慄然とした様子でボソリと呟くアリシアをよそに、とはいえ、と続けるカンナはかぶりを振った。
『私とてこの街に来て日が浅い。おぬし達の人探しの役に立つとも思えんがな』
「む。聞いていましたの?」
『あれだけ大声で騒いでいればな。いやでも目に付き、耳に入るだろうよ。ゆえに、決して盗み聞きをしていたわけではないから、そこだけは勘違いしないように』
「しゃあしゃあと言いますわね……」
いや絶対やってただろ、と思いつつも、まあ、聞かれて困る話でもないし、仕方ねえな、と水に流すアリシアである。彼女は細かいことを気にしない性格だった。
「……ね、狼さん、あなたのご主人様、蒼晶術使いでしょ?」
『相違ないが……。なんだ、おぬし達の尋ね人とはエリーナであったか』
「うん。……だからさ、良かったらなんだけど、そのエリーナさんって人に会えないかな?」
ミーリャの言うことに、ん? と思う気持ちがないわけではない。
というのも、彼女達の口ぶりから察するに、エリーナとの既知の間柄というわけではなさそうだからだ。エリーナは蒼晶術師であり、大陸の人々からはあまり歓迎されるものではない。むしろ疎まれているとさえ言ってよい。
カンナには、見ず知らずの人間がはたして、ないがしろにされているエリーナを訪ねるものか、と、そこが疑問に思えてならないのである。
ゴブリン討伐で名をあげたと言えば聞こえは良いが、実際問題として、メリオールの住人からエリーナへの冷然とした扱いは全く持って変わっていない。ゆえに、もしや新手の詐欺や勧誘の類ではあるまいな、と胡乱に思うのは道理というもので。ここは突っぱねるべきか、と考えが思い浮かぶ。
だがしかし、と待ったをかける気持ちもある。期待をしてしまう気持ちもあるのだ。
カンナが支えになれているならばそれに越したことはないが、今のエリーナには、カンナが畏怖の対象と映っていることは明白である。
それに、それでなくとも、カンナは魔獣だ。人としてエリーナと友人関係を築くことは出来ない。別に友誼を結べる相手が必要なのではないか、と思うこともある。少々過保護が過ぎるやもしれぬ、と自嘲する思いもあるが、こればっかりは仕方がない。
『……目的を聞いても?』
「友達になりに来た、って言ったら、あなたは信じてくれますの?」
猜疑を含むカンナの問いかけに、何でもなく答えたアリシアの言葉は、あまりに信じがたく突拍子のないものであった。
そんな馬鹿な、と思った。だってそれは都合の良すぎる話だ。
だが、まさか、と思って覗き込んだアリシアの青い瞳に嘘はない。至って自信に満ち満ちた輝きがあるだけだ。
見上げたミーリャのオッドアイには、多少の戸惑いが見られるものの、しかし嘘つきだと看破するに足るような、小狡い色は見られない。
カンナのうちに、否応なく期待が膨らんでいく。
『……二言は?』
「あると思いますの?」
そして、どこまでも傲慢で、自信過剰で、一本気な。
そういうアリシアの在り方は、カンナに好感を抱かせるには十分過ぎるものだった。
『……承知した。すまぬが、案内するゆえ……』
ふっと、ミーリャを見上げる。
ん? とまったくわかっていなさそうな彼女に、カンナはため息を一つ。呆れたような声になってしまうが、悪く思ってのことではない。
『……下ろしてほしいと言った』
「あっ、あー。そっかぁ……。そうだよね……」
合点がいった、という様子のミーリャであるが、一向に下ろす気配はない。
「ね、狼さん。言葉で案内とか……できない?」
『難しいな。足で覚えているゆえ』
「むぅう」
「……キャラ崩壊著しいですわよ、ミーリャ。あなた、そんな駄々をこねる感じじゃなかったでしょ」
「……超不覚。忘れて」
アリシアの呆れきった声に、ハッと我に返ったような顔になると、ミーリャは心底名残惜しそうに、カンナを下ろす。しかしその視線の動きを見るに、諦めきってはいない様子。
なんだか、そこはかとない身の危険を感じながらも、こっちだ、と。カンナは歩き出した。
6
ドウ草原、街道のはずれにて。
猛烈な勢いで迫り来る炎の弾丸を見つめながら、何でこんなことになったのだろう、とエリーナは諦観にも似た思いを抱いていた。
ことの発端は、『エリーナ、客人だ』と、外から戻って来て早々に、カンナが言ったことから。
や、見ればわかるよ、と。獣人の少女に抱きかかえられているその姿を見て、むしろ、わからいでか、とすらエリーナは思った。
え、っていうか誰、と彼女が疑問を挟む間もなく、もう一人の方。赤毛の少女がこれでもかと豊満な胸を張り、ビシィッ! とでも擬音が飛び出しそうなくらいに勢いのついたポージングを決めると、先手必勝とばかり言う。「模擬戦ですわ! わたくしと決闘なさい!」と。
そりゃもちろん、答えなんて決まっている。無理、とか、やだよ、とか。却下である。
そもそも第一に、何で名前も知らないような相手と理由もなくいきなり戦わなくてはいけないのか。まったく持って意味がわからないし、むしろなんか怖い。
しかし、いくらエリーナが断わってみても、アリシアと名乗ったその女は、まあまあ、いい場所知ってるから行きましょう? と輝くような笑顔で言うばかりで聞き入れる様子はないし、全く持って止まる気配もない。
ちくしょう話が通じねえ、と思い、まさかお前もグルか、とカンナを見やれば、エリーナは瞬時に悟った。あ、これ、カンナも上手いこと言い包められたんだな、と。
何せ、幼獣の深紅の瞳には剣呑な光が灯り、みるみる殺意の色を帯びていくのだから。
エリーナの脳裏には、ズタボロの八つ裂きにされて地に転がされる少女二人、という惨劇の光景が過り、そしてそれが彼女の口を滑らせた。
正直なところ、決闘なんて真っ平ごめんなのだが、それ以上にエリーナの拒否感を煽ったのは、あの恐ろしいカンナの姿だ。カンナを優しいのだと信じたいエリーナとしては、想像に過ぎないとしても、残虐な彼は見たくなかった。ゆえの、脊髄反射にも似た発言。
つまり、要は。言ってしまったということ。「わかりました。受けます」と。
そうしてあれよあれよという間にドウ平原に連れて来られ、「ここならば邪魔は入りませんわ」、となって、今、晶霊術の応酬をしている次第なのである。
「蒼き霊力の耀きよ。神聖なる障壁となり、あらゆる冒涜を──」
囁くような声量で告げる、力ある言霊。
エリーナの持つ大杖の先端にある蒼い晶霊石が眩い光を放ち、呼応するように、彼女の身体からも蒼い霊素の光が、拍動しながら発せられる。
「──妨げたまえ」
とん、と石突で地を叩く。
すると、薄い光の膜がエリーナの周囲を覆った。
そして、一拍遅れに着弾する業火の弾丸。轟音と共に煙る土ぼこり。飛散するつぶてに、エリーナの立つ場所を残して、抉り取られた地面……。
殺される、とエリーナは思った。まったく遠慮がなく、容赦もない苛烈な一撃。
まさか命のやり取りをすることになるとは思っていなかった彼女は、明らかに高火力が過ぎる晶霊術がもたらした惨状と、凶悪なまでの衝撃力に慄いた。
だが、そんな彼女の事情など知ったことかと高飛車な笑い声をあげたアリシアは、好戦的な笑みを浮かべたまま、無情にも宣告を告げる。
「今の一撃を防ぐなんてやるわね! じゃあ、次はこれよ! 地獄竜の息吹!」
「っ、ぅうう……っ」
受け止める。先ほどの一撃を受け止めたせいで、だいぶ弱まったバリアに霊力を注ぎ込み、補強しながら。……今のところは、どうにか真っ赤な炎の弾丸と拮抗できている。
暴力的なまでの烈火の奔流。防御に回した霊力がゴリゴリ奪い去られていくのをエリーナは感じ、だがどうすることもできない。ただ防御に専念するので精いっぱいだ。
「ぅう……っ。うーっ!」
障壁が食い破られていく。
蚕食するように、じわじわと。
仰々しい名前とは裏腹に、シンプルな見た目の炎弾は、実にシンプルに強烈な威力を持っていた。
それなのに、特に防御の晶霊術が得意なわけではないエリーナの張った障壁が危ういところで拮抗を保てていたのは、ひとえに彼女自身の霊力がずば抜けていたからだ。保持量然り、強度然り。
しかしそれも長続きするものではない。
やがて走った亀裂は大きくなっていき、補強が追い付かなくなり、障壁を維持できなくなる。
「うああ……っ」
はたして、防護の膜は打ち破られ、エリーナは弾き飛ばされるようにしてクレーターに落っこちる。
腰をしたたかに打ち、鈍い痛みが彼女にアリシアとの力の差を認識させてくる。痛い、と思ったし、悔しい、とも思った。ついでに、理不尽だ、とエリーナは心底から思った。
彼女の戦い方からして、持ちえる霊力の保持量はそう多くないと見える。あのアリシアという少女、エルフにしては、随分と慎重な晶霊術の使い方をする。もしかすると、ハーフ、もしくはクォーター・エルフなのかもしれない。
おそらく霊力の保持量は勝り、彼女の攻撃を防ぐことに成功したことから、強度も勝る。だというのに、アリシアに対して、まったく手も足も出ないのは、ひとえに詠唱破棄のなすことだ。
晶霊石には霊力を霊素として変換する特性があるが、霊素はあくまでもエネルギーでしかない。指向性を持たせなくては、ただただ宙に漂うだけの単なる光の粒に過ぎないものだ。
だから、術式がいる。方法は何でもよい。陣を描くでも、思念を編むでも、字を使うでも。ただ、もっとも手軽で一般的なのは呪文を詠唱することである。
晶霊術とは、とどのつまりイメージである。意思という指向性によって、霊素という力の塊に意義を持たせる手段。
極端な話、かくあれかしという願いを現実へと顕現させることこそが晶霊術の真髄と言ってもよい。
だが、思い描いたものをそのまま頭の中から取り出すというのは存外に難しいもので、必ずどこかに齟齬は生じてしまうのである。
術式とはつまりそれ。イメージを補完する、補助プログラムのようなものということ。もっと言うならば、菓子作りの時に使う、型抜きのようなものだ。ある程度決まった形にイメージを誘導し、当てはめるもの。身も蓋もない風に形容してしまえば、自己暗示、と言い換えられるかもしれない。
そして詠唱破棄とは、例えば呪文を詠唱する場合、陣を描いてみたり、思念を編むのを組み込んでみたりして、一つの術式による手間を軽減し、時間を短縮してみようという試みなのである。
効果は実証されている。術式の完成までの時間は確かに短縮される。
だがこれは高難易度の技法であって、むしろ至難であると言ってさえよい。まったく違うことを二つ同時にやらなくてはいけないのだから当然だ。
例えば、数学。それはまったく違う数式を、まったく違うやり方で同時に解を求めよ、と言うようなもの。つまり、術式の負担を軽減しようとして、むしろ負担が増える。本末転倒である。
そもそも、晶霊術師は前衛に守られながら戦うのだから、無理に時短をして、ヘロヘロのショボいやつを撃つより、じっくり時間をかけて、強力な晶霊術を放った方がよい。
ゆえに、これを使おうなんて輩は相当な物好きか、自信家か。そこら辺に絞られるのだが……。
だがアリシアの使うそれはそんなものとはわけが違うようであった。
果たして、それが彼女自身の弛まぬ研鑽の果てに至った境地であることなのか、はたまた尖鋭的な技術に裏付けされた、学究の賜物であることなのかはともかくとしても、一般にまで周知される、趣味的極まりないソレとは比べものにもならないほどに洗練されている。実に実用的な完成度。
術の起こりからして、特異な術式。それをまざまざと見せつけられる気分はさながら、文明に滅ぼされかかった野蛮人である。
見て取れる効果は極限まで短縮された詠唱と、強大なる威力。実に洗練された技法。
勝ち目の薄い戦い。ないとまでは言い切らないが、しかしそれに限りなく近い。例えば、最新式の連射のきく銃火器を持っている奴と、骨董品みたいな鉄砲を持っている奴が戦ったら、結果は丸見えであるはずだ。この戦いはそれに近しい。
もし仮に、エリーナが防御の晶霊術が得意であったりしたならば、障壁で防ぎつつ勝機を窺う……という手も採れたのだろうが、あいにく彼女は攻撃の方が得意だ。
ぎりり、と歯噛みする。
渋々始めた決闘である。本当ならば、勝ち負けなんてどうでもいいことのはずなのだが……。
だが、負けたくないと思った。理由はない。いや、全くないわけではないが、強いて理由付けするならば、八つ当たり、というのが一番近い。
ここ最近、エリーナはずっと鬱屈とした気分であった。ゆえに。
理不尽に戦いを仕掛けられて、理不尽に地を舐めさせられる。これに腹が立たないわけがない。むしろ仕方ないとかそんなこと言う奴はとんでもないヘタレに決まっている。
メリオールに来て、冷たくあしらわれて。すっかり大人しくなってしまったが、本来のエリーナは負けん気の強い少女である。勝ち負けを競うならば、絶対に勝者になりたい、なるべきだ、と豪語するタイプ。でなければ、わざわざ最前線たるメリオールに、家出をしてまで来るわけがない。
「くふっふふぅ。一騎打ちをしても余裕で勝っちゃう私って、まったく本当に絶対最強よねっ。くふふふふふぅ」
赤毛女の勝ち誇った声が聞こえる。ちくしょう舐めやがって、とエリーナが思った時、閃く考えがあった。そういえばアイツ、と。
そうだ。あれだけの術式を持ちながら、晶霊術を連射しては来ないのだ、アリシアは。
バリアで受け止めていた時、ダメ押しにもう一発、と撃ち込まれていたならば、それこそ止めになっていたことは明白だ。
連射のきかぬ術式、ということはあるまい。それではせっかくの詠唱破棄が台無しだ。
手加減して、ということもないはずだ。殺すのを恐れて、というならば、そもそもあんな火力で術を撃ってはこない。
となれば、おのずと答えは出てくる。
例えば、アリシアの霊力保持量と、術式によって消費される霊力の折り合いが悪いとか、エリーナが無様に逃げ回る姿を嘲るために、あえて嬲るような真似をしているのだとか。
後者であった場合、もはや打つ手なしとなってしまうが、前者であった場合は、一転して、それは活路となる。これだ、ここに賭けるしかない、とエリーナは思った。付け入る隙は、そこしかない。
7
アリシアは勝利を確信していた。
彼女達が討伐しようと考えていたゴブリンを、横合いから掻っ攫って行ったのだから、少なくとも善戦くらいはしてくれるだろう、とあのエリーナという少女には期待していたのだが、全然そんなことはなかった。
霊力の量や強度には目を見張るものがあったが、所詮はそれだけだ。見たこともない術式は、既存の術式に手を加えたオリジナルのものなのだろうが、無駄が多すぎる。
消耗こそ大きいが、彼女が晶霊術を放つまでに、アリシアならば十発も炎弾を撃ち込むことが可能だし、もし万が一、仮に攻撃を掻い潜って来たとしても、煉獄領域なら展開が間に合う。そして、問題なく、エリーナの攻撃を受け止めることが可能だろう。
最強すぎる布陣。
美しく、頭脳明晰で、絶対最強。天は私に二物どころか全てを与えてしまったわね、と既にもう頭の悪いことを考えながら、そろそろ勝利宣言でもするか、と思った時のことだった。
蒼い霊素の耀きが、クレーターから立ち上りだした。
なんだ、と思い見てみれば、エリーナが駆け寄ってくるのが見えた。
……なんて往生際の悪い、と思わなかったわけではない。だが、アリシアはこういう諦めの悪い人間が嫌いじゃない。むしろ、大好物でさえある。彼女はしつこくて潔くない人間が、好きで好きでたまらないのだ。要はシンパシーをヒシヒシと感じてしまうのだということ。
(……ふふん。彼女とは、これから先も仲良くしていけそうだわ)
ニタリ、と。好戦的な笑みが浮かび上がる。
「大人しく寝てれば痛い思いをしなくて済んだのに、物好きね、あなた!」
「あいにく、受けた勝負を投げ出して降参するほど、日和った覚えはないよっ」
トテテッ、と、とても開拓者とは思えないような鈍い足取りでエリーナは駆け寄って来る。どう見たって自殺行為に等しい行いだが、しかしアリシアは愚かとは思わなかった。──むしろ。
「いいわね、いいわっ。エリーナさんっ、あなたのこと、ますます気に入ったわっ!」
「それは……、ありがとっ」
大杖をかざす。
アリシアの闘志に呼応するように緋色の煌めきが杖の晶霊石から波紋のように広がり、群青色の瞳は緋い光を放つ。
「爆炎烈火地獄っ!!」
それは人ひとりを丸ごと呑み込むほどの巨大な炎の球体。
もし当たれば、あの脆弱な光の膜ごとエリーナを焼き尽くすだろうが、興奮状態となったアリシアにはもはや手加減という考えはない。ただひたすらに感情の赴くままに行動するだけだ。
さあ、どうする、どう対処する、と期待に胸を膨らませるアリシアだが、エリーナの採った行動とは、はたして──。
「んなっ、逃げた!?」
突然の逆走。
霊力で強化でもしているのか、向かってきていた時よりも足が速い。炎の大玉は、見た目通りに進む速度が非常にゆっくりなので、これではもう、エリーナに追いつくことはないだろう。
「逃がさないわよ!」
炎弾を放つ。
しかし滑り込むように倒れ込んだエリーナの頭上を通り過ぎるだけで当たりはしない。
アリシアは躍起になった。的に当たらないとなると、俄然当てたくなるのがアリシアだ。
頭に血が上っているため、見境なく攻撃を始めたと言ってもいい。
作戦とかそんなの、もはやもう知ったことかっ。彼女はもう、エリーナを倒すことしか考えていない。考えられない。
飛び交う炎の弾丸。連射というよりは乱射である。
時には転び、時には跳ねて。危なそうながらも、なんとか全てエリーナは回避していく。
やがて──。
「地獄爆炎旋風!!」
プスン、と気の抜けた音が木霊した。
しまった、とアリシアが思った時、エリーナが言った。
「霊力切れ……みたいだね、アリシアさん」
「……。あなた、もしかしてこれを狙って逃走を?」
「うん。あなた、熱くなりやすくて、派手好きっぽいのに、戦い方は妙に堅実だったから、もしかしてソコが突破口になるんじゃないかなって思って」
賭けに近かったけどね、と。
「まだ続ける?」
「……当然でしょ。攻撃手段の一つや二つ奪ったくらいで、勝ったと思ってもらっては困るわねっ!」
「えぇー……」
むしろ全て奪われたと言っていいが、魔力切れで、しかも降参して敗北とかカッコ悪い。全然優雅じゃないし、華麗でもない。ドン引きするような声がエリーナから上がるが、知ったことではない。
そこへ、こうなったらとことんまで──。と闘志を燃やすアリシアの頭を、ペチコン、と引っぱたく手があった。
「アリシア、やり過ぎ」
「み、ミーリャっ、何すんのよ、痛いでしょ!」
「念のためにもう一回言っとくけど、アリシアやり過ぎ。あと優雅じゃない方の性格が出てきちゃってるよ」
「……出てきてませんわ」
はふぅと呆れたようにため息をつくミーリャである。
「これ、決闘でしょ。模擬戦って言ってたじゃん、自分で。殺し合いしてどうすんの」
「むぐぅっ」
『……最初から怪しかったが、最後はもう完全に殺しにかかっていたな。おぬしには自制心というものがないのか』
「うぐぅ」
カンナの言うことは完全にブーメランだったが、ミーリャの言うことは正論であった。
猫娘と狼から追い打ちをかけられて、ズーン、と落ち込むアリシアである。
まあまあ、そのくらいで、と一人と一匹を宥めてくれるエリーナが、アリシアには天使に見える。
「と、ところでっ。ずっと気になってたんだけど、なんでアリシアさんは私に戦いを仕掛けてきたの?」
それは恐らく、場の空気を入れ替えるために言ったことなのだろう。
だが、エリーナのそんな疑問に、何を当たり前のこと聞いてんだとばかりこともなげな様子で、
「そんなの決まってるでしょう? エリーナと友達になるためですわっ」
とアリシアは答えた。
は? となるのは他の二人と一匹だ。気分はもう、何言ってんだこいつ、である。
「やっぱり友達になるなら、まずは出合い頭に全力で殴り合いはしておくべきだと思いますの」
「……えっ? んん?」
『……おぬしも出会い頭に殴り合いを?』
「や、してないけど……」
「当り前ですわ。ミーリャは友達ではなく、仲間ですもの」
どういうことなの。まったく持って言っていることがわからない。
戸惑うエリーナ。困惑するカンナ。理解を放棄するミーリャ。
そんな三人を放って、げっほんと厳かに咳払いをしたアリシアは、わたくしの優雅っぷりを刻み込む大チャンスですわね、と呟くと、少なくとも本人は華麗で壮麗で荘厳だと思っているポージングを鮮やかに決めるなり、群青色の瞳に圧倒的なまでの自信を宿して言い放つ。
「では、改めて名乗らせていただきますわね。わたくしの名はアリシア・ヒュースガルド・バウムライト。絶対最強の晶霊術師にして、開拓者ですわ。これから長いお付き合いになると思いますけれど、どうぞよしなに、ですわ」