表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

2 殺意のあかいひとみ

お気に入り登録ありがとうございます!

 1




「オイ、聞いたかよ。ホゼの村にゴブリンが出たらしいぜ」


 とある安宿の、酒場として使用されている一角。

 剣の修練を終えて、エリーナのもとに戻ろうとしていたカンナは、粗末なジョッキに注がれた酒を豪快に飲みながら話す男達のそんな言葉を聞いて、足を止めた。


「あー。そういや、ギルドの掲示板にそんな依頼が貼り出されてたな……」

「報酬は銀貨二十枚らしいけど、受ける奴いんのかね?」

「いねえだろ、そんなトンチンカンのスットコドッコイ。ゴブリンの討伐なんざ、命がいくつあっても足りねえっての」

「でもさ、俺達なら──」


 倒せんじゃね、と続く言葉は、ドンッ、と、やや強めにジョッキを机に置く音に遮られ、尻すぼみとなって掻き消えた。

 ゴブリン退治を否定した開拓者は、寝言ほざいてんじゃねえぞクソバカ野郎が、と前置き、どこか苛立ったような調子で、能天気そうな開拓者へと追撃をかける。


「いいか、耳の穴かっぽじってよーく聞いとけよ、この腐れルーキー野郎が。ゴブリンって奴らはな、ただの魔獣じゃねえんだ。亜人よりの魔獣なんだよ。……これがどういうことかわからねえってほど、てめえはションベンくせえガキンチョじゃねえだろう?」


 鬼気迫る形相と声だった。

 それに、あ、ああ……と腰の引けた様子で頷いた能天気そうな開拓者は、じゃあ……と、同情めいた声で言った。


「ホゼの村の村は諦めるしかねえってことか……」

「そうなるだろうな。……ま、名残惜しむところもあるんだろうがよ、命あっての物種って奴だ。死んじまったら、何もかもおしまいなんだからな」


 あーあ、荒稼ぎできるチャンスだと思ったのに、とか。人間、分ってもんを弁えてねえと長生きできねえぞ、とか。そう言う彼らの会話を背にして、カンナは再び歩き出した。

 他人の話に聞き耳を立てるのはどうか、とは思ったのだが、中々どうして、興味を惹かれる話をしているものだから、つい聞き入ってしまった次第である。



 それにしても、と。

 中々に実入りのある話であったなと罪悪感も置き去って、ニヤリと悪い笑みを浮かべる幼獣。

 ゴブリン。ゴブリンか……と呟く。中々どうして、面白き手合いのようだ、と。

 もちろん彼に、ホゼの村人を助けようとか、そんな博愛精神は全くない。ただ単純に、ゴブリンという魔獣に対して、興味を抱いただけである。

 カンナは、小躍りするような軽い足取りで階段をのぼり、廊下を行き、彼らが寝泊まりしている個室へと戻り──。


『エリーナ、朗報だ』


 と、喜色満面の笑みで報告したのであった。




 2




 開拓者ギルド。

 メリオールの場合、ギルドと言えばこれを指すことが多い。

 開拓者を支援するためにある組織だと謳うが、しかして、その実態は仲介組織に近い。

 依頼者には依頼を発注した時点で、開拓者には受注した時点で、仲介料金が発生する。



 おおよその相場は、依頼者、開拓者ともに銅貨十枚から二十枚。

 中流的な庶民の一ヶ月の生活費が銀貨五枚から十枚ほど。

 銀貨一枚は、銅貨八十枚枚ほどの価値で、金貨は銀貨二十五枚ほどの価値。

 つまり、ギルドに支払う仲介料金とは、中々に割高なのである。

 しかしながら、ギルドのおかげで開拓者は仕事にありつけるし、依頼者は国が頼りにならない以上、ここに頼らざるを得ない。

 それは彼らのおかげで一応の平穏をみているという部分がこの国にはあるということで、ゆえに、開拓者ギルドの王国内における発言力には、無視できないものがある。

 守銭奴と揶揄され、嫌われる者達ではあるが、人類に貢献していることに違いはないのである。






 メリオールの大通りを進み、商店街となっているエリアを抜けた先。教会や高級住宅が立ち並ぶエリアに、開拓者ギルドはある。

 それは巨大な建物であって、どこか優美ささえ窺わせる雰囲気があった。荒くれ共の集会所というよりかは、どこか貴族の茶会場といった様相。

 受付となっている場所の脇には、様々な依頼が貼り出された巨大な掲示板があり、それが辛うじて、この場所の存在意義を示していた。


「……あっ、あった」


 いわく、ドウ草原に出没するゴブリンの群れを討伐されたし。

 エリーナは見間違いを恐れるように、二回、三回としつこく依頼の内容を確認して、はふう、と緊張をほぐすように息を吐きだす。それから、カンナを抱く腕に力を籠めた。


「この依頼を受けたいんですけど……」


 開拓者で込み合う列に並び、やがてエリーナの番がくる。

 エリーナの姿を認めるなり、受付の女性はにこやかな笑みを引っ込め、底冷えのするような冷たい瞳を持って彼女を突き刺す。思わず怯み、後ずさりそうになるエリーナだが、カンナを一撫でして、一つだけ首肯。そうだ、私は独りじゃない。


「……銅貨十枚になります」


 言葉少なに受付嬢が言った。

 いっそ殺気すら窺わせるほどの冷然とした声である。

 それに気付かないふりをして、エリーナは必要数の銅貨を女性に差し出した。


「確かに。……クエストの受注を承認しました。良き名誉の旅路を」


 ぺこり、と浅い会釈と共に投げつけられた言葉。さっさと消えろ、と視線が物語っている。

 踵を返す。

 腹が立たないと言えば嘘になるが、そこはカンナに頬ずりをし、気を紛らわす。フカフカモフモフは良いものだ、と、思わずふやけた顔になりそうになった。しかしまだ人目がある。自重せねば。

 わんこのリラクゼーション効果は本物であった、とまったく関係ないことを思いながら、エリーナは開拓者ギルドを立ち去った。




 3




 ホゼの村は、〝しるべの街〟メリオールと、大陸の南西部に位置する、晶霊術師の楽園たる〝遺跡都市〟トルメリアの中間にある小さな村落である。

 特産品は特になく、ごく小規模の村落でありながら、それでも村に活気が絶えないのは、交通の要衝であるがゆえだ。

 いくつか商人の拠点もあり、この規模の集落としてはあり得ないくらいに豊かな場所である。

 開拓者に、銀貨二十枚なんて法外な報酬を用意できるのもそのためだ。



 そんな小さなお金持ち村で、ひと際目立つ屋敷をカンナとエリーナは訪れていた。

 質素な石造りの建築とは裏腹に、内装は恐ろしく成金趣味なもの。

 金の壺に金の観葉植物。金の机に金のソファー。金のカーペットに、ジュエルタイガーの毛皮。趣味が悪いというレベルの話ではない。何といってもチカチカギラギラ鬱陶しい上に反射光がうるさい。装飾過剰は悪徳だ、とカンナは断じた。

 出迎えの家政婦らしき女性に通された客間で、行儀よく座るエリーナの膝に身を丸めながら、まだ見ぬ家主をいけ好けぬ、と評するカンナである。



 やがて、二十分ほどすると、金の羽織に、金のシャツ。ゴテゴテと宝石で身を飾った恰幅のよい男が現れる。まるで肥え太った豚に金箔をあしらったようだ、とカンナは思った。

 どすん、と。一歩を刻むごとに、地響きのような足音がする。

 のっそりヨタヨタとした足取りは、太り過ぎた身体の重さに、体力が追い付いていない証拠だろう。

 いかに広い部屋であるとはいえ、所詮は建物の中である。

 だというのに、たっぷりと五分ほど時間もかけて、ようやくソファーへと辿り着いた成金家主は、どうやらそこで力を使い果たしたようだった。

 ゼヒ―。ゼヒ―と聞こえる哀れっぽい無様な息遣いがなんとも笑いを誘う。思わず吹き出しそうになったカンナであるが、エリーナの顔を潰すわけにもいかないと、なんとか笑いを噛み殺す。しかし、奴の情けない姿を見たエリーナの表情は至って平静である。

 ここだと、こういう輩は珍しくないのだろうか、と疑問を抱くカンナ。



 更に待つこと十分。

 茶を飲み、水を飲み、侍従に風を送らせ、ようやく息を整えた成金家主は開口一番、偉そうに胸を張って、口火を切った。


「何をしに来た、蒼の忌み子……。と言いたいところなのだが、今、この村の状況は予断を許さん。……頼みの騎士団はまるで歯が立たず、有力な開拓者が他に現れない以上、忌々しい蒼晶術使いにも、頼らざるをえん」


 潰れた声だった。

 年老いたカエルのような醜い顔を、更にしわくちゃ不細工にゆがめると、成金家主は一方的に言い募る。


「先に望みを言え、忌み子。そして誓え、悪巧みをしないことを」


 そう、一方的。一方的である。

 先だってエリーナの癇癪を受け止めたカンナとしては、エリーナが冷たく扱われていることを知っていたし、目にしてもいた。

 しかしその上で、これは……。と思わざるを得ない。

 助けにやって来たはずのエリーナを頭から疑ってかかっている。まるで彼女を詐欺師か何かかというように。依頼を聞いてやって来た相手に対して、この扱いはあまりにあまり、理不尽なのではなかろうか。

 それなりにエリーナのことを気に入っているカンナとしては、鬼畜外道の豚畜生め! と手討ちにしてやりたい気持ちにはなったのだが、所詮彼は外野に過ぎない。殺れと言われたなら喜び勇んで八つ裂きにしてやるのだが、あいにくエリーナはそれを望んではいない。

 苛立つ気持ちをぐっとこらえ、きつく締まるエリーナの腕に、タップの意味も込めて前足を置く。


「……悪巧みなんてしません。望むことだってありません。私はただ、ゴブリンを倒しに来たのです」

「嘘をつけ! 知らんとは言わせんぞ。過去、蒼晶術使いが何をしたのかなァッ!」

「もちろん、知ってます。バリオンバーグを裏切り、討ち果たそうとして返り討ちに遭いました」

「そうだ! ならば蒼の忌み子たる貴様とて例外ではあるまい! さあ、目的を言え!」


 激昂して顔を真っ赤に染める成金家主とは対照的に、エリーナはポーカーフェイスで応じると、はふう、とため息を一つ吐き出した。


「……そういうことなら、報酬は一切いりません。それなら、納得していただけるでしょうか」

「……何?」

「無報酬でゴブリンを討伐すると言ったのです。もちろん、倒した後で法外な報酬を要求したりしませんし、村の悪評を喧伝したりはしません」


 成金家主は黙り込む。

 どうやら、エリーナに対する疑惑を深めたようだった。

 対するエリーナは、無表情でこそあるものの、よく見れば小刻みに震えている。虚勢を張っていることは明らかである。

 しかし、目先にぶら下げられた、罠という毒が含まれているかもしれない、得という名のニンジンを食べるか否か迷う、成金家主は気付かない。俯かせた顔を少しばかり上にあげて、エリーナを見れば一目瞭然だったろうに。それほどにはわかりやすい虚勢。

 そして。


「……いいだろう。貴様を信じてやる」

「……あ、ありがとうございますっ」

「勘違いをするな忌み子。いいか、もし貴様のいうことに嘘があるとわかったら、その時は荒くれ開拓者共に依頼して、貴様を討伐してやるからな」

「それで構いません。ありがとうございます」


 立ち上がり、再度ペコリと頭を下げるエリーナ。

 ああも毛嫌いしてくる成金家主を相手に、よく出来るものだ、とカンナは感心した。これがカンナであったなら、屈辱に腹を立て、よくも言ってくれたなクソ野郎と斬りかかったかもしれない。

 用が済んだなら疾く失せろと出口を指さす成金豚野郎に深々と頭を下げ、そこを立ち去るまで、エリーナは冷静であった。





『見事なものだったな、エリーナ。よくぞあの罵詈雑言の中を耐え抜いた』

「えへへ……そうかな。でもね、きっと私一人だけだったらダメだったと思う。悔しくて、悲しくて、きっと逃げ出しちゃってた」


 ホゼの村を発ち、目的地であるドウ草原に向かう道すがら、そんなことを話す。

 カンナから送られる手放しの称賛に、エリーナは照れくさそうに頬を掻く。

 そして、足元をトテトテと歩くカンナを抱き上げるとむぎゅりと抱きしめた。


「カンナが居てくれたからだよ。独りぼっちじゃないって思ったから、だからやなことあっても、見返してやるぞ、ってそんな風に思えたんだ」

『……うむ。なれば後は進むのみ。一切合切何もかもを捨て置いて、突き進むのみよ』

「そ、それは流石に話が極端すぎるっていうか……」


 エリーナの抗議の声なぞ何のその。ぴょんっと彼女の腕から飛び降りたカンナは、闘志に燃える瞳でエリーナを見上げ、さあ今こそ進軍の時、と張り切るなり、さっさと先に行ってしまった。




 4




 ドウ草原には、メリオール、ホゼ、トルメリア、そして〝王都〟ヘレンセレナを繋ぐ巨大な街道がある。

 それは敷石を敷き詰めた見事な道路で、ここを通って商人は交易をするし、人々は街から街への移動をする。

 定期的に開拓者が魔獣を掃討するため、普段は特に危険な場所ということはないのだが、最近になって流れ着いたゴブリンの群れによって、商人の荷馬車や、町民が乗る馬車が襲われ、このルートを使うことが出来なくなっているという。



 こんなにも美しい景観だというのに、無情なものよ、などと思いながらも、カンナの闘争心は否応なしに昂ってゆく。そんな彼のソワソワと落ち着きのない足取りを見て、エリーナが不思議そうに首を傾げた。


「緊張してるの、カンナ?」

『まさか。これは武者震いよ。熟練の開拓者すらも怯む、ゴブリンとやら。果たしてどれほどの使い手か、相見える時が楽しみでならぬ』

「う、うーん。頼もしい……のかな?」


 依頼書によると、街道を外れた先にある廃小屋を根城としているらしいが……。

 距離はまだ少しある。

 敵を知り、己を知れば……ともいうし、ゴブリンについて、詳しいことを聞いておこうか、とカンナが思った、まさにその時である。

 ビュンッ、と空を切り裂く音を聞いたのだ。

 声を出すのももどかしく、エリーナのくるぶしに体当たりをし、弾き飛ばす。

 エリーナが地に倒れ伏すのと一拍遅れて、石矢が通り過ぎていくのが見えた。


「ぅううう……。いたいよぉ、なにするのカンナぁ……」

『噂をすれば何とやら、だ。お出ましになったぞ』


 え……? とエリーナが周りを見渡した時には、すでに囲まれていた。



 それは、奇怪な姿であった。人の姿でありながら、しかして人とは似つかない姿。

 オンボロの布や壊れかけた鎧を身に着け、思い思い武器を持つその体躯は子供ほどしかない。

 顔立ちは童顔で、しかし愛らしさは全くなく、その面貌へ張り付く表情は、いずれもずる賢そうな、憎たらしいもの。こちらを小馬鹿にするような侮りが見て取れる。


『勘付かれたか、それとも偶然の邂逅か……。ふふん。いずれにせよ、私は幸運なようだ』


 圧倒的劣勢。

 しかし、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた狼は、予想よりも早く戦えてよかったと言っている。苦し紛れの負け惜しみではなく、本心から。

 マジかよこいつとんでもねえな、と思いながらも、エリーナは声を張り上げた。


「気を付けてカンナ! ゴブリン達は頭が良いの! 深追いは禁物だからね!」

『討伐を約束しているのだ、深追いせずに何とする!』


 カンナの右後ろ脚に括りつけられた鞘からダガーナイフが飛び出し、見えない力に操られるようにして、彼の口元へと引き寄せられる。

 咥えた短剣は、仔犬ほどの大きさの彼には、いささか大きく見える。

 トテテっと駆け出すと、最寄りの一体に飛びかかり──。


「ギュァアッ!?」


 その喉笛に向かって刃を一閃させた。

 そのゴブリンは反応することもできずに血飛沫をまき散らせ、名残惜しそうに空へ手をやった後、倒れ込み、息絶える。


「ギュア! ギュア!」


 即座に我に返ったリーダー格らしきゴブリンは、短く鳴き声をあげるなり撤退を開始した。


『逃げる気か……っ!』

「だっ……ダメだって言ってるでしょ、カンナ!」


 追い縋り、一匹でも多く殺そうとするカンナを、エリーナが引き留める。

 言葉ではとても立ち止まらないので、抱え上げて。

 一応は大人しくなったが、その瞳に燃える殺意は、少しも衰えを見せない。


『何故だエリーナ、何故止める! 奴らが背を向けた今こそ、絶好の好機だろう!』


 普段の彼とはまるで違う激しい声。

 カンナの豹変に怯むエリーナだが、何とか持ち直す。


「いっ……言ったでしょ、カンナ。ゴブリンは頭が良いの」

『それが今、何の関係がある?』


 ここまで言ってもわからないの、とエリーナはため息をつきたい気持ちになった。脳筋ここに極まれり、という奴である。

 なまじ普段の物腰が理性的なものだから、すっかり勘違いしてしまうのだが、結局やはりとどのつまり、カンナだって魔獣なのだ、と再確認させられてしまったエリーナである。


「……罠だよ、アイツら、罠を使うの。仕掛けとか、伏兵とか。ゴブリン自体の強さはそんなでもないのに、Aランク指定されているのは、そのせいなんだよ」

『なんと。……では、先ほどの撤退も誘いだと?』

「そう。だからね、下手に無策で飛び込むと、返り討ちにあっちゃうかもしれないって言ってるの」


 むうう、とカンナは黙り込む。

 真っ向勝負が大好きな彼ではあるが、策を弄するような手合いは大の苦手である。

 彼はそもそも頭が良くない。いつだって考えるより先に動き、思うより前に攻撃、粉砕という脳筋タイプなのである。頭脳派魔獣のゴブリンとは全く持って相性が悪い。

 そして、大方の開拓者というのも考えるより産むが易し、と考えるような脳筋ばかりなので、ゴブリンとは相性が悪い。

 しかも奴らは息の合った連携を仕掛けてくるので、急場しのぎのパーティでは翻弄されるばかりである。


「ここは平野だし、そんな凝った仕掛けはして来ないと思うけど……」


 だが、少なくとも、伏兵は配置しているだろう、とエリーナは断じた。

 さっきだって草に紛れて不意打ちを仕掛けてきたのだ。

 人間にとってはちょっと背の高い草に過ぎないが、背丈の低いゴブリンにとっては身を隠すのに最適だろう。これを活用しない手はないはずだ。

 もしかしたら、落とし穴があるかもしれない、とも疑う。

 足元は草で覆われて確認しづらい。こういう場所での落とし穴というのは、効果が絶大なはずだ。

 いずれにせよ、奴らの策に嵌まってしまったら致命的だ。警戒するに越したことはない。




 5




 彼はいわゆるはぐれというモノであった。はぐれゴブリン。

 ゴブリンの群れというのは、本来キングゴブリンを頂点とし、ゴブリンリーダーがそうでないモノを統率する縦社会である。基本的に彼らは縄張りを出ず、ひどく閉鎖的な文化を薄暗い洞窟の中で築いているのだ。

 多くのゴブリンはそうした現状に疑問を抱かずにいるが、彼はそうではなかった。古臭い掟は大嫌いだったし、外界をこの目で見たいと願っていた。

 ある日、キングゴブリンへ願い出たのだ。外に出たいと。答えはにべなく却下。

 しかし彼は諦めきれなかった。だから、賛同するモノを集めて、洞窟を抜け出し、今ここにいる。



 外界での暮らしは開放的だった。

 面倒なしきたりを守らなくてもいいし、人を襲うのも禁じられない。

 人を殺すのは別格といって過言でなく愉しかった。

 獣や魔獣を狩るのとはまったく違う。恐怖する相手を殺すというのは、思いの外愉しかった。特に、反抗的な目をした奴を殺すのが愉しい。燃えたぎる怒りの感情が、やがて恐怖に移り変わるのを見るのは至福だった。

 ただ……。

 少々やり過ぎてしまったのか、初めのうちは毎日のように現れた人間も、最近はめっきり彼らの縄張りに現れなくなった。

 そろそろ潮時かと思い、次の狩場を探そうと移動をしていたその時だった。

 人間がいた。白金色の髪を二つにまとめ、茜色の瞳をした、人の良さそうな少女である。小柄な背丈で、とても強そうには見えない。むしろ鈍くさい部類に入るだろう身のこなしで、彼らは久々の獲物に歓喜した。



 そして石弓の狙いをつけて放った時、少女の姿がぶれる。

 彼らの行動は早かった。避けられた、と理解するやいなや、すぐに少女を取り囲んだのだ。総勢三十名からなるゴブリンの集団に、たった一人の人間が敵う道理はない。



 だが、想定外のことが起きた。

 少女は単独ではなかったのだ。狼を連れている。

 鮮血色のひとみは、強大な力を有する魔獣の証だが、所詮は幼獣である。ならば、そんなものはどうとでもなるだろう。数の暴力に勝るモノは無い。彼にとってそれは鉄則であり、信仰であった。

 ゴブリンリーダーたる彼が、早くも獲物の最期に思いを馳せた、その瞬間である。

 身を低くした狼は、とんでもない勢いで加速を始め、仲間の一人へとあっという間に肉迫したかと思うと、咥えた短剣で喉笛を掻き切ったのだ。噴血が草原を紅く染め上げる。



 まともにやっても、こいつには勝てない。

 確信めいた直感であった。彼はすぐに仲間に撤退を指示すると、踵を返す。

 奴らは追ってくるだろう。追って来なくてもいいが、多分、追ってくる。戦いとはそういうものだ。一度始めたなら、敵の息の根を止めるか、自分がくたばるか。その結果が出るまでは決して終われない。だから追ってくる。その先に罠が待ち受けているとわかっていたとしても、奴らは追ってくる。



 落とし穴は使えない。ついこの間、重装備の人間達に使ってしまった。

 しかしだ。狼に対しては、まず動きを止めないことにはどうにもならない。数を頼んでも、奴自身を捉えられないのでは何の意味もないのだ。

 彼は必死に頭を働かせた。どうすれば奴を捕まえられるか。時間が過ぎ、焦りが彼を追い詰める。

 どうする、どうする、と塞ぎ込むように考える彼に一瞬、電流が流れた。ふと、天啓を得たのだ。これならば、と思い、仲間に伝える。リスクの大きい策だが、背に腹は代えられぬ、だ。





 しばらくして、彼らが拠点とする廃小屋に、少女と狼がやって来た。

 のほほんとした顔しやがって。今からその能天気なツラ、恐怖と絶望に染め上げてやるぞ、と彼は嗜虐的な笑みを口元に浮かべ、仲間に号令を出した。

 五人ほどが飛び出し、奴らに襲い掛かる。

 少女が短く何かを唱えると、薄い膜のようなモノが周囲を覆い、彼女はブツブツと何か呟く。狼の方はやはりとんでもない速度で仲間達へと斬り込んでいき、次々と殺していく。

 仲間を殺され、はらわたが煮えくり返るような気分だが、ここはぐっとこらえ、霊力を編み込む。

 イメージは鎖だ。長く頑丈な鉄の鎖。綻びが出ないように、綿密に霊力を紡いでゆく。



 そんな風に彼がモタモタと霊力を練っている間に、囮の五人が全滅させられてしまう。

 次の部隊の出番である。

 今度は十人が草陰から飛び出し、八人ほどが狼を囲み、残りは女の方に攻撃する。

 女の周囲に張り巡らされた光の皮膜は、透け透けの薄っぺらい見た目とは裏腹に随分と頑丈なようで、仕掛けているゴブリン達では突破することが出来ない。

 狼には二人一組になり、常に連携して攻撃を仕掛ける仲間達だが、奴はまるで気にしない。むしろ仲間達の方が痛烈な反撃を受けて、数を減らしていく有り様だ。

 早く、早く、と焦燥感が募る。想像していたよりも、圧倒的に早く仲間達がやられている。このままではじり貧だ。早く、早く。



 やがて、狼を囲んでいた仲間が皆殺しにされ、次の獲物とばかりに女を襲うゴブリンに狼が刃を向けようとした時、ようやく術が成った。

 しかしタイミングだ。タイミングが合わねば何の意味もない。生き残っているゴブリンは十五。自分を含めれば十六だ。狼さえ捕まえてしまえば、このうちの半分で奴らの制圧は成るだろう。

 八体に奴の気を引くように命令した。仲間に死ねと言っているのだ。心が痛まないわけがない。

 彼らはゴブリンリーダーの指示に勇敢に頷くと、勇んで狼へと向かう。

 銀閃が瞬き、血飛沫が舞い、つい先ほどまで確かに生きていたはずの命が肉塊となり果てて地に落ちる。

 すぐにでも力を発現してしまいそうな手を抑え、まだだ、まだだ、と機を窺う。



 そしてついに、その時は来た。

 今まで斬撃しか行っていなかった狼が、ついに刺突を行ったのだ。引き抜くまでのラグは一瞬だろうが、その一瞬があれば事足りる。

 霊力を開放する。まばゆいばかりの閃光が幾筋も迸り、絡み合い、鎖となって狼の身体を締め上げる。勝った(とった)と確信した。彼の霊力を大量に継ぎ込んだ特注である。脱出することなど、どんな魔獣にだって不可能なはずだ。



 すぐに攻撃を指示する。

 まずは狼をズタズタに切り裂いてやる。女は後回しだ。散々仲間を殺してくれた幼獣に報復しなくては、腹の虫が治まらない。やってしまえ、と叫んだ時、蒼い光が瞬いた。

 そして隆起するように現れた氷の槍が狼の周囲にいたゴブリン三人に殺到し、串刺しにし、彼らはあっという間に見るも無残な骸となり果てた。



 ちくしょう、と思った。よくも、と思った。

 だから女を殺してやろうと手にした剣を向けた。狼は捕縛している。女のように何か邪魔を入れることは出来ないだろうと判断した。

 だが、怒りに燃える瞳は、次の瞬間、信じられない光景を目にした。

 狼だ。奴が気だるげに身を振ると、絶対無敵であるはずの縛鎖は容易く引き千切れ、再び奴は自由を手にした。理不尽だ、と思った。こんなの絶対におかしい。何かが間違っているし、狂っている。

 やけくそだった。殺せ、と号令した声はヒステリックな金切り声だった。

 仲間達が彼の声に従い、剣を振り下ろし、槍を突き出す。

 しかし奴はそんなもの知ったことかとばかり、回避の素振りすら見せずに突っ込むと、そこに鮮血が飛び散った。奴の血である。やったか!? と思ったが、狼は止まらない、怯まない。まったくお構いなしに向かってくる。

 首が飛ぶ、首が飛ぶ、首が飛ぶ、首が飛ぶ。

 あっという間のことだった。何が起きたかもわからなかった。ただ仲間達の首が飛んでいくのが見えた。



 そして──。





 ──目が合った。





 まるで貴様が最後だとばかり、余裕の足取りで向かって来る幼獣と、ゴブリンリーダーは目が合ってしまった。殺意と愉悦にテラテラと、濡れるように光る深紅のひとみ。

 恐ろしい、とか、死にたくない、とかそんなことを思うより先に、強く理解させられた。



 奴は死を恐れていない。



 よく見れば、身体中いたるところに傷が見える。深いもの、浅いもの。奴の速さなら本来無傷でいてもおかしくはない。いや、むしろ無傷でいなくてはおかしい。それなのにこの傷の数。それの意味するところは、つまり。

 狂っている。ゴブリンリーダーは思った。こんなもの、正気の沙汰ではない。

 確かに、魔獣は傷付くことを恐れたりしない。そこに戦いがあるならば逃げることはないし、命ある限り戦うことを投げ出したりはしない。

 もちろんそれは亜人よりの魔獣とされるゴブリンだって一緒だ。でもだからこそ、狂気じみた狼の在り方をいっそうに理解して、恐ろしく思った。



 どんなに闘争心に狂った魔獣だって、傷付くとわかっている攻撃に身を曝したりなんかしないし、それを愉しむなんてもってのほかだ。

 だって生きているのだ。誰だって傷つかない方がいいし、死にたくないに決まっている。

 なのに奴と来たら、まるで自分が殺される、という結果すら愉悦に思っているような素振りがあった。どんな痛みも、どんな辛みも、奴にとっては等しく娯楽に過ぎないのではないか、と疑問を抱かせるほどの狂気。

 化け物、と思った。この幼獣は紛れもなく怪物。

 死にたくない。剣を握る手に力が入る。



 その気になれば、彼のことなど瞬きの間に殺してしまえるくせに、化け物はゆっくり、ゆっくりと焦らすように歩く。私を失望させてくれるな。……そんな期待のこもった紅い瞳が彼の瞳を覗き込む。

 クソッ、と剣を振り上げた。

 迸る叫びは、怒声というよりは悲鳴に近い。

 涙が出る。鼻水が出る。顔がグチャグチャに汚れてしまっている。

 だって怖い。恐ろしい。こんな化け物、どうやったって勝てるわけがない。けど、彼にだって誇りがある。敵に背を向けるなんて許されない。

 殺意に猛り狂った紅い瞳が見える。真っ暗な闇の底から、死神が手招いているような、昏く、紅い眼光。

 彼が剣を振り下ろすのと、奴が飛び込んでくるのが重なる。



 ゴプッ、と血を吐き出す。

 胸に短剣が突き立てられている。

 遅かった、と理解した。彼の剣は奴を仕留めるには至らなかった。

 倒れ込む。命の灯が急速に消えていっているのがわかる。

 死にたくない、とは、もう思わなかった。むしろ、安堵さえした。もうあの化け物と戦わなくていいのだ、と。

 視界がぼやけ、力が抜けて、意識が暗いところに落ちていく。

 なくなりつつある意識の中で、ああ、と彼はようやく理解した。

 ゴブリンが閉鎖的なのは。キングゴブリンが彼に外出を許可しなかったのは。こうなることがわかっていたからなのだ、と──。




 6




「カンナ、大丈夫なの……?」

『子細ない。少々深い傷をもらいはしたが、別段、騒ぐほどのものでもない』


 すぐに治る、と。こともなげに言うカンナだが、エリーナは内心穏やかではない。

 傍目に見ればわかるが、カンナのありさまと言ったらそりゃあもう酷いもの。フカフカモフモフの真っ白な体毛は返り血だのカンナ自身の血だのでベトベト真っ赤になっているし、血を流し過ぎたのか足取りがおぼつかない。


「ねえ、カンナ……」

『……む?』

「……っ。……帰ったら、治療しなくちゃいけないね。カンナ、すごいケガだし」


 あんまり自分を粗末にしないで、とは言えなかった。彼の根幹に関わるような場所に踏み込んで、それで見限られてしまうのが怖い。きっと大丈夫、私達なら、と根拠もなく断言できるほど、エリーナはカンナのことを深く知らない。


『治療は必要ないが……。……そうだな、そういうことならば、言葉に甘えるとしよう』


 ん、と。足を止めて見上げて来る幼獣。抱えろ、ということだろうか。

 珍しい、と思った。

 エリーナの方からカンナを抱き上げることはあっても、カンナから抱けと言われたことはなかったのだ。やっぱり歩くのも辛いくらい深手を負ったのかな、と一瞬思うが、その程度で根を上げるようなカンナじゃないよね、と思い直す。

 ……とすると。

 きっと気を遣わせてしまったのだろう。



 抱き上げたカンナに頬を摺り寄せる。鼻をつく、濃密な血のにおい。それが彼の狂った本性を物語っているようで、エリーナは否定しようといっそうに強くカンナを抱きしめた。



 そうだ、カンナは優しいんだ。

 だってあの時、鍛冶屋で冷たくされた時、癇癪を受け止めてくれたし、慰めてくれた。

 確かにカンナは魔獣だ。だから激しい部分もあるだろうけど、それが全てじゃないんだ。

 エリーナは自身へと必死に言い聞かせた。

 でないと、あの殺意にまみれた真っ赤なひとみを思い出してしまいそうだった。あの、刃の渦の中へ、まったく怯まずに飛び込む、恐ろしい姿を思い出してしまいそうだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ