エヴィルドルグ侵攻軍・一人の騎士の記憶
小説 五話
一人の兵士が鏡を見つめていた
「おい、まだ鏡を見ているのか、いい加減準備にかかれ」
「良いじゃん、俺貴族だし」
青に細かく金の線が描かれている手鏡、裏には貴族の証である金の鳥の紋章が描かれている
「ここでは一人の兵士だ、戦場では身分など意味がないぞ」
「その時はその時っしょー」
生意気な男だ、お前のような者が我々騎士隊にいるだけでも恥だというのに、と心の底から思う
「そういえば奥さんとはどうよ」
隣の騎士がにやりと笑みを利かせながら言った
「ま、まあいつも通りだ」
「いつも通りハートマーク付きの手紙で文通っすよねー(笑)」
「ったく!イチャイチャしやがってこの野郎ー!」
その騎士が冗談交じりに言い、まわりもそれに合わせて笑う
「あれはなんだ?」
すると一人の騎士がそう言った。
もう一人が双眼鏡を取り出し、それを見る
「人間だなありゃ」
「おい!人がいるぞ!」
その声の後に周りがざわつき始めた
「人?何でこんなところに…」
「ありゃ…たった一人みたいだな」
「敵か?」
「いやそれにしてはたった一人は少なすぎだろ」
「じゃあ民間人か…?」
「そこのお前、指揮官殿に伝えてきてくれ」
聖騎士長が後ろの歩兵に言った
「了解しました!」
それを頼まれた兵士は勢いのある声で言う。
「さっきの奴、嬉しそうな顔してましたね」
「まあ我らが聖騎士長殿に頼み事をされたんだからそうなるのも仕方ないな!」
そう、その兵士の顔はとても嬉しそうだった。
なぜなら、このガルディアナ帝国での聖騎士隊とはまさに精鋭のみが選ばれるモノであり、その隊長、聖騎士長とは即ち英雄と言われるほどのものなのだ。
一人の騎士が其の者に言った
「そこの者!これからここは戦場になる、その命を落としたくなければここから去れ!」
ーー其の者は何も答えなかった、ただ我々の前に立ちはだかっていた
背中に一本の剣、黒いローブを身に纏い、手を衣囊に収めている
一見剣士に見える
だが其れは我々に得体の知れない恐怖を与えていた
「あいつ馬鹿か?」
「油断するな、全力で行くぞ。」
そして後ろから指揮官の声が聞こえた
「進軍せよ!」
開戦の合図の鐘が鳴る
「さぁ行くぞ!」
「あいつどうします?」
「知らん!そのまま串刺しにしてやれ!」
騎兵隊が走り出す、すると、立ちはだかる者は衣囊から手を出し、その左手を開き地面に向けた。
そして其の者の手から光の槍が現れる
「魔導士か!魔法を打たせるな!刺し殺せ!」
騎兵の槍が其の者に触れようとしたその時
其の者の足元に魔法陣が現れ、其の者は数十メートルもの高さまで跳躍した。
其の者の立っていた地面は深く抉れ、砂埃が舞う。
高く飛ぶと其の者は右手に光の槍を持ち、落下と同時に我らの立つ地面へ光の槍を、まるで叩き落とすかのように突き刺した、ヒュン!と空気が切れたような乾いた音が響く
その時、地面が割れる轟音と共にプチっという謎の音が聞こえ、体が浮くのが判った
ーー死に直面した時というのはこういうものなのだろうか、全ての時間がゆっくりと流れる。
私の体は動こうとしても動けなかった、体の感覚が既に無くなっていた。
途切れかけの意識の中で、私の目には其の者が映っていた。
其の者は両手に光の槍を構え、まさに破茶滅茶な投げ方で光の槍を3本、空中で回転しながらその回転に合わせ一本一本を1秒の間すら置かずに投げ飛ばした
光の槍が飛ばされる度に途轍もない衝撃波と熱波が其の者に向けられた全ての魔法を消し去り、全ての兵器を弾き飛ばしていた
生き残った兵士たちも其の者に近づくことすらできなかった、その限界の見えない強風と衝撃波を前に、立つことすら出来なかったのだ。
その者には戦技すら届かず、聖騎士長までもが手も足も出せなかった
まさに神話の世界だ。
我々はこんな恐ろしいモノと戦おうとしていたのか
そして其の者が一度間を置いたかと思うともう1本の槍が現れ、その槍をこれまで投げたモノよりも遥かに強大な力で投げ飛ばした。
槍が其の者の手から離れた瞬間、これまでのモノをはるかに超える衝撃が周りの物を全て吹き飛ばす。
私もそれに巻き込まれた、私の体がさらに上へと浮くのが分かる、何万もの人間が浮くのが見えた。
このような光景を誰が想像しただろうか、こんな異常な光景を見るとは、私は想像すらしていなかった。
もう二度とこのような光景を見ることはないだろう
この高さから落ちて生き延びることなどまず出来ないのだからな
すると持ち主を失った手鏡が私の前を通り過ぎようとしていた
(青色の手鏡…後ろに金の紋章……あの生意気な貴族の鏡か……)
その鏡が私の前に来た時、私は見た
その手鏡には、頭が映っていた。
体を失った頭が宙に浮いているのが見えた
ゆっくりと流れる時の中で、表情を無くした顔が私を見つめている、顔の大半が返り血に染まっている、そしてその首が私のものだと知った瞬間、内から生温い涙が湧き出た、表情を失った自らの目が涙を流していた、目の前が涙で濁り、全てがボヤけて見える
私はその時、まともに動かない口を必死に動かし、出るはずもない声で
叶わぬ最後の願いを口ずさむ